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 主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。
                       箴言9章10節

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世界の法則

この世界には原理原則が存在し、その原則を創られた方が存在する。

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世界の法則

聖書とは

永遠のベストセラー聖書

人は、歴史を繰り返すと言われます。

確かに、言語の違いがあるにも拘わらず、日本や世界の失敗は、似たようなところがあり、人や場所、時代などの違いがあれど、間違いのパターンがあるようにも思えます。

世界中にある宗教は、一神教や多神教という違いがありますが、その中身は、とても似ているものです。仏教の人は仏教をキリスト教の人はキリスト教をそれぞれ正しいと思ってお互いの宗教のことを知ろうとしないところがどうしても、出て来てしまいますが、どういう教えなのかを調べていくと、似ているということが分かるのです。神道やエジプト神話、ギリシャ神話、イスラム教、ヒンズー教、ありとあらゆる宗教は似ているのです。

 

この事実からすると、この世界は、聖書に書かれているように、1つから人は増えていった。1つの家族ほどの勢力、1つの価値観から増えていった可能性が聖書以外からでも推測できるのです。

 

世界中に大量の空想物語があります。小説や映画、ドラマや劇など沢山の物語が過去にも大量にあれば、今でも増え続けていますが、それらにも共通点があることに気づくでしょうか。

 

宗教ではないとその枠から離れた世界中の人が生み出した失敗にも、なぜか共通点があり、それらは繰り返しているようにもみえます。

 

これらの人の間違いは繰り返し続けるものなのでしょうか。永遠に変わることはないのでしょうか。

1、脳に入り込む情報

わたしたち人間は、動物とは違い、かなり能力が高いように、存在しています。

なぜそのようなことを言いきれるのか。

 

それが現実だからです。

 

世界中、どこにいっても、世界を支配しているのは、人間です。

ライオンが人間を支配している国があるとか、牛や鹿が支配している場所などありませんね。

 

そもそも、人間以外の動物は、支配しようとなど考えることさえ出来ないのです。神様から創られたプログラムに沿って、動いているだけで、そのプログラムの割り込みに、人が関わることができるぐらいです。

 

人は、他の動物と比べると明らかに、能力が高いのです。

 

どこが一番優れているのかといえば、やはり脳です。

 

人は、脳の中に、情報をいれることで、プログラムを固定させて、そのプログラムを信じて、みな生きています。

例え、それが悪であっても、人の脳にそれが正しいとプログラムされていたら、人は、それを悪だとは認識できずに、それを実行してしまうものなのです。

 

日本人の多くは、日本語で物事を考えます。「フランス語で考えろ」と言われても、日本語でしか考えられないのです。フランス語を学ぶ環境、脳にフランス語というプログラムが入っていなければ、フランス語で物事を考えることはできないのです。

 

このように、どのような情報が、脳に入れられているのかで、その人の行動は変わってくる事実が、存在しているのですね。

 

言葉が多くのプログラムの作成にかかわっているとは思いますが、その他、文化や生活、五感などからも、情報を脳に入れていくのです。

 

この事実は、悪いことだけではなりません。良い事でもあるのです。

 

現代は、この作用を悪が利用しているから、多くの悲劇や苦難が表に出てきているので、悪いように思えるかもしれませんが、これを善の者が利用すれば、争うということの発想さえ、失わせることも可能なのですね。

 

日本人は、武器を持ち歩くことは禁止されています。銃刀法違反という法律などがあるからですね。

そして、現代では、人と人が殴り合っているような場面をほとんど見ませんね。わたしも生きてきた人生で、そのような場面をみるのは、数えるほどしかありません。

このように、人がいれば、争いは消えないというのは、嘘で、争いをする一部の脳が汚染された人がいても、多くの人は、痛いのは嫌ですし、争いたいとは思わず、何とか平穏に生きたいと願うものなのですね。

 

ですが、今までの人の歴史は、権力者によって、情報規制をかけられることが多かったことで、あらゆる間違いや失敗が、次の世代などに伝わることが無かったのです。

 

失敗や間違いが生まれてしまうのは、これも問題ですが、一度起こった問題を次の人に伝えないと、脳に情報が入り込まないので、それを失敗だと分からずに、同じことを起こしてしまうわけです。

 

聖書は、聖なる書物で、良い事ばかりが書かれている、まるで性善説のようなものだと、勘違いする人がいますが、聖書の7割は、人の失敗や間違いが大量に書かれています。

 

聖書に出てくる名前を持った人たちがいます。ダビデやソロモン、ヨシュアやヨハネ、ペテロやモーセなどです。

それらの人たちの成功や正しい行動も、書かれてはいるのですが、聖書は、それらの人たちの失敗も多く書かれているのです。

 

アダムとエバの話は、聖書を読まない人であっても、知っている人の失敗ですね。

 

このように、成功する情報、正しい情報を脳にいれることは、もちろん大切なのですが、実は、どのような失敗を繰り返してきたのかを知ることも、わたしたちには、大切なことなのです。

 

ですが、一部の権力者たちは、自分たちが優位な地位や現状を維持するために、下の人たちの脳に入れる情報を規制しては、コントロールしてきたのです。

 

これは、日本だけではありません。世界中の権力者たちは、良くも悪くも、情報を規制して、人々に考えられないようにしてきたことで、間違いを繰り返していくようになるのです。

 

だからこそ、宗教は、世界に平和を固定させる良いものなのです。

 

これはキリスト教だけのことではありません。神道はもちろんのこと、仏教など、現在、残っている宗教の多くは、人権を踏まえた平和的なものが、残っていて、逆に世の中を乱すようなカルト的な宗教に打ち勝ち、それらは淘汰されるようになっているのです。

 

これも、情報が、流れたことによる良い事です。

 

利益にあずかっている一部の幹部の人間は別にして、多くの信者さんたちは、とても優しいのは、そのためです。

 

お互いの宗教を比べて、指摘しあうようなところもありますが、感情論ではなく、日々教えられた硬い教え、脳の情報をもとにして、平和的な生活をしているのです。

 

宗教がないひとたちは、自分の中でそれを導きだしていかなければいけないので、曖昧で、薄い行動になり、感情的に生きる割合が高くなります。

 

宗教を心から信じている人は、辛い事や悲しい事が起こっても、前向きに笑顔をみせ、辛さから悪へ走る割合は少ないですが、独自で考えている人は、辛いことが起これば、恐怖になり、人を疑い、疑心暗鬼に陥ってしまうようになりやすいのです。

 

悪が大量にある今の時代は、疑う能力、狡猾であることは重要の1つですが、だからといって、悪を増大させるような生き方をすれば、本末転倒です。

 

今の時代が悪の時代であっても、未来を明るくするために、前向きに生活することを続けることが大切なのです。建設的だということですね。

 

宗教を信じている人たちは、硬く教えに立つことが大切なのですが、現代では、学校宗教団体の2つの草鞋で、脳に情報を入れ込まれ、生活をしなければいけないだけに、未信者とほとんど変わらない人たちも存在しています。

 

かなり、複雑化にされ、教育されているので、現代に生きる人たちは、その罠を打ち破るために、しっかりとした多くの情報を手に入れなければ、コントロールされたままになってしまうのですね。

 

エンジェルマップでは、誰にも否定できない事実の情報を多く取り上げています。

 

これらは、民族、言語、宗教や国や人格や感情など関係なく、何者なのかも関係ありません。

例え、ヒトラーであっても、「地球がまわっている」という事実を口にすれば、それは誰にも否定できない事実なのです。

 

 

人間だけが能力を持って、世界を支配しているという事実もまた同じです。

 

このような事実の情報、ゆるがない情報を脳にいくついれているのかは、重要で、嘘や詐欺情報などを振り分けるための武器になるのです。

 

聖書は、固定された揺るぎないものとして、古くから存在し続けました。

権力者は、この聖書を利用して、聖書を下のものたちには、読ませずに、聖書には、書かれていない内容で、私利私欲に走ったのですが、これらの悪を暴いたのは、固定され続けた聖書でした。聖書には、どこにもそのようなことは書かれていないと、正義感を持った聖職者であり、学者たちが、ゆるぎない事実を持って、指摘したのです。

 

科学や学問がこれほど発展したのも、そこからでした。

 

教えなければいけない情報をわざと教えず、教えなくてもいいようなどうでもいい情報をわざと教え続けることを権力者たちは、続けてきたのです。そして、それは、今も変わりません。

 

権力者たちが、手出し出来る学校システムやマスメディアなどを超えて、今はインターネットという個人でも、情報を流せるようになり、情報が飛び交うようになりました。多くの正義感のある学者や聖職者、著名人なども、インターネット経由で情報を流し続けています。ここ20年ほどで、劇的に世界の流れは変わってきているのですね。

 

人が間違いを繰り返すのは、脳にどのような情報をプログラムするのかが、関係しているということです。

 

2、悪の存在

悪が広まっている現代社会では、人の失敗や間違いを脳に教えることは大切なのですが、それがすべて正しいというわけでもありません。

 

人の失敗や間違い、悪の存在を教えるということは、その人の脳に、それらの情報を入れ込むことになるのです。

 

聖書には、「盗んではならない」という教えがありますが、盗むということを知らない人に、盗んではならないと教えることは、盗みというものが存在していることに、気づかせてしまうことになるのです。

 

これが聖書にも書かれている律法による副作用です。

 

聖書は、モーセの時代に神様が与えられました。ですが、それ以前は、固定された書物を神様は、お与えにならなかったのです。

 

それはなぜでしょうか。

 

アダムとエバに、神様は善のプログラムを脳にいれましたが、悪のプログラムは、ほとんど教えませんでした。たった1つ、エデンの中央にある善悪の木の実を食べてはいけないというたった1つのルールしか、神様は与えられなかったのです。

 

それ以外は、何をしてもよかったのです。

 

何をしてもいいといっても、悪を知らない人には、悪をするためには、悪を発明しなければいけないわけです。ですから、悪をすることがその時のアダムとエバには出来なかったのです。

 

人は、悪を知らず、善のプログラムだけで、生きていたので、世界も天国のような状態が保たれていました。

 

しかし、人は、99・9999%の善ではなく、たった1つ0.00001%の悪を掴みとってしまったのです。

 

天国のような世界は、人に悪が入り込んだことで、変化していきました。

 

悪をすれば、悪が返って来るような世界へと神様は、変えられていったのです。人が悪をするたびに、ルールが設けられ、人は、そのルールに後ろ指をさされながら、脅えるように生きていくようになります。

ですから、神様は、人が行った悪に対して、ルールを設けましたが、先んじてルールを設けることはされていないのです。

 

このように、ルールそのものは、悪くはないのですが、ルールを教えることで、悪を教えてしまうということが起こってしまうのです。

 

悪魔宗教は、これを大量に利用してきました。神様による善の教えを裏返して、それら悪を教える悪のルールを人々に伝えていったのです。

 

「十戒」という教えが聖書にはありますが、これを悪魔宗教は、「裏十戒」というものに変えて、真逆の教えに持っていったのです。

 

7つの大罪というものも、まさにそれです。聖書から来ているものではありません。聖書の正しい教えを裏返したものが、7つの大罪なのです。

 

 

悪魔宗教などは、わざと分かっていて行う悪ですが、ほとんどの人は、分かっていないで行っている悪です。

 

そして、それが、悪だと分かっていて、行う時には、罪悪感を心に抱きます。悪魔宗教は、これを背徳感にして、喜びにする犯罪的思考ですが、普通の人は、罪悪感に襲われるのです。

 

やりたくない悪であっても、行ってしまう自分に罪悪感を感じるのです。

 

これもまた、律法による副作用だと聖書は教えています。

 

悪魔宗教や犯罪者とは別にして、わたしたちは、自分の中に悪があることを分かっているので、罪悪感を抱くのです。

これはある意味、正常です。悪をしても、悪だとして苦しまなくなったら、それこそ恐ろしいことだからです。

 

罪悪感を持つ人は、自分の悪を認識したまともな人だということです。

 

嘘をついたら、嫌な気分になれるのなら、正常だということです。

 

 

人には、悪があるということは、誰にも否定できない事実だということです。

 

ですが、すべてが悪ではありません。悪の部分は、極一部でしかないのもまた、事実なのです。

 

悪だけをピンポイントで、フォーカスしてみていると、すべてが悪かのように思えてきますが、それは錯覚です。ほとんどは、善の世界だからこそ、今でもわたしたちは、存在できているのです。悪が多い社会であるのは、確かですが、それ以上に、善の割合が多いのも確かなことなのです。

 

どんな組織であっても、善を利用せずに存続はできないのです。

 

その事実があることで、すでに、悪は、負けているのですね。

 

あとは、どのように、善の世界へと至るのかをゆっくりと良くしていくだけです。

 

今現在を0だと人は考えがちですが、実際は、そうではありません。少しずつですが、人は、積み重ねた間違いを修正して、正しい道へとゆっくりと向かっているのです。だからこそ、現在は、ほとんどの王族や貴族は、目立たずに、影にひそむように、静かに暮らしているのです。

 

権力者として、上にいた時代は、そうではありませんでした。あらゆる間違いを犯して、いまのような状態になり、権力者をしばる憲法が存在しているのです。

 

少しずつですが、この世界は、良い方向へと向かっていて、今が0というわけではないのですね。

 

例え、悪が一部確実にあったとしても、多くの善の部分を利用している限り、前に進んでいるということです。

 

悪を増大させることで、世界が一度滅んだことも、今のひとたちは知っているだけに、多くのひとは、そうならないように、心がけるのですね。

 

そして、律法による副作用を回復させたのは、イエス様でした。

 

律法を完成させるために、イエス様は来られ、この世を善の世界にするために、来られたのですね。

 

イエス様の教えは、愛と赦しです。

 

それは他人に対してもそうですが、自分に対しても当てはまります。

 

人の悪をするたびに、神様は、後付けでルールを設けられてきました。それらもまた、愛による神様の祝福だったのです。ですが、それらには、副作用がつきまとい、その愛を悪用してきたものもいますし、今でも悪用している者もいるのですが、それもまた、愛と赦しが浸透することで、逆に、悪を行うものたちは、淘汰されていきます。

 

悪を行うことが多いところでは、1つの悪は目立ちませんが、悪を行うことが少ないところでは、悪は目立つからです。

 

中国では、悪をすることを防ぐために、厳しいルールを強いて、恐怖政治を行う歴史が続きました。ですが、それは逆に、悪を増大させるものにしました。盗み1つしただけで、死罪なら、盗みを見た者の命を奪って、バレなければいいと悪を増やし続けたのです。心に神がいないことの恐ろしさです。

 

途中、大乗仏教がはいりこんで、心に神を宿すものたちが、増えてきたことで、悪を少なくすることに成功しましたが、それでも、中国の恐ろしい悪の増大さは、世界でもトップレベルでした。今でも問題を起こし続けているのは、そのような文化があるためです。

 

とはいえ、これだけ情報社会になったので、中国の権力者たちも、世界の常識を無視し続けることができなくなり、今は、愛や赦しのような流れが入り込み、やっと悪が抑え込まれるようになってきているのです。

 

80年前までは、愛の国である日本とは、真逆の存在でしたが、そんな中国や朝鮮も、かなり変わってきているのですね。

 

福沢諭吉は、中国や朝鮮には、関わるなと言いましたが、徐々に関わってよくなってきているということです。とはいっても、世界の悪の巣窟のようなところでしたから、わたしは、中国にだけは行きたくはないのですが、それでも、いまは、かなり安全にはなってきているのです。

 

アメリカや日本やヨーロッパでは、かなり情報革命が起きて、目覚めるひとたちが増えてきています。インターネットは、ほとんどの国にも採用されているので、この流れは、加速度的に広がっていくでしょう。

 

一部の人間の力で左右できる情報発信形態は、限界があります。圧力をかけるのが簡単だからです。ネットなどによる個人による情報形態、紛い物も多くありますが、すべてをコントロールして、圧力をかけることもできないのですね。