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                       箴言9章10節

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世界の法則

この世界には原理原則が存在し、その原則を創られた方が存在する。

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世界の法則

聖書とは

永遠のベストセラー聖書

結婚は、人間にとってとても大切なものです。

ですが、結婚はとても難しいものです。結婚生活を正しくできるということは、人生を極めることだと言えるほどです。

ですから、結婚生活が上手くいくには、条件が必要になってきます。

その条件とは

①神の子孫であること

②偶像思想に騙されないこと

③すでに与えられている奇跡に感謝すること

④体は水で、脳は聖書で、聖めること

⑤愛すること(神の子孫であることが前提。)

⑥信じること、ゆだねること(神の子孫であることが前提。)

⑦結婚は、世界を救う

神の子孫になるということが、①~⑦を要約していることになります。

神の子孫になるためには、多くの試練とともに、脳に正しい情報をインプットしていく必要があるので、神の子孫になるということは、①~⑦だけで終わるものではありません。みなさんの人生をかけて、自らを練り上げることで、神の子孫に近づいていくということです。

今回は、結婚ということに的を絞って、見ていきましょう。

1、神の子孫であること

神の子孫になるためには、まず、脳の中に入っている情報を無にしましょう。0からはじめなければ、神の子孫になることは、困難になります。

みなさんは、この世界が、何もないように、想像できるでしょうか。何もなく、無だけがある世界を想像してください。

では、物語を語りますので、脳を0にして、お楽しみください。

 

 

 物語①

”神様だけが存在していました。

はじめに、神様が天と地を創造されました。

そして、神様は世界という体を手に入れ、その世界は霊とつながっていました。また、肉である体を持って、世界の上に降り立ちました。

世界・聖霊・イエスキリストの3つで1つの全知全能の神様がいたのです。

神様は、すべてのものを法則という情報を基に作られ、小さいものから、大きなものまで、ありとあらゆる現象に、理をもって創りあげられたのです。

天と地、太陽と月、植物や動物、生き物を造られ、また人を自分の姿に似せて土からお造りになりました。すべてをみて「それは非常によかった。」と言われました。

ここからは経緯になります。

人はまだ、法則を基に造られた高性能のパソコンと同じようなもので、まだスイッチが入っていませんでした。

そこで神様は、ご自分の息を人の鼻に吹きかけ、いのちの霊を分け与えられました。

ひとは、神様と同じように、世界・霊・体を持った、神様に似せて、三位一体の存在として、特別な想いをもって造られたのです。

動物たちの形ではなく、イエス様の形に造られたほど、特別だったのが、人でした。

体をもたれる神であるイエス様は、まだ脳に何もプログラミングされていない人間に、言葉を使い説明していきました。

人は、言葉と世界とともに、情報を0から、いれていきました。

イエス様は、人の名前をアダムと付けられました。アダムとは、はじめの人であり、増え広がるという意味の複数形の名前でした。

巨大な巨獣や獣や鳥(恐竜)、動物や虫、植物に囲まれ、イエス様から情報をいただき成長していきました。

イエス様は、アダムに動物の名前を発明するように、促されたので、アダムは、イエス様からいただいた言葉を使って、動物たちに名前を付けていきました。

ひとはひとりでいるのは良くないと、あらゆる動物をアダムのところに連れて行ったのですが、アダムは、ふさわしい生き物を見つけることができませんでした。

そこで、イエス様は、アダムに深い眠りを下され、アダムのあばら骨を取り、その穴を塞がれました。

その骨からエバを御造りになり、アダムの場所に連れて行きました。

「これこそ、今や、わたしの骨の骨。肉の肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」とアダムは喜びました。

ふたりには、神様が「非常によかった。」という世界と情報しかなく、まぎれもなく、神の子孫でした。

神の子孫として、ふたりは出会い、ふたりからはじまるのですから、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのです。

「おかえりなさい。」

脳の情報を無にして、アダム、またはエバになりきることが出来たでしょうか。

現代の情報を脳に戻しましょう。

神の子孫とは、世界の環境・脳の情報・言葉・血統、すべてに渡って、神様の情報しか存在しない人間の状態のことです。

血によるものだけではなく、言葉によって理解する伝承も、子孫だと言えるのです。

イエス様は、アダムに言葉を教え、善のプログラミングによって情報を与えていき、神の子孫にされたのです。

その後、アダムは、エバに言葉を与え、イエス様がされたように、善のプログラミングによって、エバを神の子孫にしていきました。

神様がまず最初に存在し、ふたりの上に存在し、ふたりは、神様の下で、神様をマネていきる形。三位一体の形こそが、結婚生活の要になるのです。

ですが、アダムとエバの夫婦に、忍び寄る存在が、ふたりの結婚生活を狂わせていくことになるのです。

物語②

アダムとエバは、天国であったエデンの園で、完璧な環境の中、幸せに暮らしていました。

ふたりは、イエス様に見守られながら、自由に暮らしていたのです。

ふたりが、充実した生活を送れるように、畑仕事の方法もイエス様は教え、ふたりは、仕事を楽しみました。

ふたりの好きな食べ物が、畑を作ることで、さらに増やすことができることができたからです。

無限に広がる世界をふたりに与え、ふたりは、自由に使うことができたのです。

ですが、たった1つだけ、無限に広がる世界の自由の中に、たった1つだけ、神様は、ルールをアダムに与えていました。

「エデンの園の中央に、いのちの木と善悪の知る木が、生えてある。そして、その善悪の木から取って食べてはいけない。善悪の木から取って食べた時、あなたは必ず死ぬ。」

というルールでした。

アダムは、言葉を使って、エバにも伝えていました。

無限に広がる善の世界の中で、塵にもひとしい生き物、蛇がいました。この蛇は、一番狡猾で、ドラゴンの姿をしていました。

蛇は、エバに言いました。

「本当に、本当に、神様は、園のどんな木からも食べてはならないと言ったのですか。」

エバは言いました。

「違います。わたしたちは、園にある木の実を食べてよいのです。ですが、園の中央にある木の実について、神は、「あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。」と仰せになったのです。」

蛇は言いました。

「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べる時、あなたがたの目が開け、あたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」

エバは善悪の木の実をみると、とても目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましくなりました。

そこで、エバはその実を手に取ったのですが、死ななかったので、食べてしまいました。そして、エバは死なないことを知り、夫であるアダムにも、食べさせました。

ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることに気づき、いちじくの葉で、腰をおおいました。

手に取り、食べた瞬間、まったき神の子孫であった彼らは、別の者になり、以前の彼らは死んでしまったのです。

「おかえりなさい。」

物語の2にも、入り込めたでしょうか。

このようにして、人は、神の子孫から蛇である悪魔の子孫も、脳の中に入り込んでしまったのです。

アダムが食べた瞬間から人は、完全な神の子孫ではなくなったのですね。

聖書の教える結婚は、神の子孫同士であることからはじまっています。

ですが、現代は、アダムとエバの時代よりも、もちろん善悪は複雑になっているので、尚更、神の子孫の基準がなければ、離婚に至ってしまうのは、当然なのですね。

聖書の教える離婚>>

神の子孫同士では、離婚はゆるされません。ふたりは、神の基で一心同体となっているのですから、離れることはできないのです。

神の子孫という基準は、永遠へとつながる道です。

表向き、キリスト教徒であっても、脳や霊など悪の子孫であれば、当然、離婚に至ります。

心身共々、神の子孫の割合を高くすることが大切だということです。もちろん、キリスト教徒ではなくても、神の子孫に近い人もいます。

すべてが、善だというひともいなければ、すべてが悪だというひともいないのが、エデンの時代の後の世界なのです。

ほとんど無限に広がっていた善の世界に、人は、悪のプログラミングを脳にいれることで、世界には、悪が徐々に増え広がっていくことになるのです。

はじめは、たった一匹の蛇という悪、宇宙からみれば、無いにも等しい悪だったのですが、人は、無限の善ではなく、その小さな小さな悪を選んでしまったのです。

しかし、神様は、人を見捨てることをされませんでした。人が滅びないために、悪をすると悪が返ってくるという試練を与えられたのです。これによって、人は、悪に対する学びをすることができるようになるのです。

2、偶像思想に騙されないこと

偶像とは、現実とは違うものをあたかも、存在しているように、脳を錯覚させる思想のことです。

人に、悪が入り込んだ時から世界にも、悪が広がり、嘘や詐欺などで、人を騙すひとも現れ始めたのです。

この偶像のトリックに騙されていると、存在しないものまで、あると本気で思い込むので、不幸になります。

例えば、偶像で一番成功したものは、お金です。

木(紙)や石(鉱物)に数字をあてはめることで、価値があるかのように、脳を錯覚させるのです。

江戸時代までは、希少なゴールドをお金とすることで、現実を保っていましたが、明治時代から日本は、お金を紙切れにすることで、存在しない価値を増やしていったのです。

ですから、拝金主義者などにはなってはいけません。

大切なものを見失って、お金に走れば、家族も崩壊してしまうからです。

お金は偶像の1つであって、さまざまな偶像が、現代は広く存在しているので、気を付けましょう。

よくよく考えてみれば、おかしいことでも、普段から悪のプログラミングをされていると気づけないものなのです。

詳しくは

偶像とは>>   をお読みください。

3、すでに与えられている奇跡に感謝すること

わたしたちは、生きるために必要なほとんどは、すでに与えられています。

この世界は最悪だとか語ったり、悲観する人がたまにいますが、これほど天国に近い環境は、なかなかありません。

しなければいけないことは、糧を得ることである食程度のものです。

家がなくても、服がなくても、生きている部族はいます。それらがなくても、生きれることこそ、まるで天国のような環境なのです。

どうして、これほど素晴らしい環境なのでしょうか。

進化論という宗教の教えるように、この世界が偶然できているのなら、食だけではなく、空気を作り出したりしなければならないとか、重力を作り出さなければならないなど、ありとあらゆる生きるために必要なものが、あるはずなのに、実際には、食を得れば生きていけるわけです。

食にしても、すぐに死ぬわけでもありません。

家から駅まで歩くのにも、ほとんどのひとは、死なずに辿り着けるほどの環境が、実際にはあるのです。

わたしは零下30度といった環境の場所で暮らしたことがあるのですが、そこにさえ、人は生活し、日本とかわらない物資をもっていたのです。

これらの奇跡があることは、ほとんど天国のような環境だということです。

では、なぜその天国のような環境を与えられているのに、世界が最悪だとか、悲観的な言葉をいうひとがいあるのでしょうか。

それは、素晴らしい環境に甘えているからです。当たり前のように与えられている奇跡のような環境に甘えているのです。

もっと解りやすくいえば、他人と比べることだけ頭の中にめぐらせすぎて、それらの奇跡に気づけていないのです。

この まわりをみて、それよりも上になろうという欲や願望で生きていれば、永遠にそのひとは幸せにはなれません。

手に入れたものは、「当たり前」と考えて、次の新しい願望に走れば、きりがないからです。

現代の女性は、マリーアントワネットよりも、美味しいお菓子を食べることができるお姫様以上の存在です。

現代の男性は、王様や殿様よりも、車やパソコン、テレビや本、映画などさえみえる王様以上の存在なのです。

しかも、現代人は、王様やお姫様のような責任はありません。責任がないということは、自由だということです。

気ままであるのにも関わらず、さらに自由で責任も少なくてすんでいるのです。

なのに、まだ足りない。まだ足りないと言うのは、これはもう、その人の脳が汚染されていて、何をしても満足できない呪われた存在だということです。

生きるために疑うことさえしなくてもいい奇跡環境があることは、すでにすべての人間は勝ち組なのですね。

さらに、好きな人とともにいられる奇跡さえも持てる人がいるのです。

アダムがエバをみて、とても喜んだ気持ちが少しは解ったでしょうか。

お金?地位や名誉?車?家?娯楽?バカにされる?騙される?

これら頭の柔軟性をかく枠が一体何だというのでしょうか。現実をみれば、これらはほんの小さな枠でしかないのです。

もっと広く、もっと大きな枠に気づきましょう。

毎日、生きることに疑問を感じさせることさえないほどの素晴らしい世界に感謝し、好きな人と暮らせる奇跡を感謝しましょう。

苦しいと思ったり、痛いと思ったり、熱いと思ったりすることは、生きている証拠です。

死んでいる人は、それらを感じることもできません。いますぐ殺されそうになっても、それは生きているということです。どんな殺し屋も、死んでいるひとを殺すことはできないのです。

神様であっても、与えていないものを奪うことはできないのですね。

夫や妻、家族、友達は、奇跡をさらに超えた、奇跡なのです。実際は存在していること自体、ありえないほどの宝物なのです。

これでもか!というほどの環境を与えられているのに、まだ文句をいうのなら、永遠にそのひとは納得できない脳で勝手に苦しむしかないのです。

4、体は水で、脳は聖書で、聖めること

エデンの園の時代は、人間も、環境も、悪が存在せず、悪に汚れることはありませんでした。

ですが、わたしたちが生きている現代は、必ず悪が存在します。

天国のような世界の中に、人間社会という枠が設けられ、その人間社会が乱れれば乱れるほど、その中にいるひとたちは、嫌でも悪に影響されることになるのです。

脳がよごされているということは、わたしを含め、すべてのひとが、汚されているということです。

目の前に、防弾ガラスがあり、絶対に安全だと解っていても、ボールを顔にめがけて投げられたら、反応してしまうのです。

体も、脳も、霊も悪に対して反応してしまい、汚染されるのは、現代の悲しさなのです。

ですから、習慣的に、清くすること、洗うことが必要になるのです。

水は、とても素晴らしいもので、1週間に1度は、シャンプーさえなしで、水だけで体を洗うようにしてください。歯も水だけで洗うようにしてください。

もちろん、お風呂はお湯で洗いましょう。水だけで洗うと、事のほかサッパリします。石鹸などのように不必要に体の油を落とすわけでもありません。

 

また、体も、1週間のうち1日は、何も食べず、水だけを飲む日を設けましょう。そうすることで、内臓さえも綺麗にして、体の内部を休ませることができます。

どうしても、食べたくなるのなら、軽く果物を食べるぐらいならOKです。マヨネーズなどもつけずに、水で洗った果物だけにするといいでしょう。

 

体だけではなく、脳も洗う必要もあります。

脳を洗うには、教会に通うことは、理にかなっています。神社にいくとか、お寺で説法を聞くなども効果的でしょう。

一番お勧めは、聖書を読むことです。

世界に悪が入り込んでから、人によって多くの不必要な価値観が、人間の脳を汚染しているので、聖書を読むことで、脳を綺麗に洗いましょう。

教会にしても、神社にしても、お寺にしても、他人が関わっている以上、完璧な組織は存在しません。

誰かの勝手な思い込みをさらに脳に植え付けられる可能性がそれらにはありますが、聖書は、他人の考えは関係ありません。

他人を挟まずに、聖書を読むことはとてもよいことです。

 

体も脳も霊も綺麗にすること、リフレッシュすることは、結婚生活には大切なことです。

5、愛すること(神の子孫であることが前提。)

多くのひとは、愛は人間の下にあると思っています。人の中から湧き出るような感情や心臓の鼓動などを愛だと思っているひとがいますが、これは愛ではありません。

本当の愛とは、人間の上に存在しているもので、人は、愛を作り出すのではなく、人が愛に従うのです。

愛は、人がどうなろうと変わらず、人がどう考えようと変わらないものです。無くなることもありませんし、失うこともありません。

人間の上にある愛のことを聖書は、どのように書かれているでしょうか。

コリント人への手紙13章4節ー8節

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。

人の感情が愛ならすたれます。人の体の反応が愛なら、無くなります。愛は、人にはありません。人に愛を打ち込まれた神様から出ているものが愛です。

イエス様が、アダムに言葉を与え、そのアダムにエバを与え、愛を脳にプログラミングされたのです。

 

奇跡といわれるほどの法則で、与え続けている、この世界であり、神様そのものが、愛であり、すたれないもので、無くなることもないのです。

人間の上に存在していて、人間よりも前に存在された神様が、与えた愛は、人間の上にあるものなのです。

寛容にしたいことが愛ではなく、寛容が愛なのです。親切にしたいことが愛ではなく、親切が愛なのです。

人間のこう思う、こうしたい、どう考えるというものが、愛ではありません。ドキドキするものも愛ではありません。ドキドキしなくなったら愛は消えるのでしょうか。ジェットコースターに乗ってドキドキしたら愛でしょうか。顔が格好いい、顔が綺麗なことが愛でしょうか。格好いい顔が事故でグシャグシャになったら、愛は消えるのでしょうか。

歳を取ったら愛が消えるのなら、その愛は偽物なのですね。自分の好き嫌い、感情で愛を無くすのなら、すでにそれは愛ではないのです。

神を愛するとは、どういうことなのか>>

 

悪魔の子孫は、偶像思想で生きています。この世界の現象や事実を無視した教えを信じて生きているので、ひとが何をしても、脳の汚染が消え去ることは滅多にありません。

脳内麻薬が分泌して気持ちよくなる、ギャンブル依存症、アルコール依存症、恋愛依存症、同性愛、犯罪、恐怖、過食症、拒食症、万引、浮気、不倫、駆け落ち、SM、DVなど、ありとあらゆるものは、共通点があり、愛だと錯覚させていますが、実際は脳内麻薬という「欲望」です。

 

脳内麻薬を求めて、欲望的に生きる人には、優しさは毒になる場合があるので気を付けましょう。

神様は、アダムに悪が入り込んだことで、エデンを追放したことは、アダムのための試練という愛なのです。現在は、食を得るために働かなければいけませんが、その時代は、食さえも土地が呪われていなかったので、手に入っていたのです。

悪に対する戒めがなければ、人は堕落していく一方なのですね。

物語の続きをここで、またみてみましょう。

 

物語②のその後

 

ひとは、善悪を知って、まったき神の子孫であった存在は死んで、善悪を備えたものへと変わってしまいました。

神様は、人がいのちの木からも食べて、永遠に生きるものにならないように、いのちの木であったイエス様を封印されました。いつも一緒にそばにいてくれた神様が、目の前から姿を消したのです。

それだけではありませんでした。人は、エデンから追放されることになったのです。

エデンの環境は、悪をしても、試練になることが少なすぎるため、悪が増大してしまうからです。

アダムとエバは、自分たちがしてしまったことの結果に、絶望しました。天国であったエデンからの追放。神様であるイエス様から離れる悲しみが、彼らに、悪の恐ろしさを教えたのです。

 

ですが、神様は、それだけではなく、試練と救いの預言をふたりに与えられたのです。

神である主は蛇に仰せられた。

「おまえが、こんなことをしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりも、呪われる。」

蛇は呪われますが、蛇以外の生き物も、呪われるものが、出ることを預言されたのです。

 

「おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。」

悪魔は、悪であるという認識を人間から受けるという預言です。

 

「わたしは、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

悪のプログラミングが脳に入った人間たちと、神の善のプログラミングが脳にはいった人間は、区別され、悪の子孫には敵意を表す。

そして、女は子を産み、その子は、悪魔の頭を踏み砕き、悪魔は、その子のかかとにかみつくというのです。

これは、イエスキリストの再誕を表す預言で、エデンの園に戻してくれるイエス様が、十字架刑により、悪魔に打ち勝ち、十字架刑の釘をイエス様のかかとに打ち込む預言となったのです。

 

また、神様はエバに預言を与えられました。

「わたしは、あなたのみごもりの苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」

これらは、悪いイメージの預言のように思えますが、そうではなく、女性が、子を苦しんで産むことは、悪に打ち勝つための試練であり、それほどにして、苦しんで産んだ子をないがしろにはできない状態にされたのですね。

また、女性は、感情的になり、行動してしまいやすいです。それを男性によって支配されることで、押さえつけられ、悪を制御できるようになるのです。

そして、女性は、権利を失い、今でも、男性の二の次にされてしまっています。

 

神様は、アダムにも預言を与えられました。

「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえに呪われてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」

男性は、女性のために、奴隷となり、汗を流して、働かなければならない預言がされ、土地は、呪われるようになったので、仕事は、しなければならないものへと変わっていったのです。

 

ですが、神様は、それらの預言の上に、さらに救いになることをしてくださいました。

それは、動物のいのちを取り、その動物の皮から、人間の服を与えられたのです。

 

いのちとは、血です。体の細胞も、血が通わなくなると、その部分は、腐敗していきます。血はいのちなのです。

人は、自分たちの罪を贖うためには、自分たちの血を流さなければいけなかったのですが、神様は、身代わりになって、自分の体の一部である動物を身代わりとするようにされたのです。

それ以来、人間は、罪をするたびに、身代わりの動物を神様に捧げていくようになったのです。

それが、イエス様が誕生して、十字架刑にかかり、預言どおり、人間の罪を身代わりになって、血を流されたことが、起こってから、少しづつ、人の呪いからの解放が、ゆるされるようになっているのです。

 

人は、権利を失い、仕事も自由には選べない時代から、今は自由に選べる時代へとシフトしつつあります。機械やロボットなどが、人のかわりに奴隷となり、仕事からの解放に進みつつあります。それも、イエス様のゆるしと愛が、世界の基準となっているからです。

 

ひとは、聖書の教える憲法を手に入れ、多くの国々が、憲法をもち、人には人権があることを基準としはじめたのです。

アダムとエバの罪から世は、闇へと向かいましたが、イエスキリストによって、またエデンの園のような世界へと向かいつつあるのです。

まだまだ、先は長く、辿り着くまでに、試練が続きますが、その試練を乗り越えながら、悪に対する抵抗を強め、ひとりでも多くの神の子孫によ

 

もともと、神の子孫であれば、それらの危険からは守られます。感情ではなく、欲望でもなく、神様の作られた原理原則に従うからです。

6、信じること、ゆだねること(神の子孫であることが前提。)

多くは、人の能力を超えた奇跡の上に、祝福として、手に入れて生きているのが、人間です。

人間が出来ることと言えば、限られているとも言えるのです。

悪に脳が汚染されていると、とても不安に襲われます。人がどうみるのか、お金は無くならないのか、地位や名誉が失うのではないのか、様々な不安が押し寄せていきます。

ですがそれに反して、人間は神様の法則によって守られ続けているのです。

あなたの夫、または妻を信じるためには、神様である世界に守られていることに、気づく必要があります。

人を100%信じてはいけません。信じられるのは、神様だけです。

法則であっても、時代とともに変わる場合もありますが、神様は変わらないからです。

100%善というひとは、いません。ですから、人を100%信じてはいけません。一番近い人だからという油断は、人の悪をみると裁いてしまうようになるからです。

神様のゆえに、夫や妻、家族や世界を信じれるようになれるのです。

ある人によっては、信じる練習。ゆだねる練習をする必要があります。悪をみることに劣っているひとは、これが自然に出来ているひとがいますが、悪を必要以上にみすぎるひとは、なかなか不安が取れないひとがいるからです。

特に女性は、安心感を求めます。ですから、神の子孫である割合が高い人を選びましょう。

気分でコロコロ変わるような価値観の人は、いつまでたっても、平安は手に入りません。

何でもない時間、ゆったりとした時間などを設ける日を設定しましょう。

また、完璧な神の子孫だというひとは、わたしを含めていません。完璧な神の子孫になってから結婚しようと思うのなら、晩婚化に拍車がかかってしまいます。ですから、現代では、信じて、あまり考えず、神様にゆだねながら、結婚し、夫や妻とともに、神の子孫へと成長していきましょう。

7、結婚は、世界を救う

結婚が、なぜ世界を救うのか?と思うかもしれませんが、それは、家族とは、組織や人間社会の最小単位だからです。

家族という組織が、神の家族として、機能していれば、人は安定した人格を持ち、組織を裏切ることも、人間社会を破壊するような行動を取ることもなくなります。

今までも、組織をきちんと理解している人は、悪の組織であっても、家族システムを大切にします。

帝国や国、宗教などは、家族のかたちを尊重してきました。子は親を尊敬するべきだという教え、祖先を大切に想う教えなど、聖書や儒教が重んじたのは、家族が安定しないと、必然的に、世が乱れるからなのです。

なぜ、聖書は、性に対して、とても厳格な教えがされているのでしょうか。

それは性が乱れると、家族が崩壊し、組織が崩壊し、人間社会が崩壊し、あげくのはてには、世界そのものが汚染され、崩壊しかねないからです。

それほど、人間には、力があるのです。

会社でも、恋愛禁止などよく聞くことでしょう。ヤクザでも親子の盃などがあることを知っていることでしょう。相撲部屋も親方などと言われます。

天皇も民が子どもで、天皇が親である家族政治を大切にしています。

神の愛を守る、神の子孫同士が、家族を造り、形にしていくことは、言葉や論理を超えた、環境や霊にうったえることになるのです。

教会に通うことがいいのは、神の家族を大きくした集団であり、環境に染まることで、脳を綺麗に洗い流す効果があるからです。

家族は、さらにそれを小さくした大切なものなのですね。

三位一体の神様が頂点にあり、夫がそれに従い、妻はそれを支える、三角形の形が、安定していれば、いるほど、世界は、おのずと平和になるのです。

その環境の中で、妻は子に、神の子孫であることを愛を持って、伝承していくのです。

この家族システムを壊そうとした帝国や国や集団は、滅んできました。時の支配者が、これに手を出そうと実行するのなら、その支配者は、かならず追い詰められます。

結婚は、トータル的なもので、人生を極めることであるとも言えます。その要になるのは、神の子孫という個人が脳に設定されているかどうかです。

偶像思想の脳であればあるほど、現実とは乖離していくのは当然で、離婚になるのも必然です。

ですから、なるべく神の子孫に近い人と結婚しましょう。

キリスト教徒だから神の家族だろうと単純に思うことはいけません。内面からきちんと神の子孫なのかを把握しましょう。