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                       箴言9章10節

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世界の法則

この世界には原理原則が存在し、その原則を創られた方が存在する。

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世界の法則

聖書とは

永遠のベストセラー聖書

聖書は、同性愛を認めていません。かなり激しく、同性愛について禁止されています。

こう聞くと「現代にまでそのような古い考え方を強いるなんて!」などと恋愛の自由や人権を無視していると逆に批難してくる人もいます。

 

キリスト教の中でも、同性愛を認めるべきだと主張する考え方まであります。

 

人の感情や愛情を大切にしようという想いがそこには見えて取れます。

 

人権や自由は、確かに大切です。愛情や感情も大切なものです。

 

ですが、同性愛は、認めるべきではないのです。

なぜ、聖書は、同性愛を禁止するのか、認めるべきではないと教えているのか、見ていきましょう。

1、聖書は偶像を禁止している

偶像と聞くと、聖書に詳しくない人も、聖書を知っているキリスト教徒も、なぜ同性愛と偶像が関係してくるのか?と思うかもしれませんが、これこそが、最大の理由とも言えます。

偶像と聞くと、木や石で造られた神様、神像などだけだと思う人がいるかもしれませんが、偶像とは、虚像や空想、存在しない物、本質からずれている物を心から大切にしようとしてはいけないことを示します。

偶像とは何なのか

例えば、木(紙)や石(鉱物)に数字を書いて価値があるかのように思わせているお金も偶像です。お金を心の指標として、心から大切にしているひとは、現実を無視して、嘘や詐欺をしてでも、製品を売ろうとしたり、騙そうとしたり、利益をあげようと罪を犯します。

偶像を英語にするとアイドルですが、メディアに出てくるアイドルを心から慕う人がいますが、アイドルたちは、慕ってくれるファンのことを知りません。人間は完璧な人などいないのに、ファンは誇大妄想を抱いて、アイドルを高く意識して、空想の世界を信じます。行き過ぎるとストーカーになり、人を傷つけることまでする人さえいます。

当然、偶像とは、木や石で造られた神像も含まれます。人の手で作られた神像が、神なわけがありませんね。明らかにあれらは偽物の神です。

このように、偶像禁止とは、現実をきちんとみましょう。という教えなのです。もし、現実を無視して、感情や熱意を優先して行動すれば、世の中が乱れ、悲しみや苦しみが増えてしまうから、感情や愛情という2次的なものよりも、1次的な愛や正義を優先しなさいという教えなのです。

感情をとても大切だと主張する人がいますが、感情は、善の原則、(愛・正義・親切・寛容・忍耐・誠実・柔和)などに乗せれば、世の中はさらに美しく、綺麗に保たれ、悲しみや苦しみを消していきます。

ですが、感情を悪の原則、(不正・ねつ造・詐欺・悪意・恨み・ねたみ・嫉妬・不誠実)などに乗せれば、悲劇が世の中に生まれていくのです。

感情は、とても素晴らしいものでもありますが、感情はとても恐ろしいものでもあるのです。

包丁は、食材などに使えば素晴らしく役立ちますが、包丁を人に向けて使えば、恐ろしい物になるのですね。

聖書は、1次的な愛を優先にするように、教えます。

1次的な愛とは、神様の愛のことです。

神様の愛とは、この世界そのものであり、自然の法則であり、現実です。

神様は人間のために、この形ある世界を無から創られました。もし、何もなければ、わたしたちは、異性を愛することができるでしょうか。

当たり前ですが、体がなければ、異性を愛することも、家族を愛することもできないのです。

家族への愛、異性への愛、友への友情も、2次的なものであって、1次的な神様の愛であり祝福がなければ、2次的なものは存在しえないのです。

空気を地球に存在させているという神様の愛がなければ、人は異性に愛の言葉を語ることもできないのです。

神を愛するとは、どういうことなのか

同性愛は、現実的でしょうか?

男と男、女と女で、自然にこどもが生まれるでしょうか?

お金を出して、体外受精させれば、産めるからいいと考えるでしょうか。では、あなたは、医者が完璧にあなたのもので受精させると言い切れるのでしょうか。

恐ろしいことに、まったく違う人、それもその医者のものを入れられるという犯罪さえあるのです。あなたは、自分の精子や卵子を見分けることができるのでしょうか。

異性同士の自然な愛し合う形が、その証拠になるのであって、次の命をつなげる神様の愛による法則がそこにはあるのですね。

神様は、この世界そのものです。人間の中にも法則を造り、世界にも法則を造り、愛によって守られているのです。

ですが、人間は、それを無視して、非現実的なものが大切だと脳を勘違いさせることができてしまうのです。

だから、犯罪があり、悲劇があり、悲しみ苦しみが、現代は存在するのですね。

みな、神様の愛、1次的な愛を無視したことが原因なのです。

人間の背中には、羽は生えていません。それが現実です。なのに、ビルの上から飛び降りたら、ケガをするのですね。

どれだけ情熱的に、「わたしは飛べるからほっといて!わたしの勝手でしょ!」といっても、重力が存在するという現実を無視すれば、ケガをするのです。

2、同性愛は、犯罪の愛

人は、本来、神様の法則の基で、自由に生きることが、心地よいと感じるものです。

聖書では、神様は、善悪の木の実を食べてはいけないというルールだけしか、人間に与えられませんでした。その他は、自由にしていいとアダムに教えたのです。

アダムは、悪を知らなかったので、知らないものは、することが出来なかったのです。

神様によって善のプログラミングしかされていなかったアダムは、悪ができなかったので、神様の教えた善のプログラミングの中で、自由に生活できたのです。

ですが、その後、悪魔である蛇によって、悪のプログラミングがほどこされました。

ひとは、善悪という両方のプログラミングを知ることで、どちらも行動できるようになったのです。

神様という自然の法則を無視して、非現実的な行動、悪さえできるようになったので、神様は人間に、悪をすれば、現実が乱れるという試練を与えられるようになったのです。それでも、人は非現実的な悪を続けたので、大洪水によって神様は、この世を滅ぼされました。そして、悪による支配は、世を滅びることを受け止めたノアの家族によって新たな、創世記が作り出されていったのです。

善のプログラミングと悪のプログラミングを両方理解しながらも、善のプログラミングが正しいとハッキリと教えられるノアの教えを中心にした、世界が広がっていったのですね。

それでも、カナン人によって、悪が広がり、世界中がまた善悪を広げ始めた時、神様は人にルールを与えられました。

何が正しく、何が正しくないのかを判断するための教え、ルールをここでやっと与えられたのです。それが聖書です。この絶妙なタイミングで、モーセによって聖書のルールが与えられたのですね。

ですが、本来、人間は、自由になることが心地よいと感じるものなのに、ルールとは、縛るものでもあるのです。

ですから、人は、悪をするとそのルールから心や精神が縛られているところから、解放感を感じることができてしまうのですね。

多くの犯罪者や連続殺人犯、悪を正義だとする人たちは、この解放感を得て、脳内麻薬が分泌して、気持ちよくなれるのです。

同性愛とはまったくこのような犯罪行為と同じなのです。本来、人は、異性同士でなければ、子孫を残せないことや心を合わせることができないのに対して、同性という、非現実的な悪を行うことで、神様から解放され、ルールから解放されたと感じて、気持ちよくなっているのです。

同性愛者は、長続きしないと言われているのは、このためです。

神様の愛によって結ばれているひとたちは、自然の法則に沿っているので、長く保つことができるのですが、欲望や悪に沿って気持ちよくなることを優先する人は、非日常を求めているので、そのような非日常が毎日続くはずもないのです。

ずっと、脳内麻薬は大量に分泌などできないのです。

ホラー映画をみて、脳内麻薬を分泌させたり、ジェットコースターでドキドキさせて、脳内麻薬を分泌させても、何度も何度も続けると、それに慣れてしまい、前のように大量に脳内麻薬は分泌しないようになっていくのですね。

同性愛は、まわりから反対されれば、されるほど、脳内麻薬が分泌して、気持ちよくなっているのです。気持ち悪いと思われれば思われるほど、燃え上がって、気持ちよくなっているのですね。

女装などをする男性もこれと同じなのです。

連続殺人犯は、人を殺してはいけないと言われれば言われるほど、やってはいけないことをしている自分に酔って、気持ちよくなっているのです。

3、同性愛を認めるのなら、犯罪者も認めなさい

同性愛を人権や自由という2次的な事柄で、認めなさいと語る人は、犯罪者も認めなければいけません。

連続殺人犯は、趣味趣向で人を傷つけているのです。彼らは趣味を実行しているにすぎないのです。

同性愛と同じなのですね。

現実を無視して、わたしの気持ちやわたしの感情、わたしの愛情を優先する正義は、犯罪とまったく同じなのです。

なぜ、同性愛という非現実的なものを認めるのに、連続殺人犯の非現実的な行為を認めないのでしょうか。

人間を中心にしたら、善悪など存在しなくなります。

人には、愛も正義もありません。人には悪というプログラミングもあるので、悪という行為をしても、それが正義や愛だと錯覚できるのです。

人間の愛や正義を大切にして、同性愛を認めるのなら、悪の愛を語る、連続殺人犯も認めなければ、その語りは嘘です。

ですが、それを認めるのなら、世界は当たり前ですが、滅びます。

まともな宗教は、欲望を認めません。禁欲主義が当たり前です。

これは、世界を滅ぼさないために、現実をみている教えなのです。

同性愛を人間のワガマナな熱意や情熱を基に正当化するのは、犯罪的な思想なのですね。

人権や自由は、神様があって成り立つものであって、人間を中心にしたら、存在しなくなるのです。人権や自由は、神様なしでは、破壊的なものになるのですね。

4、なぜキリスト教徒でも、同性愛を認める人がいるのか

キリスト教と呼ばれている中でも、偶像を認めている宗教があります。例えば、カトリックです。

マリア崇拝や法王崇拝、聖人崇拝など、数多くの偶像をし続けているカトリックという宗教も、キリスト教と呼ばれています。

十字架に白人系のイエスキリストに模した偶像を拝む人もいます。

このように、同性愛だけではなく、さまざまな非現実的なものを認めようとする偽キリスト教という宗教が存在しているのです。

日本人は100%、正しいでしょうか。そんなわけありませんね。日本人でも犯罪者はいます。

日本人の10倍以上も信者がいるキリスト教にも、様々な人が当然いるのです。

すべての宗教に、悪魔宗教は入り込んでいます。キリスト教の中にも当然、入り込んでいます。

カトリックだけではありません。プロテスタントの中にも、悪魔宗教は、入り込んでいるのです。だからこそ、プロテスタントの国のアメリカには、自由の女神という偶像が堂々と置かれているのです。

このように、キリスト教の中にも、非現実的な思想を認める集団や人がいるからこそ、非現実的な同性愛さえも認めようとするスパイのような人がいるのですね。

世界を闇にするためには、キリスト教の中に入り込んで、乱れさせ、非現実的な思想で、汚染させようとするのです。

聖書は、非現実的な思想は、認めていません。一貫して、現実をみるように教えています。

人間が空想を信じれば信じるほど、世界は苦しみを増していくからです。

ですが、キリスト教の中に入り込んでいる、偽キリスト教は、聖書よりも、人間の作り出した宗教を優先にするように促しているのです。

もし、聖書よりも人間を優先にするのなら、何の権威も正当性もありません。それは、犯罪者の趣味趣向と変わらないものになります。

にも拘わらず、組織正義や人間の思想を優先にして、時代やメディア、人の目にあわせて、形を変えてきたのが、カトリックという宗教なのです。

聖書と反していることさえも、堂々と地位や名誉のために、実行していても、キリスト教と言われているので、一般のひとたちが混乱するのも、当たり前だとも言えます。

プロテスタントの中にも、カトリック以上に、非現実的思想を植え付け、同性愛や進化論を認めようとさえするものもあるのです。リベラル派とも言われています。

不思議なことに、このプロテスタントのリベラル派の考え方は、カトリックの流れと並行していることです。

ですから、リベラル派は、カトリックから送り込まれたスパイではないかという人さえいるのです。

完璧な人がいないように、その集合体である組織も完璧なものはありません。ですから、人や組織をみるのではなく、聖書と神様、自然の法則や現実を大切にして、何が正しいのかを判別しながら、悪である組織であっても、善の組織に傾けていきましょう。

5、悲しい同性愛

上に書いた同性愛は、犯罪的な同性愛ですが、悲しい同性愛というものもあります。

それは、自分は正しくないと思っていても、その正しくないことをしてしまうという心を苦しめながら生きている悲しみです。

神様は、この世界を情報によって、支配されています。

遺伝子や、自然の法則、秩序や物理学など、多くの情報を基にして、世界を支配されています。

人は、人の形として、ほとんど100%成長しているように、神様は完璧だともいえるほどの美しい設計図を人間に与えられています。

ですが、アダムが悪を取り入れた時から人は、完璧な設計図の中に、傷ついた部分をあわせもってしまっているのです。

ですから、完璧な人はいないのですね。

唯一例外なのは、処女から生まれたイエスキリストだた一人です。

その他の人間は、アブラハムであっても、モーセであっても、罪をあわせもっているのです。

完璧な設計図で成り立っていないのが、現代の人間なのですね。

その中に、異性への愛が欠如している設計図を持つ人も存在するのです。聖書には、3代に渡って罪がかさむことが書かれています。

奇形児として生まれながらに設計図が壊れている人を当時のユダヤ教徒は、罪深いものとして、さげすんできました。

イエス様でさえ、生まれながらに盲目であった人を正しい存在とは認識されていませんでした。ですが、その生まれながら盲目であった者は、イエス様を心から信じて、信仰を持って、イエス様に触ったのです。

すると、イエス様は、彼の目を正常な設計図に治され、彼の目は癒されたのです。

わたしたちは必ず、悪が一部入り込んでいて、設計図が一部壊れています。ですが、イエス様によってそれさえも治すことが出来る場合もあるのですね。

聖書やキリスト教の教えは、決して、不完全な設計図を正当化するものではありません。悪いものは悪い。間違っている設計図は、間違っているとします。

ですが、間違った設計図であっても、それを愛し、治し、試練として受け止め、前に進むように教えるのです。

世界には悪魔宗教に近い宗教がいまだに存在していますが、悪魔宗教ほど、この崩れた設計図の奇形児を神様として崇めたりするのですね。

普通の人とは違う形で生まれてきたものを神様として崇めたりするのです。

ですが、突然変異といわれる設計図が壊れている人は、ほとんど100%、普通の生活さえもできないような苦しみにあっているのです。

これが神様から来ているとは、普通なら考えません。

ですが、悪魔宗教は、神様を否定するものであり、神様という自然の法則を壊すものなので、それに沿わない事例を正当化しようとするのです。

同性愛の成否の問題は、正常と異常の戦いなのですね。

その中でも、悲しいものがあることも、理解していきましょう。完璧な人などいないのですから。

6、悪魔宗教と同性愛

大昔から悪魔宗教は、同性愛を正当化して、世界中に広めていきました。

悪魔宗教の始祖であるノアの孫であるカナンも、こどもの時からすでに同性愛者だったのです。

 

悪魔宗教に染まっていたカイン人によって世の中は、悪で満ちていました。そのため、神様は大洪水によって世界を洗い流されたのです。

ですが、カイン族の血筋であるカナンは、同性愛という神様の美しい設計図ではない、すでに壊れたものだったのです。

 

彼は、ノアから「呪われよ。カナン。」と言われてから、母親のエジプタスと共に、悪魔宗教の道へと外れていってしまったのです。

 

神ではなく、神という名の悪魔を拝み、神様を否定して、非現実的な思想を生み出し、人々を苦しめ続け、それを世界中に広げていったのです。

同性愛は、まさしく悪から来ているそのものなのですね。

 

アブラハムのいとこであるロトは、悪魔宗教がはびこっていたソドムに住みついた時、彼のもとに、男性の姿をした御使いが家に訪ねてきました。すると、ソドムの人々は、その御使いを襲おうとしてきたのです。

ロトは、御使いを助けるために、自分の娘たちを変わりに好きにするように言うのですが、悪魔宗教に染まった男たちは、女の娘には目もくれず、男の御使いを襲おうと続けるのです。

 

このように、同性愛は犯罪と共に、共有されてきたもので、聖書だけではなく、さまざまな国でも形を変えては、犯罪のひとつとして、世を乱す手法だったのです。

神様を否定するものであれば、悪魔宗教は、何でも手につけようとするのですね。

 

また、同性愛の罪深いところは、正しい人たちも、同性愛や女装をみると、裁く心を抱かせるところにあります。正しい人たちの心に悪を植え付けてしまうのです。している人だけの問題ではなく、それを嫌がり、気持ち悪いと思わせることが、また罪深いところなのですね。

 

まともな人ほど、不自然なものをみにすると気持ち悪く感じるのです。そこに悪は、忍び寄って、お互いに忌み嫌うように争いごとを生み出していくのですね。

悪魔宗教と同性愛の思想は、偶像思想そのものであり、SFであり、存在しないもの、非現実的なものだからこそ、今でも正当化させて、世の中を乱そうとしているのです。

7、同性愛者に危険がしのびよる

恐ろしいことに、現代は、同性愛者は、危険を強いられています。

表向きは、同性愛者は、認められつつあるかのように思わされていますが、裏をみれば、同性愛者は、命を狙われています。

現在は、悪魔宗教が世界を支配しているので、メディアなどを使って、同性愛者を認めるようなタレントやドラマや映画が流され続けています。

ですが、悪魔宗教は、聖書と世界の神様の法則のことをキリスト教徒以上に理解しているので、聖書の正義と世界のルールを背景にして、同性愛者の命を平然と狙っているのです・・・・。

例えば、同性愛者は、エイズ感染者が多いとされています。

悪魔宗教は、悪である同性愛者は、守るとおもいきや、そうではなく、本当に世界を支配している悪魔宗教の悪は、悪さえも弾圧して、自分たちを正当化させているのです。自分の家族や友達、親友や民族さえも、手段として、利用するのです。同じ悪魔宗教でさえも、利用して、滅ぼそうとするのです。

ですから、同性愛者が利用する特有のものに、エイズになる薬、猛毒をしのばせて、使えば使うほど、免疫力を無くすようにしむけているのです。

特に、知識や情報が少ないアフリカなどの同性愛者は、やりたい放題されていて、多くの同性愛者は殺され続けているのです。

わたしは、同性愛は認めませんが、だからといって、殺していいとは思いません。

この世界は、神様の美しい設計図を基にして、存続されています。ですが、その設計図が完璧な人はいません。どこか設計図の中でも、壊れている部分があるのですね。

ある人は、その壊れた設計図のために、同性愛に走ってしまっている人もいるのです。

同性愛だけではなく、その他の悪をしてしまうのは、人間はみな備えてしまっているのですね。

一部の悪があるからといって、すべて殺してしまうという考え方は、恐ろしいものです。

同性愛はいけないと頭では理解していても、どうしてもしてしまうというものがあるのですね。

もうそれは、その人の悪ではなく、もともとアダムから引き継いだ原罪という悪から来ているものだと言えるのです。

わたしも、これはいけないことだと冷静に考えれば解ることでも、いつの間にか、してしまっているということは、何度も経験しています。気づいたら悪をしていることがあるのですね。それはもう、その人というよりも、原罪によるものなのです。

ですが、人は、その原罪を抱きながらも、素晴らしい善の性質を持っているので、限りなく悪のない世界を目指して、歩み続けるしかありません。

同性愛者の人は、自分の命のためにも、同性愛という非現実的な悪から離れるように、日々努力しましょう。それでもしてしまうのなら、堂々と外に出るなどは極力さけましょう。悪魔宗教は、自殺願望者や同性愛者を見つけては、手に掛けよと狙っているからです。

わたしは、マツコデラックスなどは、意外と好きです。なぜなら、彼は、同性愛や女装が正しいと思っていないと発言しているからです。自分たちが異常であると理解しているのですね。ですが、それでも、してしまう嵯峨や原罪に苦しんでいるともいえるのです。

善に向かおうとその人なりの努力や葛藤があるのなら、その人を認めてあげなければ、自分を否定するようなものだからです。

もちろん、犯罪者のように開き直って、同性愛を正当化している人は別ですが、それでも命を狙うのは、間違っていることですね。