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1、人間は、どうして言葉を使えているのか。
すこし話はそれますが、わたしたち人間は、どうして言葉を当たり前のように話せるのでしょうか。
みなさんが日本人であるのなら、当たり前のように日本語を使っているでしょう。ですが、それらは、最初はしゃべることはできません。
ここに、進化論の勘違いがわかるのですね。
日本の環境で生まれ育った人は、日本語をしゃべります。フランスの環境であったら、フランス語になります。
日本の環境なのに、フランス語で話す人はみたことありませんね。
わたしたちは、親や家族や知り合いから日本語を学び教えられているから言葉を話すことができるのです。
2、過酷な現実が証拠としてあげられている。
現代でも、親から過酷な環境を迫られて、世の中の環境を知らず、言葉も教えられないまま育ってしまうかわいそうなこどもたちがいます。
エサのように食料だけ与えられ、部屋に閉じ込められたまま大きくなってしまうという悲しいできごとが存在しました。
そのようなこどもたちは、まともに言葉をしゃべることができません。
そこから開放されたのが8歳頃で、そこから言葉を学べばいいと考えるかもしれませんが、脳が固定されてしまっている時点で、言葉の基本が脳にはいっていないとその後の人生でも、50単語ほどしか覚えることができないのです。
老人になっても、少しの単語しか話せない女性も存在しました。
このように、わたしたちは、最初に知らないうちに、言葉を教えられているから当たり前のようにしゃべることができるのですが、過酷な環境や動物などに育てられたという人間は、言葉の基礎がないので、その生涯は言葉で生きていくには難しくなってしまうのですね。
3、進化論では人間は言葉を得ることはできない理由。
では、進化論で考えてください。
この事実は、親が言葉をしゃべるから、わたしたちが言葉をしゃべることができるのですから、進化論では言葉は、持つことができないのです。
なぜなら、親がお猿さんだといっているからです。
言葉をしゃべるお猿さんがいるでしょうか?
親が言葉をしゃべらなければ、こどもは、言葉をしゃべることはできないのです。
そのまま育てば、一生単語を覚える能力の基礎がなく生きていかなければいけないので、そのこどももまた、しゃべることができません。
しかし、世界中のどんな民族であろうとみな、言葉をしゃべります。その単語数こそ少ないかもしれませんが、しゃべらない民族はいませんね。
これは、限られた家族から世界が広がった証拠なのですね。
例え、100匹の子猿が生まれたとしても、1000匹でも同じです。言葉をしゃべらない親に育てられたら、たとえ人間であっても言葉を会得することができないのですから、進化論はおかしい考えなのです。
なぜなら、世界中の人間が言葉をしゃべっているからです。
4、聖書には人間が言葉を得た経緯が現実の現象と一致した内容で書かれている。
そして、聖書には、驚くべきことに、人間が言葉を得た経緯が書かれているのです。
それは、はじめの人間アダムは、神様から言葉をもらい、その言葉を使って、物事を理解していったということが書かれているのです。
これは、聖書だけにとどまった話ではありません。世界中の宗教や神話などが、同じように、神様のような存在が、人間に言葉を与えて、教え、さまざまな知識を与えたと書かれているのです。
このように、世界中の宗教は、それぞれバラバラなように学校では教えられていますが、実は世界中の宗教には、共通点がありすぎるほど、あるのです。
聖書に書かれていることと現実の現象は一致しているのです。
どうして、世界中の宗教には共通点があるのでしょうか。それだけではありません。世界中の文化や芸術や歴史には共通点がありすぎるのです。まるで1つの文化が多様化したような世界が広がっているのです。これは聖書だけが2000年以上も前から説明している経緯なのですね。