聖書

複数の書物が集まったものが聖書

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聖書を知らない方は、聖書は1つの本だと思っているかもしれませんが、聖書とは短編小説のような本がいくつも重なりあって作られたものです。

時代も違えば、書いた人も違いますし、場所も違う場所で祭られていたものでした。

 

日本で例えるなら日本には、古事記や日本書紀があります。その後、万葉集などが書かれました。時代も場所も作者も違うものですが、これらを集めて作られたようなものですね。

 

ですが、驚くべきは、時代も人も場所も違うのにも関わらず、聖書は1~66まで一致してしまっているのです。

 

聖書を批判対象として見ている人などがよく聖書の矛盾などをあげたりしていますが、その矛盾に思えることもちゃんと読めば、矛盾ではなく、とても科学的な論理にうらうちされた事実が書かれていて、人間が聖書についていけていないのです。

 

最後に書かれた聖書から約2000年経ったいまでも、人間は聖書についていけていないのが現状なのです。

そして、理解している人が、それは「こうで、こうで、こういうことなんですよ。」と論理的に説明しても、批判したいことが先に立ち、そういう方は、自分の宗教の考え方を見直すことができず、「そんなこと物のいいようで説明しているだけだ。」などと議論が終わってしまう場合がほとんどです。

でも、少し考えてもらえば解りますが、物のいいようで言葉を発しているのはどちらなのでしょうか。

こちらは、2000年前から変わらない聖書をベースに話しているのですから、その聖書の内容は変えることができないという”縛り”があるにも関わらず、論理的な回答ができているのです。

 

片や自由自在にベースもなしに批判することは、こどもでもできることです。どちらが物のいいようで言葉を言っているのでしょうか。

 

わたしが重い荷物を持ったご老人のお手伝いをしようとした善意を老人の荷物を盗む行為だということなど、なんのベースもなければ、自由自在に批判できるようなものです。

本人は良いことをしたとしても、それを悪くいうことができるということです。

逆のことも言えます。悪いことをしたとしても、それを良いことのようにいうこともできるのです。

ですが、2000年も前から変わらない聖書の内容を基にして話すということは、それだけ自由度がなくなるということです。

自由度がないにも関わらず、論理的に説明できるという時点で、それこそが証拠になってしまうのです。

2000年も変わらず、論理的に物事を説明できてしまう書物。それが”聖書”なのです。

聖書は、人間には書けません。これは人間の手をペンのように使って、神様が書かれた書物だとわたしは信じていますし、統計学的にも人間がかけるものではありません。

では、その聖書66巻をみていきましょう。

1、聖書は、旧約聖書と新約聖書の2つに大きく分かれている。

聖書は知らなくても、イエスキリストという名前はみなさん知っていることと思います。日本でも12月25日にクリスマスなどを祝ったりするのでイエスキリストの名前を聞くわけです。クリスマスは、イエスキリストの誕生日だと多くの教会が祝ったりもしていますね。

新約聖書というものは、そのイエスキリストが生まれた後の内容になっているのです。

そして、旧約聖書は、イエスキリストが生まれる前の内容になっています。

 

ですから新約聖書が書かれる前は、聖書とは旧約聖書だけを表すものでした。

ですが、イエスキリストの存在が新約聖書につながり、新たに聖書の内容が増えたのです。

キリスト教といわれる宗教の方々は、新約聖書と旧約聖書の2つで1つの聖書を信じているのです。

わたしたちは、普段から2017年などと西暦を使っています。AC何年とか、BC何年とかです。

これは、イエスキリストの後、アフタークライストとイエスキリストの前、ビフォアークライストの意味なのです。

イエスキリストの存在から世界が変わったというものがいまでも残り、日本人でさえも使っているのですね。

 

ですが、イエスキリストが生まれる前のユダヤ人たち(イスラエル人)は、イエスキリストのことをもちろん知りません。人間は未来をみれないからですね。

そして、そのユダヤ教徒がイエスキリストを十字架刑にかけたぐらいなので、ユダヤ教の方たちは、新約聖書を信じていないのです。イエスキリストも信じていません。そういったユダヤ教の方たちからすれば、聖書とは、旧約聖書ということになります。

イエスキリストも偽預言者というレッテルを貼るわけです。

 

キリスト教、旧約聖書と新約聖書の66巻を信じる。

ユダヤ教、旧約聖書の39巻を信じる。

 

というわけですね。

 

 

2、旧約聖書39巻、新約聖書27巻、計66巻

旧約聖書は、39個の巻物から書き残された歴史的な書物の集まりです。

新約聖書は、27個の書物から書き残された歴史的な書物の集まりです。

キリスト教からみれば、聖書は計66巻ということになります。

ユダヤ教からみれば、聖書は、旧約聖書の39巻ということになります。

旧約聖書

創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記
ヨシュア記、士師記、ルツ記、サムエル記(上)(下)、列王記(上)(下)
歴代誌(上)(下)、エズラ記、ネヘミヤ記、エステル記
ヨブ記、詩篇、箴言、伝道の書(コヘレトの言葉)、雅歌
イザヤ書、エレミヤ書、哀歌、エゼキエル書、ダニエル書
ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ書、ミカ書
ナホム書、ハバクク書、ゼパニヤ書、ハガイ書
ゼカリヤ書、マラキ書

新約聖書

マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書
ローマの信徒への手紙、コリントの信徒への手紙(1)(2)、ガラテヤの信徒への手紙
エフェソの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、テサロニケの信徒への手紙(1)(2)
テモテへの手紙(1)(2)、テトスへの手紙、フィレモンへの手紙、ヘブライ人への手紙
ヤコブの手紙、ペテロの手紙(1)(2)、ヨハネの手紙(1)(2)(3)、ユダの手紙
ヨハネの黙示録

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