十戒

十戒6

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6、殺してはならない。

神様は人間に、殺してはならないと教えました。これは逆にいえば、この世界は殺すことができるということです。

だから戦争もあれば処刑も存在しているのです。

人は、これはしたらいけない とか これはやってはいけない と、いわれていることを行ってしまいます。

ということは、人はそのような生き物だという証拠なのですね。

聖書の神様は、自由意志をどこまでも尊重される方です。でなければ、殺してはいけないとは言わないのです。

教えているということは、どちらを選ぶのかは、その人の自由意志によって尊重されているということです。

そうでなければ、神様なら殺せない世界にすればいいだけなのです。

エデンの時代、人には死がありませんでした。ですが、人間の自由意志によって人間は、自分の中に罪を作り出してしまいました。もちろん、それは蛇という存在の誘導だったので、人間には救いがあるのですが、それでも、人間に罪は入り込んだのです。

そのまま人は、存在しなかったものを大量に作り出しました。
罪から生まれる多くの行いをすばらしい世界に作り出していったのです。

神様は、その作り出す能力を人間からうばうことはされませんでした。
神様からすれば、ロボットではなく、自分と同じように、自分の意志で、平和を導き、正しい行いをする相手、人間を望んだからですね。

そのかわり、人間の罪の量や質によって、神様は世界の法則によってそれぞれ人間が裁かれるように設定されたのです。

悪をすればするほど、その人は自分の悪をみては、他人を恐れ、物やお金にとりつかれ、苦しむようにされたのです。

悪=間違えだと理解するまで、神様は人間に試練を与え続けてくださるのです。

しかし、試練を与えられない人間もいます。こういった人は、神様から見放されているといっても過言ではありません。イエス様を裏切ったユダのように、人はそれぞれ自分の正しいと思い込むことを修正できない人がいるのです。

神様は未来をも知っておられる方だからこそ、その人間にその悪を許可されているのです。

わたしたち人間は、単純に、善は善。悪は悪だと判断してしまいますが、実際は、違います。

わたしたち人間の寿命は120年ほどですが、120年ほどの時間の回答しか理解できません。ですから、善をしたことが、悪になることもあれば、悪をしたことが、善になっていることもあるのです。
人間は、それを把握できないのです。

ですが、人間の歴史をみれば、明らかなように、人間は昔よりも現在のほうが前へと進んでいるのです。

奴隷には、憲法によってそれなりの自由が与えられ、人権も与えられている。

もし、神様がいないのであれば、どうしてそのような世界になっているのでしょうか?

それ自体おかしいのです。

支配者の都合のいい世界になっていなければおかしいのですね。

ですが、実際は、支配者の都合のいい世界ではなく、支配者も、悪も善もそれぞれバランスよく均衡を保つがのごとく、現在のシステムは存在しているのです。

この事実が、神様の存在を証明している1つのことなのですね。

死は、悲しいですが、死を通して、人は学び、間違いを訂正しながら、平和を求めて、罪に打ち勝ってきたのです。

殺してはいけないということは、人は殺せるということなのです。

どちらの選択もできながらも、人は、正しい選択ができるのかの自由意志が与えられ試されているのですね。

人を基準にみれば、人は、人をあやめてはいけない理由など存在しません。

神様が人間に、殺してはならないと教えたから、人間はそれを守る権利が生まれたのです。

人間には、愛や正義はありません。愛や正義があるのなら、悪いことなどするわけがないからです。

ないからこそ、人間は、神様の教えに従わなければいけないのですね。

ですから、神様の存在を信じていない人は、とても危険なのです。

愛や正義がない人間なのは、神様を信じている人も同じですが、何が正しくて、何が正しくないのかの判断が、愛や正義がない人間が当たり前のように決定していると”信じ込んでいる”からです。

人間には、正しい解答は導き出せません。完璧な人間などいないですし、未来がみえないからです。だからこそ、愛や正義に従うのですね。

人間の愛や正義に従うのではありません。愛や正義に従うのです。

殺してはいけないと言われて、現代人なら当たり前だろ?と考えてくださる方が多いでしょうけど、200年前までは、それすら常識ではありませんでした。

支配者の都合にあわせて、下の人間が存在し、支配者の命令によって人は、所有されていたのです。

その世界の常識を聖書を信じた白人のおかげで、人は人を殺してはいけないという常識が、世界中に広めることができたのですね。

人間は、下の人間にも人権があるということが聖書によって常識になったのです。

日本は、特殊な国で、大昔から人間に人権を与えるような考え方が存在していました。それは神道による教えや文化が広がっていたからです。もちろん、人権がないという考え方もありましたが、世界のそれとは違っていました。

世界の常識は違っていたのです。

下の人には人権は存在しなかったのですね。

日本は、島国で海という壁に囲まれ、閉鎖されたスペースが独特な文化を生み出すことができたのです。国という考え方が2000年もの間存在する世界は日本しかないのです。その後、世界も国境をつくり、日本と同じように壁を作ることで国を確立させ、文化がやっと安定しはじめたのです。

このように、現代は、殺してはいけないということが、当たり前だと判断できるほど平和になっているのです。

この事実が、神様の存在を証明しているのですね。

そして、わたしたち愛や正義のない人間は、神様の教えに従うのです。

この考え方は、神道でも仏教でも同じです。

教えや文化に従うことで、平和を生み出すのですね。

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