十戒

十戒9

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
Pocket

9、あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

偽りの証言をしてはならないということは、分かりやすい当たり前の教えように思えますが、人生を生きる上では実はとても複雑難解な教えなのです。

なぜなら、現代の人間の中には、悪があるからです。

もちろん、この世界の9割は善の法則によって清く保たれていますが、小さい枠の中で悪というものが存在し、とくに人間はそれに影響されやすいので、悪だけを大きくみてしまい悪の世界ばかりをみる人がいるのです。

Aさんは、心から善の行為をして、悪を一欠けらも感じることなく、実行していたとしても、Bさんという悪の世界をみる人間の脳からみれば、そのAさんの善行さえも悪にみえてしまうのです。

事実とは反対のものにBさんは変えてしまうのです。

Aさんの善行をBさんは悪だと信じ込んでいるので、BさんはAさんに攻撃的になったりもします。Bさんにとって自分の目だけが真実なのです。

このように人間は、おのれの内に住む悪から世界を悪だと信じ込むことさえもできてしまうのです。

聖書は、このような人間には近づくなと教えています。

なぜなら、Bさんは心が捻じ曲がっているので、事実とは違う世界を信じ込み、むちゃくちゃな世界を作り出し続けるからです。その世界を正直者のAさんがみればみるほど、そのむちゃくちゃな世界にひきずられていくのです。

心が捻じ曲がっている人間は、人格そのものが崩壊しているので恐怖で支配されています。自分の中に確かな善を確立できていない人間は、他人も同じように悪だとみるので恐怖で信頼するということができません。心が弱いので、他人を傷つけようとして、世の中は悪だと信じ込み続け、自分にいやなことが起こることを心から嫌がります。

誰しもが嫌な出来事が起これば嫌ですが、善を心の要にしている人間は、失敗や嫌なできごとを恐れません。それどころかそれを糧にして成長していきます。

しかし、悪を心の要にしようとしている人間は、他人も悪だと信じ込むので恐怖で前に進めなくなるのです。

このように人格が捻じ曲がって恐怖心でいっぱいの人間は、依存性が高いので、まわりの人間もそれにひきずられていきます。

他のページにも書いていますが、この世界には、確実に悪が存在しています。ですからその悪を強調して一見論理的な話の展開をしてくるので正しいようにみえますが、実際はまったく正しくありません。

よく考えれば、そのような人の話は、言ってることとやっていることが矛盾しています。悪を恐怖して、正しいことをいっているように主張しますが、実際にやっていることは他人への攻撃であったり、否定だったりするのです。自分自身が悪を作り出しているのですね。自分で自分を傷つけているのです。その行為はめぐりめぐって必ずその人にその悪は届きます。

このような依存度の高い人間は、自分が気づくまで変わることはありません。家族から見放され無視され続けても気づけない人もいます。

このような人に、真正面から真面目に向き合うのは、危険ですね。

偽りの証言をしてはならないと言いますが、このような人は、正直に答えるほうが嘘に映ってしまうので、意味がありません。

もちろん、偽証しなさいと言っているわけではありませんが、悪の世界に入り込んでいる人からは、離れなさいということです。

時には、そういった人とも付き合わなければいけないですが、そういった依存度が高いひとには気をつけなければいけないのです。悪の割合が高い人間には気をつけましょう。

 

このBさんの例は、まだいいほうです。

Bさんは、世の中を悪の割合を高くみているだけで、善もみていないわけではないからです。Bさんからみれば、自分の主張は正しいと心から思って行動しているのであって、自分が正しいことをしていると信じ込んでいる人なので、まだいいのです。

世の中には、悪を好んで実行する人間(Cさん)がいます。

善悪を超えて、悪を選ぶ人間が存在しているのです。

Bさんは、善悪の範囲の中で、想い悩み、苦しみ続けていますが、Cさんは違います。善悪を超えて、悪をしては自由に楽しんでいるのです。

こういった人間は、善悪をすべて理解しながら、悪をするので、見た目は、とても良い人のように振舞います。人格や原理原則を一見大切にしているようにみえる人もいます。

ですが、Cさんのような心などに依存せずに、自由に悪を喜んで実行する人間は、表面上は善行をしては、裏では悪そのものなのです。

優しい人格を利用しながら、相手に信用されて、騙すのです。

Bさんは、分かりやすいです。依存しているから表面に悪がでやすい、ある意味、正直者ですが、Cさんは、違います。まったく分かりません。表面的にも善のようにみえ、善悪を超えて依存していないので、心からの悪人なのです。

こういった人間は、寄付をよくしたり、正しいような行為をして、悪を表に出しません。裏でするのです。

テレビなどで、あからさまに捕まっているような悪人は、まだかわいいものなのです。本当の悪人はまったく悪人にはみえません。

 

日本は、古来より、正直を教え続けた文化です。

ですから、嘘をつくと心が痛みます。そのような文化から生まれ育った民族なので、正直者が多く、政治でも、正直に心からの正義を貫こうとしました。

ですが、それができたのは、海という壁で守られ閉鎖的な平和を確立できた日本という国だったからなのです。世界は、壁はありません。大陸は土地が続いているので、悪の勢力の情報によって悪に染められていくのです。

だからこそ、ハッキリしているのです。

日本は、何でも受け入れるといっていられるのは、日本にいるからなのです。

世界は、違います。民族も言葉も習慣も価値観も違うものが、勢ぞろいして、騙し、騙されあって生存してきているので、さまざまなものを目の当たりにしながら、善と悪をはっきり区別することで、平和の境界線を築いてきたのです。

日本人のように、優柔不断では生きていけなかったのです。

そのような厳しい世界の国々は、政治でも、上手に立ち振る舞うのです。

日本のように、善の行為の政治一本ではなく、表向きは、善行の政治のようにみせながら、実は裏では他国を狙う狼のような政治を繰り広げていたのです。

だから、日本は負けたのです。

他国は、正直者の日本という国に多くのスパイを送り込み、内部からも外部からも攻撃することで日本に勝ったのです。

聖書は、偽りの証言をしてはならないとは、言っていません。”あなたの隣人”と書かれているのです。

悪の存在に対して、正直に答えてはいけません。もちろん、嘘をつく必要もありません。沈黙などを守ればいいのです。

目には目を歯には歯をという言葉が、世界でも当然の権利として実行してきましたが、悪の存在に正直に答えていてはいけないのですね。

 

隣人とは、あなたの家族やあなたの友達や信頼できる人たちのことです。現代の日本人は、毒されている人たちが多いので、同じ日本人であってもBさんやCさんのような人間がいます。あなたにとって心から接してくれる人には、偽りの証言をしてはいけません。それは信頼を崩壊させ、信じる世界の弊害になってしまうからですね。

悪の勢力であっても、これは徹底しています。仲間は決して裏切ってはいけないというルールがなければ組織は成り立たないからですね。

 

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。という教えは、複雑です。人によってケースが違いますし、このケースではどうなのか、あのケースではどうなのか、答えは定まりません。

しかし、言えることは、分からなくなったのなら、善を選びなさいということです。

その善を悪にされたとしても、善を選ぶのです。善をすることで悪になったとしても、善を選ぶのです。

本物は、善悪を超えて、善をする人間です。まわりからどう思われようとも、善をする。善を選ぶのです。Cさんとはまったく逆です。

イエス様は言われました。

「目には目を、歯には歯をといわれたが、わたしは言います。右のほほを打たれたら、左のほほを出しなさい。愛を実行しなさい。」

愛や弱さではありません。愛は強さです。心に強い指標を持ちながら、まわりからどうみられようとも、善をするという強い気持ちがなければ、愛を示すことはできません。強い人でなければ、愛を表すことなどできないのです。恐怖にも打ち勝ち、依存せずに、愛を示し続けることが、1000年後の未来の糧になるのですね。その瞬間や一時期の目線からみれば、負けたようにみえても、実は、愛は勝っているのです。

すべての人間の悪が小さくなればなるほど、安心と平和と経済発展が広がり、ぐるぐると共生のシステムがムダなく広がっていくのです。

悪を増やせば増やすほど、経済は破綻し、信頼はなくなり、戦争や危機が広がり、資源をわれ先にと使用していくのです。そして、結局自分に帰ってきては、負けるのです。

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す

*

CAPTCHA