歴史

プロテスタントとは

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プロテスタント(protestant)とは、日本語にすると”抗議する者”という意味です。
時の支配者や科学や物事のことわりなどを解き明かし、本当に正しいこととは一体なんなのかを追求していった聖書を信じる人たちのことです。

1、現代人は、勘違いをしていることにも気づいていない

現代の無宗教の方たちは、宗教を信じているひとたちのことを論理的ではない、科学的ではないと勘違いしている方が多いです。

神様という存在しないものを”信じたい”と願っているだけだと本気で思っている方もいます。

ですが、その真逆を説いたのが、聖書です。

聖書が生まれた時代や2000年以上も前、または200年前までは、神様がいるという価値観は当たり前のことでした。

聖書が生まれた時代(約3500年前)から神様とは2つありました。

1、本物の神様 2、神様と書いて、悪魔の神

1は、自然の法則やありのままの世界をそのまま受け入れて、不自然なことをしない価値観でした。

2は、人間の脳の錯覚を利用して、事実からいつの間にか本質をずらして、歪曲させて騙す価値観でした。

2は、人間の目の錯覚を利用しては、今でいうトリック、マジックをしては、不思議なことができる偉大な存在だと人間に思わせて、惑わし、脅かし、人々を操っては、利益をむさぼっていたのです。

その行為が広がれば広がるほど、人々は、苦しみました。

なぜなら、本質からずれて、自然の法則とは真逆なものを信じる人間が増えるからです。

現実には、ありえないことを信じる人間が増えるということは

自然の法則を無視をした飛行機に、みなさんが乗るようなものです。

空気抵抗や重力などを無視した飛行機に乗ったら、危険ですね。

そのような危険なものが、安全で、本当のものだと”心から信じている”人たち、錯覚を信じているひとたちによって、この時代は、多くの災いが広がっていたのです。

そのような時代に、聖書は現れました。

聖書は教えました。

それらは、錯覚で、あなたたちは、無いものを、あたかも”ある”という風に信じているのですよ?

と教えたのです。

例えば、偶像です。

その時代のほとんどは、木や石などで作られた神々が乱列して作られていました。

しかし、論理的な目でみれば分かるように、”人間が”木や石で作ったものは、本当の神ではありませんね。

人間よりも下なものが、神様なわけがありません。

それは、神様と人間が呼んでいるだけの人間のような形、または人間以上に力があるかのように、みえるトリックを利用した、ただの像だったのです。

人間が作った神様に、従いなさいと時の支配者は、ルールを作り出したのです。

その作り物の神様を操っているのは、支配者という人間です。

結局、支配者の都合のいいルールが、正当化され、人々は、その支配者の都合のいい価値観に苦しめられながらも、騙され続けていたのです。

聖書は、そのようなトリックに、ものを申して、錯覚を信じた人々たちに真実を教えたのです。

あれは、ただの木や石ですよ。

王様は、裸ですよ。と真実を教えはじめたのです。

本当の神様は、論理的で、自然の法則にそった真実を教えるのだと、説いたのです。

そうです。

現代人は、世の中の”人間中心主義”のトリック、人間の支配者の都合のいいトリックから目を覚まさせた、聖書を信じているひとたちに向かって

「彼らは、ただ神様という存在を信じたいだけだ。錯覚を信じているのだ。」

と本気で思っているのです・・・・。

釈迦に説法という言葉がありますが、錯覚から目を覚まさせている聖書のひとたちに、目を覚ましなさいと言っているのです・・・・。

3500年もの間、目を覚ましなさいといってきた元祖の子孫に対して、目を覚ましなさいといっている事実をまったく知らないで、勘違いしているのが、現代人なのです。

ですから、聖書を本当に理解している人は、”抗議する者”(真実を言い続ける者)なのです。

2、歴史は、生き物のように動いている

 

歴史は生き物のように動いているので、元祖が言ったことばを元祖がいっていないかのようにされ、善が悪に、悪が善になるなど、一転二転三転してはグルグルと回ってしまっているのです。

この時代、宗教とは3つに分かれていました。

1、本当の神様の教えを信じる宗教

2、神様と呼んで、悪魔の神の教えを信じ込ませる宗教

3、1と2を混ぜ合わせた宗教

この3つです。

一番、世の中で、利益を得て、富を増し加えていったのは、3の宗教をベースにしたものでした。

悪魔的に恐ろしいことをするわけでもなく、かといって1のように利益よりも精神や心を大切にするわけでもない、善と悪のハイブリットのようなバランス型の価値観が、富や力を手に入れていたのです。

1の真実の自然の法則も利用し、2の悪魔的なトリックも利用しては、政治を行っていったのです。

1が正しいのは、誰にでも分かることですね。

ですが、人間には、体があり、食欲、性欲などの欲や物質(食べものや家やお金)によっても生きているのですから、それらを無視はできません。

ですから、多くの人々は、1が正しいとは分かっていても、3のようなどっちつかずの人々が増えていったのです。

2は、そのような欲望を中心として、残酷なまでの行為を続けました。犯罪者の国や集団、民族だったのです。

この3は、やりすぎました。その悪魔の教えによって善悪を超えて、悪を行う集団へとかわっていったことにより、1から嫌われるだけではなく、3からも嫌われたのです。

当たり前ですね。

3は、1が正しいことを理解していながらも、仕方なく、欲も受け入れているだけで、その物質(食べ物や家やお金)を強奪するような2のような集団は、ゆるされない存在なのです。

1と3は手を組み、2を排泄するようになっていったのです。

1は、聖書を基準とした宗教です。

3は、バビロンやエジプトなど帝国といわれる多くの巨大な支配国家でした。

2の悪魔宗教は、表向き悪をすることは、その瞬間は、利益でも、その後には、利益そのものを奪われてしまうことを学んだのです。

そこで、悪魔宗教は、1の宗教の奴隷になり、表向きは正しい人間のように振る舞いはじめました。

ですが、裏では1の勢力に誘惑とトリックを利用しながら、入り込み、アイディアや自然の法則を学びながら、1の勢力を汚染しはじめたのです。

すると、1の宗教も、汚染されはじめ、聖書は極一部の人間しか信じないようになっていったのです。

1の聖書を信じていた勢力たちも、国や民族を安定させるために、1ではなく、3の価値観に変わりはじめたのです。

聖書を信じたイスラエル人(のちのユダヤ人)たちの住んでいた場所は、イスラエルという場所で、エジプトやバビロン、アッシリアやシュメールなどをつなぐルートの中間の位置でした。

ですから、利益を得るために、イスラエル人たちは、3の価値観を取り入れて、グローバル化に走っていったのです。

聖書だけにとらわれるのではなく、偶像などをするエジプトやバビロンなどを受け入れては、貿易で利益を得ようとしたのです。

他国の宗教を受け入れ理解することによって、貿易という利益に目を向け始めたのですね。

現代人からすれば、何が悪いんだ?と思うかもしれませんが、本当に利益を得ようとするのなら、グローバル化はしてはいけないのです。

本当に経済のことを理解している人は、比較的、ナシュナリズムを大切にします。

自国の文化や貿易を優先にする手法です。

今でいうとトランプ大統領やロシアやEUから脱退したイギリスの考え方ですね。

グローバル化は、一見いいような政策にみえますが、実は外から利益を奪われてしまう結果になりやすいのです。

イスラエル人は、聖書を信じきることができず、2の勢力から内部からも攻撃され、いつの間にか、歪曲された価値観によって偶像崇拝をする多神教になっていってしまったのです。

1は、2からの汚染によって、限りなく3または2へと変わっていったのですが、3の勢力から攻撃されて、奴隷になり、捕囚され、迫害されはじめました。

イスラエル人たちは、ものすごい迫害を受けることによって、聖書をまた読み始めたのです。

すると、聖書には、イスラエル人は、他国から奴隷となり、捕囚されることが、すでに書かれていたのです。預言されていたのですね。

そして、ことごとく聖書に書かれた神様の言葉の預言が、当たっていることに驚き、多神教をやめて、一神教へと戻っていったのです。

そこで、生まれたのが、ユダヤ教でした。

再度、聖書の教えである”抗議する者”としての価値観を思い出そう、復古させようとした動きが、ユダヤ教だったのです。

ユダヤ教は、恐るべき預言が書かれた聖書を信じることに目覚めて、強い信仰の基、一神教のユダヤ教を成立させたのです。

2の悪魔宗教は、表向きは、限りなく1に見せながら、世界中の貿易に手をだしては、利益を得ていました。

しかし、裏では悪魔宗教をしながら、隠れて恐ろしいことをしていたので、ローマ帝国や多くのハイブリットの存在の3の勢力によって、滅ぼされていきました。

そのような善と悪のハイブリットの文化をもったローマからカトリックが生まれたのです。

ローマ帝国は、1の勢力から生まれたイエスキリストを受け入れて、カトリックを作ったのです。

 

カトリックは、キリスト教だといわれていますが、実際は、キリスト教を利用した政治宗教なのです。

ローマ帝国を維持するために、キリスト教を利用したものなのですね。

カトリックは、ハイブリットなので、もちろん正義がありました。

人々に、聖書を中心とした価値観を植え付けて、2の悪魔宗教を排除しては、正義を表したのです。

カトリックは、ローマ帝国の時代さえも超えて、絶大な権力を得るようになっていきました。

そのため、人々の価値観の正しさは、カトリックによって決められていったのです。

悪魔宗教を倒す正義の味方であるカトリックは、多くのひとたちに受け入れられ続けたのです。

そのため、カトリックはおごり始めました。

彼らは世界中の政治の論理を極めていたので、聖書を人々には、読ませませんでした。

人々が、聖書の内容を知ってしまえば、固定された正義が世の中に広がり、カトリックのしたいことができなくなっていくから、聖書を読ませなかったのです。

江戸幕府が、海外の書物を日本国民に読ませなかったように、情報操作をして、世の中をコントロールしていたのです。

カトリックの中にも、心正しき神父がいて、聖書を深く読み解くことで、カトリックの矛盾に気づき始めました。

当時のカトリックは、聖書には書かれていないことを大量にしていたのです。

偶像崇拝をして、マリアを女神だとしたり、自然の法則さえも無視して、科学を歪曲させていたのです。

そこで、聖書を深く読み解いた神父たちによって、聖書の内容が、暴露しはじめたのです。
聖書を一般の人たちにも読めるように、印刷しては、本にして、さまざまな言語で、聖書を訳しては、世界中に、聖書を配り始めたのです。

すると、聖書に書かれていることと、カトリックがしていることの矛盾にみなが気づき始め、抗議するようになってきました。

カトリックは、自分たちに抗議をしはじめた人間たちを悪魔宗教だとして、魔女として火破りにしはじめたのです。

1200年もの間に、抗議した者たちの犠牲は、6千万人だともいわれるほどでした。

抗議する者たちは、迫害されれば、されるほど、信仰を深めて、さらに勉強をしては、科学的に、地球が、太陽をまわっていると発言しはじめたのですが、カトリックは、それを否定して、迫害し続けたのです。

カトリックの宗教の科学と抗議する者プロテスタントの科学が、衝突を続けたのです。

カトリックは、悪魔宗教を倒していた時は、正義の味方でしたが、正しい人間をも手にかけはじめたことで、カトリック自体が、悪魔宗教だといわれはじめ、カトリック信者も逆に火破りにあったりもしはじめたのです。

その世の中の抗議する者プロテスタントの流れを2の悪魔宗教は、見逃しませんでした。

悪魔宗教は、善悪を超えたビジネスによって多額の富を得ていたので、その富と裏の力を使って、プロテスタントをサポートしはじめたのです。

そして、一緒に、カトリック世界を崩壊させようとフランス革命などを起こし始めたのですね。

自由・平等・博愛という言葉をかかげては、プロテスタントの流れを利用して、悪魔宗教も自由になろうと画策しはじめたのです。

そして、悪魔宗教に流されていった人々は、マリーアントワネットなど、多くの王族、貴族を裁判さえもせずに、処刑していきました。

残虐な行為をしていったのです。

プロテスタントたちは、その行為に疑問を持って、カトリックとの抗争を落ちつかせながらも、王族、貴族を全滅させませんでした。

ですから、現在の政治は、貴院制を取り入れた政治が、多くあるのです。

天皇が処罰されず、理解されたのもそのためです。

王族、貴族の存在の大切さをプロテスタントは忘れなかったのです。

しかし、悪魔宗教は、カトリックの弾圧から解放されて、お金システムを利用して、世界を支配しはじめました。

多くの富を利用して、現代宗教の進化論という宗教を広げては、現代人の目をトリックで騙し続けているのです。

進化論という宗教を心から信じているひとたちは、心から神様を信じていないので、信じているひとたちが、科学ではないと思い込んでいるのですが、歴史をひもとけば、分かるように、科学が発展したのは、神様を信じた宗教の貢献なのです。

偉大な発見や法則をみつけた科学者の8・9割は、有神論者でした。

偉大な発見をみつけた無心論者は、1割も満たないのです。

その事実さえも知らずに、お金システムで構築されている現代の政治や経済に流されて、信じているので、自分たちの宗教、無神論を科学的だと思い込んでいるのです。

プロテスタントの精神は、神道精神ととても似ています。

神道精神に、仏教の説教があるのがプロテスタントです。

仏教の始祖であるブッタ、釈迦も、世の中の矛盾を指摘した抗議する者でした。

欲を否定するのでもなく、欲望を否定し、科学的でありながらも、自然の法則に従い、利益にとらわれずに、正しいものに目を向けるのです。

プロテスタントとは、本物の神様が教える正しさを表す聖書を理解して、世の中の矛盾を指摘し、命をもかえりみずに、抗議する者たちのことです。

たとえ、世の中の巨大な権力であっても、正しいことを正しいと説いている者のことなのです。

科学的に、論理的に、何が正しいのか、聖書と世界を照らし合わせてみる者たちのことなのです。

もちろん、そのようなプロテスタントの中にも、ただ信じていたいと願うだけの人もいますが、そのような人たちは、本物のプロテスタントではありません。

信じたいから信じるのではなく、事実だから認めるしかないと理解している人が、本物のプロテスタントなのですね。

悪魔宗教は、今でも裏に隠れて存在しています。

そして、イスラエル人に入り込み汚染していったように、わたしたちやプロテスタントの中にも入り込み、歪曲させて、いつの間にか、悪の道へと誘導している場合があるのです。

イエス様はいいました。

教会とは、建物のことではなく、ひとりひとりの中にあるのです。

ひとりひとりが、聖書の奥義を理解して、世の中の矛盾と戦い続けることが大切なのですね。

その積み重ねが、現在、わたしたち奴隷国民にも、憲法があり、自由貿易があり、人権を得れているのです。

世の中は、悪で満ちてはいません。

多くの犠牲の上に、多くの正義を求め続けた結果、表面的であっても、今のような自由な世界がつくられているのです。

奴隷がこれほど自由になっているのをみれば、世の中が闇だといっているひとが、間違いだと解るのですね。

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