1、イスラエル12部族のマークと日本文化
ユダヤ人であり、イスラエル人は、12部族で広がったといわれています。
アブラハムの孫であるヤコブという人物は、名前を一度改正しました。
その名は「イスラエル」です。
このイスラエルには、12人のこどもがいて、その12人のこどもたちから、それぞれ部族として、広まり、総合してイスラエル人といわれるようになりました。
そして、そんな12部族には、それぞれマークがつけられ、それぞれの役目を守り通してきたのです。
みなさんは、これらのマークが神道と密接に関係していることを知っているでしょうか。
伊勢神宮にいくと、これらのマークに関わるものが、まわりに存在しているのです。
例えば、南国でもないのに、伊勢神宮の近くには、ヤシの木が植えてあります。マナセ族のマークですね。
葡萄園もあり、日本中に葡萄園が広がっています。エフライム族のマークです。
ユダの獅子にいたっては、神社でみないことはないほど、存在しています。
ダン族の蛇のマークも、聖書に出てくる蛇に関するものから来ているのですが、神社に白蛇を大切にするところが点々と存在しています。白蛇は、生まれ変わりを表し、モーセが杖を蛇にかえるなど、新しいものを生み出すという意味と蛇を倒す救世主の意味からイエスキリストを表しているものでもあるのです。
悪魔である蛇を倒す救世主伝説の預言のマークなのですね。
ガド族のマークは天幕です。偉大な神様にわざわざ人間の作った狭い家に住んでもらい、守ってもらおうという考えです。だからこそ、大切にしようとするのです。
伊勢神宮の遷宮では、神様の住まわれる神殿を新しいものへと移動させ、永遠に朽ちることのないものとして表すのですが、その神殿造りのことを「唯一神殿造り」と言います。
神道は、多神教のように勘違いしているひとがいますが、本来、神道は、唯一の神様であり、三位一体の神様を信じるものです。
そしてその3つのうち1つである人間の体を持った、天照大神(イエスキリスト)を祭るものなのです。
ルベン族の太陽のマークにしても、明治から変わった天皇家のマーク、太陽をモチーフにしたものと同じように、太陽を大切にすることは、日本の文化でも、神道でも同じです。
アシェル族の木のマークは、木を大切にするという日本の文化と一致しています。神道でも、木は大切にされ、神木とされています。
聖書にも、木に神の霊が宿るとされているように、木を切り倒して、その柱を男たちが持ち、川を渡って、町をまわるのです。
まるで、諏訪神社の御柱祭のようですね。
やっていることは、まったく聖書そのものなのですね。
どうして、橋があるのに、わざわざ川の中を渡るのでしょうか。
そのことに、日本人は、分かっていないのですが、聖書にはきちんとその出来事が書かれているのです。
ベニヤミン族のマークは、狼です。
狼のようにもみえますが、狐のようにもみえます。
神道では、狐を神社の守る存在としているところもあります。
狐を本堂の中にいれているのは、まがいものですが、本堂を守るように置かれているものは、正しいです。
剣は、3種の神器として有名ですが、船やロバに関しては、どのように関係しているかは、分かっていません。
ロバを飼っている神社などもちらほらあるとはいえ、定説として育てている形跡もありません。
もしかしたら、日本列島にはいってきたイスラエル人の部族の中で、イッサカルやゼブルンは、あまり入ってきていなかったのかもしれません。
ナフタリ族のマーク、鹿は、昔から日本の文化に入り込んでいるもので、多くの鹿との由来は、神社でもあるものです。
このように、12部族のマークは、日本の文化に深く入り込んでいるものなのですね。
2、日本の家紋
日本には、家紋というものがあります。
みなさんも知らないかもしれませんが、それぞれの家柄に家紋が存在しています。
現在、生きている日本人の末裔は、ほとんど天皇家とつながっていると言われています。
もちろん、天皇家の親族として、広がっているという意味です。
それらの日本の家紋をみていきましょう。
これらのマークをみていても、聖書の内容が多いことに気づきます。
聖書の神は、三位一体です。3つで1つの形を表している神様が書かれています。
これらは、聖書だけではありません。世界中の宗教に共通してみられる神様の形で、多神教といえども、これらの形をしているのです。
土地や場所、時期が違うのに、なぜから世界中の宗教には、共通点があるのです。
例えば、巴紋は、三位一体も表しながら、666も表されています。
666とは悪魔の数字として黙示録に書かれているものです。
これらの数字には、気を付けるように、聖書を信じているものは、注意を払っているのです。
この666は新約聖書の2000年前から来ているので、世界中とまではいきませんが、それでも世界中にこの666は注目されているのです。
それが日本では当たり前のように、神社や家紋にマークにされているのです。
種のないパンを聖書では、年越しの時に食べるようにいわれているのですが、その種なしパン、餅を重ねて飾るという儀式がありました。
これも日本の文化とそっくりです。
鏡餅は、そのままの聖書の記載と一致しています。
日本人は、なぜそのように3つの餅を1つに置いて飾るのか、意味がわからずやっているのですが、その意味は、聖書に書かれているのですね。
三ツ星の家紋は、そのままですね。
三つでひとつを表したマーク。三位一体です。
この家紋から、カナン人の末裔だということが解るマークもあります。
北条家は、源氏とあわさり、幕府を開きましたが、北条家と源氏は、常に対立した関係が続きました。
結局、鎌倉幕府は、北条家のものになり、衰退していくのですが、この北条家は、藤原家の関係のものです。
北条家のようにピラミッドをモチーフにしたようなものは、世界にもあり、彼らはそれらのマークを好んで使う傾向があるのですね。
聖書は、西洋文化のもののように、勘違いしているひとがいますが、聖書は日本文化そのものなのです。
神道が理解せずに古来より続けてきた文化は、実は聖書に書かれていることばかりなのです。