ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は、旧約聖書を共通して信じている宗教です。
古い順番から言うと、ユダヤ教が一番古い宗教で、次にキリスト教、そして、イスラム教が創立されていきました。
どの宗教も同じ旧約聖書を信じている宗教なのですね。
旧約聖書の神をヤハウェイと言ったり、アバ父と言ったり、アラーと呼んだりしていますが、みな同じ唯一の神様を信じている宗教なのです。
では、3つの宗教をまずは、それぞれ見ていきましょう。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の違い
1、ユダヤ教
ユダヤ教が創立されたのは、紀元前6世紀頃です。
ユダヤ教が根強い信仰で立ち上げられる前までは、イスラエル人たちは、さまざまな宗教を信じて、多神教に染まっていました。
旧約聖書は、イスラエル人からすると、ひとつの神話、ひとつの宗教として、残っていた伝承のような存在でした。
旧約聖書は、唯一の神様だけを信じて、その教えを守ることが求められるものです。
ですが、イスラエル人以外の国々の主流は、多神教で、さまざまな文化や知識、経済などを組み合わせて、合理的にみえる、いわゆるグローバル化が有力でした。
イスラエル人たちが住んでいた場所は、カナンの地(パレスチナ)ですが、そこはエジプトや西ヨーロッパなどの流通経路に当たるところで、貿易などを発展させようと思うと、どうしても、さまざまな国々の宗教を認めて、理解していく必要があると考えられたのです。
イスラエルは、大きく分けて、ダビデの考えを持つユダ派とエジプトの娘と結婚したヨセフ派に別れていて、ユダは、どちらかといえば、一神教。ヨセフ派は、エジプト文化を受け入れる多神教でした。
ユダ派も、ダビデ王までは熱心な一神教でしたが、その息子であるソロモンなどの時代から多神教へと向かっていました。
その後、10世紀も経つと、ほとんどイスラエル人は、多神教や多文化の宗教を信じるようになっていたのです。
そして、ほんの一握りのひとたち、預言者と呼ばれるひとたちが、人知れず、旧約聖書の教えを守り抜いて、常にイスラエル人に警告をうながしていたのです。
ですが、イスラエル人たちは、経済の面や文化の交流など、表面的な合理主義から抜け出すことができず、多神教どころか、悪魔宗教にも手を出し始めるのです。
すると、イスラエル人たちは、さまざまな国々から攻撃されるようになり、国は滅んでしまったのです。
南北とイスラエルの国は、分かれてしまっていたのですが、そのどちらも、滅んでしまいました。
そして、とても厳しいバビロン捕囚などにあい、さまざまな苦難を余儀なくされたのです。
そして、驚くことに、その苦難や迫害は、旧約聖書にすでに預言されていて、その通りになっていることに気づいたのです。
多神教へとイスラエル人たちは、横に反れていたものから、本当の神様の残した旧約聖書を熱烈に信じるようになっていったのです。
何百年も前から書かれていたものに、すでに自分たちのことが書かれていたことに驚いたことで、ユダヤ教というハッキリした宗教を打ち立てることにしたのです。
イスラエル人たちが、唯一の神様の信仰を取り戻しはじめると、預言者といわれるひとたちには、バビロンなどに認められるようになり、自分たちの国を復興することをゆるされるようになりました。
信仰心を保って、イスラエルにまたイスラエル人の国を打ち立てる者もいましたが、ほとんどのひとたちは、旧約聖書の預言を恐れて、違う土地へと散らばっていきました。
12部族のうち、10部族が、その時に、消えてしまい、どこにいったのか、未だにはっきりとされていないのです。
残った2部族は、ユダヤ教を熱心に信仰しながら、イスラエルの国を復興していったのです。
2、キリスト教
キリスト教は、イエスキリストを中心にした宗教です。
ですが、イエスキリストは、ユダヤ教徒であり、ユダヤ教を信じる方でした。
ユダヤ教は、奇跡的な国の復興をとげたことで、熱烈な信仰心を持つようになり、ユダヤ教のラビたちの言葉は、必要以上に重要視されていきました。
多神教を受け入れていた時のイスラエル人たちは、人間的なグローバル化に走っていましたが、ユダヤ教が成立したあとは、熱烈なナショナリズムに入り込んでいきました。誇り高いユダヤのイスラエル人の気質が作り上げられていたのです。
ですがそれは、目を曇らせる一面もあり、ラビなどが組織の力を担っていたのです。
イスラエル人の価値観を作り出していたのは、ラビたちでした。
イエスキリストの時代は、ローマ帝国の時代ですが、ローマだけではなく、帝国は、多神教であることがほとんどでした。
なぜなら、さまざまな国々の宗教を認めることで、その国に寛大であることを示して、帝国を維持しようとする考え方だったからです。
その中で、一神教のユダヤ教は、異質で、自分たちの命をかけるほどの信仰心があり、ローマはもちろん、ローマと平和にやっていきたいイスラエルの王にとっても、目の上のたんこぶのような存在になっていました。
ローマと平和にやっていこうとするユダヤ教徒もいれば、ローマ帝国から独立して、強いイスラエルを取り戻そうと考える過激派まで、さまざまな思想が入り混じっていた時代に、イエスキリストは生まれたのです。
旧約聖書を守り抜くユダヤ教徒もいれば、ローマの学者と力をあわせて、旧約聖書を書き換えてしまうような異端的なユダヤ教徒もいました。
支流になっていたのは、その異端的なユダヤ教徒だったとも言われています。
ローマ帝国との関係を平和に保ち、ローマに聖書の解釈をあわせていくような考え方です。
そのようなユダヤ教の在り方に、異を唱えていた預言者が、バブテスマのヨハネという人物でした。
旧約聖書に忠実で、ひとや組織に惑わされず、神様に集中していた人物でした。
彼は、民衆から認められ、多くのひとたちが、バプテスマのヨハネに教えを聞いていたのですが、ヨハネは、とてもユダヤ教の腐敗を語るひとでした。
ユダヤ教徒たちは、バプテスマのヨハネを処刑してしまったのです。
ヨハネが死ぬ前、ヨハネの基に、イエスキリストが来て、洗礼を受けました。
ヨハネは、この方のために、自分は道を作っておく存在だと語っていました。
ヨハネの過激なユダヤ教への批判のおかげか、イエスキリストは、とても穏健で、あまり批判はせず、批判をしても、例えばなしにすることで、イエスキリストは、ユダヤ教徒から命を狙われることから逃れることができたのです。
イエスキリストには12人の使徒がいました。その中に、裏切り者のユダという革命を望む若者がいました。
ダビデ王のように、世界をイスラエルが支配して、平和をつくりあげる存在を信じていました。
彼は心からイエスキリストをそのような存在であり、ダビデ以上の王様であると信じていたと言われています。
このように、色々な思惑で、イエスキリストに近づくひとたちが多かったのですね。
あるひとは、イエスキリストは、バプテスマのヨハネのような預言者だと考え、あるひとは、王様と考え、あるひとはローマから解放してくれる人と考え、あるひとは、神様だと信じたのです。
あまりにも不思議なことを平然とやってのけるイエスキリストを神様だとひとびとが言い始めたことで、ユダヤ教徒たちは、イエスキリストの命を狙い始めました。
弟子たちでさえ、イエスキリストが何者なのか、解らずに、付き従っていたのです。
イエスキリストは、ある時は、ロバに乗り、ある時は、人を癒し、ある時は、死んだ人間を生き返らせました。
神様なのか、王様なのか、救世主なのか、何者なのか解らなかったのですね。
その解らない状態のまま、不思議なことをするイエス様への信仰は深まっていきました。
ですが、イエス様は、簡単に捕まり、十字架刑で殺されてしまったのです。
多くのひとは、革命は失敗したと考え、弟子たちでさえ、絶望に打ちひしがってしまったのです。
イエスは蘇るという噂話もあり、ローマは、イエスの墓の前に兵を置きました。弟子たちがその遺体を盗んで、生き返ったことにされると、またユダヤ教ともめることになるからです。
ですが、そんな兵士たちは、天使をみて気絶してしまい、イエスキリストは、死から蘇ったのです。
その後、イエスキリストは、弟子たちと会い、600人近い人々の前に現れて、自分のした奥儀を語られました。
それは、イエスキリストの生涯は、イエスキリストが生まれる前から存在している旧約聖書の中に、すでに書かれていたことを実践していたということでした。
ロバに乗って市街をまわったことも、十字架刑にあったことも、すべて旧約聖書にすでに書かれていたのです。
イエス様だけの預言ではありません。イエス様以外のひとたちの行動まで書かれていたことで、人間以上の存在であることを証明されました。
蘇られたイエス様は、天に昇り、その後、弟子たちは、そのイエス様から教えられた奥儀を広め始めたのです。
これが、キリスト教の成立です。
カトリック=キリスト教と知らないひとは思ってしまうひともいますが、カトリックは、このキリスト教とはまた違う宗教です。
カトリックは、ローマの多神教とローマの政治に役立つために、キリスト教を利用した政治宗教です。
多神教と唯一神を融合させた宗教なので、偶像が許可されているのです。
聖書よりも、組織や政治、地位や名誉が大切なので、さまざまな間違いを今でも繰り返しているのですね。
カトリックは、キリスト教とは、また別の宗教だと考えたほうが正しいですね。
人間的な目線では、カトリックの主張も解らなくはありませんが、聖書は二の次にしている異端であることは間違いありません。
次に話すイスラム教は、そんなカトリックがキリスト教だと思い込んで、作られたものです。
イスラム教をみていきましょう。
3、イスラム教
イスラム教は、アラブ諸国から生まれた宗教で、イスラエル人から生まれた宗教ではありません。
旧約聖書を書いたのは、イスラエル人で、イエスキリストもイスラエル人でした。
ユダヤ教も、キリスト教も、イスラエル人から生まれた宗教ですが、イスラム教は、違う民族のマホメットから生まれました。
とはいえ、マホメットも、イスラエル人の親戚ではあるのです。
聖書では、有名なアブラハムという人物がいるのですが、そのアブラハムには、ふたりの息子がいました。
ひとりは、イスラエル人の先祖になるイサクです。
そして、もうひとりは、イサクの前に生まれていた、腹違いの兄、イシュマエルがいたのです。
イシュマエルは、母親と共に、アブラハムの家から追い出されてしまうのですが、神様から祝福され、イシュマエルの子孫は、増え広がることを約束されていました。
その子孫だとマホメットは、主張しました。
マホメットが生まれる前から唯一神信仰が、土着して存在していたのが、マホメットの生まれたアラビア半島のメッカでした。
ですが、多くの多神教がはびこっていたので、アラビア半島以外も世界はまるで地獄のような人が人を食べるような世界になっていました。
日本は神道で、多神教は素晴らしいように思ってしまうかもしれませんが、世界の多神教ほど、恐ろしいものはありません。
神道は、多神教にみえて、多神教ではない宗教なので、穏健ですが、世界の多神教は、自分勝手に好きな神々を作り上げては、自分たちの都合のいいように振る舞うものが、主流でした。ですから、犯罪的な正義が広がっていたのです。
ひとには、愛や正義は存在しないので、それが悪魔的であっても、それが日常的に行われていると、それが正常であると勘違いできてしまうのです。
現代人は、聖書の教えが基準になり、犯罪者は、刑務所にいれるような価値観になっていますが、その価値観が広がる前まで、世界は、それすらなかったのです。
現代からほんの200年前まで、そのような時代だったのですね。
なぜ、黒人が迫害されてまで、キリスト教を信じているのか。
それは、自分たちの文化が、聖書の真逆だったことを理解して、悔い改めたからですね。
人が人を食べる文化を捨て、人に人権があることを理解したことで、白人と同じ権利をもらえるようになったのです。
なぜ、ローマは、多神教から一神教に変えたのでしょうか。
政治的に考えれば、一神教は、異端的な考え方です。
他の国々の宗教を認めず、聖書だけに基準をさだめるということは、反発され、貿易や帝国維持には、不利なように思えます。
ですが、ローマ帝国は、多神教にしていたことで、それぞれの国々の価値観が、まったく違うことにも目をつぶって、無理やり認めさせていたのです。
その国によっては裏切りこそが正義の価値観もあるので、ローマ帝国は常に裏切りを体験していました。
反乱ばかりが起こり、遠征して、討伐しては、また遠征にいくのを繰り返すことで、疲弊していっていたのです。
このように、多神教の考え方は、一見合理的なようにみえますが、実は目の前の浅はかな考え方で、人間の本質とは一致しない架空の思想なのです。
日本がなぜ多神教のように振る舞っても、やっていけたのか、それは、日本は、海という壁が存在し、ほとんど同じ民族だけで、共通点が存在していたからです。
ですが、大陸には、壁も海もなく、国と国はつながっていて、しかも、言葉も民族もバラバラです。
このような状況では、共通点をまずは作らない限り、平和を維持することは、絵空事にすぎないのですね。
ですからローマは、一神教にすることで、人に人権があることを教え、価値観の統一を目指したのです。
マホメットも同じで、さまざまな悪魔的な多神教を打ち破り、一神教という正義と価値観を統一することで、平和な世の中を作り上げていったのです。
偶像というトリックを認めず、まやかしを広めるものを排除していきました。
人間的にみれば、イスラム教ほど、正しい宗教はないと思えるほど、行いを重視したいい宗教が、イスラム教です。
ですが、そこが人間的でした。
同じ一神教で、旧約聖書を信じることで、カトリックとも仲良くやっていけると思っていたマホメットでしたが、カトリックから認められることはありませんでした。
それは、イエスキリストは、神様ではなく、本当の神様は、唯一であり、アラーしか存在しないという主張だったからです。
イエスキリストは、預言者であったという主張などが、認められなかったのです。
ユダヤ教からも、イスラム教は認められませんでした。
イスラエル人ではない民族が、聖書以外の書物を持ち出していることや多くの間違いをマホメットがしていたからです。
当時のマホメットは、キリスト教やユダヤ教の情報が不十分で、聖書の内容をきちんと理解していなかったのです。
ですから今でも間違った書物、コーランを信じているのです。
例えば、マホメットは、キリスト教とは、カトリックのことだと思っていたので、三位一体の神の存在を創造主、イエスキリスト、聖母マリアだと思っていたのです。
三位一体の神のかたちは、カトリックでも、創造主・イエスキリスト・聖霊です。
ですから、旧約聖書や新約聖書よりも、コーランを大切にして、無理やり、神様のかたちをひとつにしているのですね。
イスラム教は、聖書の解釈は、間違っているのですが、人間的な目でみれば、とても正しい行いをする宗教です。
行いを大切にして、教えをユダヤ教のように大切にするのです。
右にも左にもそれにくく、一番人間に平和をもたらしている宗教ともいえるでしょう。
救いはありませんが、平和を造り出すのに特化している宗教でしょう。
日本は、キリスト教の価値観、プロパガンダが常識になっているので知らない人が多いですが、イスラム圏内の国々では、ひとびとには、多くの尊厳が保障され、国が厚い保障をしているのです。経済などに惑わされず、人々の幸福を実現しているのです。
金利はほとんどの国が禁止で、銀行は会社にお金を出資すれば、金利ではなく、その利益の何割をもらう制度が適応されているのです。
住宅ローンなどで、人々を奴隷にして縛ることもせず、結婚すれば国から家や車がもらえたりする国も多いのです。
キリスト教は、三位一体の神様を信じているので、神道に近い考え方があり、それは良く言えば、柔軟ですが、悪く言えば、悪いものまで取り入れてしまい、世の中が腐敗してしまうのです。
その点、イスラム教は、不必要なものには手をつけず、ユダヤ教よりは柔軟に、対処できる宗教なのですね。
テロリストなどの偽イスラム教徒のような悪魔宗教がいますが、当時の時代の教えを現代でやろうとしている時点でおかしいのです。
当時の世界は、人が人を食べることが正しいという文化が広がっていた時代です。ですが、現在は、そのようなひとは刑務所にいれられる価値観が当たり前になっている時代に、過激になる必要はありません。
旧約聖書もそうですが、時代の環境がまったく違うのです。
キリスト教やユダヤ教のほうが、悪魔宗教は入りやすく、イスラム教には悪魔宗教は入りにくいのです。
イスラム教には、牧師や神父という存在はなく、コーランという教えをそのまま学んで、独自で実践するので、歪曲されにくいのですね。
キリスト教やユダヤ教は、きちんと聖書を読んでいなければ、騙されやすいのです。
仏教やカトリックがいい例ですね。
大本になる聖書や釈迦の教えを無視して、神父や僧侶の都合のいい教えが正しいと思い込まされるから、まったく違う教えが常識になってしまうのです。
プロテスタントは、聖書を基準にしたからこそ、抗議する者(プロテスタント)になりえたのです。
そういう点では、イスラム教や神道は、詐欺師のような悪魔宗教に歪曲されにくいわけですね。