思考の変化

神を愛するとは、どういうことなのか

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1、人間には、愛や正義は存在しない。

神を愛することを理解するには、自分の愛がどのようなものなのかを理解しなければ、理解できません。

 

現代人のほとんどの人は、偽物の愛を愛だと錯覚しています。

正義も同じで、偽物の正義を正義だと錯覚しています。

 

例えば、愛とは、心の中から湧き上がってくる、言葉にできないような高揚感だと思っているひとが多いです。

 

もし、愛とは何なのかという質問に、言葉にできないものと答えるひとがいたら、そのひとは注意信号が出ているひとです。

 

胸がドキドキしたり、脳が気持ちよくなり、高揚感で満たされるような状態は、「状態異常」と言います。

 

ドキドキさせるような相手の前だと上手く話すこともできないのは、「状態異常」です。

 

正常な状態とは、心臓や脈が安定してリズムを刻む状態です。

 

正常な思考を保ち、話すことも正常に話せるような状態が、正常なのです。

 

その点、ドキドキしたり、高揚している状態は、脳の中で、麻薬が分泌して、異常な状態になっている証拠なのです。

 

人間は、脳内麻薬が分泌すると気持ちよくなります。

その相手が、詐欺師であろうと、悪人であろうと、脳内麻薬が分泌されれば、気持ちよくなれるのです。

 

人間はもともと神様が創られた法則の中で、自由に生きることを喜ぶように出来ています。

 

そして、人間は、悪いことをすることで、心の中にあるルールを破ることで、解放感が生まれ、自由になった気分になり、気持ちよくなれるのです。

 

このことから、犯罪者や間違った選択をするひとたちは、脳内麻薬を分泌させて、高揚しては、それを愛だとか、正義だとかと言っては、自分さえも勘違いさせているのです。

 

例えば、SMという行為があります。愛する人を傷つけ、愛する人から傷つけられることで、気持ちよくなれるのは、普段からひとは傷つけてはいけないというルールを破ることで、脳内麻薬が分泌するからなのです。

 

同性愛者も同じで、普段から同性同士はいけないと理解しているからこそ、反対されればされるほど、ドキドキして気持ちよくなれるのです。

 

連続殺人犯は、人を傷つけることで、気持ちよくなっているのです。

 

不倫も、愛する人を裏切っているという犯罪行為が、解放感を味わい脳内麻薬が分泌して気持ちよくなっているのです。

 

ロミオとジュリエットも偽愛の代表的なもので、まわりから反対されればされるほど、燃え上がる状態異常のもつれを愛だとしているのですね。

 

わたしたち人間の脳は、すぐに悪魔的なものでも、正しいと勘違いできてしまう危ういものなのです。

 

 

2、200年前まで、世界にはカニバリズムという文化が広がっていた。

ローマ帝国が聖書を基準とするまで、ヨーロッパ地域にも、カニバリズムという人が人を食べる文化が広がっていました。

悪魔的なことが、正義だとする文化が自由に存在していたのです。

 

嘘をつくことや裏切りなども、正しいことだとする文化もあり、さまざまな考え方が乱列しすぎて、ローマ帝国に反乱を起こし続けていたのです。

だからこそ、ローマは、一定の価値観を固定させるために、聖書を認めて、政治に利用していったのです。

 

それでも、現代から200年前までは、聖書は世界の基準ではありませんでした。

白人が、大航海の時代に乗り出すまで、聖書は、一部の地域の価値観でしかありませんでした。

なので、ヨーロッパや日本以外は、カニバリズムの文化ばかりが広がっていたのです。

 

中国・朝鮮・インド・アフリカ・アメリカ大陸・さまざまな島々の文化は、人が人を食べるという文化を純粋に行っていたのです。

 

牛やブタの肉を食べるように、人間の肉を露店で売っていた国もあります。芸術としていた地域もあるのです。

 

白人がなぜ、白人至上主義を掲げるのか、それは人を食べてこなかった期間が長かく、道徳的だったからという点から来ているのですね。

 

奴隷解放をしたといわれるリンカーン大統領でさえ、黒人を自由にすることは、否定的でした。

 

人を食べていた文化の人間を心から信じていいのか、議論が残ることだったのです。

 

今でも、祖先が食べられたことを嫌い、有色人種だからと日本人でさえも、心から嫌う白人がいます。

日本人は、白人よりも人を食べる文化をしてこなかったのですが、彼らはそのことを知らないのです。

 

肌の色や目の色なんて、表面的な違いだけで、迫害が発生しているのではないのですね。

 

今では、白人であっても、その事実を教えられず、白人は逆に、悪いことをしたと自虐史観を日本人と同じように、植え付けられているのです。

 

ですが、事実は違い、聖書を信じて、人には人権があることを広めたのが、白人だったのです。

 

今のように、その常識が世界の常識になっていない時代では、連続殺人犯のような国や民族レベルの人数が存在していたので、刑務所のように構成させることさえ出来なかったのですね。

 

だから、奴隷にしては、悪魔的な文化から人間は食べてはいけないという人権を教えてきたのです。

 

このように、人間には、愛や正義は存在しません。

 

胸がドキドキしたり、脳が気持ちよくなれば、それが愛だとか正義だとか、正しいと思い込めるのです。

 

そして、現代人の多くは、その偽物の愛や正義を信じ切っているのです。

 

3、人間を基準にすれば、世界は滅びる

人を食べることさえも、正しいと思い込める人間を基準にすれば、世界がどうなるのかは、誰にでも解ります。

 

100人いれば、100通りの正義や愛が作り出され、犯罪者も自由にできる主張を繰り返していくのです。

 

人間には、愛や正義を固定する権利はありません。

 

もちろん、わたしにもありません。

 

わたしたち日本人からすれば、原爆投下は、あきらかに悪魔的で、非人道的な行為です。

ですが、アメリカ人側からすれば、国民の脳汚染を繰り返し、神風特攻隊や人間魚雷などの自殺をもいとわない日本人を止めて、戦争を終わらせるには、必要で、逆に人道的な行為だったと主張するのです。

 

第二次世界大戦の日本は確かに以上でした。

 

天皇が、国民にラジオで、玉音放送を流すまで、日本はアメリカに勝っていると本気で信じていたのです。

ですから、負けたという真逆のことを天皇の口から流された時、立ちすくみ、ひざをついた人も多かったのです。

 

国全体で、信じ込まされていたのです。

 

明治時代に作られた、新興宗教である靖国神社で、天国にいけると思わせて、日本人の若者をわざと殺すような作戦ばかりを立てては、脳を錯覚させて、正義にしていたのです。

 

国や組織、多くのひとたちの常識を打ち破っていた人間も、スパイとして裁かれ、非国民とされていた時代だったのです。

 

このように、偽物の愛や人間が作り出した政治的な正義を背負うと人間は、滅びるような道を歩み、異常なことが正しいと思い込むようになるのです。

それは現在でも変わらず、続いている脳の錯覚であり、トリックなのですね。

 

現代は、アメリカの脳のトリックが入り込んでいるだけで、変わらないのです。

 

4、人間を基準にすれば、民主主義も空論でしかない

日本には、神道。アメリカには聖書。ヨーロッパにはカトリックと、神様による基準が存在して、それらをもって人権を固定させているから、それなりの平和が保てているのです。

 

人間ではなく、人間を造り、人間の上に存在する方の正義や愛だからこそ、固定でき、犯罪的な正義を否定して、牢屋にいれる権利があるのです。

 

もし、これを読んでいるひとで、無神論者であれば、そのひとは何の権利もなく、犯罪者を裁く基準も存在しません。

そのひとは、人を傷つけることは間違いだと思い込んでいるだけで、犯罪者は、正しいことだと思い込んでいる違いだけだからです。

 

ですが、神様を信じているひとたちは、人間ではなく、人間の上にある存在を基準にしているからこそ、犯罪者や悪魔的な行為を否定できるのです。

 

神様なくして、民主主義なんてものは、空論にしかすぎません。

無神論なんてものは、ありえない価値観なのですね。

自分は、道徳などないと宣言しているようなものなのです。

 

無神論なのに、道徳を主張しているひとは、ただの趣味程度の主張です。犯罪者となんら変わらない主張なのですね。

 

悪であっても愛だとか正義だとか思い込むことができる人間を基準にして、民主主義なんて存在しないのです。

 

5、本当の愛とは

多くのひとは、人間の中から湧き上がるものが、愛だと思い込んでいますが、愛は人間の中にあるのではなく、人間の上にあるものです。

 

人間が愛を造り出したりするのではなく、人間が愛に従うのです。

 

聖書は愛を固定しています。

 

コリント人への手紙13章4節ー8節

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。

 

愛は、人によって変わることも、時代によって変わることもありません。本当の愛は、人間の上に存在して、人間の基準となるものなのです。

人間よりも上に存在し、人間はそれに従うからこそ、平和が保てるのです。

 

これは神道や仏教でも同じです。

まともな宗教は、人間を基準にはしません。人間にどうあるべきなのかを定め、基準となり、正しいありかたを示すものが、宗教なのです。

 

人間は、高性能なパソコンのようなものです。

日本語の環境で育てば、フランス語で物事を考えることができません。

 

ですから、その日本語で、悪のプログラミングを打ち込めば、悪が正しいとして、思い込めるのです。

逆に、善のプログラミングを打ち込めば、善で考えることしかできなくなるのです。

 

言葉だけではなく、プログラミングの方法は、遺伝や五感などでもされるので、善悪、それぞれを限りなく、小さくすることぐらいしかできないのですが、それでも、大部分をコントロールできることは、現代をみれば、明らかなのですね。

 

恐竜の95%は、草食なのに、凶暴な生き物だと錯覚させることができるのです。

 

 

6、神を愛するとは

神様を愛するとは、人間を造られ、人間以外のこの世界すべてを創られた方、全知全能の神様という基準に立ち戻るということです。

人間には、愛や正義がないので、すぐに勘違いし、間違えてしまいます。

ですから、神様の本当の愛に、立ち戻ることで、人間同士が、本当の愛を分かち合うことができるようにするために、必要なことなのです。

 

はじめの愛に、人間は何度も立ち戻り、悔い改めて、本当の愛を実践していく必要があるのですね。

 

ですから、人間の愛という偽物の愛の価値観しかないひとには、なかなか神様を愛するということの意味が解りません。

まずは、自分の愛が、空論であり、ただの状態異常であることを理解しなければ、なかなか理解できないのですね。

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