世界の法則

三位一体

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聖書や宗教を知らないひとは、「三位一体」と聞かされても何のことを言っているのか、雲を掴むような感覚に襲われます。

その理由としては、神様は無限の存在であって説明できるものではないという考え方もあるので、論理的に説明するのではなく、霊的、感覚的に受け入れるべきだとする教えもあるからです。

霊的なことや感覚的なものは、ひとそれぞれ違い、その方法も違うので、説明するのはまた困難です。

無神論者からするとこの曖昧さが「宗教」と感じることでしょう。

 

ですが、神様はまったく説明できないという存在でもありません。

なぜなら、この世界は絶妙に洗練された法則によって成り立っていて、わたしたち人間の存在が偶然ではありえないことは明白です。

その人間は細胞ひとつひとつの集合体で、その細胞はまた、原子や分子からなりたって、恐るべき論理的なものだからです。

 

原始や分子レベルに辿れば、未来では論理的に説明できることだとは思いますが、現在の人間には、まだそれほどの法則の理解には至っていません。

遺伝子操作といわれているまがい物の科学がありますが、あれらは2000年も前から存在する自然の交配から作り出しているだけで、遺伝子をいじっているわけではありません。このようにまだまだ人間は、神様の法則を理解して、それを応用できていないのです。

 

ですが、実際に、生き物は遺伝子という設計図によって継承されて、子は親に似るという現実も目の当たりにしている以上、論理的にも説明できるものなのですね。

ただ、無限をいくら説明しても無限なのですから永遠に説明しきれないということも理解してほしいところです。

ですからみなさんにご理解があるのであれば、まったく聖書のことや宗教を知らないひとにも、なるべく理解できるように説明していきたいと思います。

三位一体

1、父と子と聖霊

キリスト教をキリスト教として成立させられるのは、聖書があるおかげです。

仏教などとは違いキリスト教には聖書という固定された書物が神様やこの世界の在り方を明確に説明してくれています。

その聖書は、旧約聖書と新約聖書の2つに分かれています。

旧約聖書だけを大切にしているのは、ユダヤ教で、イエスキリストのことを神様としても、救世主としても認めてはいません。ですから三位一体という考え方は、ユダヤ教にはありません。

ですが、新約聖書も大切にするキリスト教や世界中に存在する多くの宗教には、神様の形を三位一体で表しています。神道も大乗仏教もそうです。

三位一体の神様の形は、けっして聖書だけに留まらず、この世界の歴史や文化に残されているのです。

そして、聖書はさらに詳しく、その三位一体の神様の形を他の宗教に比べて明確に説明されています。

その説明のひとつが、父と子と聖霊です。

父とは、この世界そのものである「ヤ(ヤー)」であられる神様です。日本人は山に登って叫ぶ「やっほー」の中の「や」がそれに当たります。

世界であられる神様の形容詞を叫んで感謝を表します。

そして、子とは、イエスキリストのことです。

聖書を知らないひとは、イエスキリストは、2000年前の存在だと思っているとは思いますが、聖書を読めばわかるように、イエス様は、創世記の時代からアダムやエバとともにいて、人間に言葉を与え、善のプログラミングをほどこしたのです。

イエスキリストの創世記

人間の中に蛇(悪魔)による悪のプログラミングがされ、罪が入り込んだことで、いのちの木であったイエス様は、封印されました。ですが、最初の天国であったエデンの園から追放され、絶望していたアダムとエバに神様は、救世主の預言を与え、またエデンのような天国を与えることを約束されたのです。

それがイエスキリストです。

イエスキリストという人間の形をされた神様は、この世界である空気や水などがなければ、存在できるものではありませんでした。空腹になられることもありましたし、人間と同じ悪から欲による誘いもされたのです。ですから世界であられる神様が父であったら、その世界あがって存続できるイエスキリストは子であるとも言えるのです。

聖霊とは、人間でいうところの霊や魂です。

ですが、もちろん、人間の霊や魂を超えた、神様の霊です。

この神様の霊は、創世記の1章にすでに登場し、神の霊が形のない地にただよっていたとされています。

父であられる世界の神様と子であられる人間と同じ形をしたイエス様、そして霊であられる聖霊様は、別々の役割や形をしながらも、3つで1つの存在なのですね。

この3つでひとつの神様を複数形で「ヤハウェ」と表して人間は表現します。

「やっほー」の由来ですね。

三位一体の神様を表して大自然に向かって叫ぶわけです。

そして大自然は、やまびことなって、また返してくれることもあるのです。

2、人間も神様と似て、三位一体の存在

神様だけではなく、人間も神様と同じ三位一体の存在です。

創世記1章27・28節

そして神は、「われわれに似せるように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰られた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

父と子と聖霊の3つでひとつの神様と同じように、人間も三位一体の形です。

※この箇所には、三位一体の神様の姿を説明されています。われわれという複数形の表現のかたちを語っている次の瞬間、神のかたちに彼を創造しと複数形ではなくなっているのです。これは三位一体を表して説明されているのです。ユダヤ教などはこれを見ていないふりや違う解釈にしようとするわけです。イエスキリストが旧約聖書に存在していたことを認めたくはないからです。イスラームもこの箇所をみてみないふりをするのですね。イエスキリストは預言者のひとりであって神ではなく、神様とはアッラーおひとりだという教えだからです。ですが、聖書は神様のかたちを複数形で表したりしながらも、一つであることを何度も説明しているのです。聖書の教えは、とても神道と似ています。神道は神様の形を「八百万の神」と表しますが、聖書では神様のかたちを「万軍の主」とも表します。八百万の神々でもなければ、万軍の主たちではないのですね。

人間は、人間だけでは生きてはいけません。この地球があり、空気があり、水や食料があるからこそ生きていられるのです。ですから、人間は、世界と小さい枠では、別々ですが、大きな枠では、一体なのです。

また、人間の脳に電気信号を与えるためには、霊や魂という存在が必要です。

創世記2章7節

その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。

パソコンは、パソコンだけでは動くことはできません。最初にスイッチというボタンを押す存在が必要です。脳に電気信号を送り流す役割を担っているものが、霊であり、魂なのですね。

息とは、自分の心と書いて息であり、霊や魂が自分を形作っている要素のひとつなのですね。

漢字の中に隠された聖書物語

世界がなければ、人間は生きて行けず、霊や魂がなければ、自分の意思で動くこともできません。当たり前ですが、体という肉がなければ、人間であるとは言えません。

このように人間は、三位一体の神様に似せて造られている存在なのですね。

「別々なのに一緒?」と首をかしげてしまうひともいるかもしれませんが、例えば、あなたは、右手でしょうか。左手でしょうか。あなたの胃があなたでしょうか。あなたの心臓があなたでしょうか。

左手は左手、右手は右手、心臓は心臓、胃は胃とそれぞれ役割や形が違いますが、どれも「あなた」です。

それらの集合体が、あなたであって、小さい枠では、それぞれ違いますが、大きな枠では、あなたという人間なのです。

小さい枠では、人間という体や肉ですが、大きな枠では、世界とつながっていて、一緒なのです。

ですから、世界であられる神様は大きな枠では、父と表現するのです。

3、三位一体の神様の思想は、多宗教なのか

世界は、バラバラな思想や文化のように思われがちですが、不思議なことに、世界中の文化や思想や知識は、驚くほど似通っています。共通点が世界規模で存在しているのです。神概念が世界中にある不思議があるだけではなく、違う場所、違う宗教、違う民族であっても共通点が不思議とあるのです。仏教とキリスト教、神道はまったく違うと思い込んでいるひとがそれぞれの宗教や無神論者には多いですが、驚くほど似通っているのです。

これは聖書に書かれているように、アダムとエバから人間は増え広がり、一旦破滅して、ノアの家族によって継承されてきたからだという聖書の教えと世界の現実が一致している証拠にもなります。

その共通点のひとつが「三位一体」です。ギリシャ神話や神道、バビロンなど多くの宗教には、三位一体の神様のかたちを継承してきました。もちろん、それらが歪曲されて、偶像というアシュラのような三面の神が作り出されているのですが、神様のかたちは、世界規模で共通しているのです。

ですから、独自の宗教として信仰心の厚いユダヤ教などは、多神教の考え方として三位一体を認めようとはしない風潮もあります。

多宗教の文化を聖書に持ち込んで、説明しはじめているという主張ですね。

バビロンを作り上げたとされるニムロデは、自分とその妻と息子の偶像を作り上げて、三位一体の神という歪曲させた信仰を作り上げてバビロンでプロパガンダを広げました。この紛い物の宗教がすべて嘘で成り立っているというのでしょうか。

そうではなく、聖書に書かれているように、人間はノアの家族から増え広がっているので、共通点があり、もともと三位一体の神様の教えが広がっているだけで、また戻ってきたということなのですね。

例えば、現代では、会社という組織形態があります。この会社はまっとうなものであれば、良いものですが、この会社のシステムを利用して、人々を騙す詐欺のダミー会社が損得勘定で存在しています。それ以外の結婚詐欺やさまざまな詐欺があるのですが、それらの詐欺は、もともとまっとうなものを似せては、騙してきたものです。

偽物があるということは、本物があり、本物を利用してきたのが、詐欺なのですね。

すべて嘘をいう詐欺師はいないのです。ある程度、本当のことをいい、本物詐欺師ほど、事実を利用して、論理的なふりをして人々を騙すのです。

細木数子という占い師がいい例ですね。人格を大切にしているようにみせることで、墓を高く売りさばくのです。間寛平などが高額で墓を買わされそうになったのです。

悪魔宗教は、常に正しい宗教やアイディアを盗んでは、それらを損得で利用してきました。それらはもともと正当なものがあって成り立つのです。ですから、三位一体はけっして他宗教のものではなく、聖書が古来より説明してきた神様のかたちなのですね。

三位一体の神様のかたちは、聖書だけではなく、

4、論理的なだけでは、聖霊様を感じ取れない

この世界は、論理的なだけでは、説明できないことが多いです。なぜなら、論理的とは、今現在人間が理解できる言葉や法則に従って考えることなので、神様の法則をすべて理解していない人間には、まだまだ説明できないものが当然あるのです。

それを補ってくれる存在が、聖霊様です。

わたしは、霊的な賜物ではなく、学者タイプなので、なぞ多き分野なのですが、霊や魂という言葉では言い表せず、姿形も明確にできないものを否定するわけではありません。論理的に考えられなくても、感覚的に優れているひとは沢山存在します。そのような賜物が与えられているのです。

例えば、海外で暮らしている時、あまり論理的ではないだろうと思えるアフリカからきた黒人の知り合いがいました。

彼とは、日本語で話したことはありませんでしたし、英語でたまにお互いに話し合うぐらいでした。

そのような彼と礼拝で隣り合わせになり、賛美歌を歌っていた時、彼が満たされて、叫びました。

「シュヲカンシャシマス。」「主を感謝します。」

日本人であるわたしには、そう聞こえました。3度ほどその言葉を横で叫んでいたのです。

聖書には、聖霊が人間の舌に炎のように臨み、他国語を話はじめることが使徒行伝に書かれています。

これをキリスト教では、「異言」と言います。

現在、日本のキリスト教では、この異言といわれるものを叫んで礼拝するところがありますが、それは意味不明な呪文のような誰も理解できない言葉を言ってしまっていますが、本来、異言とは他国語を語るものであって、決して呪文ではなく、きちんと解明できるものです。語る賜物があれば、解き明かす賜物を持つ人も存在し、本当の異言は、意味不明なものではないのです。

※聖書には異言を語る時は、ひとのいないところで、3人程度だけでするべきだとされています。また大阪、名古屋、福岡とそれぞれ流行りの呪文のような異言があり、福岡では「トゥルルルルルルル」と舌を動かす異言らしきものになっているのです。ですがそれらは思い込みや慣れないから生まれてしまっている可能性があるのですね。どこかの民族の言葉なのかもしれませんが、どうなのでしょうか。そうであるのなら解き明かすのは難しいですね。

日本語を知らないはずの知り合いのアフリカ人が、「主を感謝します。」と言った言葉が、異言ではなかろうかとわたしは思います。わたしが日本人だからそう聞こえてしまっている可能性もありますが、3度ほどそう聞こえたのです。

このように人間には説明できない事柄が世の中には存在し、感覚などで満たされて味わうことが正しいこともあるのです。

論理的な考えだけではなく、言葉にはできないものへの理解は無くてはならないのですね。

今でこそそれらは、不思議であり、説明できませんが、未来では、説明できるものになっていると思います。鳥のように人間が飛行機で飛んでいるのですからね。

そして、三位一体の理解も、論理的なものだけでは、まだまだ説明できるものではありません。多くの時間と言葉を使って説明したものよりも、一瞬で神様の霊に満たされて、まるで目の前で見ているかのように体験するというものによって、一気に理解が深まることもあるのです。

全知全能の神様をみることはできなくても、全知全能の神様をまるでみるかのように、感じて味わう瞬間もあるのです。それらは三位一体の神様のひとつである聖霊様の導きから来るものでしょう。

体から霊を清める方法もあれば、逆に霊から体を清める方法もあるのです。

聖書の神様は、「殺してはならない。」と教えながら悪魔宗教や悪魔の子孫の行為をするカナン人を「殲滅せよ。」と促しました。人間に自由意志を与えながらも、人間に律法を与えられたのも神様です。

規制があれば緩和もあり、自由もあれば束縛もあるものです。

親は子に優しさや笑顔だけで、接するのではなく、愛があるからこそ、厳しくもするのです。

笑顔をしないひともいなければ、怒ることもしないひともいません。すべてのことは正しいのですが、すべての時に正しいわけではないのです。

論理的な考え方は正しいのですが、すべての時に正しいのではないのですね。ですから、三位一体の神様を理解するには、論理的なことだけではなく、霊的にも、感覚的にも、味わう必要があるのですね。

5、男女関係、家族のかたちも三位一体、世界の法則も三位一体

神様は、最初の人間アダムに、エバという女性ひとりだけを与えました。

 

創世記2章23・24節

「これこそ、今や、私の骨の骨、私の肉からの肉。これを女と名付けよう。これは男から取られたのだから。」それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。

 

アダムは多くの動物を与えられましたが、どれも納得できる存在ではなく、エバを与えられた時、これこそ納得できる存在として感謝しました。そして、アダムは、イエス様から教えられた言葉や多くの善のプログラミングをエバに与えたのです。

 

男女の結婚の形は、三位一体の形ではじめて成り立ちます。それぞれ自由奔放な夫婦は家族としては成り立ちません。神様・イエス様・聖霊様を頂点にして、男と女が従うからこそ平安が得られるのです。

 

男女関係だけではなりません。世界の関係や組織も三角形の三位一体のかたちの法則が存在します。

 

天地人という言葉があるように、3つで1つの法則は、この世界には数多く存在しているのです。

 

例えば、三角形にはそれ自体に、パワーがあります。風水や変な宗教ではありませんが、力工学で実際に目に見えないパワーがあるのです。

 

嘘だと思ったら、適当な紙を三角形に切り取って、上向き↑に四隅に車や自転車に貼ってみてください。車が安定し、エネルギー効率もあがり、乗用車なら200キロ近くも燃費がよくなります。自転車や靴などに貼れば、ものすごくスムーズに動かせることに驚くでしょう。

 

ピラミッドなどは、いい例で、あれだけの質量のものがいまだに安定して存在でき、その中では食べ物が腐りにくくなってミイラ化しやすいようになっているのは、けっして非科学的なことではなく、自然の法則に沿っているからなのですね。

 

そして、悪魔宗教は、これらの本当の神様の法則を利用して、悪へと歪曲させ、マークなども悪魔的なものへと汚染させますが、偽物があるということは、本物があるということなのです。

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