世界の闇

良い宗教と悪い宗教

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残念ながら現代の世の中には、良い宗教と悪い宗教があります。昔から悪魔宗教は存在していましたが、悪魔宗教が同じ状態で存続しているわけではありません。

現代では、良い宗教を学んで、悪魔的なことは表には出さないようにしているからです。

現代人は、犯罪や悪に対しての価値観が聖書的な正義を受け入れて、それが当たり前のように思っていますが、現代人が把握する犯罪は、昔は文化として受け入れられていた地域ばかりでした。聖書が読まれていない地域では、人を基準にした正義が広がっていたので、現代人が犯罪だと思うことも正しいと思えたのです。

その中でも悪魔宗教は残虐なことを続けていたので、まわりから否定され、弾圧されました。その後、悪魔宗教は表で自分たちの正義をするのではなく、裏で行うようになり、悪魔宗教の利用できる要素をさまざまな宗教は取り入れては、人間的に改良していったのです。

 

ですから、今では、ほとんどのひとが何が悪い宗教で、何が良い宗教なのか判別できないでしょう。わたしも含めて判別するのは難しいのです。

 

ですが、今でも解りやすい悪のパターンもあるので、紹介していきます。

 

 

 

1、悪い宗教は、現実を無視した教えを広げる

良い宗教とは、神様が創られたこの世界の法則と一致しているのです。ですが、人間は法則を無視したようなことも正しいと思い込むことができるので、現実を無視した教えを広げている宗教もあるのです。

例えば、木や石で人間が造った像を神様だと嘘をついている宗教があります。無神論者であっても、あれらが神ではないことは解ります。あれらの像は、人間が造った人間以下の能力しかない造り物です。それが神ではないことは言うまでもありません。

ですが、人間は、それらが神だと現実を無視して信じ込むことができるのです。

人の脳はすぐに錯覚し、混乱するので、間違ったものも正しいと思える場合が多いのです。

芸術などで、これこそ意味があり、素晴らしい芸術だとして何十億円も価値をつけると、その絵には、意味があると思い込めるようにです。音楽でも、テレビなどで堂々と流されれば、そこに意味があると思い込めむのです。

人が素晴らしいと思えるような像を作り出しては、人の脳を操り、コントロールしようとするのです。大した像でもなくても、多くのひとがそれを大切にすれば、その像が素晴らしいものだと思えたりもするのです。

明らかに木や石で人間が造ったものは神ではないのに、神だと非現実的なことをあたかも正しいかのようにしている宗教は、悪い宗教です。

像を神としない宗教は、プロテスタント、神道、上座部仏教、イスラームなどです。

神様は人間を超えているもので、人間がその姿を現すことなど到底できないのだとへりくだっている宗教が、これらの良い宗教です。

特に神道やイスラームは、人が介入することをせず、自然体の文化を広げているので、かなり精度の高い良い宗教と言えるでしょう。

なぜなら人は完璧な人はいないので、人が介入すればするほど、本来の教えとは違う歪曲させられた教えにすり替わっていくものだからです。

伝言ゲームというものがありますが、最初の人の言葉と最後の人の言葉が一致することが難しいので、そのようなゲームがあるのです。

仏教が良い例で、釈迦は釈迦の教えを文字にして残すことはせず、伝言ゲームのように口伝だけで残しました。そのことで、釈迦が否定したことを今では大乗仏教では堂々と行ってしまっているのです。

釈迦は、偶像を否定し、呪文を否定し、墓を否定し、輪廻転生も否定したのに、釈迦の死後、弟子たちが歪曲させていったのです。本来、仏教とは宗教ではなく、学問であって、論理的な考え方を人々に広げたものだったのですね。多くの悪魔宗教と融合した宗教が、人の脳の錯覚を利用して、私利私欲に走っていた時代だったので、論理的に考えることを人々に教えたのです。

儒教は仏教よりもさらに論理的な考え方を追求しようとしたものです。悪魔宗教が乱列して、どうしようもなくなっていた時代だからこそ、神様さえも否定して、論理的な思考を広げて平和にしようとしたのです。ですが、儒教の場合は、やりすぎて、さらにひどい世界を作り出してしまいました。

仏教は、神様や解明できないことは、解らないと学問的に肯定はしなかったものの、否定もしなかったことで、中国や朝鮮のような恐ろしい文化までは作り出しませんでした。

中国文化は、とても複雑で、悪の底を追求したようなものです。人を食べることも正しいことだったので、露店などでも人の肉が売り買いされていました。嘘やねつ造も正しいことなので、今でも多くの詐欺や盗みなどが横行しているのです。

儒教では神様がいないので、自分たちの利益になるための嘘やねつ造や騙しや詐欺は、正義になるのです。日本人は、神道という文化が広がっているので、嘘や詐欺をすると心が痛みますが、彼らは嘘や詐欺が成功すると心から喜ぶことができるのです。

神様がいないひとは、ひとが見ていなければ、何をしてもいいと考えますが、神様を信じているひとは、ひとがみていなくても、悪いことをすると心が痛むので、中国のような恐ろしい文化までは作り出さなかったのです。

日本文化と中国文化は、真逆だったのですね。

今はさすがに、世界中が聖書の価値観を持っているので、中国といえども、悪をすればするほど、損をするようになっているので、世界にあわせようとしているので、そこまでではありませんが、少し前まで、中国は恐ろしい文化が広がっていたのですね。

世界中にカニバリズムという人が人を食べる文化が広がっていましたが、そのほとんどは、純粋に人を食べて、悪いとは思っていなかったのです。ですが、中国は違います。善悪を超えて、カニバリズムを芸術にまで高め、合理的に残虐の文化を作り出してきたのです。人を人とは思わず、敵は動物として分解しては、食べて、その効果なども研究しつくし、料理さえも研究していた最悪のカニバリズム帝国だったのです。

孔子や劉備玄徳も人肉を食べていたとされています。現代人ではなかなか理解できない、するべきではない価値観があったのですね。

神様の存在を消してそれを広げた儒教は、本当に恐ろしいものだったと言えます。人には愛や正義がないので、人を基準にした考えを広めるほど、恐ろしいものはありません。

悪い宗教とは、このように非現実的な教えを広げていくのです。

神様がいないと思い込めば、ひとはどこまでも残虐になれるのです。

2、悪い宗教は、呪文を使う

悪い宗教は、人の脳を混乱させて、人をコントロールしようとします。ですから、普通のひとには解らない難しい言葉を並べては、そこに意味がなるかのように振る舞うのです。

例えば、小説でも、難しい言葉を並べることで、その小説が素晴らしいと錯覚させる作家がいます。東大や法律にしても、わざと難しい言葉を並べては、普通のひとには理解できないようにさせ、難しい言葉を使えることに酔わせては、惑わしていくのです。

ですが、釈迦やイエスキリストなどは、こどもにも解る言葉でシンプルに教えを広げました。シンプルな言葉なので、人々はその意味が分かり、誤魔化しているのかどうかも、判断できてしまうのです。

シンプルに話すひとは、誤魔化しができないのに、意味が通るということは、本物だという証拠なのです。

ですが、政治家や多くのものは、わざと難しい言葉などを使うのは、誤魔化すためなのですね。

 

悪い宗教も、呪文などを使います。呪文を聞いて、その意味が一回で解る人はいません。解らない言葉を利用している人をみると、人はそのひとがすごいひとだと脳を錯覚させるのです。

 

悪い宗教は、このように解らないところを煽りながら、人をコントロールしようとするのですね。

 

この風潮は、プロテスタントや神道の中にも入り込んでいます。ですが、聖書には、呪文は否定されています。聖書の中には異言というものがあるのですが、異言を口にする時は、大勢がいるところですることはいけないと教えています。異言の多くは理解できないことが多く、理解できないものを目の当たりにすると、人は勝手に脳を錯覚させたり、誤解してしまうからです。

もし、異言を望むのなら3人程度で祈りあって、解き明かしの賜物があるひとがいるのが正しいやり方なのです。

 

 

3、悪い宗教は、体の作用を利用する

 

この世界のすべてのことは、まだひとは解明できていません。例えば、天国がるのか、霊があるのか、といったことは、解明できていません。わたしは聖書の多くの正しさを目の当たりにして、現実と一致しているので、聖書を認めています。ですが、その中でも天国があるのか、霊があるのかを的確に論理的には説明できませんし、あるとは言えないので、信じているとしか言えません。

人間の脳に電気信号が走っていることから霊の存在はあるとも言えますが、その程度のものです。

まだ解明できていないものを利用しては、悪い宗教は、人をコントロールしようとするのです。

 

オウムなどは、人に薬を飲ませて、脳の機能を制御することで、多くのまやかしをひとに見せたり、体験させたのです。

現代人は体を使うことをしない人が多いので、体に起こる現象を体感させられると、それを教えてくれた人に信頼を寄せてしまうのですね。

 

神道などは、人の体に起こる作用を利用したりはせず、自然から味わう文化で、人々に体感させることだけをします。ですから、かなり神道という宗教は、精度が高いものなのですね。

祭りなども、その祭りの意味さえも解らずに行っているひとがほとんどでしょう。ですが、人の言葉で教えるとさっきも話したように、歪曲されてしまう場合があるのです。ただ文化として自然に生きることと神様を一致させる奥儀があるのですね。

イスラームも似ています。プロテスタントやカトリックとは違い、イスラームには、牧師や神父という存在はいません。コーランや聖書を個人が読んで理解しては、祈るだけです。そこに人が介入して、歪曲させることは少なくなるのです。イスラム教テロリストというのが偽物なのは、神父のような中心人物がコーランを利用しているからです。

プロテスタントは、牧師という存在がいますが、基本的に、牧師よりも重要視されるのは、聖書です。ですから、聖書を読むことを何度も何度も薦めます。なぜなら、人は不完全なので、間違って聖書の教えを伝える場合があるからです。

このサイトにしても、わたしはただの人間です。ですから、みなさんも、このサイトで聖書に興味を持ってくださったのなら、聖書を読んで、このサイトに書かれている記事が本当なのかを見比べてください。答え合わせをするにしても、その答えが書かれた聖書を知らなければ、解らないからです。

多くのカルト宗教に騙されたひとたちも、聖書を読んでいないから騙されるのですね。

自分の心とか、感覚とか、情熱などを基準にしてはいけません。何度も言いますが、人間はわたしも含めて、脳をすぐに錯覚させてしまうものだからです。人には愛もなければ、正義もないのです。神様の自然の法則に従うこともできれば、逆らって生きて、滅ぶこともできるのです。

4、悪い宗教は、階級で人にも差をつける

 

人間はどこまでいっても人間です。完全な人間など存在しません。カトリックの法王は神と同格で、聖書の教えよりも優先させるとする考えは、恐ろしい考え方です。人は、地位や名誉を目の当たりにすると、それが素晴らしいと脳が錯覚を起こします。

士農工商えたひにんのように、階級を示すことで、高貴なものだとして、人を操ろうとするのです。組織の決まり事や地位を持ったひとに逆らえるひとは、あまりいません。多くのひとは、流されて動いてしまうのです。その習性を利用して、多用するのが、悪い宗教です。

学歴社会や東大や弁護士なども同じで、人々に不平不満や懐疑心を抱かせないように地位をあてはめて、考えさせないようにするのです。

バラモンという宗教がありましたが、バラモンは多くのトリックをしては、人々をコントロールしていました。生まれながらにしても、階級があると信じ込ませたのです。人の上に神様はいても、人の上に人はいません。人の下に人もいません。みな同じ、不完全な人間なのです。完璧な人間などいないのです。

5、悪い宗教は、墓を必要以上に利用する

人は親や家族を大切にしようとするものです。ペットでも一緒に住めば愛着が湧いてくるように、家族なら尚更です。その家族を大切にする気持ちを利用して、その家族が死んだ後に、天国にいけたり、階級を良くするためにと人を騙してお金を取ったり、人をコントロールしようとします。

死後の家族の名前に改名するなども同じです。お金が死後の世界に関係しているわけがありません。なのに、お金を出させたり、利用しようとするのです。

墓を建てないと罪悪感が生まれるので、それを利用してお金儲けをするのですね。

 

本来、キリスト教も仏教も、墓を薦めるものではありません。先祖を大切にするという意味では聖書に書かれてはいますが、火葬にするとか、土葬にするとかも、関係ありません。聖書には、死んだひとが土から蘇ることが書かれています。

アダムは土から造り出されたように、火葬にしたからといって、それが問題にする必要はありません。土さえあれば、未来では蘇ることが可能なのかもしれないのですね。

 

墓、壺、改名などのアイテムを多用して、お金をもらおうとしている宗教は、気を付けましょう。10万程度の費用なら必要経費ですからしょうがないですが、何百万とか、何十万と煽るものには注意が必要ですね。

6、悪い宗教は、良い宗教の中にも潜り込んでいる

当たり前ですが、神道の中にも、イスラームの中にも、仏教やプロテスタントの中にも、スパイのような悪い宗教が入り込んでいます。悪魔宗教は、プロテスタントに寄生するように生き残って現代の世界を支配しているのです。

プロテスタントの国であるアメリカなのに、偶像である自由の女神があることがその証拠です。

自由を利用して、悪魔宗教まで、自由にしてしまったのです。

 

神道の中にも、悪魔宗教は入り込んでいます。神仏習合をさせられたように、無理やり神道の中に入り込んだのです。それ以前にも、多神教系の神道と一神教系の神道が存在していました。悪魔宗教は、多くの宗教に寄生しながら、生き残ってきたのです。

 

イスラームのように悪魔宗教が入り込みにくいシステムであっても、テロリストのように新しい組織でイスラームを汚すように入り込んだように思わせたりもしているように、どんな宗教の中にも、悪いものは入り込んでいるのですね。

 

プロテスタントは、本来、悪の思想と戦い続けてきたものですが、現代のプロテスタントは、偽物の愛やゆるしという歪曲させられ、多くの悪が入り込んでいるのです。牧師という名の偽牧師も大量に存在してしまっています。

 

神学校では、恐ろしいことに、嘘ばかりを教える牧師までいるのです。聖書も読んだことがない一般人にとって、学校で教えている牧師の言葉が、嘘だと見破ることなどできるはずもありません。

ですから、神学校にいって学んだひとは、キリスト教徒になる人は少ないのです。逆にキリスト教が嫌いになったという人までいるほどです。

わざと聖書やキリスト教を汚す偽牧師、偽教師がいるのです。

7、良い宗教は、論理的。悪い宗教は非現実的。

 

良い宗教は、論理的で、現実的で、世界の法則と一致しています。

ですが、悪い宗教は、よく考えると非論理的で、現実とは一致しないものです。

 

上で書いたように、人間の脳の錯覚を利用したトリックや詐欺をしているものが、悪い宗教です。

 

 

8、邪悪な宗教は、論理的なものさえも、利用する。

悪い宗教といっても、多くは善と悪のハーフのような曖昧なもので、それほど人に危害を加えるようなものではありません。ですが、邪悪な宗教は恐ろしいものです。オウムなどがその一部に入るものです。

新興宗教の多くは、論理的な考え方を利用して、人を騙します。世の中の多くの悪を暴いてきたプロテスタントの成功をマネをして、現代の多くの悪を暴いては、自分たちが正しいと思わせるのです。

本当に悪い人間は、まるで天使や先生のようにみえるものです。

エデンの園に出てきた蛇も、一度も嘘を付かずに、人間に悪の道へと誘導しました。

9割、論理的で、残りの1割で悪の道へと誘導しているので、騙されている信者さんたちは、心から信仰しているのです。

ですから、宗教を知らないひとは、まったく見分けがつかないはずです。

原理原則を利用して、人格を大切にすることで、人から信頼されてから、食べるのですね。

本当の詐欺師やスパイは、詐欺師やスパイだと見せない人なのです。

ですから、本当に良い人と本当に悪いひとは、見分けがつかないのです。

現代は、善と悪がバラバラになり、ぐちゃぐちゃになっているので、そこで生まれ育ったわたしたちには、なかなかそれらが悪だと理解できないのです。

9、見破る方法

 

世の中の多くの悪い宗教を見破る方法があります。それは、自分で誰に教えられるでもなく、聖書を読むことです。

聖書を読み込めば、読み込むほど、悪を見分ける能力がついていきます。

何が正しくて、何が正しくないのかも、見分けがつくようになります。

誰かが教えた聖書ではなく、聖書そのものを自分で読むことが世の中の悪の宗教を見破る方法なのですね。

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