思考の変化

全知全能の神が確実にいる証拠

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全知全能の神の存在を否定する人は多くいます。

それはなぜでしょうか。

ひとは自分を中心にして世の中がまわっているように見えてしまうからです。

 

自分の脳は1つで、自分の目でみえる世界も1つです。右をみようと顔を右にそらして顔を動かすと右側の世界がみえます。

当時のカトリックは、当時の科学で当たり前だと思われていた天動説を信じていました。宇宙は、地球を中心にして動いていて、太陽も地球のまわりをまわっていると信じていたのです。

 

ですが、熱心なキリスト教徒であったガリレオやコペルニクスなどは、新しい科学の見方で、聖書の正しさを証明していきました。地球が太陽のまわりをまわっているとうい地動説です。

 

同じ聖書を信じる者同士であっても、考え方や世界を違う見方でみてしまうのです。

 

そして、多くの人間は、人間の能力を基準に世界をみているので、人間ができないことがあると分かると、全知全能の神という存在は空想だと思い込んでしまうのです。

ですが、そのような思い込みは、間違いで、事実をみていくとハッキリと全知全能の神がいることを証明できるのです。

1、この世界は、美しすぎる

みなさんの感情的には、全知全能の神の存在を否定したいと想いが出てくるかもしれませんが、事実は人間がどれだけ嫌がろうと変えることはできません。

例えば、どのような事実があるかというと、子は親に似るという法則をみなさんは知っているでしょう。

日本人同士の子は、黒髪で黒目の子が生まれることをみなさんは知っています。

日本人同士の子なのに、黒人が生まれてくると思うひとは少ないでしょう。

事実を無視すれば、黒人も生まれると信じ込むことができますが、どれだけ感情を高ぶらせて叫んでも、日本人同士からは日本人の子が生まれるという事実は覆すことはできません。

人は、どれだけ頑張っても、自分の生まれを変えることなど出来ないのです。

両親の目と似ていたり、両親の身長とほとんど同じだったり、性格が似るということも知っているひとは多いでしょう。

これら人間の手の届いていない事柄に、法則があることをみなさんは知っているのです。

進化論という宗教は、この法則は、偶然だと説明します。

もし、偶然にこの世界が作られているのなら、法則など存在しないのです。

ひまわりの種を蒔いたら、ひまわりの形のひまわりが育つことを否定する人は、ほとんどいないでしょう。

あなたのまわりの人間をみてください。

あなたと親が違うのに、どうして、あなたと同じ形をしているのでしょうか。

手が2本。足が2本。目が2つで、鼻は1つです。

1学年100人いたら、ほとんど100人が同じ人間の形です。まわりの人間をみわたしても、ほとんど100%同じ形をしているのは、なぜなのでしょうか。

猫は猫の形。犬は犬の形。猿は猿の形。たんぽぽは、たんぽぽの形なのはどうしてでしょうか。

これは、その種類に従って、それぞれの生き物には、設計図が存在しているという証拠なのです。

蜂にも、鳥にも、蟻にも、それぞれの設計図が存在していて、それぞれが規則正しい設計図をもとにして生きているのです。

このように小さなものから、大きなものまで、設計図をほとんど100%の確率で残せる存在こそ、全知全能の存在なのです。

人間がからすの設計図を作り出したのでしょうか。違いますね。

人間以上に、細部に渡って完璧すぎるほど美しい設計図にそって、この世界は作られているのです。

全知全能の神の存在を信じているひとは

テレビや車や飛行機は、人間が造った設計図にそって作られていると信じているのです。

全知全能の神の存在を信じていないひとは

テレビや車や飛行機は、偶然作られたと発言しているようなものなのです。

人はテレビや車や飛行機は造れても、虫や生き物や人間は造れません。テレビ以上に、生き物は複雑で高性能だからです。テレビが偶然生まれたことを信じていないひとが、なぜそれよりも高性能なものを偶然つくられたと思えるのでしょうか。

この世界には、法則が存在し、子は親に似るというパターンがあることも知っているにも関わらず、事実をみずに、偶然世界ができたというあり得ないことを信じこんでいるのですね。

人は自分が手にしているものを当たり前のように感じていますが、わたしたちが生きていることは当たり前ではないのです。空気が存在し続けていることは、奇跡なのです。

手が2本であることも奇跡なのです。

もし、進化論という宗教のいうように、この世界が偶然存在していたのなら、人間は人間の形を保っていないはずなのですね。

創世記1章24節

ついで神は、「地は、その種類にしたがって、生き物、家畜や、はうもの、その種類に従って野の獣を生ぜよ。」と仰せられた。

ローマ1章20節

神の、目に見えない本姓、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。

2、あなたの顔は美しすぎる

「いえいえ、わたしは美人ではありません。」

「いえいえ、わたしはブサイクです。」

と感情論を持ち込んで否定したとしても、事実は否定できません。

鏡で、自分の顔を覚えてください。

事実とは、あなたの目は、なぜ左右対称なのかということです。

顔の端から目の位置が、左右で同じ距離なのは、どうしてでしょうか。目の感覚は、ひとそれぞれですが、どんな人も、絶妙な位置に目や鼻や口やまゆげなどがあるのです。

片方の目は、タレ目で、片方の目は吊り目というものではなく、タレ目の人は、両方ともタレ目です。

吊り目の人は、両方とも吊り目です。

あなたの肌をみてください。多くの部分は、同じ肌の色で統一されています。

”福笑い”というゲームを知っているでしょうか。

目をつぶって、顔のパーツを正しく並べられるかを挑戦するものですが、何度やっても、左右対称に綺麗になりません。

ちょっとでも、ずれると変な顔になるのです。

人間は、偶然ではなく、手もあり、脳もあり、意識もあって、正しい顔を造ろうと福笑いをしようとしても、出来ないのです。

あなたの身近な100人の人の顔をみてください。ほとんど100%の確立で、顔が左右対称で綺麗すぎるのです。

本当に、この世界は偶然だと思い込めますか?

感情論や好き嫌いで考えれば、あなたの顔は、好きじゃなかったりするかもしれませんが、事実では、あなたの顔は美しすぎるのです。

3、この世界は、天国すぎる

「いやいや、まったく天国じゃないよ。」

 

「どう考えれば、天国なんて言えるんだ?」

 

と感情論で否定しようとするかもしれませんが、事実からすれば、天国すぎます。

 

なんといっても、わたしたちは、「食」さえあれば、生存できるというほど、天国すぎる環境の現実があるのです。

 

住んでいるところが、寒過ぎたり、暑すぎたりするのなら、食以外にも必要にはなりますが、場所を考えれば、家もなしで、服さえも着ずに、生活している人さえも存在しているほど、天国に近い環境を与えられているのです。

 

もし、この世界に神様が存在せず、偶然に存在している世界なら、生存するために必要なものは、大量に存在することは間違いありません。

空気を確保しないといけないとか、重力を一定にしないといけないとか、水を飲めるようにしないといけないとか、さまざまな生きるために必要な環境の過酷さがあるはずなのです。

実際に、そのような過酷な場所も、この地球でさえ存在しますが、それは一部でしかなく、ほとんどの人間が住んでいるところは、まるで天国のような環境という現実があるのです。

 

4、進化論の仮定とは、この世界は真逆すぎる

進化論は、偶然、この世界が存続していると想定しています。

もう、これが大嘘であることは、解ってもらえたとは思いますが、進化論が、本当に正しかったとしたら、この世界は、どのようになっているのか予想してみましょう。

まず、あなたの目は、左右バラバラです。

このような顔です。

あなただけではなく、ほとんど100%の確率で、左右バラバラな顔になり、設計図さえも、ぐちゃぐちゃです。

もし、進化論が正しいのなら、100人いたら、ほとんど100人が、このようなバラバラなパーツの顔になっているのです。

当たり前です。それが偶然だからです。

もし、進化論が正しいのなら、あなたが外に散歩に出かけて出会う人のほとんどは、奇形児ばかりのはずです。偶然に綺麗な人間たちがいるはずがないからです。

あなたの家族・親戚のほとんどは、奇形児ですか?

パラリンピックというものがある時点で、すでに奇形児は少ないということが明らかに証明されているのです。あなたが好き嫌いや感情論で、認めたくないと思っていても、この世界はあまりにも美しすぎるのが現実なのです。

福笑いでも話しましたが、人間の体や意思を持ちながらでさえも、目隠ししただけで、正しい顔が作れないのです。

正しい顔ではない顔ばかりになるのです。

顔だけではありません。足も3つ。手も複数。人間という共通点さえも、バラバラになり、もちろん、バラバラなものは子孫を残せるはずもありません。

人間と猿では、子孫を残せないことは誰でも知っていると思いますが、それはまったく違う種類だからです。

ブタと人間では子孫は残せないのです。

このように、人間同士でも、バラバラになり、女性は、子宮がない人もいれば、子宮が小さすぎる人もいたり、存続できません。

スターウォーズとかには、さまざまなお化けのようなキャラクターが多数でてきます。アニメなどにも、多数の奇怪なキャラクターが普通に生活しています。ワンピースなどには、魚人などが出てきます。そのような世界になっていますか?進化論が仮定していっているのは、まさにそういうありえないことをいっているのです。

本当にこのような世界ですか?

いえいえ、わたしたちの世界は、あまりにも美しぎるほど、美しく。あまりにも綺麗な設計図で、子孫さえもかなり高確率で残せる人ばかりですし、動物もかなりの高確率で子孫を残せているのです。

これほどまでに恵まれた環境や体がある現実をみて、これを偶然だというほうが、どうかしています。

みなさんの感情論では、このような事実を無視して、さらに恵まれた世界ではないからといって、否定したくなるかもしれませんが、事実は、人の感情や好き嫌いでは変わらないのです。

5、神がいないと信じ込むことは恐ろしい

これらの事実を無視して、目があっても見ずに、錯覚を信じ込んでいるひとたちは、この世界は偶然存在していると心から信じているのです。

そうすると、自分の存在も、ただの偶然だと思い込むのです。

神様は、人間のために、この世を創られましたが、人間を中心にして、この世を創られたわけではありません。この世は、神様を中心に作られているのです。

すべての人間の思い込みの願いをどうして、全知全能の神様が叶えると思い込むのでしょうか。その発想自体が、間違っているのです。

みなさんは、大切な授業を受けている時に、お腹が鳴ったからといって、お腹さんのために、授業を無視してお店に買い物に行くでしょうか。

人間すべてのわがわままや思い込みを全部かなえれば、この世界は滅ぶのです。

お腹が鳴っても、そこは我慢して、授業を受けた後に、買いにいったり、弁当を食べるのです。

すべてのことは、してもいいのですが、すべての時にしていいわけではないのです。

人は自分中心に世界がまわっているとよく誤解します。自分の思い通りにいかない人生をみて、全知全能の神の存在を否定しているのは、ただのわがままなのですね。

人間が平安に生きていける環境を全知全能の神様は常に提供してくださっているのです。

そして、神様は、善人にも、悪人にも雨を降らせ、空気を与えてくださっているのです。現代人の価値観では、金持ちになりたいという願望を持つひとがいるかもしれませんが、その現代人の価値観をどうして神様が叶えるというのでしょうか。

すべてのひとが、社長であったら会社は成り立たないのです。

人の考える願望をかなえることが、その人の幸せになるわけではないのですね。

むしろ、神様は、アダムとエバに、ご自分の作られた自然の世界を自然体で生きるように解放されました。そこには願望は無かったのです。空気や水や食べ物はあり、それぞれが循環して、共生して生きていたのです。

比べるものもなく、比べられることもなく、生きているそのことで認められ、愛されていたのです。

自分の思い込みの願望がかなわないというストレスが溜まっていくと闇に呑み込まれ始めるひとがいます。悪を認め、それを堂々と生活の中で繰り返すようになっていくのです。

営業マンは嘘をつき、数字のためなら誤魔化すこともするようになります。お金という偶像のために多くの悪を認めて、こじつけては正当化し、悪の人生を生きては、子にもそれを伝授しては世界を破壊し続けるのです。

そして、悲しい時には、自分が偶然の存在だと信じ込んでいることが、恐ろしいほどむなしさを感じるのです。

そのような人間が他人に対して、思いやりのある生き方ができるでしょうか。

無いと信じ込んでいるひとは、与えることなどできないのです。

凶悪犯罪者を取り締まる機関で働くひとがいますが、もし、その人に神様がいなければ、その人は、闇へと引きずられていきます。なぜなら、人間には、愛も正義もないからです。この世界を自然の法則によって美しくつくられた神様なしでは、人はただの塵にすぎないのです。

パソコンと同じであり、銃と同じなのです。

善人に銃を向けろとプログラミングされれば、善人にも銃を向けるのです。

ですが、全知全能の神様は、この世界を創られ、人間を造られた存在です。人間の愛を語る前に、人間は空気がなければ、愛を語れないように、神様が先に存在しているからこそ、人間は神様の愛のもとで、愛を語れるのです。

もし、その人に神様がなければ、どれだけ情熱的に異性に愛を告白しても、それは犯罪者と同じ趣味趣向の価値観でしかないのです。

神を愛するとは>>

進化論という宗教は、悪魔宗教を現代人を騙すように作られているもので、事実と大きく違っています。

進化論の正体>>

このような非論理的な宗教ではなく、神の存在を教える宗教に根をはることが大切なのです。

神を信じていないひとは、その人のみている世界が基準であり、その人が神だと思い込んでいるので、恐ろしい存在なのです。人のみていないところでは、何をしても心は痛みません。神様がみていることを知らないからです。

神を信じているひとは、常に自分と神様の2つの目線で複雑に生きています。人がいないところでも、悪をすると心が痛くなるのです。

どんな宗教を信じているにしても、神様を信じている人と神様を信じていない人では、まったくみている世界が違います。善悪の認識がないことは、恐ろしいことなので、ある国の首都では無神論者は入ることさえ出来なくされています。

神を信じていないひとは、現実を無視して、何をするのか解らないからです。神様を無視して、お金のために悪をするかもしれませんし、嘘を付くかもしれないのです。

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