思考の変化

この世界は主イエスキリストに集約され繋がっている

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人は重力に逆らって、パラシュートもなしで崖から落ちれば怪我をします。

神様が創られたこの世界は、神様によって自然の法則が作られ、その中に人間やさまざまなものが存在しています。

神様に逆らうことは、重力に逆らって崖から落ちようとする人よりも愚かなことなのです。

全知全能の神の存在を否定できる人はいません。脳の錯覚で大嘘を信じ込まされているひとたちは、神がいないと信じ込めるのですが、目の前の世界をみれば、一目瞭然だということは何度も言ってきた通りです。この世界はあまりにも美しすぎるのです。

全知全能の神が確実にいるという証拠

史実は小説よりも奇なり

という言葉がありますが、ある一定の情報だけしか与えられていない現代人は、小さなものの考え方に固執した脳になるように大量生産されていて、本当の世界が目があっても見えないようになっているのです。

神様を中心に人は、愛や正義、幸せ、法律や組織を理解しなければ、それらはすべて空想でしかないのです。

家族への愛も、異性への愛も、神様があってはじめて成立するのです。

異性への愛から読み解く

異性への愛を本当の愛だと信じているひとは、現代人は多くいることでしょう。ですが、それらの異性への愛は、2次的な愛でしかありません。1次的な愛に従って2次的な異性への愛が成立しているのなら、それは素晴らしいですが、異性の愛が一番の愛だと思い込んでいるのなら、それは大きな間違いです。

みなさんは、空気を1時間吸わずに、愛を語れるでしょうか。

あなたが人間以上の存在でなければ、普通は死にます。

生きているから異性を愛せるのです。

みなさんは、神様の壮大な愛に守られ、助けられているからこそ、異性の愛を共有していけるのです。

よく、悲劇が起こったことを原因にして、神様に文句をいう思想が、映画や小説で書かれたりしていますが、文句が言えているということは、生きている証拠なのです。死んだひとは文句は言えないのです。狼に襲われるには、生きていて、体がなければ、襲われることなどできないのです。

異性への2次的な愛は、はじめの一時的な愛であるイエスキリストの愛があってこそ、成立していけるのです。

創世記、エデンの園の時代にすでにイエスキリストが存在し、アダムに言葉によるプログラミングがされたことを語りました。

イエスキリストの創世記

わたしたち人間は、イエスキリストの体と似せて造られ、体をもらいました。体がなければ、異性への愛は生まれません。そして、いのちの息を鼻に吹き込まれたことで、霊が与えられ、生きるものへとなりました。生きていなければ、異性への愛は生まれません。

このように、人間は、最初の愛である神様の愛によって支えられてこそ、異性への2次的な愛を実行することができるのです。

とても善良な幸せな家族がいました。父親は子を愛し、妻を愛して笑顔で生きていたのです。ある日、夫がいない間に強盗が入り込んで、妻と子を汚したあげく、殺しました。夫が仕事から帰ってきた時、家は愛していた家族の血でいっぱいになっていました。優しさかった夫は、消え去り、犯人に対して、怒りを隠しませんでした。妻を愛し、子を愛した情熱が、悪へと姿を変えて、愛を否定しはじめたのです。夫は、心から「こんな酷い出来事はおれぐらいしかない」と思ったのです。犯人の処刑を望みました。

イスラム教徒の幸せな家族がいました。息子夫婦と暮らす敬虔なイスラム教徒であった祖母は、一人息子を愛し、その家族を心から愛していました。彼女にとって息子夫婦がすべてのように人は見えました。ある日、テロリストが息子夫婦が行った施設を襲いました。息子夫婦は、首を切られたのです。

その後、警備隊によってテロリストは制圧され、尋問され、多くの人々に公開され、処刑されることになりました。

祖母は、息子夫婦を直接殺した男と面会しました。彼女は、とても険しい顔で、その男の顔に両手を出して、花を包むように、ほほを覆いながら「わたしはあなたのを赦す。」と言いました。

それを聞いた彼は、涙を流して膝をついたのです。

異性への愛、家族への愛は、情熱的で、第一の生きる意味にして生きているひとがいます。ですが、それは永遠に無事に存在するものではありません。傷つき、亡くなることがあるのです。こどもが大好きなオモチャが壊れて、泣き叫んでいるのと同じように、人間的な情熱によってひとを愛していることが正義にしているひとは、そこを悪に利用されるのです。

愛国心、民族への愛、家族への愛を利用して、争いごとを拡大させた戦争は、数多く存在しています。

本当の愛とは、異性への愛ではありません。

神祖愛するとは

人がどれだけ嫌がろうと重力に逆らえないように、愛も人間が自由にできるものではないのです。人間が愛を作るのではなく、人間が愛に従うのです。愛は人間の上に存在しているもので、人間がかわり、世が変わっても、愛は変わることがないのです。

はじめの愛を忘れ、利己的で2次的な愛を信じ込むとひとは、まわりがみえなくなります。ストーカーや連続殺人犯と同じように、思い込んで、事実を無視した行動に移るのです。

いま、この記事を読んでいるということは、あなたは必ず、神様によってすべてを用意され、空気や水、雨や太陽を与えられ、生きていける環境が備わっている証拠です。

2つのケースの悲劇も同じで、家族を殺されたということは、家族は存在して、与えられていたということです。

与えていないものは、神様であっても取り去ることはできないのです。

悪によって汚されたことで、悪に誘導され、善であった者が、悪を欲するようになれば、復讐が復讐を産んで、世界は崩壊します。その状態が戦争です。

家族を殺されただけであれば、1つの家族で終わりますが、戦争は多くの家族に悲劇を与えます。復讐の末路はそのような世界を作り出すだけなのです。

全知全能の神様の存在は絶対です。この世界を観ればわかるように、その存在は否定できません。家族が殺されたということは、家族は存在したという証拠です。家族とは、離れてしまいますが、霊が消滅したわけではありません。そして、全知全能の神は、愛なる方ですから、そのまま悪が勝つようなことをされるわけがありません。人間の歴史をみればわかるように、多くの人々の命によって、人権や民主主義を勝ち取り、憲法さえも手に入れた結果が証明しています。

この世においても、善はすでに勝っているのです。そして、その善なる世界をはやめてくれるのが、はじめの愛であるイエスキリストの愛なのです。

悪に唯一勝てるものは、本物の愛による赦しです。悪に対して、悪をすれば、悪は増え広がります。ですが、悪に対して、善で対抗すれば、悪の悲劇は消えていくのです。

すでに現代人は、女性への権利を大切にする価値観を定着させています。これは大きなことで、女性を女性とはみなさず、所有物として扱ってきた時代や場所は、すでに存在しなくなってきているのです。

悪がどんどんと消えて行っているのです。もちろん、悪が増えているようにもみえる時もありますが、大きな流れの中では、善が勝っているのです。

悪はすぐに利益を獲ます。ですが、善はすぐには芽を刈り取れません。悪が勝っているようにみえるでしょう。しかし、悪は悪を恐れ、自分の闇のために、世界の闇を恐れ続けるのです。どんな悪徳組織であっても、善を利用しなければ組織は成立しません。

ですが、悪を無視した組織は成立できます。

この時点で、すでに善は勝利しているのです。わたしたち人間がどれだけ事実を無視して、悪をしようとしても、神様の法則、自然の法則を人間は変えることはできないのです。もし、未来で科学などで変えられるようになり実行したら、信じられないほどの巨大な悲劇が生まれるでしょう。

全知全能の神様によって規則正しく、絶妙なバランスで存在している世界に沿って、人は従い愛し合い、正義を見出すことしか、本当の平安の世界は訪れないのです。

アダムから悪のプログラミングが入り込み、世は荒れ果てました。大洪水で洗い流され、善悪の知識を持ちながら再度、人間は滅ぼないように何千年も歴史を積み上げることができるようになりました。

そして、悲劇と悲しみと苦しみが積み重なり、絶頂期になった時に、イエスキリストが現れ、愛によって人々を救われたのです。

その時代からこの世界は、変わったのです。

少しずつですが、赦す教えが、世界を平和の世界へと変え続け、所有物であった奴隷物(人間)は、それぞれ人権が与えられた奴隷国民へと現在には至っています。

ほとんど無限のエネルギーがあることは証明されています。

無限のエネルギー

情報さえ手に入れれば、ひともすでにエデンの園のような天国の世界にすることも可能なのです。一部の悪魔宗教によって世界は足りないと思い込まされ、悪の情報をプロパガンダされているので、事実を無視して悲劇をみているかもしれませんが、事実を把握すれば、もっとさきに、本当の自由があるのです。

与えあい、赦しあい、認めあい、感謝しあい、忍耐を持ちあうことで、本当の悪に勝たなくてはなりません。わたしたちひとりひとりが悪に勝つことこそが、実は政治家が大きなことをするよりも、重要なのです。組織の形は三位一体であるように、わたしたち奴隷国民の変化が世界を変えるのです。

そして、悪に染まっているわたしたち奴隷国民の思考から、はじめの愛であり、イエスキリストのプログラミングに立ち戻ることこそが、唯一の基準になりえるのです。

その基準はもうすでにかなり進んでいます。聖書的な基準である神道はもちろん、仏教やイスラム教などでも、広められ続けているのです。

神道は常に大乗仏教にいじめられるように下の立場からでしたが、ゆっくりと日本人の精神を保ち育て続けてきました。教えからではなく、文化から人間にプログラミングすることで平和を保ったのです。

聖書を信じていない人であっても、聖書の基準を持っている時点で、かなり進んでいるのです。中国でさえ、もうすでに、人に人権が与えられて十数年経っているのです。

全知全能の神様は、偉大で、人間に自由意志を与えたとしても、まるで天国のような世界をこの世にも訪れさせてくれる方なのですね。自由意志を与えず、決まったレールを行くようなロボットなら天国のような世界は簡単に作れるでしょう。ですが、自由意志を与えてもそれを与えることができるのであれば、それこそ、全知全能の神様だということです。

イエスキリストが2000年前に再臨され、旧約聖書の預言通りの人生を歩まれたことにより、世界は変えられ、すこしずつこの世界すらも変えられつつあるのです。現代は、悪魔宗教が世界を支配してコントロールしていますが、それも神様のご計画のうちです。

すべてのひとが、脳に錯覚をみせられ、正しいひとがいないことを理解した時、神様に立ち戻るしかなくなるからです。ひとりのリーダーや天皇や主人公が世界を変えるのではなく、すべての人々が徐々に変えられて、はじめに立ち返ることで、世界はしっかりした基礎の中、安定した世界を作り出せるのですね。

人の目からみれば、負けたようにみえる場面が多くありますが、1000年単位でみれば、すべて善になっているのです。悪は善には打ち勝たないのです。

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