世界の法則

聖書の離婚の教え

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聖書には、離婚に対する見解、教えが書かれています。

その聖書の教えを簡潔にまとめてみましょう。

①離婚はしてはいけない。再婚できるのは、相手が亡くなった場合だけ。離婚をすることは、ものすごい罪になる。

②家族とは人間社会、組織の最小単位であり、基本である。離婚は、社会崩壊、組織崩壊につながる。

③男女はひとつの体になり、一体なので、離れられない。

④ ①~③のさらに基準となるのは、神の教え、神のプログラミング、神の価値観であり、神の価値観がある人と、神の価値観がない人の夫婦は、①~③は適応されない。ふたりの価値観が一致していないのなら、むしろ、離婚に至るのは、なるべくしてなること。

では、説明してきましょう。

1、離婚はしてはいけない

聖書には、離婚のことは、このように厳しく書かれています。

マタイによる福音書第5章32節
「しかし、わたしはあなたがたに言います。だれであっても、不貞以外の理由で妻を離別する者は、妻に姦淫を犯させるのです。また、だれでも、離別された女と結婚すれば、姦淫を犯すのです。」

マラキ書第2章14-16節
「なぜなのか。」とあなたがたは言う。それは主が、あなたとあなたの若い時の妻と証人であり、あなたがその妻を裏切ったからだ。彼女はあなたの伴侶であり、あなたの契約の妻であるのに。
神は人を一体に造られたのではないか。彼には、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。あなたの若い時の妻を裏切ってはならない。「わたしは離婚を憎む。」とイスラエルの神、主は仰せられる。「わたしは、暴力でその着物をおおう。」と万軍の主は仰せられる。あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。裏切ってはならない。

コリント人への第一の手紙第7章10-11節
次に、すでに結婚した人々に命じます。命じるのは、私ではなく主です。妻は夫と別れてはいけません。———もし別れたのだったら、結婚せずにいるか、それとも夫と和解するか、どちらかにしなさい。————また夫は妻を離別してはいけません。

神様がおっしゃった言葉です。

「わたしは離婚を憎む。」

憎むとは、かなりいけないということを教え表している言葉です。

なぜこれほどまでに、神様は離婚がいけないとおっしゃられるのでしょうか。

見ていきましょう。

2、家族とは人間社会、組織の最小単位であり、基本である

神様は、ひとりひとりの悪に対する選択や間違いを裁いたりはされません。

ですが、世界全体に及ぼすほどの悪に対しては、神様は裁きをくだされます。

モーセなどの預言者やダビデなどの王様など、民の上に立つ者たちの選択は、神様は注意深くみておられます。総理大臣や大統領など、上に立つものは、権力と地位があり、自由があると思うひともいるかもしれませんが、実際は、上に立てば立つほど、人は不自由になり、責任がのしかかってくるのです。

その責任さえもないがしろにして、民全体、世界全体を闇にしようとする上に立つ者には、神様の裁きがくだされます。

そして、家族とは、組織の最小単位であり、理想形です。

ヤクザなどでも、親子の盃などといっては、家族にして、組織を運営させます。

このように悪人であっても、中心になる関係には、深い信頼感が必要になるのですね。

会社でも家族経営になりやすいのはこのためです。

組織を守るためには、家族という最小単位を大切にすることが効率的であり、論理的なのですね。

政治も、ただの政治では腐敗する一方です。

政治をするのなら、家族政治が一番、世界に優しいものになります。

天皇は、親であり、民は子であるという考え方があるように、民を家族としてみることで、世の中を平和にしていくのです。

悪魔宗教は、逆に、民は動物であり、畜生だとして、自分の家族だけが人間だとします。自分の心が悪なので、他人も悪に見えますし、信用するべき存在ではなくなるからです。

そうすると、民はないがしろにされ、経済はわざと不景気にされ、動物であり、畜生である民の人口を減らそうとします。人数が多ければ、コントロールしにくくなるからです。

民が苦しめば、民は苦しめる権力者に不満を持つようになり、また世は乱れ始めるのですね。

このように、家族政治をすれば、組織は、保たれ、平和が広がるのです。

ですが、その家族が離婚などをするということは、組織や人間社会の崩壊させるということです。

なぜなら、家族に対する愛が腐敗し、崩れ去り、それを目の当たりにした子は、家族というものにたいして不平不満をつのらせ、信じないようになるからです。

家族にさえ、愛を示すことができない人が増えることは、人間社会の崩壊になるのですね。

離婚をしてもいいという考え方は、社会悪であり、すべてを無に帰す考え方なのです。

ですから、神様は、離婚は決して、ゆるすべき対象ではなく、否定すべき対象にされているのですね。

憎むとは、世界全体を闇にする行為だからというわけです。

3、男女はひとつの体になり、一体なので、離れられない。

神様は、エデンの園を造られた後、アダムとエバを御造りになりました。

そして、アダムとエバに言葉を教え、善のプログラミングだけを伝えたのです。

アダムは、神様から教わった言葉や情報をエバに伝えました。エバは、アダムから教えられ、完璧な環境と完璧な情報を基にして、アダムに寄り添いながら、幸せに暮らしたのです。

アダムは、エバが生まれる前、神様から情報をプログラミングされて、動物などの友達を与えられました。

その友達である動物に名前を付けて、気に入る動物がいるのか探したのですが、納得できずにいました。

その期間は、何年なのか、何週間なのかは、わかりませんが、どこかしら寂しさがあったと思われます。

そこに、自分の骨から造られたエバを神様から与えられた時、アダムは、とても喜びました。

「これこそ、わたしの骨の骨。肉の肉。わたしはこれを愛そう」と言ったのです。

探し求めていたものが見つかった喜びですね。

神様は、エバを与える前におっしゃられました。

「ひとはひとりで生きていくのはよくない。」

アダムという男性は、まだ半身であり、女性であるエバが誕生して、出会ったことで、ふたりは一体となり、完全とされたのです。

アダムとエバは、同じ人間でしたが、容姿は、黄色人種と白人です。また、体つきも違います。凸凹の二人が合わさって□となれたのです。

このように、体も心も霊も情報も、一体となったふたりには、離婚という文字はありません。

離れようとしても、離れられなかったのですね。

アダムにとっては、エバしか、エデンを知る人ではなかったし、エバにとっては、アダムしかなかったのです。

離れられるものではありません。

日本人でも洋式の結婚をされる方が多いですが、その時に、牧師さんから聖書の言葉をいただき、宣言をします。神様に対して宣言することで、ふたりはアダムとエバの関係を目指して、固く結ばれるように歩みはじめるのですね。

本来、離婚という文字は存在しないということです。なのに、離婚をするということは、神様を無視し、世の中のルールを無視し、世界を崩壊へと導く選択だということになるわけです。

本来の形、自然の法則、原理原則を無視すれば、人間はおろか、生き物は生きてはいけないのにです。

4、①~③のさらに基準となるのは、神の教え、神のプログラミング、神の価値観であり、神の価値観がある人と、神の価値観がない人の夫婦は、①~③は適応されない

①~③を読んで、納得できないと思うひとは多いのではないでしょうか。

世の中の夫婦生活は、そんな簡単ではない!と思ったり、理想でしょ?と思えてくるかもしれません。

昔は、かけこみ寺というものも存在していました。夫が妻に対して暴力を振るっては妻をないがしろにして、妻は奴隷関係から逃れるように寺に逃げ込んだのです。今でも、DVという暴力を振るう夫婦関係もあります。または、夫が働かない。という理由から離婚する人もいるかもしれません。

こういった理由で、離婚せざる負えなかったものも、罪なの?と頭をかしげてしまう人もいるかもしれません。

ですが、聖書は、現実と一致している教えしか、教えていません。

①~③には、頭につく言葉が隠されているのです。

頭につく言葉は、「神の基」です。

聖書には、このように書かれています。

コリント人への第一の手紙第7章12-14節
次に、そのほかの人々に言いますが、これをいうのは主ではなく、私です。信者の男子に信者でない妻があり、その妻がいっしょにいることを承知しているばあいは、離婚してはいけません。
また、信者でない夫を持つ女は、夫がいっしょにいることを承知しているばあいは、離婚してはいけません。なぜなら、信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現に聖いのです。

15節
しかし、もし信者でないほうの者が離れて行くのであれば、離れて行かせなさい。そのようなばあいには、信者である夫あるいは妻は、縛られることはありません。神は、平和を得させようとしてあなたがたを召されたのです。

離婚がゆるされていないのは、聖書の教えが基本的にある、クリスチャン同士のことです。

クリスチャンの男性は、妻から右頬を殴られても、左の頬を出すような人であって、決して女性に暴力を振るいません。もし、暴力を振るうのなら、そのひとは、悪魔的な脳のプログラミングが入り込んでいる人であって、神の子孫ではありません。悪魔の子孫であり、蛇の子孫、または、両方のハーフの子孫です。

家族とは、組織の最小単位だとは言いましたが、そもそも、悪を基準にしているひとは、組織さえ入る権利はありません。

悪でさえ、組織を継続させるには、善を利用しなければ、成り立ちません。

そもそも、個がしっかりしていないのに、組織など存在しないのです。

個であり、ひとりのひとが、神様のプログラミング、神様の教えにそった子孫でなければ、当たり前ですが、組織や家族は崩壊します。

会社組織であってもヤクザの組織であっても掃除や秩序を教え込むのはそのためです。

聖書には、人間の種類を大きくわけて2種類あると書かれています。

「神の子孫」と「悪魔の子孫」です。

これは、血による子孫だけのことではありません。情報のことを主に言っているのです。

日本人は、日本語でどうしても、ものごとを考えてしまうように、日本人とは、日本語を使えるもののことです。

音楽でも、先生の弟子として、勉強し、師匠の基礎、プログラミングを学ぶことで、その師匠の子になり、弟子になるのです。家族になるのですね。

このように、情報によって子孫がまた分かれていくのです。

アダムとエバは、神様と神様の作られた世界しか、情報を得られなかったのですから、善のプログラミングしか、なかったのです。

その後、蛇という悪魔によって悪のプログラミングがされたのですが、それでも、アダムとエバは、神様の善のプログラミングのほうが圧倒的に多かったので、離婚など考える余地もなかったでしょう。あとは、自分たちのこどもだけだったこともあります。

このように、根本的に、脳の中に入っているプログラミングが、善であり、神の子孫であることが前提にあって、離婚は禁止されているのであって、はじめから、悪の子孫と結婚したひとたちが、一体となれるわけもないので、離婚に至るのです。

ですが、上でも載せたように、聖書は

信者である神の子孫 と 信者ではない子孫 が結婚したとしたら、離婚もありえるが、信者ではない子孫も完璧な悪ではないので、仏教であろうとイスラームであろうと、違う方面から神の子孫に沿っている人なら、信者である神の子孫も承諾しながら過ごせる可能性があるわけです。

信者である神の子孫が、納得して幸せに暮らせているのなら、離婚するべきではないと書かれているのですね。

そもそも、聖書を知らない人たちは、善悪の価値観が解っていないのです。

会社のためなら、嘘をついて、利益のためなら悪もやもなしとさえ、する人もいます。悪を容認して、悪を正当化する人もいるのです。無神論者であれば、尚更です。仏教や神道、イスラームなど、何かしらの宗教を信じていれば、まだいいですが、それすらない人は、自分が神であり、自分の価値観なので、当たり前ですが、離婚率は高くなります。

100人いれば、100通りの正義になるからです。価値観が一致するわけがありません。

昔は、狭い世界と日本人という価値観で一致していたので、離婚は少なかったのですが、現代は、選択肢が多くあるので、多くなればなるほど、一致せず、離婚が増えていくわけです。

なるべくして、なっているわけですね。

このように、聖書に書かれている離婚とは、クリスチャン同士であり、聖書を信じる者同士が、ささいなことで、離婚することは、憎むべきことだとされているのであって、最初からその基準にはずれている夫婦が、離婚しないはずもないのです。

聖書を信じている人は、愛を大切にして、相手がどのように変化しても、愛していくのです。相手が歳をとっても、化粧が濃くなっても、匂いが気に入らなくなっても、洗濯物のたたみかたが、上手ではなくても、料理がへたでも、愛していくのです。

正しい基準がある者同士が、些細なこと、感情的なことがらで、離婚することは、子に対しても、社会に対しても、組織に対しても、悪でしかないということです。

また、聖書には、このように書かれているのです。

ネヘミヤ記13章25-27節
「あなたがたの娘を彼らの息子にとつがせてはならない。また、あなたがたの息子、あるいは、あなたがた自身が、彼らの娘をめとってはならない。イスラエルの王ソロモンは、このことによって罪を犯したではないか。多くの国々のうちで彼のような王はいなかった。彼は神に愛され、神は彼をイスラエル全土を治める王としたのに、外国の女たちが彼に罪を犯させてしまった。だから、あなたがた外国の女をめとって、私たちの神に対して不信の罪を犯し、このような大きな悪を行っていることを聞き流しにできようか。」

クリスチャンではないものは、そもそも、悪の子孫がまじっているのであって、それを悪だと認識することさえ、できません。ソロモンは、とても頭の良い人で、何事も学問として、知識を深め、多文化であり、他民族の妻も心から愛して、優しくしていったことが、彼の脳を曇らせていったのです。

ソロモンは、悪魔学に入り込んでいき、神様が忌み嫌うことを晩成にしてしまったのです。

例えば、悪魔の子孫のプログラミングに脳が染まっていると、SMという愛するひとを傷つけることが愛だと思い込んいたりするのです。ギャンブル依存症だったり、恋愛中毒であったり、アルコール依存症など、犯罪的な思想を持っていたりするのです。そういった人と結婚し、体をともにすると、いくら神の子孫でも、染まっていきます。

このように、脳の中に入り込んでいるプログラミングによっての子孫を結婚相手にするのは、結婚以前の問題であって、それを理解せずに、何も考えずに、結婚すれば、当たり前に不幸におちいり、離婚に至るわけですね。

もちろん、クリスチャンであっても、聖書を信じず、進化論という宗教も信じているハーフの人間もいます。現代宗教、学校宗教団体のプログラミングを信じ込んでいる自称クリスチャンという人が、教会の中にいることもいなめません。こういったクリスチャンは、神の子孫と悪魔の子孫、両方のプログラミングが脳に入り込んだ、ハーフだと思って考えましょう。

まずは、愛とは何のか、神を愛するとは、何のか、結婚以前の基本的なプログラミングがない人は、離婚するのは当然といえば、当然なのですね。ですから、まずは、聖書の教えを脳にプログラミングしていくことが大切なのです。

真実の愛、本当の愛とはなんなのか>>

神を愛するとは>>

隣人とは誰の事か>>

離婚したひとたちは、自力で、悪魔の子孫ではない人を探し続けているだけのことであって、すでに離婚している人が悪いという以前に、はじめから、学校宗教団体やテレビやマスメディアに脳が汚染されている者同士が、うまくいくはずもないのです。クリスチャンであっても、相手がクリスチャンでない人と離婚したからといって悲しみに暮れる必要もありません。もともと、相手は、悪魔の子孫であり、脳が悪魔的なプログラミングで生きているのであれば、離婚は決して悪い選択ではありません。

神の子孫同士で、結婚することを目指しましょう。または、神の子孫に近い価値観の人と結婚するべきです。離婚したひとたちは、離婚が悪い悪くない以前の問題だったというわけですね。

もともと、ひとつではないものが別れるのは当然で、はじめから罪人同士がひとつになるのは、難しいわけです。ひとつになっているにも関わらず、離婚しようとするのは、罪だということです。

神の子孫同士であるにも関わらず、離婚するというのであれば、それはいけません。それは憎むべき行為にあたるからです。善を善だと理解している人であっても、納得できず離婚するのなら、次の人ともうまくいくわけがありません。忍耐を持って、自分の感情を制御し、子や社会のために、結婚生活をするべきです。

もちろん、相手が亡くなったのなら、相手の律法はなくなるので、次の伴侶を探すことはいいことです。それは社会や組織を再度、構築させることで、子のためにも良いことだからです。

 

また、ノンクリスチャンの伴侶と結婚している人は、そのノンクリスチャンから悪の子孫へと影響されますが、逆に、クリスチャンである方が、ノンクリスチャンに神の子孫へと影響させていくのです。ノンクリスチャンだった人が、クリスチャンと結婚することで、クリスチャンに近づくということです。

神の子孫に近いひとたちは、離婚はしません。家族を大切にするべきだということを理解しているからですね。なるべく、どんなカップルも離婚をするべきではありませんが、すでに悪魔の子孫に満ちている相手、DVなどをしたりする相手、ギャンブル依存症など依存症になっている相手なら、子のためにも、離れることは間違いではありません。悪魔の子孫は、家族や組織以前の問題だからです。

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