世界の法則

自然界の残酷な現実は、なぜあるのか

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わたしたちの世界には、悪が存在しています。

それを否定する人はいないでしょう。

善悪という言葉が存在していて、善悪という言葉の意味が解るのなら、善悪は存在している証拠です。

 

猟奇的な犯罪者にとって悪が善であると思い込む人がいますが、それも善に対して、真逆の悪をするという背徳感によって、脳内麻薬が分泌して、気持ちよくなっているのです。悪をすることで気持ちよくなるということは、善を理解し、悪も理解しているということなので、やはりこれも、善悪がある証拠になります。

 

人間社会の中に存在する悪を聖書は、アダムとエバの時代の善悪の木の実で説明しています。

 

進化論とは違い、聖書の語るものは、現実と一致していることは、何度も話している通りですが、人間以外の植物や動物にも、残虐的なものが存在しているのは、なぜでしょうか。

 

全知全能の神様が善であり続けるのなら、人間に悪があることは自由意志を尊重する上で、理解はできても、自然界に悪のようにみえる残虐性があるのは、なぜなのでしょう。

 

カマキリの雌は、生殖交配をしている時、雄の頭を食べてしまう例があります。

 

また、なぜ、毒キノコなどが存在しているのでしょうか。

 

その他にも、現代人の善悪に照らし合わせると、残虐な自然界の現実があることは、神様はいないかのように思えてしまう人がいるかもしれません。

 

聖書は、どうして、自然界に残虐的なものが存在しているのか、書かれているのでしょうか。

 

みていきましょう。

1、近づきすぎると、全体がみえなくなる

まず、カマキリや毒キノコなど、人間の目からしたら、悪であるようなものだけを焦点にみれば、悪だけしかみえなくなるのは、当たり前です。

例えば、サングラスをかければ、どんな人も、世界は暗く見えます。

ですが、サングラスをテーブルに置いて、2mでも離れたら、世界は、当たり前のように明るくなります。

ましてや、神様を理解しようとするのなら、100m200mと離れて、全体を見渡した目線が必要です。

それだけ離れたら、サングラスは、点にしまみえません。

サングラスを残虐な悪の部分だとすれば、その他の多くは光か輝く、善が広がっているのが、現実なのです。

もし、神様がいなかったとしましょう。

神様がいなければ、基準など存在しません。自然界も、生き物が生きれるものではなく、残酷なまでに、生物が生き残る環境ではなくなります。

宇宙をみれば、それは明らかです。地球環境という奇跡的な環境にいるから、当たり前のように思っていますが、宇宙は、生物が生き残れる環境ではないのです。

かりに、偶然が偶然を呼び、地球が偶然誕生したとしても、カマキリだけではありません。そのほとんどが、無秩序に存在しているはずです。

全知全能の神が確実にいるという証拠>>

世界は、弱肉強食だと言っているひとは、現実をみていないということです。

1部だけが弱肉強食の事実があるとしても、全体からみれば、草食動物のほうが圧倒的に多く存在しているのに、それでも、悪が正しいと考えてしまうなら、脳が汚染されているのです。

悪魔は、悪です。

悪魔は悪であり、悪魔だけに解決策をみいだそうとしても、当たり前ですが、悪になるに決まっています。そこに、天使や神様など、光の存在を入れずに、悪魔だけをみれば、悪になるのは、当然なのですね。

神様は世界をすべて良いもので作られました。ですが、そのすべての善に比べて、ほとんど存在しないような悪を行う蛇だけ、点ですらない蛇だけを許可されました。しかも、蛇は1つも嘘を付けないようにされていたのです。

圧倒的に善であふれた世界であるにも関わらず、人間は蛇の言葉を選んでしまったのです。

その無にひとしい悪があったからといって、神様が悪だとは言えないということです。

蛇がいったように、神様のように目が開かれ、善悪を知り、自由意志を手に入れた瞬間でもあったからです。善悪を知ること自体は、悪ではなく、悪を選ぶことが悪だったのですね。

現実をきちんと把握すれば、残虐な自然界の現実は、圧倒的に少ないのです。

現代でも、草食動物は8割で、肉食動物は1割をきっています。

発掘された恐竜の化石からみると、恐竜の95%は、草食動物だということは、解っています。

たった5%の肉食系らしき恐竜がいたとして、残りの95%を無視して、弱肉強食だったなどというのは、嘘であり、詐欺なのですね。

普通は、多くの事例があるほうが、基準とされるべきなので、残虐なものは、確かに存在はしていますが、特例だとさえ言えるほどなのです。

カマキリの雌が雄の頭を食べることが、1つの悪だと仮定したとしましょう。では、その他のカマキリの悪とはなんでしょうか?

飛ぶことができることは、悪でしょうか。子孫を残せることは悪でしょうか。生きていることは悪でしょうか。息をできることは、悪でしょうか。

カマキリの1部分だけの悪をみて、その他の善にみえることを無視すれば、カマキリは、悪い例だと言えてしまいますが、カマキリ全体をみれば、カマキリは、決して悪だけのものではないのですね。

わたしはこどもの頃、カマキリが好きで、唯一触れる虫といえば、カマキリだったほどです。カマキリは悪いだけではないのですね。

 

毒キノコにしても、フグにしても、同じです。

人は完璧ではありません。かならずどこか悪があります。ですが、その1つ2つの悪をみたからといって、その人のすべてが悪だと考えるのは、いきすぎです。

どんな悪人であっても、善を利用しなければ、生きていけません。それがこの世界のルールだからです。善は善だけで生きることはできても、悪は、善を利用しなければ、いきれないようになっているので、すべて悪のまま存在している人間など存在しないのですね。

ものごとは、近づけば、そのものをハッキリとみえるようになりますが、近づきすぎると他がみえなくなるのです。世界そのものである神様が、存在しないとか、悪だとかいうひとは、悪を近くでみすぎて、その他の多くの現実をみていないということなのですね。

では、特例であり、全体からみて、一部だけですが、残虐的であり、呪われているかのようにみえるものが、自然界に存在しているのは、なぜでしょうか。

聖書をみていきましょう。

2、呪われた存在へと変わっていった、1部の自然界

創世記1章31節

そのようにして神はお造りになったすべてをご覧になった。見よ。それは非常によかった。

神様が世界を6日間で創られた時の世界は、神様からみても、とても良いものだったと聖書には書かれています。

悪も存在せず、人間は、善のプログラミングしかイエス様から与えられていないので、悪が存在しない、まるで天国のような世界だったのです。

その後、自然界に、なぜ悪のようにみえるものが存在しているのかは、聖書には、このように書かれています。

創世記3章14節ー
神であるある主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

これは、蛇であり、悪魔が人間に悪の選択させた話の後に、神様によって預言された言葉です。

悪魔はもちろん、呪われた存在ですが、家畜や野の獣の中にも、呪われたような存在が現れるのです。

これは、動物だけではありません。植物にも影響が出ていくことが書かれているのです。

創世記3章17・18節

また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。」

神様が造られた天国のような完璧な世界に、悪が入り込んで、悪である蛇と人間が悪をしてしまったゆえに、呪われた動物や呪われた土地や植物が、生まれるようになってしまったと書かれているのです。

では、なぜ、神様は、そのような未来に起こる自然界の呪われた現象をそのまま、放置しておかれるのでしょうか。

3、人が滅びないために、試練を残された

人間が滅びないためには、人間に対して、悪を悪だと認識できるための神様からの試練を与える必要があったのです。

その他、いばらやあざみなど、人間の罪によって土地が荒れ、人は働かなければ、生きていけない環境に、徐々にされていきました。
人が罪を犯す前から、神様は人に畑造りの方法や、動物がその畑のものを食べないように守らせる方法を教えられ、人に働く喜びを与えました。罪を犯す前までは、仕事は、生きる上での喜びであり、生き甲斐になりえるものだったのです。しなければならないものではなく、したいからしていたことだったのです。

なぜなら、畑を作らなくても、エデンの園にはたくさんの果実や食料が自然に存在してたからです。

ですが、罪を犯してからは、仕事の中に、「しなければならない。」という足かせがつけられたのです。

土地は、呪われ、人が食べるものは、人によって管理されなければ、手に入らないものへと変わっていったのです。

エデンから追放され、多くの子孫が増えていき、人間の悪が増大するにつれて、世界もその悪のために、土地や生き物たちが、呪われていったのですね。

ですが、イエスキリストが女の子孫として、生まれ、悪魔の頭を踏み砕き、悪魔は、十字架刑の時に、イエス様のかかとに釘を打ってかみついたことで、救世主伝説の預言は成就され、人は、徐々に、悪に対する世の中の枷からはずされていくことになるのです。

女性は、男に支配される試練が、今では女性にも権利が与えられ、イエスキリストによって、解放されたように、男性も、すこしずつ奴隷から解放されつつあるのです。

創世記3章16節

女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのみごもりの苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」

もし、神様が、悪を知った人間や悪に対して、何も試練を与えず、悪をしても、栄えるようにしてしまえば、人間によって悪が増大し、世界は、悪だけに染まっていき、まるで地獄へと変わってしまうからですね。

ですから、神様は、悪を知ったアダムとエバを二人のため、人間のために、追放するという試練を与え、多くの試練を与えて、悪に対する抵抗力、生きる力を与えてくださったのですね。

人は、悲しみや苦しみが多いほど、幸せになれる作りになっているのがその証拠なのです。

悲しみや苦しみは、宝物>>

この世界には、必ず悪があります。悪があるのに、悪がないように善だけを教えるのは、とても危険です。神様は、人間に、多くの恵と祝福を与え、多くの恵まれた環境の中で、人間を守られていますが、一部、悪だと言える自然界のものを残されることによって、悪があることを注意させ、悪に騙されない、平和ボケしないように、示されているわけですね。

ひとは、平和が当たり前だと思うと、悪に対して無防備になります。そうすると、悪はそれをよいことに、善人から資産を奪い、悪に利用しはじめてしまうのです。

騙す方は、もちろん、悪いですが、騙される方も悪いといわれるのは、この世界には、悪があるのに、悪がないように思い込むからなのですね。

だからこそ、人間がした悪の量に対して、土地や動物が呪われていくという試練を与えられたのです。

神様が作られた天国のような世界では、試練は必要ありませんでしたが、人間が悪を選んだその時点で、試練は人間のために、必要になったというわけです。

ですが、神様は、試練や苦しみ、悲しみだけではなく、それらの試練からの解放という希望も与えられたのです。

それがイエスキリストであり、救世主なのですね。

4、呪いからの解放

イエス様は、十字架刑の時、いばらの冠をかぶせられ、頭から血を流されましたが、その血の贖いによって、すこしづつ世は、解放されはじめているのです。

それは人の罪とともに、悪へと世が走ったのとは逆に、人の罪による解放、ゆるしや愛によって、憲法や自由経済、人権などを経て、エデンへと戻っていくわけです。

悪に対して、悪をして復讐をすることは、新たな悪を産むことになるだけで、イエス様の後の世界からは、ゆるしや愛によって、本質的な悪に打ち勝ち、まるで天国のような世界であってエデンを復活させる、神の1000年王国へと向かっているようにもみえるのです。

復讐は正しいのか>>

エデンから追放されてから、人の歴史には、奴隷はつきものでした。罪をおかしたものは、奴隷として働かされ、勝利国の生産者として、利用されてきました。

これは、現代人でも同じです。

現代人は、奴隷は悪いものだというイメージが強いかもしれませんが、当時の奴隷とは、現代人とやっていることは同じなのです。一部の人間だけが、優遇を得て、その他大勢が、十何時間も働かされ、奴隷にされています。ですが、その奴隷であっても総理大臣や大統領になる権利は、与えられているのは、変わらないのです。

奴隷に奴隷だと認識させることは、得策ではありません。奴隷になっても、奴隷にある程度の人権を与えることで、奴隷の立場を「まだまし」だと錯覚させるのです。

そして、奴隷に人権がない振る舞いをした支配者たちは、常に滅んでいきました。奴隷が納得できず、反乱するからです。

ですから、奴隷にはある程度の人権を与えるのは、当たり前だったのですね。

むしろ、現代人のほうが、人権がなく、奴隷として働かされています。奴隷だと解っていた昔では、奴隷の認識がありますが、現代人は、奴隷と同じことをしていても、奴隷だと認識していないだけ、タチが悪いシステムの世界になっているのです。

ですが、これも、未来では、徐々に解消されていくことでしょう。

なぜなら、人は、工夫をする能力を神様から与えられ、それを人間にしぼっていたから、格差が当然のように生まれ、奴隷のような多くの人と一部の支配層にわけられたのですが、技術や科学が発展することで、人ではなく、ロボットや機械が人間のように、仕事をこなすようになりつつあるからです。

機械やロボットは、霊がなく、プログラミングによってただ動いているだけであり、耐久の欠損はあっても、疲れは知りません。将来は、このロボットが人間のための奴隷になることでしょう。

悪だとされているものは、イエス様の十字架刑から徐々に否定され、人には人権があることを決定づける憲法まで、人は辿り着いたのです。

まだまだ、不完全で、多くの悪がありますが、それらはまだ情報不足で気づいていないだけで、悪だと認識されれば、されるほど、それらは改善されていきます。

未来では、とても明るい社会がまっているとわたしは考えています。

もちろん、まるで天国であり、エデンのような世界になるまでは、ものすごい残酷な出来事や苦しみや悲しみの試練が現れることでしょう。

なぜなら、現代人は、本当に心の底から、進化論という悪魔宗教を信じたり、自分たちは奴隷ではないと思っていたり、脳がことごとく汚染されているので、その脳が間違いだと気づかせるためには、かなりの試練が必要だからですね。

進化論の正体>>

洗脳の真実>>

本当のイスラエル人であり、ユダヤ人である日本人は、今は日本列島で、暮らしていますが、放射能汚染や戦争などによって、日本列島から離れ、また、イスラエルに日本人全員が、帰るという試練もあるかもしれません。

聖書には、そのように預言されているからです。

ですが、希望を持って喜びましょう。歴史をみれば、明らかに、過去よりも現在のほうが悪に打ち勝っているように、現在よりも、未来は、さらに悪に打ち勝っていると考えられるからです。

1部の試練や悲しみや苦しみを味わっても、全体をみわたせば、祝福で満ちているので、喜びましょう。

5、人間は、動物や植物よりも能力がある

聖書に書かれているように、現実は、人間がこの地球を支配しています。

人間以上に地球を支配している存在はいません。

それは、人間には、あきらかに、他の生き物よりも、能力が高いためです。

人間が悪に脳が汚染されれば、されるほど、人間だけではなく、自然界や動物にまで、悪影響を与えほどです。

逆に、人間が善に脳を洗い流せれば、動物や植物にも、優しい世界へと変えていけるほどの力があるのです。

この世界が天国にあるのか、それとも地獄のようになるのかは、人間に託されているとさえ言えます。

神様は、人間が悪を知る前から、獣を造られていました。

創世記1章24節

ついで神は、「地には、その種類に従って、生き物、家畜や、はうもの、その種類にしたがって野の獣を生ぜよ。」と仰せられた。するとそのようになった。

これらの生き物たちは、呪われる前から、牙があり、爪があるままで造られていたからこそ、獣と呼ばれているわけです。

ですが、それらは肉を食べるためや傷つけるために存在していたわけではありません。

鋭い牙を持った、コウモリは、その牙を果物を指して、栄養を取るのです。

鋭い牙や力を持ったゴリラも、食べているものは、野菜と果物です。

このように、鋭い牙や爪があっても、それらは正しく使われていれば、悪いものではなかったのですが、人間の罪のために、神様は、世界全体に、試練を与えられ、大洪水前の世界と大洪水後の世界の環境を劇的に変えられたことで、現代では、肉食動物が存在していたりするのです。

人は、現代よりも恵まれた世界で、1000歳も生きていられ、食べ物も豊富になったのにも関わらず、世界を闇へと変えてしまいました。

それは、悪をしても、生きれる環境があることは、人を堕落させてしまうことを表しているのですね。

創世記の時代のひとたちは、なぜ長寿なのか>>

人が堕落をすれば、動物や植物にも異常な行動を取り、傷つけ、しつけることで、悪へと変わっていったのです。

現代の地球環境は、実は過酷です。大洪水前よりも、あきらかに試練が多くのしかかっているのです。

ですが、そのため、1500年ほどで滅んだ洪水前の時代よりも、長く存続できているのです。

そして、いつか、洪水前のような環境に、することも可能になる時代が来るかもしれません。

人は、聖書の教えに従えば、天使にもなりますが、悪に従えば、悪魔にもなるほど、能力が高いのですね。

 

いばらとあざみが無くなる世界も来るかもしれないということですね。

まとめ

 

人間は人間の形、カマキリは、カマキリの形で、ほとんど100%の確率で子孫を残し、成長している現実をみれば、この世は、素晴らしいことで満ちていて、ごく一部だけが悪のようにみえているだけなのですね。

外を歩いて、人をみてください。みな、手は2つで、目が2つで、鼻は1つなのです。人間の形は?と聞かれたら、人間の形を言えるほど、綺麗に存在しているのです。

一部の悪だけを理由に、神様を否定したり、悪を肯定するのは、本質をみずに、歪曲させようとする現実を無視した悪の誘惑なのです。

悪が存在する世界に、神様はなんの試練も与えずに、免疫をつけさせず、狼の群れの中には、いれさせません。
きちんと、悪が存在していることも、教えられるのです。

現代人は、イエス様の解放からかなり後の未来を生きていて、平和ボケしてしまっているので、1の悪だけで、何かを否定したがりますが、本当に、過酷な環境、人権のないような時代では、神様や善を欲するようになるのです。

現代人の中で、悪を肯定するような人は、悪に対する認識は、それなりにあっても、善に対する認識が無さすぎで甘いのですね。

現実的に考えて、空気がある惑星など、皆無に等しいのに、この地球には、何千年前から空気は維持され続けているのです。

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