思考の変化

悲しみや苦しみは悪いものではなく、試練は宝物

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悲しい出来事や辛い出来事が好きだというひとは、あまりいません。

それらが嫌いだというひとは、多くいるでしょう。

 

ですが、事実を踏まえれば、嫌な出来事は宝物なのです。

 

 

1、人は、嫌な思い出ほど、鮮明に脳に記憶される

わたしがそう思いたいから嫌な思い出は、宝物だと言っているのではありません。実際に人間は、嫌な思い出ほど鮮明に記憶するようになっているから、宝物だと言っているのです。

どんなひとでも、必ず、嫌な思い出は、存在しているはずです。

はずかしかったこと、悲しかったこと、辛かったこと、失恋や別れなどあると思います。

例えば、学校生活のことを大人になると、ほとんど忘れてしまいます。

ですが、卒業式は、意外と覚えている人は多いのではないでしょうか。

毎月のように全校集会が行われ、校長の長い話を聞いているのに、校長の話はまったく覚えていませんが、卒業式の悲しむ雰囲気は、細かいことまで、風景に描いて、思い出せたりします。

小学校の頃は、大人の事情は無視して、楽しめるものです。沢山の笑えていた出来事があったとは思いますが、そのほとんどは、忘れています。

思い出そうとしても、嫌な思い出よりも、漠然としています。

卒業式だけではなく、みなさんの中で、嫌な思い出というものを思い出してみてください。

そうすると、思い出だけではなく、心臓の鼓動が早まったり、胸が苦しくなったりしないでしょうか。

人の脳は、辛いこと悲しいこと、痛いことなど、嫌な思い出ほど、記憶される作りになっているのですね。

では、なぜ神様は、嫌な思い出ほど、記憶されるように造られたのでしょうか。

2、嫌な思い出が多いほど、新しい嫌な思い出は、そのうちの1つになる

1億円持っているひと と 1万円持っているひと ふたりがいたとします。

ふたりとも、財布の中身は、1万円でした。そして、その財布をスリに取られてしまいました。

1億円持っているひと と 1万円持っているひとは、どちらがショックを受けるでしょうか?

どちらも、ショックだとは思いますが、1万円しか持っていない人にとっての1万円は、かなりのショックなのは、みなさん解ると思います。

1万円札が1万枚あるうちの1枚だけ取られたひとより、1万円札が1枚持っているひとのその1枚を取られるのは、すべてを取られたようなものだからです。

こどもの頃、些細な出来事に、影響されていた考えるひとが多いと思います。

学生時代は、気持ちが必要以上に落ち込んだり、必要以上に喜んだりするものです。

それは、はじめての出来事や数回しか体験したことがないので、本人からすると驚きの出来事だからです。

ですが、大人になって、同じ経験をしても、昔ほど、影響されたり、心が揺さぶられたりはしなくなります。

学生時代の恋愛は、とてもドキドキしたり、ハラハラするものでしたが、大人になると、その頃よりも、ドキドキしたりはしなくなります。

それは、経験が豊になるので、1つの出来事が起こると、その後、どうなるのかすでに体験して、予想できるからですね。

予想できないことについては、ほとんどのひとは、不安に襲われるのではないでしょうか。

脳が平均的な機能を持っているひとなら、予想できない出来事は、ハラハラさせられるものです。

「昔はよかった。」というひとがたまにいますが、それは経験が少ない時は、1つ1つの出来事が新鮮で、楽しめたからだというわけですね。

事実から言えば、それは決して悪いことではなく、経験値が豊富になり、強い人間になった証拠なのですね。

沢山、沢山、嫌な思い出を味わうと、沢山の鮮明に記憶された嫌なことを脳にインプットされるので、新しい嫌な出来事は、その多くの情報の1つにしかすぎなくなってしまうのです。

こどもの頃の1年と大人になってからの1年は、時間が違って感じたりしないでしょうか。

歳を取れば取るほど、何度も1年を体験したひとと、8回しか1年を体験したことがないひとの1年は違うということです。

50分の1年より、8分の1年のほうが、ながーく感じて、50分の1年のひとは、短く感じるわけです。

同じ1日でも、大人の1日とこどもの1日は、違う感覚で感じているはずです。

大人は、こどもの悩みを簡単に、受け流せるのは、それだけ多く数をこなし、経験しているからなのですね。

こどもからすれば、「どうしてこれだけショックなことを簡単にうけとめるの?!」と気分が悪く受け止めてしまうでしょう。

余談ですが、大人の離婚よりも、こどもの離婚にまきこまれたショックは大きいということですね。

ですが、それらは、悪いことではありません。

「若い頃は、苦労は買ってでもしろ!」

という言葉を聞いたことがないでしょうか。

わたしもその言葉に賛成です。

 

神様が、もし、人間の脳を楽しい思い出のほうが鮮明に記憶するように、造られ、嫌な思い出のほうはすぐに忘れるようにされていたら、たぶん今頃、世界は崩壊しています。

せっかく辛くて悲しい出来事を体験できたののに、すぐにそれを忘れてしまえば、人は、新しい嫌な出来後をを恐れます。

いつまでたっても、慣れないからです。

こんなの怖くてしょうがありませんね。

 

どれだけ体を鍛えても、一向に筋肉がつかない体だったらどうしますか?

ものすごい嫌だと思いませんか。

 

そして、楽しいことは忘れてしまうことは、とても良いことです。

なぜなら、楽しい事に慣れず、いつまでも、楽しめるようになるということだからです。

楽しいことは、もう飽きた!!ってなってしまったら、とても悲しいと思いませんか。

 

 

辛いことがありすぎて、寝れないというひとがいますが、これはまた、良い事なのです。

寝ると記憶が整理されて、さらに辛い記憶が鮮明に残ってしまいます。

その人にとって、深刻なほどの記憶であれば、それを少しでも薄めるために、眠らいという体が求めた対処方法なのですね。

 

そして、眠らない間に、また経験が増えて、その辛さは、そのうちの1つへとなっていくのです。

動けば動くほど、逆に楽になるとは、こういうことなのですね。

 

このように神様は、色々な角度から試練という宝物を与えてくださるのですね。

3、神様は色々な形で、人間の枠を超えて試練を与えられる

だらしない親ほど、子はしっかりと育つというものをみたことないでしょうか。

勉強をしっかりとノルマとして与えたり、操作されてきた子ほど、融通がきかなくなる人に育つところをみたことないでしょうか。

神様という大きな枠の中で、人間は生きることは良いのですが、人間という小さな枠の中で、育った子は、さらに小さい人間に育ちます。

サーカスのゾウは、ステージから飛び出しません。

それは、小さい頃から、ステージの中心に刺してある杭から首輪が出ていて、その首輪をつけられて、ステージ以上離れることはできないと思い込んで仕込まれているからです。

いつの時代も、人間は、一部の人間の枠の中に、押し込められ、大きな世界をみる能力が欠如してきたのです。

現代は、お金という偶像が、人間の枠を狭めています。

偶像とは何なのか>>

ひとは、個から家族へと組織が組み立てられ、その家族から集団へと変わり村や町になり、その町々があわさって、国になりました。その国が、また合わさって、帝国や国際連盟になります。

アメリカは、50個の国があわさった、合衆国なわけです。

日本も、藩という国々が、以前は、集まった幕府が、存在していました。

分離されていた個から→集団へと大義名分は、進み、その集団の支配者の都合のいいルールが設けられ、人々は、その枠を脳に埋め込まれていきました。

支配者層以外は、所有物として、利用されるようになりました。

ですが、それから、人々は、聖書から人権があることを教えられ、憲法を手入れます。

支配者層を縛るというルールを手に入れたのです。

それが、憲法です。

支配者層の権力や権利を制限することで、人々は、国から企業へと国の形は、逆に分散していきました。

集団から、多種多様な価値観がもてる、小さな国である企業、会社が、世の中の大義名分になるように分散化されはじめたのです。

その企業によって、また独占するものが生まれ、財閥などが生まれ始めました。

現代は、この財閥が、支配者層になてちる時代なのです。

財閥は、国や政府よりも上で、企業や会社などに扮して、世の中をコントロールしているのです。

ですから、その企業や会社に大義名分を与えるために、「紙幣」という偶像の基準を人々の脳に植え込んで、コントロールしているのです。

会社は、利益がでなければ、お金が入らなければ存続できないようにシステム化されているので、人々は、お金が世界の優先するものだと錯覚しているのですね。

ですが、これらも今、さらに分散化する流れへとシフトされつつあります。

人々は、企業や会社という国から出て、また街や村、または個人へとお金の流れができ始めているからです。

それはなぜかというと、インターネットという個人でも発信できるツールが出回ったからです。

テレビCMや外にいけば大量にある看板などのように、宣伝することが、企業にとって利益になる世の中になり、「無料化」の道を走り始めているからです。

無料で商品をわたしたり、無料でサービスを渡したり、ネットのように無料で情報を流すことによって、あらゆる社会の流れが、多大な情報の渦の中で、シフトされつつあるのです。

会社というものも、未来ではネットの中に存在するだけになるかもしれません。完全にそうなるのは、まだまだ先の未来とは思いますが、今でも、通勤するというエネルギーを使わなくなった会社もあります。

個→家族→村・町→国→帝国へとシフトしていたものが、聖書の教えである憲法を手に入れてからは、帝国→国→企業→村・町→家族→個人へとまた、戻りつつあるのですね。

過去には、技術的に不可能だったものが、可能になっているからです。

昔は、人と人が出会ったり、長い時間かけて、手紙でやり取りするしか情報を伝えられなかったものが、瞬時に情報を流して、やり取りできるようになったからです。電話やネット、テレビや新聞、雑誌などが情報を伝達して、企業や国に利益をもたらすようになったからです。

いまはまだ、企業や会社の支配レベルが高くあるので、お金や利益を大義名分にするひとたちが多いのです。

ですが、本来、人や世界は、そのようなもので縛れるものではありません。企業や会社は、家族を人質にして、お金という給料を大義名分にしてはコントロールさせようとして、社員の人権を無視する犯罪的なものが多いです。

もし、企業からではなく、他のところからも、収入を得られるような社会になったとしたら、その脅しは効かなくなります。

事実を踏まえれば、ゾウがステージから出られないわけがないのです。

人間も事実を踏まえれば、お金という偶像に縛られるわけはないのです。

神様は、クリスチャンであろうと、なかろうと、それぞれに試練を与えて、強く鍛え上げてくださっています。国や人間社会という大きな枠でさえも、試練を通して、道を示してくださったので、今では憲法が存在しているのです。

憲法も人権も、企業も国や個人も、まだまだ不完全で、理想とはかけ離れていますが、間違いなく憲法がなかった時代よりは、近づいています。

人間の脳の造り、人間社会の流れ、これらの事実を踏まえれば、嫌な思い出とは、宝物なのですね。

まだまだ、辿り着く明るい社会になるには、黙示録のような信じられない試練が続くことでしょう。ですが、辿り着く未来は、明るいとわたしは信じています。

全知全能の神様であれば、人間に自由意志を与えたとしても、また、肉や物質がある世界であっても、天国のような世界になるように導いてくださる力があるはずです。

当時の一体だれが、飛行機や車、スマホなどを想像できたでしょうか。今は不可能のように感じていることも、未来では、ロボットや科学が発展し、見えてくる光があるはずです。

それに辿り着くために必要な鍵の1つが、それぞれに与えられた「試練」なのですね。

 
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