思考の変化

神の時間の概念

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大人とこどもがみている世界は、違うことは、大人なら解ると思います。
日本人とアメリカ人のみている世界も、また違っていることも解ると思います。

それぞれ同じ世界をみていることもありますが、違う世界をみているところもあるというわけです。

では、神様と人間の観ている世界は、果たして同じなのでしょうか。

 

人間と蟻は、違うところが多いですが、人間と神様はそれ以上の違いで世界を観ていることでしょう。

 

時間もまた、違う感覚でとらえられていることも、聖書や人間の歴史から観ることができます。

①未来が観える神様
②永遠の神様
③バタフライエフェクト
④修正と導き
⑤過去・現在・未来の同時進行
⑥人間の自由意志の尊重からの決定

1、未来が観える神様

聖書には、預言といわれる未来を言い当てるものがあります。
他の宗教と大きく違う1つは、聖書の中に未来を言い当ててしまう預言があるということです。

予言というとノストラダムスの大予言やマヤ予言など、他にも予言めいたことを語る人もいれば、宗教などもあるのではないかと思われるかもしれませんが、聖書では、「予言」とは書きません。「預言」と書きます。

これは、人間による未来を言い当てる予言ではなく、未来にも存在している神様が、その決定された未来をみて、過去に当たる聖書に書かれていることから、預かる言霊、預言と書かれ、これはすべて的確に成就してしまうというわけです。

とはいえ、聖書を信じるひとたちだから、的確だと錯覚しているのだろう?と言われるのがオチです。

確かに、預言書といわれている黙示録を読んでも、抽象的すぎて、神道やギリシャ神話のように、どう解釈していいのか解りません。その預言に現実で起こった出来事を信者が無理やり当たっていると言われても、否定することはできません。

黙示録以外でも、数多くの預言が書かれ、歴史的に表れ、滅んだ帝国などもダニエル書では、言い当てられています。それでも、聖書を信じていない人にとっては、まだまだ信じられるものだとは言えないでしょう。

しかし、聖書の中でも、これしかない!という預言が存在していることが、預言といわれるゆえんなのですね。

それは、イエスキリストの預言です。

イエスキリストは、突然あの時代に生まれ現れて、キリスト教を興したと思っている未信者の方が多いかもしれませんが、それでは、他の宗教を立ち上げたひとたちと、何も変わりません。

なぜ、イエスキリストが、キリストであり、救世主であると世界中が信じているのでしょうか。

それは、イエス様が生まれる前から存在していた旧約聖書に、すでにイエス様の預言が書かれ、その預言どおりの人生をおくってしまったからなのです。

その奥儀に気づいたのは、イエス様が死んだあとで、弟子たちですら、まったく気づいていなかったのです。

悪魔を信じるか解りませんが、悪魔でさえも、そのことに気づかず、神の子を傷つけ、殺してしまうことこそが、勝利だと思っていたからです。

ですが、それすら、神様のご計画であって、十字架刑で死ぬことこそが、預言の成就だったのですね。

未信者の多くが、弟子たちや悪魔と同じ価値観でみてしまうのです。イエス様を人間だとして理解しようとするので、人間を超えた預言から人生を歩まれたことを知った時、驚愕するのですね。

でも、そのイエスキリストの預言も、どうせ少ししか書かれていなくて、ただの当てつけでしょ?と思うかもしれませんが、そうではありません。

イエスキリストの預言は、旧約聖書に300カ所以上にも渡って書かれており、他の預言の出来事に比べると、明らかに詳細に、的確に当たっているのです。

このことから、聖書の預言は、他の宗教のものとはレベルが違うので、「預言」という漢字が使われるのです。
詳しくは、以前書いた記事をお読みください。
原始キリスト教徒が旧約聖書に手を加えることもできないことも書かれている記事です。

イエスキリストの預言>>
3・11は黙示録に預言されたいたのか>>
これも興味があれば、お読みだください。

 

このように、恐ろしく的確で正確に言い当てる未来の預言があるということは、聖書の神様は、未来がみえているという証拠です。

神様は、未来を観ることができ、人間の時間の概念とは違っていることが解るのですね。

2、永遠の神様

わたしたちがいるということは、親がいて、そのまた親がいるから、わたしたちが存在していることは、みなさん認めてくださることだと思います。
それを突き詰めたら、どうなるでしょうか。
1つの家族になり、その家族は、どこから誕生したのか、ここら辺りで、お手上げになります。

鶏は、卵から生まれ育って、鶏になりますが、その卵は、また鶏から生まれることも知っています。

鶏が先なのでしょうか、または卵が先なのでしょうか。

また、お手上げ状態に陥ります。

キリスト教は、ここを神様が土から造られたと信じるわけですが、進化論では、他の生き物から進化したとか、考えるわけですね。

なにはともあれ、1つの物が存在していることは、他の何かから誕生したと考えられます。

さらに突き詰めれば、結局、1つの何かが、はじめから存在していたから、今があると考えます。

キリスト教なら、神様です。
進化論などでは、エネルギーなどといったりします。

ないものは、本当に「無い」ということなので、「有る」存在を作り出すことはできないからです。「有る」というものから、何か「有る」ものを生み出すことは、できるというわけです。

わたしたち人間は、生まれて、死ぬ存在です。はじめがあり、終わりがある存在なので、限られた時間の制約があるので、思考も限りがあると考えてしまいます。

そうすると、はじめから存在していたという 存在自体が、なかなか想像できません。

ですが、はじめから存在して、永遠に存在する存在からの視線を無理やりみようと思えば、人間の一生という時間は、とても短いということになります。

大人からこどもをみれば、「小さいな」と思うように、または、こどもから大人をみれば、「大きいな」と思うようにです。

人間からみるとセミの1週間は短じかく感じ、セミから人間の人生の長さを認識できたら、たぶん、永遠にすら感じるかもしれません。

わたしたちが存在している以上、何かがはじめから存在していて、そのはじめから存在していたものからすると、時間の概念は、限りなくないもののように感じるだろうということです。

アダムの寿命は930歳でしたが、長いなと思うように、アダムからすれば、120歳は短いわけですね。

聖書が正しいと言えるのは、統計学にしかすぎません。限りなく100%に近い計算になるので、聖書が正しいと言えるというだけです。

なぜなら、「有る」存在から、「有る」存在がただ、存在しているだけではないからです。

もし、進化論のように、「偶然」に「有る」存在から、たまたま「有る」存在が生まれたのなら、なぜ、人間などが存在しえるのでしょうか。もし、進化論が正しいのなら、ほとんどの人間は、人間の形をしていないはずです。奇形のものが大量に存在し、人間のほとんどは、別々の形になてちるはずですが、現実は、人間は、人間の形にほとんど100%存在しているのです。
この世界は、ただ、「有る」だけの世界ではなく、恐ろしく規則正しい法則の上に成り立ている現実があるので、これは人間を超えた全知全能の神という存在がいる証拠になるのですね。

全知全能の神が確実にいる証拠>>

ですから、本物の科学や学問に根付いている人は、神様を否定できないのです。
その神様は、永遠という時間の中で、存在し、永遠という価値観の時間の概念が普通だということですね。
人間の脳は、有限なので、完全には、神様を理解できてしまえば、脳は破裂してしまうでしょう。

3、バタフライエフェクト

バタフライエフェクトとは、現在で起こる小さな現象が、未来に影響してしまうという考え方です。

例えば、教会のメッセージの時間に、集会に集まっているみなさんの前で、テーブルの上に、白色のボールと黒色のボールが置かれているところまで、9歳のA君に来てもらいます。

牧師さんは、A君に言います。
「白色のボールと黒色のボールがありますが、A君は心の中で、白か黒どちらを取るのか、決めたら、手を真上にあげて、教えてください。」

A君は、心の中で決めたので、手を挙げました。

そうすると、牧師さんは
「今、心の中で決めたボールとは違うボールを取ってください。」と言いました。

素直なA君は、黒色のボールを取ったのです。

自分が取ろうとしていたボールとは違うボールをA君が取るという行動が、世界を変えてしまうのです。

なぜ、世界がその行動で変わるのでしょうか。

頭の中で自分が決めたことと違うことをしたA君の行動を集会に集まった信者さんたちが、目の当たりにして、そのメッセージを思いめぐらせながら、帰宅したとしましょう。

何人かは、そういうひとがいるのでしょう。

その何人かは、A君がしたように、自分が選んだ選択しとは、違う選択しを行動したことが、他に影響し、その影響がまた、だれかに影響を与えていくというわけです。
大げさに言えば、A君が黒いボールを取ったことで、世界が天国のように平和になる未来になるかもしれないですし、逆に、その選択が、アメリカ大統領の核爆弾のスイッチを押す結果になるかもしれないわけです。
大げさに言えばです。

小さな出来事が、未来に影響を与えているというわけですね。

蝶々が、羽をばたつかせただけで、世界に影響が出るところから、バタフライエフェクトと言われるのです。
これと聖書が、関係あるのか?と思われるかもしれませんが、大いに関係しているのです。

4、修正と導き

神様は、この世界そのものであり、その世界の一部であるわたしたちも、神様の一部なので、わたしたちが何を考え、何を行動して、何を体験しているのかも、一緒に味わってくださっているのです。

しかも、未来を観ながらです。

わたしたちが、何気なくする選択のバタフライエフェクトが、とんでもない自体になることも、制御されているわけです。
どのように制御されるかというと、「導き」によって制御されることが大半です。

神様は、6日間で、世界を造られ、ありとあらゆる法則、原理原則を設定された後、休まれました。その法則が、人間を導いているのです。
例えば、ものすごく悪い王様が、すべての国滅民をぼそうと計画を建てて、残酷なことをしはじめると、国民は、王様に信頼をなくし、反乱を企てるのです。

中国戦国春秋時代に、韓非子という兵法の天才がいました。彼は、法律が強ければ強いほど、その国は、強靭になり、長く存続すると説きました。

それを信じた秦の始皇帝は、法律を強めたのですが、始皇帝の死後、一代も続くことなく、秦の国は亡びたのです。

韓非子がいった法の強さとは、ひとりひとりの中に、法律が存在していることであって、秦の始皇帝のように、国が無理やり人に法律を押し付けるものではなかったのですね。

解りやすくいえば、日本人です。日本人は、嘘をつくと心が痛くなります。嘘は悪だと信じているからです。

ですが、中国や朝鮮では、嘘は正義なのです。詐欺や嘘でひとを騙すことは、正義であり、家族以外を騙すことは賢いことで、騙されることはものすごく否定するのです。

こういった犯罪心理の中で生きてきたひとたちに、厳しい法律を強いることははじめは大切ですが、それは表面上のことであって、日本人のように、ひとりひとりの中に道徳をもって治することができなければ、その国は弱いのです。なぜなら、法律が適応されないところでは、無力になるからです。策略や謀略、反乱は絶えなくなるのです。

始皇帝の死後、法律を作るはずの趙 高や李斯らが、裏で法律を破り、始皇帝の指名した扶蘇という息子を差し置いたばかりか、自害するように仕向けたのです。

他人に厳しく、自分に甘い秦をゆるせなくなるのは、当たり前ですね。

そういうのをご都合主義というのです。心の中に、律法がないひとは、形だけの律法を利用して、滅びるのです。

IQ(知能指数)が高くてもEQ(感情指数)が低いひとは、高くあげられません。むしろ、IQが低くても、EQが高く、誰よりも低いひとは高くあげられるのです。

帝国や国が、亡びるのは、支配者層が、国民の支持を失った時です。

このように、神様は、すでに造られた法則によって、人間が幸せになれるように、導いてくださっているのです。

どんな悪い組織でも、善を利用しなければ、滅びるようになっているのです。
その法則のために、人々の選ぶ選択には、ある程度、限定され、また、人間が意識していない選択からもたらされる悲惨な結果は、その他のルールに従うひとたちの選択によって、打ち消されているわけです。
ですから、聖書には、律法という基準を大切にするように教えているのです。
そして、その律法を破る民族に対して、とても怒られます。

聖書は、まさにそれを何度も何度も、繰り返して忠告されています。

聖書には、神の子孫である価値観が書かれています。神の子孫の基準があるのですね。
その基準を破ると、世界が滅ぶということで、かなり厳しい言葉や指示を神様が人間に与えたりもしているのです。

偶像思想を否定するのも、存在しないものを信じる人間が増えれば、増えるほど、世界は混乱し、何の基準もなくなるからです。
車を運転するのに、どちらもアクセルだったら、恐ろしすぎます。自分だけではなく、他人の命まで奪くことにもなります。
現実を無視した思想ほど、恐ろしいものはなく、これこそ本物の悪だと言えるのですね。

神様は、ご自身が世界なので、それが現実です。存在しえる現象や存在しているものが、神様なのです。偶像の真逆の存在なのですね。

その神様という世界を無視して、存在しないものをあたかも存在しているかのように、思うことこそ、悪なのです。現実の否定だからです。

ですから、偶像崇拝する人たちに、歴史は冷たくのしかかりました。

偶像とは何なのか>>

偶像禁止だけではなく、呪文禁止や殺しを禁止することなどを律法には、多く書かれているのです。

これらの律法、法律によって、悲惨なバタフライエフェクトの結果を抑えているわけですね。

ですが、それでも、漏れてしまうものには、神様は修正をされます。
神様の善悪は、人間の善悪ではありません。
神様の善悪は、事実であることです。

しかも、人間とは違って、未来の事実も含めていることです。

この世界には、アダムから悪が入り込んでしまいました。悪が複雑に存在するようになり、善悪が、単純ではなくなったのです。

ですから、悪人が悪をしたからといって、未来が悪になるとは言えないのです。
逆に、善人が善をしたからといって、未来が善になるとは言えないのですね。

悪魔宗教は、アイディアを盗んでは、それを真逆にして、裏返すようにする思想を世界中に広げたからです。

世界の闇のルーツ、カナンの教え>>

世界の悪魔宗教のパターン>>

それぞれの選択やさまざまな未来への接点が、未来では善になるように、修正をされるのです。

例えば、ソドムとゴモラを滅ぼすとした時、アブラハムは、何度も何度も、神様に、善人がいたらと、言葉をはさみます。そのたびに、神様は、50人いたら、滅ぼさない、5人いたら滅ぼさないと選択の幅の中で、アブラハムに返答されるのです。

ですが、神様は、ソドムとゴモラを滅ぼされました。

また逆に、神様の神の子孫として、生きた人であっても、短命の人生を与えられたこともあるのです。彼は、とても悲しく思い、まだ少しだけ生かしてくださいと祈ると15年生きれるように、神様は返答を返してくださったのです。

未来のみえない人間からみると、理解できないことが多くありますが、そのすべてを神様はご存知です。わたしたち以上に、わたしたちを理解してくださっているのですね。

現在、悪があり、悪の組織も存在していますが、またそれが絶妙なバランスで、世界は、まわっているのです。

悪も、歴史を学び、表向き悪をすることをしなくなったのです。
表向きは、人道的であったり、人権を守ったり、法律を守る振りをして、裏で悪をするようになっているので、表では善が圧倒的に広がっているのです。

5、過去・現在・未来の同時進行

神様は、過去・現在・未来に、同時に存在されていることになります。
人間は、過去の脳と未来の脳は、つながっていないので、現在は、現在の脳の中にある情報をもとに、行動を選択するしかありません。
しかし、神様は、1の出来事が起こると、未来の形が変わるので、過去によって、修正と導きをされるわけですね。

わたしたち人間は、過去と未来を認識することはできませんが、神様は、過去・現在・未来と同時進行に、脳のような意識が繋がっているだろうということです。

シグナルという海外ドラマがあるのですが、主人公の女性警官が、無線機で話しかけたのが、20年前亡くなったはずの父親だったという内容です。
無線機だけが、過去と20年後を繋いでいるという話です。

彼女からすれば、20年間の未来をその父親よりも、知っていて、善をするために、ふたりは奮闘するのですが、もちろん、彼女の現実から先は、主人公の彼女は知らないので、正しい行動をしたつもりでも、結果は、最悪になってしまったりするわけです。

これを神様は、永遠で存在されていて、すべての世界であるので、バタフライエフェクトまで、計算できるというわけです。

現実の世界をみても、ありえないほどの綺麗な世界が、存続できている事実は、それほどの力がなければ、存在しえないと認めざるおえません。

これは素晴らしいことでもありますが、逆に恐ろしいことでもあると思うのです。
なぜなら、過去・現在・未来で、同時進行に存在されているということは、いつまでも、神様は、十字架刑を受けつづけてくださっているということです。

何回、十字架刑につけられている認識なのかということです。

未来の情報を基に、過去に伝えるということは、伝える前の未来から伝えたあとの未来へと変わるということです。

Aの未来から、Bの未来に変わる。

Aの未来でも、十字架刑があり、それがBへと変わる十字架刑になると神様はAB、2度の十字架刑の記憶があるということです。

2000年前に人間の認識する時間帯が過ぎ去るまでは、十字架刑を何度か味合われているかもしれません。

聖書は、ヨハネの黙示録で神様の言葉は終わるわけですから、人間の認識できる現在を0とすると、1900年頃前からは、神様は過去に手を出される理由もなくなっているので、今では、過去は止まっている状態だと思われます。動かす必要がないという意味の止まっているということです。

 

6、人間の自由意志の尊重からの決定

4でも、話した通り、神様は、人間の自由意志を限りなく尊重されます。アブラハムやその他の神様と話したひとたちだけではなく、わたしたち人間も、脳にすでにインプットされている情報だったとしても、小さな選択は、自分の意思であり、霊が選択しています。

イエス様が十字架刑によりわたしを救ってくださったと認めるにも、それぞれの選択です。

神様が一方的に与えた恵を蹴るのか、蹴らないのかは、その人の選択によるものなのですね。
そして、神様は、みなさんがする選択の未来の結果をご存知なのです。

このように、ひとりひとりの小さな選択や救いの選択は、その人の意思によるものです。それに至るまでに神様は、何度も、何度も、あなたに神の臨在を示してくださっているから、生きているのです。
ですが、人が集団となる組織や国、民族まで、広がる悪の選択は神様はゆるされません。

組織では、バタフライエフェクトのような小さな波紋では、なくなるからです。

その他、性的なことにしても、聖書はかなり厳しく、教えています。
それは、人間にとって大きく影響されることだからですね。

洗脳の真実>>

神様は、人間とは異質の時間の概念を持ちながらも、人間の自由意志を極限まで、尊重されています。
悪質な性的なことを禁止する教えがあることは、悪質な性的なことがこの世界では、実行可能だから、いけないと言われているのです。
人間にできないことを神様は禁止されたりはしません。

「殺してはいけない」という教えがあるということは、この世界では、「殺せる」ということなのですね。

なぜ、神様はモーセの時代まで律法を与えられなかったのか>>

 

この世界は、わたしたち中心には動いていません。人間の脳は、もうひとつの宇宙というほど、色々な想像をめぐらせることができ、さまざまな自分本位のイメージを膨らませるだけに、現実と想像が一致しないストレスから、この世を否定したいという想いにかられます。

夢の挫折、希望の崩壊、失恋、離婚、家族の喪失、事故、事件、様々な困難にあいながら、ひとは生きています。ひとりひとり、必ず、苦しみや悲しみが存在し、心に傷を持っています。その心の傷は、誰一人、理解できません。

家族であっても脳は、離れているからです。

その孤独な事実から、ひとは、恐れや恐怖と戦い続けるように生きていますが、本当はひとりではなかったのです。

あの辛さも、あの悲しさも、わたしたち以上に感じて、理解し、共有してくれていたのは、すべての時間と場所に存在される神様だったのです。

わたしたちの選択による悲しみも喜びも、すべて神様は、一緒に辿ってくださっていたのです。

決して、孤独ではなく、未来を預言することのできる神様は、あなたのあの時もいてくださったのです。

 

そして、すべてを受け止め、時間の連鎖の中、わたしたちの身代わりになって、十字架刑にかけられ続けているのですね。神様は過去にも存在されているからです。

わたしたちは、それに感謝を永遠にしていくことでしょう。

まとめ

今回、結局、何が言いたかったのかというと、神様の時間の概念は、人間のそれとは大きく乖離していて、偉大だということです。

創造主・聖霊様・イエス様と時代がバラバラなのに、なぜ一体なのかということも、神様からすれば、過去・現在・未来は1つだからなのですね。

ですが、それらがすこし垣間見えたところで、たかが人間には、未来の何が解るというものでもないということです。

神様だけではなく、人間の自由意志さえも、含んでいる事柄だからです。

また結局ということばを使いますが、結局、善に従って生きるしかないということです。

多くの小さな善のバタフライエフェクトが、多くの悪のバタフライエフェクトを打ち消すための基準(律法)が善であるのなら、自分の首をしめたくないのであれば、普通に、正しい行いをしていくしかありません。

未来では、限りなく悪が無くなった世界がまた現れるのなら、善をしても悪になる未来さえも、無くなり、善は善でしか存在しなくなるわけです。

現代は、善悪が入り乱れて存在しているので、善をしても、相手は悪だと認識してしまうほど、現代人の脳は汚染されているのです。

善をしたのに、悪になったという悔しさを味わうことも少なくなるでしょう。人間の中に悪を肯定する脳の汚染が広まっていることが、自分たちを不幸にしているのですね。

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