世界の法則

試練がある理由を聖書はどう教えているのか

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どうして、悲しい出来事があるのでしょうか。

どうして、辛い出来事、苦しい出来事があるのでしょうか。

なぜ、試練はあるのでしょうか。

イエス様を信じていない人だけではありません。イエス様を信じている人にも、これらは与えられるのです。

その理由は

①この世界には、必ず悪がある。それらの多くは人間によって生み出される

②神様は、未来を見通し、与えられるべき試練を与えられる

③この世界は、人間中心ではなく、神様中心に回っている

④すでに与えられているのに、さらに与える理由はほとんどない

では、みていきましょう。

1、この世界には、必ず悪がある。それらの多くは人間によって生み出される

この世界には、必ず善がありますが、必ず悪も存在しています。

悪をすると、懲らしめられるという法則がなければ、悪は悪のまま存続し、今以上の悲惨な世界に変わってしまいます。

この世界には明らかに神様がいると言えるひとつは、悪は悪だけでは生きていけないという法則が存在していることです。善は善だけでも生きていけますが、どのような悪の組織であっても必ず善を利用しなければ、崩壊してしまうように、この世界は造られていることです。

聖書の教える善悪とは、人間の善悪のことではありません。

この世界そのものである神様、世界の法則である神様という「事実」が善であって、それを否定し、歪曲させる存在・思想などが悪だとしているのです。

人がどう考えても、どう思っても、この事実は変わりません。もし、これを無理やり人間が変えようとすれば、その法則は崩れ去って、それは自分たちに災いが降りかかるようになるのですね。人間は、どれだけ努力しても、「自分の目」で自分の背中をみることもできないからです。

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空気がなければ、人間は生きていけません。地球環境がなければ、存続することもできないのです。これこそが神様の愛であり、正義なのです。存在そのものが正義なのですね。

わたしたちは、この一次的な愛や正義がなければ、二次的な人間の愛や正義は、成り立たないのです。

にも拘わらず、この世界には、悪という非現実的なものが、いまだに存在しているのです。

それは初めは悪魔から誘導されたものですが、唯一知能を持った生き物の人間が形にしては、悪を人間社会に多く、増殖させていったのです。

聖書に書かれているように、この世界は、人間が支配しています。人間以上に、世界を支配している生き物はいません。

この事実を否定するひとは、少ないでしょう。

どこを歩いても、人間ばかりが存在し、日本では、犬・猫さえ少ないのです。

そして、その人間は知能があるだけに、動物や自然界に与える影響力は、比ではありません。

人間が事実を無視して、悪をすればするほど、世界に及ぼす悪影響は、広がっていきます。

そこに試練がなければ、尚更です。

悪に対しての戒めがなければ、人は悪を広げていってしまうのですね。

今でも、奇跡のように恵まれた環境の中で人間は生きていますが、エデンの園の時代は、食に対する心配さえ、存在しませんでした。今のように食を作り出さなければいけない環境ではなかったのです。その環境であれば、※善でしか存在しない人間社会の未来も可能だったかもしれません。動物は知能がないので、人間に影響されなければ、神様の事実という正義には逆らえないからです。

※(私的には、知能がある以上、いつかは悪を発明していた可能性があるとは思うので、あえて神様は蛇に入り込んだ悪魔を人間の救いのために許可されたのではないかと思います。神様は、人間に悪が入り込む前から畑造りと管理をすること、動物に名前をつける発明を与えられているからです。天使から悪魔へとなった悪魔は悪そのものであり、救いの対象ではありません。天使や悪魔は人間以上の能力を持ちながらも、人間のために許可されている。動物や植物、万物は人間のために造られたように、天使もまた人間のための物だということです。もちろん、それらをないがしろにすれば、それは人間に跳ねかえって来ます。)

ですが、人間は、ほとんど100%天国のような世界環境の中のほとんど0ともいえる蛇の声を選んでしまったのです。

そのため、神様は人間にいくつかの試練を預言されました。

人間のために、動物や植物にも、呪われたものが発生するようになり、男は仕事にしばられ、女は男に支配され、産みの苦しみを与えられたわけです。

創世記3章14節ー
神であるある主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

創世記3章16節

女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのみごもりの苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」

創世記3章17・18節

また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。」

これらは、嫌なことのように思うかもしれませんが、この試練は、人間のための祝福だったのですね。

善だけではなく、悪さえも脳にインプットされた人間の支配する世界であっても、世界が滅ばないものを実現するために試練を与えられたというわけです。

しかし、エデンから追放されても、今の地球環境よりも、さらに恵まれていた大洪水前の地球環境では、人々は悪を増幅し続けたのです。

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神様は、人間社会に悪が広がりつくすと、ノアの家族以外は、彼らを滅ぼされました。かれらは、完璧な世界の環境と情報から悪を発明していったからです。

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大洪水の後の世界からは、神様は、人間に動物の肉を食べる許可を与えました。それは、人間にさらなる試練の環境を与えたからです。さらに厳しい環境にするという試練が、人間に悪をすることへの戒めになるからです。

ひとは、一度滅んだ情報をノアから教えられ、悪の恐ろしさを知りながらも、善を基準とした世界に広がっていったのですね。

ですが、一部の人間は、また悪を極め始めてしまい、それらの善悪が、現代にまで、影響を及ぼしているのです。

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カナンは、もちろん、そのカナンの甥であるニムロデによって、善悪を融合させたノアの伝承の歪曲の情報が、世界の基準となっていってしまったのです。

善の人間が多い中では、それぞれが助け合い疑う必要もなくなります。ですが、その善の人間社会の中に、悪に根付いた人間が入り込むと、その人間は、嘘や詐欺で利益を簡単に手に入れることができるのです。善人が多い社会で、人を疑わないので、簡単に騙されるのです。

このように、善が広がる社会では、悪は効果的に利益を獲てしまうので、悪が増大していくのです。さらに、さらに、さらにという欲が深くはらむと罪となり、社会を汚染させていくのですね。

2、神様は、未来を見通し、与えられるべき試練を与えられる

上でも書いたように、人間は、動物よりも知能があり優秀ですが、毛が生えた程度の能力がゆるされているだけです。

ですが、神様は、預言を人間に与えられていることから、未来さえも見ておられるのです。

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この世界のすべての現象に許可・否定の決定をされるだけではなく、未来をも含めて管理されているわけです。もちろん、自由意志を尊重するという大きな枠によってです。

神様の与えている善による枠は、人間の想像よりも上で、ほとんど無限のエネルギーが与えられています。

ほとんど無限のエネルギー>>

ですが、一部の人間の私利私欲、地位や名誉を得るために、多くの人々が、人間の枠の中で、奴隷思想のままコントロールされているのです。

現代人は、会社という国の形に大義名分を突きつけられ、それを疑うことなく、自分たちは1国民だと思い込んでいますが、やっていることは奴隷と変わりません。紙幣という偶像に価値があると思い込まされて、狭い価値観のまま、コントロールさせられているのです。

神様を基準にしたコントロールは、人間に自由と平等を与えますが、人間を基準にしたコントロールは、人を実際には、不自由にしてしまうのですね。

昔とは違い、現在の善悪は、複雑になっています。ですから、人間が善を選んだからといって、その結果が善になるとは限りません。逆に人間が悪を選んだといって、結果が悪になるとも限らないのです。

本人は、心から善をしても、他人の汚染された脳を持った人間からは、その善行は、悪行にみえてしまうほどに荒んでいるのですね。

神様(世界の事実・法則)の善を基礎にすれば、人間社会も、限りなく悪のない社会になっていきますが、偶像という事実を歪曲させたトリックなどを基礎にすればするほど、人間社会は、悪が広がっていくことになるのです。

その悪を体験したり、見たりしては、単純にそれを理解して、脳を汚染されるひとも多くいるのですね。

特に、進化論という宗教を信じている信者さんたちは、危険です。神がいないという偶像(非現実)を信じている以上、自分が神であり、自分勝手に善悪を把握しているからです。神様がいなければ、生きている理由さえも、人間には存在しなくなります。希望や平和は奪われる一方になってしまうのですね。

3、この世界は、人間中心ではなく、神様中心に回っている

人は、神様から与えられる試練を悪いものだと錯覚する場合が多いです。

それは、若い時ほどそうですが、世界は、自分を中心にしてまわっている。自分は主人公だと思いがちだからです。

ですが、ひとりとして、自分の思い通りに世界がまわっているひとはいません。

どれほど、組織をコントロールできても、どれほど財産があっても、彼らの思い通りには、世の中はまわっていないのです。

現在の世界を支配している悪魔宗教は、ものすごく聖書を勉強しています。神様の枠の中、善を理解しながら、悪を行っているです。

ですから、自分たちの思い通りの世界にはなってはいません。①王族・貴族(人口1%の中) ②悪魔宗教(人口1%の中) ③奴隷国民(人口99%) という3つ巴の関係にあり、それぞれが絶妙なバランスで、善悪を持ち、保たれているので、支配者といえども、勝手なことはできないのです。

ましてや一般人であれば、尚更、自分の思い通りには世の中はまわりません。

すると、自分のイメージと違う結果を何度も何度もみることで、ある人は世界を呪うようにもなっていきます。

多くのひとは、その事実を受け入れて、柔軟に心を育てる糧とするのですが、一部の人、成功体験ばかりを繰り返しているようなひとは特に、試練や困難は、悪だと錯覚しやすいわけです。

いつも笑顔な人は、試練が少ないと単純に考えるひとまでいるほどです。ですが実際は逆です。試練が多いひとほど喜びながら生きているのです。

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4、すでに与えられているのに、さらに与える理由はほとんどない

自分を基準にしたり、今の平均を気にして、良し悪しを判断しているひとは、いつの時代に生まれても、不平不満を抱きます。永遠に満たされることはありません。

なぜなら、人は、今あることで満足できないのなら、今持っていないものを欲しがり続けることになるからです。

誰かの持っているものを欲しがったり、その環境を欲しがり、自分はないことを不幸せだと思うのなら、それを手に入れても、また違うひとと見比べることになるからです。

ほしい車を手に入れれば、さらに持っていない車をほしくなり、際限がなくなります。

結局、いつまでも納得できない人生にしているのは、その人の脳だということです。

神様は、人間が平安に生きれるだけのものをすでに、与えられています。

足もあり、腕もあり、空気もあれば、地球環境をすでに与えられているのです。

人間が必要にするべきものは、かなり少ないです。食を得ること、水を得ることなどです。

裸で生活している民族もいますし、ほとんど家とはいえないところで生きている人間もいます。

生きるために必要なものは、ほとんど与えられているのですね。

まわりの人の標準を気にし続けることは、その事実を無視した脳の汚染に他ならないのです。

現代人女性のほとんどは、マリーアントワネットよりも多くのお菓子を食べ、現代の男性のほとんどは、殿様が持っていなかった車やテレビ、パソコン、スマホ、映画鑑賞や音楽鑑賞、様々なものが与えられ、しかも、殿様のように責任さえもなく、自由もあるのです。

これで、まだ納得できないのであれば、その人の脳が汚染されているだけなのですね。何を手に入れても満足できない脳になって錯覚してしまっているのです。

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生きていること自体が、すでに奇跡であって、神様から守れつづけているのです。

神様は、悪人にさえ雨を降らされる方で、一瞬たりとも、守られていない人はいないのです。

ですが、人間は、その奇跡を無視して、当たり前だと勘違いしては、自分たちの人間社会を競争や争いに、追い込んでいるのです。

スマホやパソコンが存在しているということは、この世界には法則があるという証拠です。法則があるとういことは、この世界は偶然ではなく、必然的に存在している証拠なので、神様が存在していることは、誰にも否定できないのです。

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試練や苦しみを最悪だと勘違いして、神様を呪う言葉をいうひとは、すでに矛盾しているのですね。文句が言えるということは、神様の法則のおかげで生きていて、その生きている体で呪いの言葉を発言しているからです。

すでにわたしたちは奇跡を与えられているので、それ以上は、さらなる感謝であるべきです。

生きているだけですでに勝ち組なのです。

宇宙をみれば、生き物などいないことが事実だからです。

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クリスチャンになったからといって、急に今まで以上に祝福が与えられるというわけではありません。神様は6日間で人間に与えるべきものは作り出して、7日目には休まれたのです。もちろん、内面的に、神の子孫へと脳が洗い流されることで、目が開かれ、感謝できるようにはなっても、外目からみれば、変わらないのです。

何かを与えられたら平安になるわけではありません。むしろ、与えられているものがあればあるほど、それらに依存していき、コントロールされていってしまうのです。

イエス様や釈迦などは、それらを捨て去るように、人生を送ったのです。

テレビでは、セレブとか、商品とか、お金とか、脳を汚染させる偶像思想ばかりが流れ続けます。絶え間なくそれらが流され、その偶像が当たり前だと脳が錯覚するので、また平安から遠ざかるのですね。

むしろ、持っているものを捨てていくほうが、本質から近くなり、平安を得られるようになれます。心が大人になった人に、与えれば、依存もしませんが、そのような人は現代では、少ないので、残念なことです。

古きよき時代とよく人は言いますが、無いほうが幸せだったと実感できるのですね。

日本人は、戦争による廃墟から復興という大義名分で進んできましたが、それらが偶像であったことに今更ながらに気づき始めているのです。

物ではなく、生きるための目的が大切なものだったわけです。

すでにその目的に達している現代人は、物では目標を設定できずに迷い込んでいるのです。

神様がいない人間には、答えは存在しないからですね。

人はほとんど無限に与えられている祝福に気づくように、次の段階に差し掛かっているのですね。

 

 

悲しみ・苦しみ・試練は、悪いものではなく、宝物>>

 
 
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