思考の変化

神がいるのなら、なぜ戦争が無くならないのか

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戦争が起こる理由については、もちろん、その状況によります。

時代とともに戦争のやり方も変わり、戦争をする意味も変わります。

 

戦争の意味が変わり始めたのは、2500年ほど前あたりでしょう。

 

現在世界人口が70億人ですが、それを逆算すると、2000年前の世界人口は1億人程度だったとされています。

 

日本の人口が1億3千万人ですが、まわりをみわたしてみても、土地がまだまだ余っています。

日本という島国でさえ、土地が余っているものを2000年以上前は、世界の土地があったのです。

現在の70億人という人口を立たせて、並ばせれば、どれだけの土地になるのか知っているでしょうか。

日本の琵琶湖、または、東京都の土地に、70億人が入ってしまうのです。

大陸に旅行にいったことがみなさんは、あるでしょうか。

日本は、町と町が、道路でつながっていますが、大陸は違います。町と町は、車で30分~1時間ほど走って、やっとみえてくるほど、土地が余っているのです。

 

 

土地と土地が離れて存在したのなら、戦争などする意味はありません。

相手をむやみに傷つければ、恨みを買いいつ攻撃されるのか不安定な状況に追い込まれてしまうからです。

ですが、離れて存在しているのなら、特にそれらに手出しする必要などないのです。

 

離れた場所にある隣の国が、どれだけ悪の思想を持っていたとしても、こちらに入り込まなければ、特に気にする必要はありませんでした。

では、なぜ国家同士の戦争や民族の争いがあったのでしょうか。

1、家族の膨張

組織の最小単位は、家族です。

家族が増えることで、人の集団が造られていき、それが町になり、民族となっていきます。

今でも、黒人は黒人同士で集まり、白人は白人同士、黄色人種は、黄色人種同士で集まって、世界の土地で住んでいます。

何か共通した者同士で集まり、自分たちの安心感をもとうとしてしまいがちなのですね。

同じ黄色人種である日本や朝鮮半島、中国であっても、違いが解るように、黒人には黒人の違い、白人には白人の違いがあります。

白人の中でも、目の色が、グリーンやブルーの色をしている白人がいますが、フランスなどでは、このような目の色のひとたちは、うとい目でみられたと言います。わたしたち日本人からすると、そのような目は憧れてしまいますが、白人同士では、違いを感じ取ってしまうのでしょう。

長く一緒に育ち暮らした家族同士が集まり、それらが広がって民族となってコミュニティを形成していったのですね。自然と似通った固まりになっていくわけです。

2、言葉の不思議

昔の進化論の考え方は、その場所ごとに、進化を果たした種類が、人間になったというものでした。日本でいえば縄文人などと言われるものです。

ですが、それらの考え方が、ありえないことは、自然界をみれば一目瞭然です。

もし、白人は白人の黒人は黒人の猿人なるものが、同じ時代に進化をしたというのなら、なぜ、今現在は、お猿さんは、進化しないのでしょうか。

近年では、進化論は、アフリカからはじまった一部の猿人から増え広がっていったとされているのです。

ですが、これもまた、おかしなことになるのです。

1つの家族から増え広がっていったというのなら、なぜ、世界中の人々の言葉が、バラバラなのでしょうか。

みなさんは、日本人だと思いますが、突然フランス語を自分のこどもだけ話すようになると思うでしょうか。

そんなわけありませんね。人間は、育った環境、その環境で使われている言葉をそのまま覚えて使っていくのです。

わざわざそこから、使いにくい言葉にするのは、特殊な状況に陥らなければ、しようとはしません。

ジョン万次郎という江戸末期の人物は、海で遭難して、白人の船に助けられました。彼は日本語しか使えなかったのですが、白人の環境で暮らすことで、言葉を変えなければいけない状況にされたのです。

このように、遭難したり、国が亡んだりした状況ではなく、普通に生活するのであれば、言葉をわざわざ変える必要はないにも関わらず、なぜ世界中にさまざまな言葉が存在しているのでしょうか。

言葉を作り出すのは、発明です。

簡単なことではありません。

例えば、フィリピンは、英語を使用していますが、なぜ英語を使うのかというと、フィリピンの言葉では、世界の情報に追いつけず、言葉が存在しないからです。

新しい言葉を発明するよりも、英語そのものを使うようにしたのです。

日本は、そうする必要はほとんどありませんでした。なぜなら、日本語は、ほとんどの世界の情報を日本語で言い表すことができたのです。日本の文化にはない情報が点々と現れたのなら、新しい日本語を造り足していくだけでよかったのです。

ですから、日本人は、英語ができなくても、世界の文化を理解することができるのです。

アフリカのには数字は5までしかない民族があるのですが、6を理解するには、6を作り出さなければいけないのです。

言葉を変えるということは、とても大変な作業だということです。

聖書も進化論も、1つの家族から広がったとなっているのなら、なぜ、世界にさまざまな言葉が存在しているのでしょうか。

言葉の不思議だけを考えれば、むしろ、それぞれの場所で進化したから、バラバラな言葉になっているとしたほうが、しっくりくるのです。

ですが、現実は、そうではありません。1つの家族によって広がったのです。進化論では、言葉を説明することができないのですね。

聖書は、ノアの家族から広がったことを教えています。

その家族には、三つ子の黄色の3兄弟がいて、その嫁が白・黒・黄色だったと思われます。

セム・ハム・ヤペテです。

肌の色は、嫁たちの遺伝から別れたとしても、言葉は、ノアの家族に統一されていたのです。

同じ言葉で、次々と家族が増えていき、言葉と家族という共通点を持って、肌の色も関係なく、力を合わせていったと思われます。

そこに出てきたのが、ニムロデという人物です。彼は神様から力の能力を与えられ、人々を治める最初の王として、立ち上がりました。

人種関係なく、世界を統一した最初の王様です。

彼は、人間すべての中心となり、神様を超えようと、バベルの塔を建てようとしはじめるのです。

そこで、神様は、人々を土地の全面に分けられ、言葉も違うものにしたことが書かれているのです。

人々は、言葉が通じないことに混乱したというのです。

現実の世界と聖書は、一致した答えを出しているのです。

これほどまでに不思議なことがあったからこそ、現在では、さまざまな言葉が存在していると説明できるのであって、自然の流れでは、説明できないほど、不思議なのです。

また、面白いことに、言葉がバラバラなのにも関わらず、その情報は、共通点が多いのです。

知っている情報は、世界中共通点があるのです。

言葉が違うのに、知っている情報には共通点がある、これもまた不思議なのですね。

聖書は、その現実も説明できているのです。

言葉や土地がバラバラにされた後で、人々はまた家族という共通点で増え広がっていったというわけです。

創世記11章1-9節

1全地は同じ発音、同じ言葉であった。 2時に人々は東に移り、シナルの地に平野を得て、そこに住んだ。 3彼らは互に言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。 4彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」。 5時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、 6言われた、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。 7さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしよう」。 8こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。 9これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。

3、犯罪と秩序

家族と言葉の共通点から増え広がることによって、それぞれが、世界中の土地で、生活するようになりました。

ですが、問題があるのです。その家族、民族によって価値観が違うということです。

聖書には、カナン人という呪われた民族のことが書かれています。彼らは悪魔思想を世界に広め、善悪を超えて悪をするものたちだったのです。

平和に暮らす人々を略奪や強奪をしては、利益をあげるという正義が、彼らには存在していたのです。

聖書には、そのような考え方が、平然とまかりとおっていたことが書かれています。

アブラハムには、美しい嫁がいました。サラという女性です。アブラハムとサラの関係は、腹違いの兄妹でした。

彼女は、とても綺麗だったので、カナンの地やエジプトの地に食料を買いにいく時に、アブラハムは約束をサラとするのです。

彼らは、美しいサラのために、アブラハムを殺してしまうといけないので、その土地では、妹であるということにするのです。

コミュニティを形成しているところであっても、その秩序や価値観は、さまざまで、他人の家族を強奪するという行為さえも、存在していたということです。

今でもインドでは、好きになった女性を強奪して、そのまま嫁にしてしまうという風習がある場所があります。モンゴルも昔はそういうものがあったとされています。

このような悪の正義の価値観を持った民族に対して、人々は、家族や民族で助け合い、守りあうわけです。

ですから、世界に対して、悪の正義ではなく、善の正義の価値観が行きわたるように、帝国などが容認されていったのです。

戦争は無秩序のように思うかもしれませんが、戦争にもルールがあります。世界にのっとったルールを守らなければいけないのです。

このように当時の世界であった帝国によって、ルールが設けられ、秩序を持つことによって、平和を維持しようとしたので、さまざまな民族や集団が、帝国に従ったのですね。

帝国が作られる前には、イスラエル人は、善の正義を持って、悪の正義のカナン人と戦いました。

カナン人は奴隷となり、聖書の価値観を植え付けられたのです。

そこで、カナン人の一部は、イスラエル人と交わるようになるのです。

カナン人の正義は、悪だと認識して、カナン人は、フェニキア人という名前になり、次は力による強奪や略奪ではなく、貿易による略奪へと移行したいったのです。

犯罪を正義だとする価値観と善を正義だとする価値観による戦いが、世界中で行われたことが、最初の戦争だったと言えるでしょう。

※わたしたちが考える善悪は、聖書による常識が固定されているだけで、聖書の基準がなかった民族からすれば、悪は正義だったのです。日本は本物のイスラエル人の末裔なので、どの国よりも聖書的な価値観を持って知らずに、聖書にそっているのです。

彼らのしていることをわたしたちは、犯罪的だと認識できているのは、実は当たり前ではないのですね。連続殺人犯からすれば、わたしたちの価値観のほうがおかしいというわけです。

4、貿易と戦争

悪を悪だと認識して、帝国などで悪を裁くようになると悪は、衰退していきました。表向き悪の行為をすることさえ出来なくなり、裏で隠れて悪をするようになっていったのです。表では善の生活をすることが常識となると、貿易が盛んになります。

善による価値観の共通認識が、品物や国や民族への信頼となり、貿易が進むからです。

悪をすれば法によって裁かれる認識があれば、人は表では善行を基礎にして生きていくようになるのです。

わたしたちが日本という国に税金を納めているのは、生まれてから安心・安全に暮らし、働くことで生きていける環境を知らないうちに基準とされていて、その秩序維持のために、国は税金を求めるのです。

これを大陸では帝国が担っていたのです。

国は、帝国に税を納め、貿易を盛んにしていったのです。

それほど、善悪の認識は経済にはかかせないということです。

ですが、貿易による利益のために、さらなる戦争への悲劇が生まれていきました。

なぜかというと、平和が続く中では、経済が発展していくのですが、さらに利益を獲ようとしたのは、武器商人だったからです。

平和を維持するためには、武器が必要な時代でした。ですから、武器は高値で売り買いされていましたし、その武器の効果によって戦局が変わることもあったのです。武器の発明をしては、それを売り込み、国との貿易を商人がすることで、多額の利益が得られたからです。

ですが、戦争が起こらなければ、武器は必要にはなりません。ですから、武器商人たちは、人脈や儲けた財産を使って、戦争を起こさせるための火種を作り出していくのです。A国とB国に、武器を売り込みながら人脈をつくり、両方の国の情報を得て、戦争になるように持っていくのです。武器商人からすれば、A国が勝っても、B国が勝っても、多額の利益になるのです。

その武器商人という裏社会のシステムは、やはり悪魔宗教が関わって来たのです。

利益のためなら善悪を超えて、行動するのです。利益なれば、善だろうが悪だろうが関係なく利用していくのです。

この手法は、世界中の悪魔宗教に広まっていきました。

ヨーロッパだけではありません。中国も武器商人がいつの時代も戦争を起こさせては、王族貴族をコントロールしながら、中華を操ってきたのです。

ヨーロッパも同じです。

王族貴族は、表向きは、秩序を守る立場ですが、人間ですから欲があります。そこに悪魔宗教がつけ込んでくるのです。

王族貴族は、悪魔宗教を弾圧してきました。それはキリスト教以前からの常識です。カトリックによって魔女狩りなどがされたことが有名ですが、それはローマ帝国時代でも魔女狩りはあったのです。悪魔宗教の価値観を否定して、平和維持する大義名分がなければ、王族貴族は成り立たないのです。

ですが、それは表向きであって、裏では、暇を持て余し、人間的な欲も、もちろん持っていたのが、王族貴族です。

悪魔宗教は、裏社会による利益や情報を持っていたので、王族貴族に嫌われながらも、近づき、欲望を掻き立てるのです。

例えば、戦争です。

Aの領土を持っている貴族とBの領土を持っている貴族とで、戦争をするように持ち掛けます。プロレスや格闘技が好きな人がいるように、本当の殺し合いを楽しめるとして、戦争を提案するのです。

勝ち負けは関係ありません。Aの貴族が勝ち、Bの貴族が負けても、その戦争では、領土の何割かを相手に渡しますが、次の戦争では、わざとAの貴族が負けるように戦略を建てるのです。そして、前回の領土を返すのです。

王族貴族は、ただチェスをするように、命のやり取りを楽しむだけで、なんのリスクもなく楽しむのです。

しかも、お金は、悪魔宗教の商人が、払うのです。

どういうことかというと、戦争にはお金がかかります。人を雇うお金や武器や道具を用意するお金などかかってしまうのですが、それらを悪魔宗教が払うというのです。

悪魔宗教は、損だと思うかもしれませんが、実はそうではありません。王族貴族にお金を貸して、借金をさせるのです。そして、王族貴族からは払わなくてもいいと言います。ですが、悪魔宗教は、税金をうまくコントロールする権利をもらい、王からではなく、民から利益を返してもらうことにするのです。

民は、税金が高くなり、戦争をさせられ、何も知らずに騙され続けるわけです。戦争の理由は、何か適当な大義名分をつければ、それでいいわけです。

この手法は、ヨーロッパだけではなく、中国でも当然のようにされてきました。中国では100個以上のさまざまな国が存在していましたが、それらが6つに集合され、6つの武器商人によって、王族はコントロールされていました。

中国は、1つにしてはいけないルールがあったのです。

1つに中国が統一されると戦争ができなくなり、武器から生まれる利益や王族に借金をさせられなくなるので、わざと統一できないように、裏で商人連合によってコントロールさせられていたのです。

孔子の国でも、王よりも商人のほうが力を持ち、王は飾りでしかありませんでした。

その商人連合に、立ち向かった国が秦国でした。

秦の国は、商人によるシステムを破壊する思想があり、商人とも、対等にやり取りをしていたのです。もちろん、無視はできません。商人連合を無視して、それらを弾圧すれば、残りの5つの国から一斉に攻撃され、亡国になり、新しい王が建てられてしまうからです。

その裏も表も知り尽くした呂不韋によって育てられた秦の始皇帝が、商人連合の国々を打ち破っていったのです。そして、王族貴族の借金で、首がまわらなかったのを武力で0にして、中国を一世だけで、統一してしまったのです。

悪魔宗教は儒教に深く入り込んでいました。そのため、秦の始皇帝は、儒学との激しいやり取りがあり、商人連合と深く結びついていた趙国も、徹底的に攻撃をしかけたのです。

このように、悪魔宗教は、戦争をしかけては、利益をむさぼり、さまざまな謀略を大義名分で隠しながら、行ってきたのです。

カトリックなどは、その悪魔宗教と戦い続けてきました。

秦の始皇帝や帝王たちは、それらと戦い続けてきたのです。

表向きの歴史からすれば、秦の始皇帝などは悪のように思えるかもしれませんが、フタを開けてみれば、納得できることが多いのですね。

秦の始皇帝が中国を統一するまで、中国では王族貴族よりも力を持っていて、商人が裏で糸を引いていた人物が、中国をコントロールしていたのです。

世界の歴史をみれば、連戦連勝したような人物たちの裏には必ずといっていいほど、商人たちが後押しをしています。ナポレオン、リンカーン、日本帝国、ナチスドイツ、韓信、項羽、源義経などです。

それら商人と対立しているにも関わらず、勝利した織田信長や秦の始皇帝などは、見事としか言いようがありません。

もちろん、信長の裏には海外の武器商人が関わっていたので、鉄砲を手に入れることがでてきましたが、日本の裏の勢力に立てついて勝利していることから、すごいとしか言いようがありません。

このように、2500年ほど前から戦争は、商人の謀略や策略によってもたらされてきたものが多く、今でもそれは変わらないのです。

それら商人は、民に税をかせては苦しめてきたので、世界的にも嫌われ、今も続いているのです。

戦争など一般人はしたいとは思いません。それでも続いているのは、それによってもたらされる権力や利益、悪による策略なのです。

陰謀がないなどと言うひとは、世の中に悪がないと言っているような人であって、論外です。人間の歴史には、陰謀は当たり前のように存在し続けました。あのダビデでさえ、陰謀を企て、戦争でわざと男を殺させたのです。

権力者も人間ですから、悪にそそのかされて、ついつい権力を使って、悪を行ってしまうのですね。

ましてや悪魔宗教は、当たり前のように陰謀をはりめぐらせます。わたしたちからすると、あり得ないことを堂々と行いつづけているのです。

5、神様はなぜ、それらを許可されるのか

人間に善悪の知識が入った時から人間社会は、複雑になりました。時代とともに、その複雑さは増していき、何も知らない人は、極悪な行為を善だとさえ、考えてしまうほどです。

ですが、すべての人間は、未来をみることができません。

悪魔宗教は、善を180度回転させて、悪にしたり、悪を善にしたりと策略を企てるのですが、未来は予測できません。

彼らの策略によって、予測できるようにコントロールしようとすることをしてきましたが、それ自体、善を利用しなければ、出来ないのです。

また、悪だと思ってしたことが、実は未来では、善になってしまうことが多々起こっているのです。とても不思議なことですが、それは事実です。

悪魔宗教にとって、自分たち以外の人間は、畜生であり、動物です。人間は自分たちだけだと考えます。

にも拘わらず、現代では、人に人権を与えるルールである憲法が世界中に広がり、民主主義や自由貿易などもゆるされているのです。

王族貴族よる表向きの善で支配されていた時代では、ありえないことです。

王族貴族からすれば、領土内にいる人間は所有物であり、人間ではないとさえするものまでいました。

悪魔宗教の存在は、そんな彼らの支配を打ち崩すための力にもなったのです。

わたしも含め人間は、すぐに脳を錯覚して、勘違いするものであることが、歴史によって証明されているのです。

神様は、預言することができるので、未来が観えています。人間からすると悪だと思うことも、未来では善になってしまっているかもしれないのです。

悪魔宗教は、悪をするために善を利用したりするので、またこれもすべて悪いというわけではありません。

善悪が存在し、複雑になればなるほど、人間にはコントロールできなくなるので、結局神様の勝利になるのです。

イエスキリストの十字架刑は、悪魔は喜んで処刑にまで至ろうとしたでしょうが、それが実は悪を追い詰めることになってしまいました。

原始キリスト教が弾圧され、迫害されたことは、悪いことのように思えますが、それらの迫害があったことが、聖書の証明になったのです。彼らの存在があるからこそ、迫害したのであって、存在しなければ、迫害などできないからです。

そして、迫害されていたからこそ、聖書を捏造することはできないことを証明されているのです。

悪だと思えることが、実は未来では、善になり、証明に使われてしまっているのです。

全知全能の神様は、人間に自由意志を与え、それを尊重しながらでも、世界を御国にすることも可能なのかもしれないのですね。それでこそ、全知全能の神様だと言えるのではないでしょうか。

ゲームのように、人間がリセットをすぐに押しては、良い結果にするのは簡単です。コンピューターは人間によって簡単にプログラミングすることができるからです。ですが、リセットやコントロールさえしていないのに、良い結果にするのは、難しいのです。

イエス様は、すべてのことについて感謝しなさいと教えられました。それは、試練に対してもということです。人間にとっては悪の出来事のように思えても、それらは試練であって、ゴールに態度り着くための訓練なのです。それらは子々孫々に受け継がれ、現代よりもさらに未来の平和へとつながっているのですね。

今は不可能のように思えるかもしれませんが、この世界に天国のような御国が来ることは決して不可能ではありません。

なぜなら、悪魔宗教が、嘘やねつ造でプロパガンダをして、悪であっても善だと錯覚して、多くの現代人は暮らせているのですから、それを善人たちが、プロパガンダを善のために利用したら、限りなく悪は無くなるのです。

嘘でも、世界をコントロールできているのですから、真実や善が世界をコントロールするのはさらに簡単なことなのですね。

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