思考の変化

本当の愛とは、何なのか

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本当の愛とは、何なのかと一度は、考えたことが誰しもあると思います。

ですが、愛の意味は、人それぞれバラバラで、時には、愛よりも重要視しないといけない場面では、愛を取ることができない体験などを繰り返していくうちに、本当の愛など、存在しないと思ってしまう人もいるでしょう。

 

本当の愛を考えると、本当の愛などないと思うかもしれませんが、実は本当の愛は存在しているのです。

「そう思いたい。」という感情論でいうのではありません。「愛を信じたい。」という感情論でもありません。

 

「愛などない。」という感情論で、否定したくなるかもしれません。「時や場所、立場によって変わってしまうのだから、愛などない。」という想い違いでもありません。

 

本当の愛というものを「事実」から証明していきたいと思います。

 

ですが、それを理解するためには、まず、みなさんの愛のイメージが、肯定的だろうと否定的であろうと、感情論である可能性があること、間違っている可能性があることに気づかなければ、理解できません。

自分が、間違っていたと認識できないひとは、「事実」であっても受け入れることができないからです。

ソクラテスは、「知らないということを知る。」という思想を広げました。自分が知っていると思っている人は、それが間違っていても、知っていると思い込んでいるので、理解できない、受け入れられなくなるので、「自分は正しくない。知らない。」という心持が大切だというのです。

 

本当の愛を心から知りたい、理解したいと思うのなら、自分の愛のイメージをなるべく0にして、客観的に、分析しながら、「事実」なのかを判断していきましょう。

では、本当の愛を知る前に、いくつかの「事実」をみていきましょう。

1、本当の愛は、人間の心から湧き出るものではない

多くの人は、本当の愛を心から湧き出るようなものだと思っている方がいます。

  • 心が苦しくなる。
  • ドキドキする。
  • 頭で考えようとしても、好きな人の前では混乱してしまうようなもの。
  • 言葉では言い表せないもの。

このようなものが、本当の愛だと思っている場合があります。

ですが、残念なことに、これらは本当の愛ではありません。これは脳による錯覚、脳の混乱した「状態異常」の体の反応なのです。

もし、本当の愛とは、人の心から湧き出るものだと考えている方は、黄色信号が出ているので、注意しましょう。

この上にあげた愛のイメージが、なぜ黄色信号かというと、危険をはらんでいるからです。

これらの言葉には、言い表せられない「高揚」は、実は、自分の脳が気持ちよくなって得られる「欲」であって本当の愛とは、ほど遠いものなのです。

本当の愛は、危険を回避できるのですが、高揚した錯覚の愛は、危険がはらんでいるのです。

  • 心が苦しくなる。
  • ドキドキする。
  • 頭で考えようとしても、好きな人の前では混乱してしまうようなもの。
  • 言葉では言い表せないもの。

これらのものと近い状態を紹介していきましょう。

1、アルコールによる高揚

お酒を飲むと、アルコール作用によって脳はマヒしていきます。人によってアルコール作用は、差がありますが、お酒を飲むと、視界もフラフラになって、正常にあるくこともできなくなります。

昔、飲酒運転の検挙で、警察官は、地面に直線を書いて、その線をまっすぐ歩けるのか試していました。このように、アルコールを飲むと、人の脳は「状態異常」になり、まっすぐ歩くこともできなくなるのです。

本人の脳は、マヒしている状態なので、気持ちよくなっているのです。人によって気分が悪くなり落ち込んだような状態になってしまう人がいますが、多くの人は、気持ちよくなるものです。

これが度をすぎると、アルコール依存症になります。

2、犯罪による高揚→DV・暴力

犯罪をすることで人は、高揚することができてしまいます。いわゆる背徳感です。悪いと言われることをすると解放されたように脳が錯覚を起こし、気持ちよくなるのです。S気がある人は、人を傷つけることをすると気持ちよくなりやすい人です。例えば、こどもの躾などと言いながら、こどもに手をあげたりするDV、自分のストレス発散のために、伴侶に手をあげてしまうDVなどがあります。これらは、躾や常識などによって正当化しながら、相手を傷つけていきますが、その傷つけるという悪をすることで、脳が気持ちよくなっているのです。

いじめっ子というものがありますが、これもまた同じです。仲良くしなさいというルールを超えて、相手を集団でいじめることで、自分を正当化して、悪をすればするほど、気持ちよくなっていくのです。第三者としていじめっ子の仲間になっている人には、この脳による高揚は起こらないで、嫌な気分で、仲間外れにされないように恐怖心で付き合っているのですが、いじめている当人は、気持ちよくなっているのです。

人に暴力を振るうという悪をすることで、気持ちよくなってしまうのですね。暴力的なスポーツ、ボクシングや格闘技などで、普段はとても優しい人なのに、格闘技中は、人が変わったように強くなる人がいます。こういう人は、普段はとても道徳的で、ルールに縛られていて、スポーツとして正当化できる場所に上がることで、解放され、普段我慢しているだけ、力を発揮してしまうのです。

DVや暴力による障害罪を繰り返す人は、犯罪依存症になっているのです。何とも言えない高揚感に包まれて、脳が気持ちよくなっているのです。

3、犯罪による高揚→万引

万引常習犯は、「どうしてそんなもの盗むんだ?」というようなどうでもいい物などを盗みます。消しゴムとか、小物類をポケットの中にいれるのです。100円もあれば買えるようなものを盗んでいるのが、万引常習犯です。

彼らは、物がほしくて万引をしているのではないのです。物を盗むという悪をすることで、心が解放され、背徳感から高揚し、脳が気持ちよくなっている、その状態がほしくて、繰り返しているのです。万引常習犯は、犯罪依存症になってしまっているのです。

4、不倫や略奪愛による高揚

不倫じゃなければ、愛を感じれないという人がいます。結婚して大切な人がいるにも関わらず、違う男性や女性を好きになることで、高揚感を味わうからです。不倫とは、とても犯罪的な思想なのですね。愛するべき人を裏切るという背徳感によって脳が気持ちよくなるものが、不倫なのです。二股などをする人も同じで、違う女性や複数の男性との付き合うという背徳感によって高揚したり、自分の存在を肯定しようと求めてしまうのです。大切な人を裏切るという行為が、脳を気持ちよくさせ、高揚感を産んでいるのです。不倫依存症、恋愛依存症です。

5、同性愛や女装による高揚

同性愛は長く続かないことを知っているでしょうか。同性愛も犯罪と同じ背徳感から来ているもので、まわりから変な目でみられれば、みられるほど、それをしてしまっている自分に酔って、気持ちよくなっているのです。ですが、脳によるこの作用は、長くは続きません。刺激は慣れてしまうからです。

女装などをするとまわりから変な目でみられます。それがまた気持ちよくなるのですね。犯罪依存症に近いものが、同性愛なのです。これらを心の高揚から出ているもので、愛だと言い張って正当化している人がいますが、深く追求するとそうではないのですね。

6、かけおちによる高揚

男女が、家族から反対されているにも関わらず、家から飛び出して、かけおちしてしまうことがあります。これも、実は背徳感から来ている犯罪的な愛なのです。まわりから反対されればされるほど、自分たちの愛は本物だと錯覚して、脳の作用によって気持ちよくなっているのです。まわりから反対されていることを堂々とふたりでやってしまっていることに高揚するのです。

ロミオとジュリエットは、純粋愛のように語られる物語ですが、実は純粋な愛とは程遠い物語なので、犯罪的なのですね。いつまでもまわりは、反対してくれるものではないので、反対されて盛り上がっているふたりは、反対されなくなると実感することができなくなり、この関係もまた壊れやすいのです。犯罪依存症。恋愛依存症にあたります。

7、ギャンブルによる高揚

ギャンブルでは、お金をかけたり大切なものをかけたりすることで、高揚感を得ているのです。パチンコなどをやめられない人などは、このやってはいけないと解っていることを堂々とすることで気持ちよくなっているのです。脳がマヒして、なんともいえない高揚感を味わっているのです。度がすぎるとギャンブル依存症になり、やめられなくなるのです。

8、恋による高揚

若い時はとくに、異性に対して、ドキドキして、好きな人の前では、上手くしゃべれなくなったり、思考停止してしまう場合があります。これも上であげた様々な依存症と同じで、脳がマヒして、混乱し、考えられなくなり、心臓がドキドキしてしまっている「状態異常」なのです。恋は、愛とはまったく違うものなのですね。お酒を飲んで気持ちよくなっているような状態と同じで、欲であり、脳がマヒしているので思考停止状態になってしまっているのです。

昔の恋という漢字は、戀と書きました。

心の上に、糸言糸を書くのです。

この糸言糸という漢字は、ランと読みます。乱れるのランです。

恋というものは、愛ではなく、心が乱れるもので、脳による錯覚の状態異常であるということを昔の人は知っていたのですね。この言葉にできない状態が好きでやめられないというひとは、恋愛依存症になり、錯覚を愛してしてっている人なのです。

9、ジェットコースターによる高揚

危険を感じることをわざとすることで、人はまた脳が気持ちよくなるのです。危険だということを生業にしているスタントマンなどの多くは、この高揚感をやめることができません。危険を感じる落差によって自分の存在意義を確かめたいと実行しているわけです。バンジージャンプも同じです。恐怖によって脳がマヒしている状態なので、言葉にはいいらわせない状態になり、気持ちよくなっているわけですね。

10、恐怖による高揚

お化け屋敷やホラー映画などが好きな人は、恐怖心を味わう背徳感から気持ちよさを味わっているのです。ヤクザなどから脅されると脳が恐怖からマヒしてしまい、心臓がドキドキしてしまいます。頭が混乱して、状態異常を起こしてしまっているのです。犯罪的なヤクザなどは人の脳を恐怖によってマヒさせることで、自分たちの望む結果を獲ようとするわけです。

11、買い物による高揚

買い物依存症というものがあります。普段、我慢している人ほど、解放される世転びを味わいたいように、買い物依存症になってしまう人がいます。万引と同じで、やってはいけないことだと解っていても、買い物するたびに気持ちよくなれるので、やめられないのです。

12、SMによる高揚

好きな相手を傷つけるという背徳感によって、脳を高揚させる行為です。そして、好きな相手から傷つけられるという背徳感から高揚する行為なのです。されているものも、しているほうも、どちらも、犯罪的な行為であり、この高揚感が愛だと思い込むわけです。

13、ストーカーによる高揚

アイドルにつきまとったりする犯罪的なストーカーなどがいますが、このストーカーもまた恋と同じように、錯覚した愛の形です。そして、相手が嫌がれば嫌がるほど、反応してくれたと思い込み、勝手に自分本位に、両想いのように思ったり、片思いであることに喜びを感じているわけです。

まだまだあるのですが、1~13まで、様々な高揚を味わう事象をあげましたが、どれも犯罪的であり、欲望に近い依存症だということです。脳がマヒしているから言葉に表せないものだと説明しがちですが、しっかりと説明できるものなのですね。脳がマヒしている本人には、説明できないというだけだったのです。そして、それら言葉にできないものを「本当の愛」だと思っているひとは、黄色信号だというのは、このためです。

本当の愛とは、このような脳による錯覚ではありません。体の状態異常のことは本当の愛とは関係ないのです。

2、脳内麻薬という偽物の愛

1~13の高揚する事象に、共通点があることに気づかれたでしょうか?

その共通点とは、どれも「脳による作用」なのです。

いわゆる、「脳内麻薬」というものです。

麻薬常習犯は、薬によって普通ではありえないほどの脳内麻薬を分泌させることで、気持ちよくなっているのです。一度でも薬でこの言葉に表せない高揚感を味わうともとに戻れなくなると言われています。

上であげた1~13までのものと、薬である麻薬で得られる脳内麻薬のレベルは、まったく違うレベルだからです。

1~13が10%の高揚であったら、麻薬による高揚は、200%~400%というほどの高揚感を味わってしまうというのです。

ですから、麻薬依存症の人は、本当に恐ろしい依存症にさせられてしまっているのですね。

少し余談ですが、そんな麻薬なんて絶対に手をださないから大丈夫だと思っているひとがいるかもしれませんが、そんな人も危険です。なぜなら、病院で出されている何でもないような薬に、すでに麻薬作用が使用されているのです。特に、精神病で使われているものは、麻薬よりも常習性が高く、恐ろしいものが使われています。

このように、本当の愛とは、言葉にできない心から湧き出るものだと思っているひとは、犯罪にまきこまれたり、依存症の入り口にいるようなものなので、黄色信号というわけです。

「でも、テレビの映画やドラマ、音楽でも、そういうものが愛だと語っているでしょ?」と考えるひとがいますが、よく考えましょう。

テレビやドラマ、映画や音楽などは、エンタティナーなのです。

ハッキリ言えば、お客さんに「脳内麻薬」を分泌させて、気持ちよくなってもらい、人気を集める仕事であるということです。

音楽でも、お客さんに気持ちよくなってもらうために、偽物の愛を語って、きもちいいあっちの世界へとつなげることで、購買意欲を誘っているのです。

映画館に来てもらうには、その映画をみたひとたち、ドラマを見た人たちの脳に、「脳内麻薬」を分泌させて、再度みたいと思わせることで、お金を使ってもらう誘導戦略なのです。

ギャンブルにしても、お酒にしても、遊園地や動物園やさまざまな商品も、みな「脳内麻薬」をお客さんに分泌させることで、購買意欲を促進させているにすぎないのです。

いわゆる、マインドコントロールです。

カトリックの教会は、とても綺麗で、芸術的な石造などが置かれていたり、神父はハデな格好をしていたります。大きな建物や芸術品などを目に焼き付けることで、人に圧倒館を味あわせて、脳を混乱させるのです。すると人の脳は、マヒを少しすることで、嘘の情報などでも信じるようになってしまうのです。

危険な宗教ほど、このような脳による作用を利用して、人々を騙すのです。

安全な宗教ほど、質素で、まるべく脳内麻薬を分泌させたりしないのです。冷静な状態を保つようにして、状態異常をわざと発せさせる詐欺的な行いはしないのですね。神道やプロテスタントなどは、偶像思想を否定するのはこのためです。

偶像とはなんなのか>>

アイドルのコンサートやミュージシャンのコンサートでは、派手な演出をします。そして、そのコンサートに大勢のファンがつめかけることで、マインドコントロールされていきます。対して格好よくもないアイドルや大して可愛くもないアイドルも、コンサートではとても偉大な人物のように脳が錯覚を起こしていくのです。大げさな演出効果、環境を作り出すことで、脳をマヒさせ、事実を歪曲させていくのです。ファンたちはとても気持ちよくなるのですが、これらはいじめっ子の心理と同じで、流されているだけの錯覚にすぎません。

言葉にできない高揚感を売りにして、理性から脳を離させ、商品へとつなげるマインドコントロールです。

これら映画や音楽などのマインドコントロールによって、騙されたひとたちが、大量に存在し、それらが本当の愛だと心から信じて歩むので、危険なのですね。

これらは、本当の愛ではありません。ただの脳による錯覚であり、脳内麻薬による気持ちよさ、欲であり、進むと欲望になるのです。

この「脳内麻薬」が本当の愛だと思っている人の多くは、「昔はよかった。楽しかった。」などという発言をしたりします。

なぜなら、若い時は、当たり前ですが、「初体験」が多いからです。

大人と違ってこどもは、ほとんどが新しい出来事なので、大人よりも、少しの量の脳内麻薬だけで、気持ちよくなったり、感情的になるので、生きている実感を味わえるからです。

この落差の気持ちよさを考えて、「昔はよかった。楽しかった。」などと発言するわけですね。

このような発言をする人も黄色信号だということです。

3、本当の愛とは

やっと本題に入り込みます。

みなさんが、愛だと思っていたことが、実は、脳による錯覚であったり、体の状態異常であったことを認識できたでしょうか。

それら、気持ちよくなることが、愛だと深く信じ込んでいると、本当の愛を受け入れることは、できません。

いつまでも、黄色信号の危険な生活を繰り返して、年をとってから後悔してしまうことになります。

それら脳内麻薬による脳の錯覚を愛だと信じ込んでいるひとは、詐欺師や犯罪に巻き込まれやすく、へたをすると被害者どころか、加害者にさえなるので、注意しましょう。

では、本当の愛とは、何のかをハッキリと教えます。

本当の愛は、人間の心の中にあるものではありません。本当の愛とは、人の思想や人の心ではなく、人の上に存在しているものです。

「愛」そのものが、愛なのです。

意味がわかるでしょうか。

例えば、心で高揚しているものが、愛だと信じ込んでいるひとは、その高揚感がきえたら、愛がなくなったと錯覚します。この偽物の愛は、明らかに偽物です。

なぜなら、その人の状態によって「消えたからです。」

消えるものは、本当の愛ではありません。それはただ、好き嫌いで、愛を利用しているだけの偽物の愛だったということです。

愛は、人間が何をしようと、何を考えようと変わらないものなのです。

人間の上に愛が存在し、人は、その愛を利用するのではなく、愛に従うのです。

都合によって変わる愛は、愛ではなく、偽物なのです。

例えば、結婚相手を愛する心があったとします。ですが、仕事が忙しくなり、家族への愛よりも仕事を優先してしまった場合があります。これを繰り返すたびに、愛は都合によって変わるものだから、本当の愛など存在しないと思い込むわけです。

ですが、すこしよく考えてください。結婚相手を愛するというものは、愛です。ですが、仕事は、また別の問題です。別ものが関わったことで、愛から離れたから、本当の愛は存在しないというのは、途中で、話がすりかえられているのです。

途中で、歪曲させていることに気づくでしょうか。

愛自体は、変わらないのに、その人が、違う意識「仕事」という思考になったから、愛は消えたと錯覚しているだけなのです。結婚相手を愛するという愛から離れただけであって、消えているわけではないのです。

また、立ち戻ることができるのです。戻ることができるということは、愛は消えていないのです。

愛は、人がどう思う、どう考える、どう感じるというものではないのです。これを愛だと思っているひとの愛は、消えます。なぜなら、その人の気分次第だからです。気分次第で、嫌いになったら愛が消え、嫌だと思ったら、愛がなくなるのです。無くなるものは、本物の愛ではありません。

本物の愛とは、人が、愛に立ち戻り、愛に従うもので、人の上に存在しているものなので、消えないのです。

わたしやみなさんが、消えても、愛は消えないのです。別のものへと思考が移ったとしても、愛は消えません。愛は、人間の気分次第で変わるものではなく、固定されて、人間の手出しできない太くて、硬いものなのです。揺れ動く人間の感情や心とは、違うのです。

脳内麻薬が分泌されなくても、愛することが、愛なのです。

嫌いであっても、愛することが愛なのです。嫌いだから愛さないというものは、一瞬にして歪曲させた違う思想なのです。

愛に従う人は、相手が歳を取っても、相手を愛し続けます。ですが、愛を利用しているひとは、すぐに愛を捨てます。気分次第だからです。相手の嫌なところをみたら、すぐに愛を忘れて、消え去ってしまうのです。ドキドキさせてくれなければ、納得できないのなら、永遠にその人は、偽物の愛に騙され続けて、苦しむのですね。

愛を軽んじて、自分の気分次第で、動かそうとする邪な想いは、当たり前ですが、自分やまわりを滅ぼすのです。

解りやすくいえば、自分勝手の愛を本当の愛だと信じ込んでいるのですね。

ですが、本当の愛を知っている人は、自分の気分が悪くても、愛に従うのです。自分ではないからです。自分よりも愛を上に置いて、その愛に、焦点をあわし、フォーカスして、愛を示すのです。

何度も何度も、偽物の愛に流されそうになりながらも、また本当の愛に目を向けて、修正していくのです。

このように、本当の愛とは、人間の手出しできるものではなく、人間の上に存在しているものなのです。そして、本当の愛を知るものは、自分の上に愛を置いて、気分の状況に関係なく、愛を実行していくのです。

犯罪的な胸がドキドキしたり、脳がマヒしている状態異常でなければ、感じられない偽物の愛とは違い、正常な状態で、愛に焦点をあわせて、行動するものが、本当の愛です。

ですから、本当の愛を基準にしている人は、不倫やギャンブル、犯罪や同性愛などには、手を出さないですし、手を出せないのです。食欲などの欲があったとしても、適度ですませ、暴食などには走らないのです。

聖書には、本当の愛をこのように書かれています。

第1コリント人への手紙13章4-8節

 4愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、 5不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。 6不義を喜ばないで真理を喜ぶ。 7そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。 8愛はいつまでも絶えることがない。

このように、聖書は、愛を固定しているのです。

そして、人は、その本当の愛の型を基準として、何度も何度も立ち戻り、洗練されていくのです。間違ってはまた修正して、間違ってはまた修正して、いつまでも、愛は固定されて、存在し続けてくれているのです。

4、人間の中には、愛や正義は、存在しない。

みなさんは、事実を認めることができるでしょうか。

完全に、善がない人間はいないという事実を認めることができるでしょうか。

また、完全に、悪がないという人間はいないという事実を認めることができるでしょうか。

善と悪という言葉が存在しているという事実は、人間の中には、善もありますが、悪も必ずあるのです。

本当の愛がこの世に存在しないと勘違いしやすいのは、悪が人間の中に存在しているからです。

人間は、悪があるから、すぐに愛ではないものへと歪曲させ、違う道へと間違えてしまうのです。

間違えるということは、人間には、愛や正義が存在しないという証拠なのです。

犯罪者という人間が存在しているということは、人間に愛や正義がないことを証明しているのです。

例えば、SMという愛するひとを傷つけ、愛するひとから傷つけられることで、高揚する偽物の愛があります。人は、偽物であっても愛だと錯覚できるのです。ただの脳内麻薬による効果で、気持ちよくなっているだけにすぎないことであっても、それが愛だと思い込めるのです。

犯罪者の愛は、このような愛なのです。彼らは自分が正しいと本気で考えているから実行しているのです。

ストーカーの偽物の愛があります。相手は、こちらをまったく知らないのに、ストーカーは、一方的に相手を愛して、空想の中で、相手を過大評価して、自分の描いた相手にしてしまうのです。事実とはまったく違っても、相手を自分の空想上の理想に思い込んで、信じ込むのですね。

このように、人間には、愛もなければ、正義もないので、間違っているものであっても、それを愛だと勘違いしたり、正義だと勘違いできてしまうのです。例えそれが、相手を傷つけることであっても、それを正当化して、しまうことができてしまうのです。

悪が自分の中にあることが確実なので、人は、愛ではないもの偽物の愛を本物の愛だと歪曲させることができてしまうのです。

ですから、人間の中、心から湧き出るものが、本物の愛だと思うことの恐ろしさをハッキリと認識しましょう。

そして、人間の中にあるものではなく、事実、存在している愛に、悪を持った人間が、従うことで、本当の愛に近づいていくのです。偽物の愛を信じて生活している人は、遅かれ早かれ、その人生は無機質に、破滅へと向かいます。なぜなら、いつまでも、脳内麻薬は分泌しないからです。

本当の愛に従っているひとは、悪に惑わされず、何度も愛に立ち戻ることができるので、自分から破滅する確率が極端に減るのです。

本当に幸せな結婚を目指すのなら、自分だけが本当の愛を知っているだけではいけません。相手も本当の愛を理解している必要があります。自分は破滅しなくても、相手が偽物の愛を信じ込んでいれば、相手は欲望の道を歩み勝手に破滅していくからです。どれだけ、本当の愛を見せ続けても、相手が気持ちいい欲望の偽物の愛を求めれば、接点がなく、気持ちよくもなれないので、離れて行くだけだからです。

片方が破滅すれば、幸せな結婚生活など、実現できないのです。

5、本当の愛には、一次的な愛と二次的な愛がある

現代人は、一次的な重要な愛のことを教えられずに、そのまま大人になってしまうケースが多いです。そして、一次的な愛を飛ばして、二次的な愛に手を伸ばそうとするので、偽物の愛に騙されてしまうのです。

一次的な愛とは、何かというと、神様という存在です。

「はぁ?神様?愛となんの関係があるんだ?」と思うかもしれませんが、事実です。

現代日本人の多くは、自分たちの存在は、偶然生まれたのであって、何の意味もないと本気で信じ込んでいます。

しかし、これは現実をみれば、いかに大嘘なのか誰にも否定できない事実なのです。

神様が存在していることは、誰にも否定できません。神様は確実に存在しています。

全知全能の神が確実にいる証拠>>

なぜ、この神様の存在が、本物の一次的な愛なのかというと、この世界が、あまりにも、天国すぎるからです。

みなさんは、偶然、空気があると思い込んでいるかもしれませんが、宇宙では、空気がないほうが当たり前なのです。空気があるほうが奇跡であり、ありえないことなのです。しかも、何千年にも渡って、その空気は、存在し続けているのです。

それだけではありません。みなさんは、偶然生まれてきたのなら、なぜほとんど100%、みな腕が2本で、鼻が1つで、目が2つなのでしょうか?

外に出かけて、人間を見渡してください。あなたの家族でもないのに、みな同じ形をしているのです。

これを偶然だというほうが、どうかしているのです。

わたしたち、人間も、動物も、この世界も、偶然何の意味もなく造られているのではありません。意味があって存在しているのです。

それは、誰も否定できない事実です。

いま、この記事をネットでみれているという事実が、その証拠なのです。

パソコンは、偶然存在しているなどと、誰が言うでしょうか。人間が意図的に、パソコンの設計図を作り、人間の手によって大量生産されているから、ほとんど100%の確率で、同じ形で製品になっているのです。

わたしたち人間がもし、偶然存在しているのなら、奇形児ばかりが人間になっているはずです。なんの意図も、設計図も存在していないのなら、100人いれば、100通りの形になり、腕は10本とか、足は3本とか、目は後ろに3つあるとか、口が額にあるとか、バラバラになっているはずなのです。

わたしたちは、偶然にしては、あまりにも美しすぎるのです。

人間だけではなく、さまざまな多種多様な、規則正しい法則を作り出し、また維持されている存在、それが全知全能の神様なのです。

この神様は、一方的に、人間を愛して、事実に基づいて、人間が生きられる環境を与え続けているのです。この事実こそが、愛なのです。

空気があること、生まれ出れる環境があること、生き物が存在できる環境そのものが、愛なのです。

もし、神様に愛がなければ、わたしの家には空気がなかったり、むしろ、ほとんどの生き物は、次の生物を産むことさえできないのです。

この絶対的に、否定できない愛があるから、二次的な人間の愛が存在できるのです。

人間が愛を語れるのは、神様が人間に空気と口を用意されているからです。いのちを神様の愛が、人間にそそがれているからこそ、人間は異性に愛を語ることができるのです。

ドラマや映画、音楽で愛を語れるのは、一次的な愛が、確実に存在しているから、出来ているのです。

ですが、人間の中には、悪があり、その事実を無視して、非現実的なものを信じ込めてしまうのです。SMという傷つける行為が愛だと錯覚できたり、犯罪を愛だと錯覚できることも愛だと思い込めるように、事実を無視して、嘘の情報を信じ込めるのです。

そうすると、一次的な愛を知らないひとたちは、悪の偽物の愛に流され、気持ちよさとともに、流されてしまうわけです。

一次的な愛、神様の愛、事実をしっかりと認識しているひとは、人間から何をされても、愛を貫くことしかできません。なぜなら、事実だからです。

悪によって歪曲させられた思想を脳にマインドコントロールされても、また自然界の法則や原則をみなおし、事実に立ち戻って、一次的な愛によって、本当の愛を貫くことができるのです。

このように、一次的な神様の愛の事実を理解して、二次的な本物の愛を持って、従っている人は、幸せを獲ることができるのです。

魚釣りで結果を出したいのなら、現実的な行動が不可欠だというのと同じように、本当の愛を獲るためには、現実的な事象から人間の能力を超えて、愛が存在していることを認識する必要があるのです。

愛は、人間の中から出るものではなく、人間の上に存在し、人間を守り、一瞬たりとも休むことなく、存在し続けているのです。いつの時代も、この愛は、変わらないず、形こそ変われど、神が人間に愛して守り続けてくださっている現実なのです。

6、人間の歴史による偽物の愛の恐ろしさ

マスメディアや学校宗教団体によって隠されている真実の歴史があります。それらは大量に存在していますが、その1つとして、歴史があり、その歴史も、大きくゆがめられて、現代人は、知らずにマインドコントロールされ続けているのです。

歴史的な偽物の愛とは、カニバリズムです。

カニバリズムというのは、人間が人間を食べる文化のことです。

食料不足だから、人間が人間を食べたというものではありません。生きていけるにもかかわらず、人間を食べることが愛だと思って行っていた文化です。

現代人は、憲法が制定され、人に人権があることを足り前のように、暮らしていますが、その憲法が世界中で認識されたのは、200年ほど前からです。

それまで、人には人権はありませんでした。

その人権を教えたのは、聖書で、ヨーロッパの白人は、聖書から人に人権があることを教えられ、常識としていたので、人間を食べる正義を否定していました。

ですが、聖書を知らないヨーロッパ以外の世界では、カニバリズムが、どの土地でも、存在していたのです。インドでも、アフリカでも、アメリカ大陸にしても、どこにいっても、カニバリズムは行われていたのです。

ある文化では、人間の心臓を生きたまま取り出したりしていたのです。

そして、それらの人間の肉を食べることで、自分の体の一部にして、愛を感じるという犯罪的な正義がまかりとおっていたのです。

白人は、何百年にも渡って、聖書の価値観を脳にいれていたので、人間を食べる愛や正義をみて、驚愕したのです。大航海時代を迎えて、世界中に歩を進めれば進めるほど、カニバリズムという恐ろしい文化ばかりなので、絶望していたのです。

そして、唯一、カニバリズムをせずに、とても知的な文化を作り出していたところを見つけたのです。

それが、日本です。

日本の歴史では、カニバリズムは、極端に存在しません。中国では、孔子や劉備などであっても、カニバリズムをしていました。人間を食料としていたので、戦争でも、食料を持参しなかったほどです。敵が食料になるからです。人間を食料として食べていたのが、中国の常識だったのです。

露店などでも、人間の肉が平気で、当たり前のように売られていたのです。

ほとんどのカニバリズムの文化をしている民族は、発展していませんでした。笑顔で、自然界と融合しながら、人を食べることを悪だと認識せず、食べていたのです。そのため、白人は、発展していないカニバリズム文化の民族を同じ人間だとは見たくなかったのです。

ですが、中国は、カニバリズムをしていたのにも関わらず、文化もあったことで、眠れる獅子として恐怖対象にあげられていたのです。白人も中国には、手出ししないように、遠くから眺めていたのですね。

今では、黒人も、インディアンも、聖書の人権を理解して、人間を食べることをしなくなりました。それらの人間を食べる愛は、犯罪であると認識しているのです。ですから、自由をあたえられ、黒人であっても大統領にまでなったのが、オバマ大統領なのです。

日本人に解りやすくいえば、オウム真理教の信者だったものが、正しい人権を理解したことで、総理大臣に復帰したようなものです。

白人は、カニバリズムをしていた民族を恐れていました。当たり前ですね。ですから、えんぴつ1つも作れないように、情報を規制しては、力を持たないようにしていたのです。人権を理解していないひとたちに、わざわざ力を与えることなどしたくなかったからです。

しかし、白人は、はじめから人権が存在していた日本には、多くの文化や武器を与えました。日本は秀吉の時代でさえ、世界中の銃の数よりも多く、所持していたほど、白人から認められていたのです。

白人は、無差別に差別していたのではなく、肌の色で差別していたのではなかったのですね。

もちろん、白人の中でも、犯罪的な商人もいたのですが、ほとんどは、冷静に判断しながら、カニバリズムを否定していたのです。

このように、人間には、決定的に、愛や正義は存在しないのです。

人を食べることさえ、愛だと錯覚して、それを長年続けることができるほど、恐ろしい存在でもあるのです。

自然界は弱肉強食のように、学校宗教団体によって、思い込まされていますが、圧倒的に、草食動物のほうが多いのが、現実です。恐竜も発掘された95%は、草食動物なのです。

残りの数パーセントだけが、肉食動物なのです。

しかも、肉食動物は、無駄には、肉を食べません。必要なだけの肉しか食べないのです。

恐ろしいのは、人間です。肉食動物よりも圧倒的に肉を食べているのは、人間なのです。

この世界は、とても優しい助け合いの連鎖、共生のシステムによって存在しているのです。一部だけが勝てば、いいといったものでは決してありません。

お互いに助け合っているからこそ、長く存続できているのです。

そして、その優しさが愛であり、神様の与えた世界なのです。

人間は、その事実を無視して、欲望に走り、自然を破壊し、人間を食べることさえも正義や愛にして、信じ込めてしまうほど、恐ろしいものなのです。

しっかりと何が正しく、何が正しくないものなのか、現実を悪の思想に惑わされないように、みていきましょう。

愛が確かに存在しているからこそ、わたしたちは、今生きているのです。

そして、愛は、何よりも大切なのです。愛がなければ、すべては無意味になります。感情的に、善を否定する人は、騙されている人です。一見、悪を語って大人のように見えますが、深く掘り下げれば、穴だらけです。また感情的に善を語る人も、要注意です。事実は、感情論とは関係ありません。

第1コリント人への手紙13章

1たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。 2たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。 3たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。

7、本当の愛と脳内麻薬と感情

では、脳内麻薬や高揚すること、欲はすべて悪いのでしょうか。

本当の愛さえあれば、これらは不必要なものなのでしょうか。

 

本当の愛を硬く保てば、感情は不必要なのでしょうか。

 

そうではありません。

 

欲も、感情も、良いものです。ですが、それは基礎である精神や知識や原理原則に沿っていればのことです。

 

例えば、欲は、料理でいうと、味付けのようなものです。

大切なのは、栄養であり、本当の愛ですが、それにさらに味付けや脳内麻薬を組み合わせると、さらに素晴らしいものになるのです。体に悪い素材ばかりを使って、美味しい味付けばかりの料理を食べていれば、不健康になるのです。

ですから、愛が8なら、欲は2程度にすること、愛と恋を組み合わせた、恋愛にすることがさらに素晴らしいものへと変えてくれるものなのですね。

 

また、感情は、良いものですが、恐ろしいものでもあります。

みなさんの基礎、ベースにあるものが、善の原則に固まっていて、そのまわりに、感情をのせれば、それは素晴らしいものになります。

善の原則とは、愛・親切・寛容・真理・喜び・平安・善意・誠実・柔和・自制などです。

これに、色をつけるように、感情を増し加えれば、さらなる良さを世界に表せます。

 

ですが、悪の原則、嘘・詐欺・悪意・妬み・嫉妬・恐怖・怒り・不正・頑な、などをベースの精神にしたうえに、感情を乗せると、犯罪や憎悪、争いに発展してしまう恐ろしいものになるのです。

 

ですから、感情よりも、精神や原理原則などが大切であって、次に感情を持ってくるようにすることが、大切だということですね。

 

スポーツでは、そんな善悪や論理や倫理など考えてられない。と言う人もいますが、スポーツマンは、試合する前からその種目を深く考え続けているものなので、始まった時に、それら倫理などを考える必要などありません。むしろ、すでに考え尽くしているのだから、感覚や感情などを適度な状態にして、割合を増やすものです。

結局、精神を優先しなければ、結果は出ないということです。はじまってから考えていたら、遅すぎるわけですね。

 

わたしたち一般人も同じで、普段から精神を鍛え、育てることで、生活では、自然に動けるようにするべきで、普段の生活で常に、小難しいことを考えて、口にする必要はありません。むしろ、解っている人ほど、普段はあまり考えていないように生活していることでしょう。

 

そして、精神・心・体・環境を一致させて、素晴らしい生活を送れるように日々精進していきます。

 

音楽も映画もジェットコースターもスポーツもアルコールも、適度であれば良いものです。ですが、悪に走ってしまうほど、依存症になるほどに、味わってはいけないということです。ほどよく楽しむだけならギャンブルも良いかもしれませんが、現代人は、基礎的な知識がわざと教えられずに大人になっているので、これらに近づかないほうが、安全ではあります。

恋愛も、のぼせて冷静になれなくなるほど、自分をマインドコントロールしすぎないことです。気持ちよくはなれますが、それはあなたの為であって、決して相手のためではないからです。

好きなラブソングを何度も聴いても、相手は同じ数だけ聴いてもいませんし、同じように感じ取っているわけではありません。なぜなら、脳が別々で、離れていて、違うものだからです。どれだけ入り込んでも、相手と一致するのは、難しいのです。

ですから、相手を必要以上に束縛したり、必要以上に自由にするのではなく、適度にバランスよく、愛をはぐくむことが大切なわけですね。

感情をすべて捨てるのも違いますし、感情すぎるのも違うというわけです。

まとめ

 

善を肯定したいという感情論でもなく、善を否定したいという感情論でもなく、事実を認めることが大切です。

事実が、善であるから善を選んでいるだけであって、これらは決して、綺麗ごとではないのです。

 

汚いごとなら、感情論で考えてもいいわけでもありません。

悪を行えば、時間とともに、滅ぶことは、人間の歴史をみれば明らかです。悪とは、事実を無視する行為だからです。

欲望や感情に流される前に、精神で、はじめの愛、一次的な愛に立ち戻りましょう。そうすれば、自分の気持ちが気分が悪くても、否定したいという感情論がではじめても、立ち戻ることができるようになります。どれだけわたしたちが、嫌だと否定しても、事実は変わらないからです。

 

それでも、地球はまわっているのです。

 

裏切られたから愛することをやめるのは、偽物の愛です。愛は、人間とは、関係なく存在しているもので、人間は、その愛にフォーカスしながら、修正していくのであって、愛は変わらないのです。

 

聖書の離婚の教え>>

聖書の結婚の教え>>

 

 

8、愛は忍耐

確実に言えることは、人間には完璧な人間などいないということです。

みなさんの理想どおりの人間は、存在しないのです。

 

不可能な夢を追い求めるのか、それとも事実を認めて、自分が変わるのかです。

 

人は、必ず悪を持っているので、間違えますし、不正をしてしまいます。それらを愛する人だからこそ、ゆるせないと思うかもしれませんが、ゆるすべきです。

もちろん、悪を正当化してDVや犯罪的なことをし続けているひとをゆるすのは、不誠実な愛ですが、相手が悔い改めているのなら、何度でもゆるして、愛を示しましょう。

いけないと解っていても、やめられない悪というものが、1つはあるものです。

それらをゆるす忍耐が、愛にはかかせません。

 

神様は、7000年間、ずっと人間の悪を見続けてきました。誰よりも悪を見続けてきたのです。それでもまだ、人間が生きれる環境を維持され、愛を示しつづけられているのです。誰よりも、さげすまれ、誰よりも、裏切られ、誰よりも苦しめられながら、十字架刑にかけられたのです。それでも、イエス様は、「彼らをおゆるしくだい。」と祈られたのです。

 

そして、人は嫌でも成長するものです。色々な間違いや失敗を繰り返して、成長していくのです。

成長しない生き物など存在しません。1秒であっても、その体は古い細胞と新しい細胞が絶えず、寝ていても変えられているのです。

ですから、異性との良い関係を保ちたいのなら、良い家族を形成したいのなら、お互いにゆるしあう必要があるのですね。

歳でもなく、性別でもなく、間違いを悔い改めているのなら、忍耐を持ってゆるしていきましょう。

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