聖書

裏切り者、イスカリオテのユダは、なぜイエス様を裏切ったのか

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裏切り者のユダ。イスカリオテのユダは、なぜイエス様を裏切ったのでしょうか。

 

キリスト教のことをあまり知らない人も、このユダの裏切りについては知っている人も多いのではないでしょうか。

ですが、その内容までは知らない人がいることでしょう。

 

イスカリオテのユダは、イエス様が選ばれた12弟子のひとりです。

イエス様と共に長く旅をしながら、財務的なこともまかされるほどの人物でした。

そのユダは、イエス様を30枚の銀貨でユダヤ教徒に売り、イエス様に接吻して、捕らえさせたのです。

その後、イエス様は、十字架刑にかかり、処刑されました。

 

そのため、イスカリオテのユダは、裏切り者の代名詞として、今でも語られているのです。

 

今回は、イスカリオテのユダについて、考えていきましょう。

1、ユダは、裏切り者だったのか

イスカリオテのユダについて、ユダは、裏切り者ではないという意見を発する人がたまにいます。

なぜ、そのようなことを言うのでしょうか。

 

その理由は、いくつかあるのですが、そのひとつとして、イスカリオテのユダは、熱心党という、いわゆるゼテロ派の革命思想に属していた人物だったからです。

当時のイスラエルは、ローマ帝国に支配されていました。

現代の日本でいうとアメリカ合衆国のような存在です。日本は、アメリカに支配され、物をいうこともできないように、当時のイスラエル人もローマ帝国の支配に不平不満を募らせながらも、従わなければいけなかった状況にありました。

この熱心党は、マカバイ戦争という紀元前2世紀頃に起こった戦争から始まっています。

セレウコス朝がイスラエルを支配していたのですが、ユダ・マカバイが先頭に立って、これに反乱したのです。

セレウコス朝は、ギリシャ神話をイスラエル人たちに強要していたのですが、一神教に目覚めていたユダヤ人たちは、これに激しく抵抗したのです。

ユダ・マカバイは戦死してしまうのですが、その後継者のヨナタンやシモンによってセレウコス朝を退けたのです。

 

ユダ王国が破れ亡国となっていたイスラエル人たちは、いつの時代も、自分たちの王国を設立することを望んでいたのですが、マカバイ戦争は、その代表ともいえるものだったのです。

ローマ帝国は、宗教の自由を容認していたことで、ユダヤ人たちは従ってはいたのですが、革命を起こして、力のある自分たちの国を求めるものが、熱心党だったわけです。

 

ですから、その一員であったイスカリオテのユダは、自分とユダ・マカバイを重ね合わせていたのかは分かりませんが、自分たちの時代で目立っていたイエスを先頭にして、ダビデ王のような強い王様だと信じて、イエス様に付き従っていた可能性があるのです。

 

旧約聖書による預言も、ダビデのように力強い王が世界を救うというものがあり、それを人間的な思考で、イエス様に当てはめようとしてしまっていたのです。

この考え方は、決してイスカリオテのユダだけのものではなく、他のユダヤ人の中にもあった思想だったのですね。

 

ですが、イエス様は、一向にローマ帝国と戦うそぶりもせず、平和主義を貫ていたことが、イスカリオテのユダには、はがゆかったのかもしれません。

ユダヤ人を解放してくれると信じて付き従っていたのに、その実現からは程遠いところにあることが、イスカリオテのユダには、ゆるせなかったのでしょう。

 

その熱心さから、ユダがイエス様を裏切ることをイエス様の口から言われても、他の弟子たちは、信じることができなかったのですね。

 

イスカリオテのユダは、裏切り者ではなく、考え方の違いによるもつれ、だと見る人がいるというわけです。

 

ですが、明らかにこの考え方は、間違いです。イエス様をリーダーとして旅を続けていたのですから、ユダは自分の想いではなく、イエス様に学び、イエス様に従うようにしなければいけなかったのです。なのに、弟子という領分を超えて、ユダは、自分の思想に、無理やりイエス様をあてはめ、コントロールしようとしたのです。

これこそ、裏切りと言えるでしょう。

 

勝手に、相手を自分の利益や思想のためにコントロールしようと、悪だくみをするのは、裏切りです。

 

また、イスカリオテのユダは、イエス様から言われたことを実行しただけだという意見で、ユダヤは裏切り者ではないと主張する人がいます。

それは、聖書のこの箇所からです。

 

ヨハネによる福音書13章26-30節

 26イエスは答えられた、「わたしが一きれの食物をひたして与える者が、それである」。そして、一きれの食物をひたしてとり上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。 27この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった。そこでイエスは彼に言われた、「しようとしていることを、今すぐするがよい」。 28席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもなかった。 29ある人々は、ユダが金入れをあずかっていたので、イエスが彼に、「祭のために必要なものを買え」と言われたか、あるいは、貧しい者に何か施させようとされたのだと思っていた。 30ユダは一きれの食物を受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。

 

ここで、イエス様は、「しようとしていることを、今すぐするがよい。」と言われているのです。

 

ユダは、イエス様の言葉通りに、実行しただけなので、裏切り者ではないと主張するのです。

 

ですが、これも明らかに、間違いです。なぜなら、イエス様は、ユダにしか分からない抽象的な言葉でしか言われていないからです。

他の弟子たちは、理解できていない言い方で、ユダに言ったのですから、ユダだけが、何をするのか理解でき、自分で考えて行ったのです。

どのようにして、裏切るのかを言われてもいないのに、それをイエス様のせいにするのは、間違いです。

 

ユダは、自分の計画どおり、イエス様を銀貨30枚で売り渡したのです。

マタイによる福音書10章2-4節

 2十二使徒の名は、次のとおりである。まずペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、それからゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、 3ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、 4熱心党のシモンとイスカリオテのユダ。このユダはイエスを裏切った者である。 

マタイによる福音書26章21-25節

 21そして、一同が食事をしているとき言われた、「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。 22弟子たちは非常に心配して、つぎつぎに「主よ、まさか、わたしではないでしょう」と言い出した。 23イエスは答えて言われた、「わたしと一緒に同じ鉢に手を入れている者が、わたしを裏切ろうとしている。 24たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」。 25イエスを裏切ったユダが答えて言った、「先生、まさか、わたしではないでしょう」。イエスは言われた、「いや、あなただ」。

 

2、盗人イスカリオテのユダ

イスカリオテのユダは、裏切りをしていただけではありません。実は、常日頃から不正を働いていたのです。

ヨハネによる福音書12章4-6節

 4弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った、 5「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか」。 6彼がこう言ったのは、貧しい人たちに対する思いやりがあったからではなく、自分が盗人であり、財布を預かっていて、その中身をごまかしていたからであった。 

 

このように、イスカリオテのユダは、平然と悪を行うことができる人物だったのです。

人のために伝道をするいわゆるボランティア精神を振りかざしながら、目的は悪に向かって行動していたのです。

 

そのため、聖書では、彼は悪魔だとさえ書かれています。

 

ヨハネによる福音書6章68-71節

68シモン・ペテロが答えた、「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。 69わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」。 70イエスは彼らに答えられた、「あなたがた十二人を選んだのは、わたしではなかったか。それだのに、あなたがたのうちのひとりは悪魔である」。 71これは、イスカリオテのシモンの子ユダをさして言われたのである。このユダは、十二弟子のひとりでありながら、イエスを裏切ろうとしていた。

 

わたしたち人間は、自由意志を持っていますが、本当に自分の意思で、物事を選択しているのかは、疑問にあげられるところです。

それはなぜかというと、わたしたちが、どうしても、日本語で物事を考えなければ、思考できないように、すでに生まれてきた環境などによって、脳にプログラミングされている情報が決定づけられ、そのプログラミングにそって、その人の選択は、ある程度、決定づけられているからです。

 

ユダにとって、盗みは、正義だったのです。

もちろん、ユダは、熱心党というユダヤ教の知識や情報を持ってはいても、盗むことを平気でできる精神の持ち主で、熱心党ということでさえ、彼にとっては、利用する一部の情報だったということです。

 

本当の悪魔的な人間は、善悪を超えて、悪をします。

 

ボランティアという善意を売りにしている中でも、利益を求めて利用するのです。

 

みなさんは、人を確実に裏切ることを知っていて、その人のほほにキスをすることができるでしょうか。

ひとときでも、旅をして、仰いだ人を裏切っただけではなく、しらじらしくキスをする心の卑しさは、普通の人にはないものです。

 

マタイによる福音書26章46-49節

 46立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた」。 47そして、イエスがまだ話しておられるうちに、そこに、十二弟子のひとりのユダがきた。また祭司長、民の長老たちから送られた大ぜいの群衆も、剣と棒とを持って彼についてきた。 48イエスを裏切った者が、あらかじめ彼らに、「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえろ」と合図をしておいた。 49彼はすぐイエスに近寄り、「先生、いかがですか」と言って、イエスに接吻した。 

 

聖人のように弟子として、もっともらしい意見をいいながら、盗みをして、師と崇めた人を裏切っただけではなく、キスをして悪の道へと誘導する精神は、本当に悪魔的なものです。

 

連続殺人犯や捕まっている犯罪者たちは、まだかわいいものです。彼らは表だって悪をしますが、ユダのような人間は、天使のようにみせて、悪を実現させるからです。

 

ですから、イエス様は、ユダに対して、「生まれてこなかったほうがよかった。」とまで言われているのです。

マルコによる福音書14章20・21節

 20イエスは言われた、「十二人の中のひとりで、わたしと一緒に同じ鉢にパンをひたしている者が、それである。 21たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」。

 

わたしたちが、悪をすることが難しいように、ユダからすれば、裏切らないということをすることのほうが難しかったと言えるでしょう。

時に人は、悪を正当化します。

 

熱心党であった情報から、それにそぐわないイエス様を裏切る行為を正当化したり、イエス様をみかぎって、次の人物へと移行しようとするあさはかさを正当化したりしたユダのように、わたしたちも、よく悪を正当化してしまうのです。

 

とくに、無神論者や神を利用しようとするものたちは、簡単に悪を正当化しては、それを実行していきます。

 

どんな宗教であっても、神を信じている有神論者は、どれだけ正当化した悪であっても、心が痛みます。神様がみておられると「畏れる」からです。

 

ですが、神がいないと本気で信じている人は、他人がみていないところでは、悪を正当化して、まったく心が痛まないどころから、喜びさえ感じるのです。利益になったことを喜ぶのですね。

会社の利益、会社に入るお金のために、お客には嘘や誇張、誘導するということを正当化する人がいますが、悪は悪です。

有神論者は、そのようなことはなかなかできないので、心が痛むのです。彼らはそれを偽善者だとか、綺麗ごとなどと言いますが、汚いことを正当化するよりもましです。嘘や詐欺は、人を傷つけ歪をもたらします。騙されたひとたちは懐疑心をつのらせ、世の中に疑心を産みます。それらが広がれば、信用しない世の中になり、商品は売れなくなるのです。ビジネスに大切なのは、信頼です。信頼があってこそ、スムーズにビジネスは運ぶのです。誰も信用できない会社や人や商品に手を出す人はいません。感情論で、汚いことを正当化することは、ワガマナなこどもと変わらない未成熟な人間なのです。

 

また、神を利用しようとする人間、神を人間の下に置く人間も同じです。

 

自分の悪の行いも、自分勝手な神への解釈で正当化していきます。ある意味、無神論者よりも恐ろしいかもしれません。

 

イスカリオテのユダは、裏切り者ではないと歪曲させて、脳に錯覚を起こさせ、マインドコントロールさせようとする人たちには気を付けましょう。

この手法は、悪を正当化させて、善悪の基準をゆがめていくものだからです。

 

これらに流されそうになったら、最初の愛である神様に立ち戻りましょう。

 

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善なる神様が、善を持って、現実を動かしているという事実に目を向ければ、人間の歪曲した思考に流されないからです。

 

イスカリオテのユダは、人生の最後に、やっとイエス様が本物の神様であったことを理解して、神を畏れ、悔やんだのです。彼は、イエス様は本物の望んだ人物ではないと思い込んでいたようですが、それは自分勝手な考えであって、本当の人物であったことに気づき、彼は銀貨を戻そうとまでしたのです。

マタイによる福音書27章

 3そのとき、イエスを裏切ったユダは、イエスが罪に定められたのを見て後悔し、銀貨三十枚を祭司長、長老たちに返して 4言った、「わたしは罪のない人の血を売るようなことをして、罪を犯しました」。しかし彼らは言った、「それは、われわれの知ったことか。自分で始末するがよい」。 5そこで、彼は銀貨を聖所に投げ込んで出て行き、首をつって死んだ。 6祭司長たちは、その銀貨を拾いあげて言った、「これは血の代価だから、宮の金庫に入れるのはよくない」。 7そこで彼らは協議の上、外国人の墓地にするために、その金で陶器師の畑を買った。 8そのために、この畑は今日まで血の畑と呼ばれている。 9こうして預言者エレミヤによって言われた言葉が、成就したのである。すなわち、「彼らは、値をつけられたもの、すなわち、イスラエルの子らが値をつけたものの代価、銀貨三十を取って、 10主がお命じになったように、陶器師の畑の代価として、その金を与えた」。

 

彼自身が、裏切ったことを理解して、自殺をはかったのです。

3、ユダが裏切ることは、すでに預言されていた

ヨハネによる福音書6章58-64節

58天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう」。 59これらのことは、イエスがカペナウムの会堂で教えておられたときに言われたものである。 60弟子たちのうちの多くの者は、これを聞いて言った、「これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いておられようか」。 61しかしイエスは、弟子たちがそのことでつぶやいているのを見破って、彼らに言われた、「このことがあなたがたのつまずきになるのか。 62それでは、もし人の子が前にいた所に上るのを見たら、どうなるのか。 63人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。 64しかし、あなたがたの中には信じない者がいる」。イエスは、初めから、だれが信じないか、また、だれが彼を裏切るかを知っておられたのである。 

 

この内容は、実は旧約聖書にすでに預言されて書かれていたものだったのです。

 

詩篇41篇9節

 わたしの信頼した親しい友、わたしのパンを食べた親しい友さえもわたしにそむいてくびすをあげた。 

 

ダビデ王によって預言されていた内容をユダは、成就するかのように、実行してしまっていたのです。

このことから、ユダには、自由意志が適応されていないかのように、歪曲させていくひとがいますが、違います。

 

ユダは、12弟子のひとりとして、選ばれ実際に、イエス様とともに旅を続けた人物です。どれだけ彼の心がすさんでいようと、イエス様と旅をした間に、それらを悔い改めて、改心することはできたはずです。ですが、彼はその選択を自分の意思によって捨てたのです。

イエス様は、彼にしか分からない言い方で、ユダにするべきことをしなさいと言われました。

そのことを理解できたのは、ユダだけだったのです。

 

ということは、イエス様がどれほど驚異的な人物なのか予想できたはずです。なぜ、そのことを知っているのか、恐れに走るのは当然ですが、それでも彼は、悪を実行して利益に走ったのです。

悪を正当化して、裏切り行為をしては、平然とした顔でキスをしたことでしょう。

 

ユダの悪のプログラミングに満ちた脳によって、彼は彼自信の選択で、裏切ることを選択し、神様は、多くのチャンスをイエス様とともに旅させることで与えたにも関わらず、それでも、彼は裏切ったのです。

 

ですから、イエス様は、生まれてこなかったほうが、彼にとってはよかったと言われたのです。

 

悪のプログラミングによって脳が汚染されていても、悔い改めて、善への道を歩むひともいます。イエス様とともに十字架刑にかけられた犯罪者であったひとりの男は、イエス様から、「あなたはわたしとともにパラダイスにいる。」と言われたのです。

 

彼は、人間の目からみれば、ユダよりも悪い犯罪をおかした人物だったからこそ、十字架刑にされたはずです。いかに脳に悪のプログラミングがされていたのかが、分かります。それでも変われる人は変われるのです。選択はできたのです。

 

もうひとりの十字架刑にかけられた人間は、ユダと同じで、イエス様をののしりながら、死んでいきました。

 

預言されていたからといって、ユダに自由意志がなかったわけではないのですね。

善悪を超えて、悪を行うことができたユダそのものが、彼の自由な選択を制限させ預言を成就させたのです。

 

使徒の働き1章16-20節

 16「兄弟たちよ、イエスを捕えた者たちの手びきになったユダについては、聖霊がダビデの口をとおして預言したその言葉は、成就しなければならなかった。 17彼はわたしたちの仲間に加えられ、この務を授かっていた者であった。( 18彼は不義の報酬で、ある地所を手に入れたが、そこへまっさかさまに落ちて、腹がまん中から引き裂け、はらわたがみな流れ出てしまった。 19そして、この事はエルサレムの全住民に知れわたり、そこで、この地所が彼らの国語でアケルダマと呼ばれるようになった。「血の地所」との意である。) 20詩篇に、『その屋敷は荒れ果てよ、そこにはひとりも住む者がいなくなれ』と書いてあり、また『その職は、ほかの者に取らせよ』とあるとおりである。

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