思考の変化

自殺はなぜしてはいけないのか

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平成29年、警察庁が発表した自殺者数は、21321人です。

男女とも8年連続自殺者は減少し続けているということですが、2万人ものひとが自殺をしたとされています。

 

ある人は、自殺は個人の自由意志による選択であって、批判されるものではないという意見をいうひとがいますが、果たしてそうなのでしょうか。

 

人による自由意志は、死ぬこと、または生きることの選択しかないとさえいう考え方もあります。人は、どこで、誰の下で生まれてくるのを決められるわけではなく、生まれてきた時からすでにその環境によって固定されてしまうからと言います。

果たして、自殺は自由にしてよいものなのでしょうか。

 

 

1、人には正義は存在しない

もし、人間に正義が本当にあるのなら、なぜ、犯罪や詐欺、悪行などが存在しているのでしょうか。人には正義がないからこそ、悪をしてしまうのです。

ひとは、「善」という言葉と「悪」という言葉を知り、使い分けている以上、どちらも選択することができるのです。

 

誰にも否定できない事実の1つは、この世界には、必ず「善」というものがあり、また、必ず「悪」というものがあるという事実です。

 

どちらも、否定する人は普通はいないでしょう。

 

そして、選択する自由があるので、ひとは、善悪をシーソゲームのように、揺れ動きながら、その都度、選択という葛藤を繰り返して行動しているのです。

 

ただ、葛藤するだけではありません。ある人は、実際に犯罪者になったり、実際に詐欺師になったりしているので、考えだけではなく、行動さえも起こしてしまうのです。

 

この事実から、人には、正義がないことは明白です。

 

本当に正義があるのなら、人は悪をすることはないのです。ないからこそ、揺れ動き、悪だという行動をしてしまうのです。

 

 

また、問題なのは、現代は世界人口70億人だと言われています。

100人いれば、100通りの正義や愛が存在しているわけです。ですから、70億通りの正義が存在しているとも言えます。

 

普通のひとは、犯罪者を犯罪者として認識できていますが、わたしたちが犯罪者だという人たちは、自分たちを犯罪者だと思って行動しているのでしょうか。

 

実はそうではありません。彼らは彼らの正義があり、むしろ、わたしたち普通の生活をして、犯罪を否定するひとたちのほうが、おかしいと考えていたりするのです。

 

浮気や不倫は、欲望を楽しむ正当性だと考える人がいるように、犯罪をすることで、脳内麻薬を分泌させて気持ちよくなれることは、犯罪者からすれば、趣味趣向だとする正義だと考えているのです。

 

わたしたちが、肉焼き屋でおいしいと肉を平気で食べている趣味趣向のように、彼らは犯罪を楽しんでいるというわけです。

 

このように、100人いれば、100通りの人間の正義が存在しています。

 

ですから、断言しますが、人間を中心にすれば、正義や愛は、存在しないのです。

 

 

もし、人間を中心に、民主主義があると考えている人がいれば、民主主義というその人の考え方が、すでに崩壊しているというわけです。

人間を中心にすれば、人は人を殺すことさえも、否定できないのです。

 

他人を殺すことを食事をするように、楽しむ趣味趣向を無理やり、押さえつけているだけにすぎないのです。

 

他人を殺すことさえも、否定できないのであれば、自分自身を殺す行為である自殺も、否定できるわけがないと言うわけです。

 

ですが、ハッキリと言いますが、他人を殺すことも、自殺もしてはいけません。それらを現代人が、認識せず、否定できているには、それなりの理由があり、他殺や自殺は、否定できるものだということは、明白なのです。

2、聖書の正義によって、悪を悪だと否定できる

わたしたちの日本も、世界中にあるほとんどの国々も、現代では、他殺も自殺も否定されていることです。

インターネットでさえも、自殺や他殺を促すような情報発信は、問題にされます。

 

なぜ、現代人は、悪を悪だと認識できているのでしょうか?

 

紀元前の時代に、カルタゴという国がありました。このカルタゴでは、平然と赤子をバールという神に、ささげて殺していたのです。人による生贄です。

現代人は、これをみたら、意識が殺到するほど驚けると思いますが、当時のカルタゴ、または、その他多くの民族や集団では、このような正義が存在していたのです。

 

このカルタゴは、フェニキア人という民族で造られた国でしたが、彼らのあまりにも残虐な思想は、ローマ帝国からも、その他多くの民族からも否定されるものでした。

このフェニキア人は、もともとカナン人という民族で、カルタゴが成立するさらに昔の話ですから、カナン人と名乗っていた時代では、さらなる残虐性があったことは、歴史家や考古学者などから伝わっていることです。

 

そのカナン人の正義に対して、聖書の民であったイスラエル人は、猛然と立ち向かい、彼らを滅ぼすほどまで追い込んだのです。

 

このイスラエル人の正義は、一神教の正義で、善悪をかなり分けて、考える思想です。

 

ですが、当時の世界は、多神教が多く、善悪は、表裏一体として利用され、悪であっても正当化できる思想が広がっていたのです。

ですから、カニバリズムという人間が人間の肉を食べる行為さえも、平然と世界には存在していたのです。

 

 

現代では、このような行為をする人間は、連続殺人犯として、警察にいれられますが、この時代では、それを正義にする国、または民族、集団が存在したのです。

 

なぜ、現代人は、それらを毛嫌いするほどに、悪だと認識して、否定できているのでしょうか?

 

それは、また聖書のおかげです。

 

 

ローマ帝国は、多神教だったので、宗教の自由を尊重していました。それぞれの民族によって正義が違うのだから、ある程度、彼らの思想を尊重しなければ、彼らがローマという連合軍に参加してくれないと考えたからです。戦争をして民族に力をみせるよりも、ある程度思想を尊重して、争うことなく、ローマ帝国に参加してくれるほうが、ローマとしては利益につながったのです。

ローマ帝国は、多神教という宗教を政治目的に使っていたということです。

 

ですが、これには問題がありました。思想の自由が許されていることで、犯罪的な正義さえも、否定できなかったのです。

ですから、一度はローマ帝国に屈した民族であっても、次から次へと裏切ったり反乱を起こし、ローマ帝国は、常に反乱軍を制圧するという戦争に狩りだたされていたのです。

これが続けば、ローマ帝国が疲弊していくのは、明白です。

 

ですから、ローマ帝国は、キリスト教を国教したのです。

ローマ帝国は、原始キリスト教を弾圧し、激しい迫害をしていましたが、迫害すればするほど、キリスト教とが、ローマ帝国にも広がり、そのキリスト教徒たちの強い正義への志をローマ帝国は、認めざるおえなくなったのです。

 

そこで、政治的にも、ローマ帝国はキリスト教を国教とすることで、ローマに組する民族たちにも、キリスト教を広げていったのです。

 

これはものすごい効果をあげました。嘘や詐欺は正義だと考えていた民族にも、キリスト教の思想を脳にインプットすることで、嘘や詐欺は、悪だと認識できるようになり、反乱なども一気に、争うことなく鎮圧できるようになったのです。

 

国や帝国を思想によって、平和に、平安に守ったのです。そのため、多くの王族貴族も、キリスト教徒になり、その恩恵で、自分たちの領土を治めることに成功したのです。

 

それぞれの正義を否定し、人間の思想ではなく、聖書の思想で固定することで、平和や正義を固定したのです。

 

大陸では、日本のように海という国境がないので、多神教などでは、平和は維持できなかったのです。過酷な環境だからこそ、一神教によって平定していったのです。イスラム教も、ユダヤ教もまた同じでした。

 

そして、フランス革命が起こり、世界大航海時代になり、世界中に、聖書の正義が輸出されていきました。聖書の正義がなかったヨーロッパ以外の場所では、必ずといっていいほど、カニバリズム、人間が人間の肉を食べる文化が広がっていたのですが、それを否定した白人たちによって、人間を食べてはいけないという正義が、世界中に固定されるようになっていったのです。

 

人を食べることを純粋に文化として行っていた民族は、もちろん、その正義に反対しましたが、聖書の正義によって人間には、「人権」があることを教えるために、奴隷にしては、脳にインプットしていったのです。

 

ですから、現在では、黒人やインディアンでも、多くのひとたちがキリスト教徒なのです。白人以上に人権を理解し、今では人を食べる正義を否定できているのですね。

わたしたち日本人にも、この人権を固定された法律である憲法が、入り込んだのは、明治時代からです。

それまで、人には格差があり、その時代の支配者の都合のいい正義が広げられていたので、武士が、農民を切り殺すということさえも、あったのです。

 

明治時代から海外の情報も読むことが許されましたが、それまでは海外の情報を知ることも禁止されていたのです。

廃藩置県によって、藩主制度が解体され、選挙によって政治家が決められるようになり、人に人権があり、それぞれに権利が与えられていったのです。

それまでは、格差は日本であっても存在していたのです。

 

このように、民主主義は、人間中心では、崩壊していますが、聖書を中心にした思想、神中心主義によって、人間に善悪の基準を固定させて、善を善。悪を悪だと認識できるほどにまで脳にインプットされていったのです。

 

神の基の民主主義でなければ、民主主義など存在しえないのです。日本では、神道による神中心主義による正義なので、天皇は神事をして、その正義の正当性をいまでも行い続けているのです。

 

アメリカの大統領は、聖書に手を置いて、大統領任命式を行いますが、このことによって、民主主義であり、人権を固定することができているのです。

 

「憲法」とは、まさに聖書の正義であり、その憲法によって生まれ育った現代日本人も、この憲法によった根本的な思想によって、犯罪を犯罪だと認識して、裁けているのですね。

 

もちろん、まだまだ不完全ですが、昔は、理不尽が堂々と表でも行われていたのを考えれば、どれだけましな世界になっていることでしょうか。

 

表向きの人権があるだけ、まだましというわけです。

 

 

 

3、自殺はしてはいけない理由

わたしたち現代人の国の根幹である「憲法」は聖書であることを認識した上で、聖書によってでしか、正義や愛は語れないということも理解できたでしょうか。

 

人間を中心にして考えれば、善悪など存在しなくなります。

 

ですが、憲法や法に従うことで、平和を勝ち取っていった人間の歴史の事実は、悪を悪だと固定できるのです。

 

では、聖書は、なぜ、自殺してはいけないと教えているのでしょうか。

 

 

それは、創世記に書かれているからです。

はじめにこの世界を創ったのは、神様でした。この全知全能の神様の存在を否定できる人はいません。感情論で否定しようとする人はいても、事実からは、神様を否定できないのです。

 

全知全能の神がいる確実な証拠>>

 

 

そして、その神様は、三位一体の形をしていました。世界そのものである父なる神様・その世界の裏にある霊である聖霊様・そして、体のあるイエスキリストです。

聖書をきちんと読めば、足のある神の存在がアダムとエバと共に存在していたことが書かれているのです。

 

そして、神様は、ご自分の三位一体と同じ存在を作られました。それが、「人間」です。

イエスキリストに似せて、人間の最初の人アダムは、造られたのです。

 

人間も、神様と同じように三位一体の存在です。人間は、人間だけでは生きていけません。空気や地球環境がなければ、生きていけないのです。また、霊がなければ、脳に電気信号を送ることもできません。電気のスイッチを押す人間の存在がなければ、いつまでも部屋の電気はつかないのです。もちろん、体がなければ、生きていけません。

 

このように、人間も、三位一体の関係なのです。

 

そして、神様と同じように、自由意志があり、自分の脳の情報を基にして、行動することができたのです。動物や植物にはない能力です。

 

また、人間の形をしているのは、人間だけです。神様の形として、造られた人間は、どのような生き物よりも尊重されるもので、神様はこの人間のために、世界を創られ、動物や植物を用意されたのです。

 

そして、創世記に書かれているように、神様は、その人間に世界を支配するように命じました。

その預言のような言葉は、現実に、達成されているのです。

 

人間以上に世界を支配している生き物は、存在しないのです。どこにいっても、人間がどの動物や植物よりも上の存在として、良くも悪くも支配しているのですね。

 

ですから、神様は、ご自分の分身である人間に手にかける存在をゆるさないのです。

 

例え、それが本人であってもゆるされることではありません。あなたやわたしが、自殺を正義にしたとしても、否定されるのです。なぜなら、わたしたち人間を造り、人間の上に存在している方が、決定したことだからです。そこに人間の趣味趣向を主張しても、低レベルな我がままなことでしかないのです。

 

この神様の正義を否定することは、民主主義や平和や安全を壊す行為です。上で書いた通りです。

 

人間いは、愛や正義は存在しないので、人間の上に存在している神様に基準をおいて、従うことだけが、人間に残された平等と平安を獲る道なのです。

その道を無視するのか、それとも認めて歩むのかは、その人次第です。

本当の愛とは何なのか>>

聖書でいう「悪」とは、事実を無視することです。まさに事実を無視する思想を偶像思想といいます。

 

事実には存在しないことも、人間は、信じ込むことができるので、神様は常に、現実をみるように人間に教え続けているのです。

 

偶像とは>>

 

お金という偶像や石や木で作られた偽物の神々などもそうですが、事実ではないことが、聖書のいうところの「悪」なのですね。

 

人間の考える感情的な、善悪ではありません。事実ではないことを感情的に信じて、人間が行動すれば、この世界が傷つきます。

人間の背中には、羽などないのに、羽があると信じ込んで、崖から飛び込んでしまえば、怪我をしてしまうのです。

 

神様は、この世界そのものであるのですから、ご自分の体である世界の嘘を赦せるわけがありません。それを赦してしまうことは、神様によって自殺のようなものです。嘘や詐欺を肯定すれば、破壊が進み、自分の体を傷つけてしまうようなものだからです。ですから、神様の善悪とは、人間の感情的なものではなく、まさに事実と嘘というものが、善悪であるのです。

 

聖書を読むと解りますが、悪魔は、善悪など関係なく、神様を傷つける嘘やねつ造や歪曲した情報を好み、その結果が、神様への攻撃になるのであれば、善さえも利用するのです。天使のように姿を変えたり、まるで聖人のように人道的にみせながら、人を惑わし、その惑わされた人間が、世界や人間社会に闇を産んでいくように誘導するのです。

 

そして、自殺を正当化する思想は、まさにその詐欺に騙されているのです。

神などいないと本気で信じ込んでいたりすると、自分に価値など見出せません。生きているだけで、価値があることが明白であるのに、そこから歪曲させて、無意味な存在だと脳を汚染させていくのです。

 

これらに惑わされそうになり、迷走しそうになったら、世界を観るようにしましょう。自然界や人間の意思とは別の、人間の姿形という事実をみるのです。

そうすれば、この世界が、綺麗すぎることに気が付きます。

もし、この世界が悪で満ちているのであれば、わたしたちの顔は、ぐちゃぐちゃのはずです。生まれてくる確率も低いはずです。

ですが、実際は違います。綺麗な顔で生まれてくるほうが確率は高く、生まれてくるほうが、確率が高いのです。

 

パラリンピックではなく、オリンピックのほうが優先されていることが、その証拠です。

 

そうです。この世界は、善で満ちていて、ごく一部の悪が存在しているというのが、事実なのです。

 

ですが、人間は、その事実を無視して、ごく一部の悪をさも、巨大な存在のように恐れ、恐怖し、脳を混乱させられて、感情的に信じ込むことができるのです。

綺麗ごとを感情論で語るのも問題ですが、それ以上に、汚いごとを感情論で語るのは、問題なのですね。

 

なぜなら、明らかに悪はごく一部でしかなく、この世界は、善で満ち満ちているからです。

 

このように、人は自殺をすることは、神様を傷つける行為なのでゆるされません。自分を傷つけるだけではないということです。わたしたちを作られた神様を否定する行為であり、傷つける行為にあたるからです。

 

 

 

 

4、人間は自殺できないように造られている

人間も動物もそうですが、痛覚というものがあります。この痛覚によって、人は傷つけられること、傷つけることが嫌だと認識できるのです。

痛覚がないという奇形児として生まれてきた子は、感情も不安定になりやすいように、ほとんどの人には痛覚が存在していることで、自分を傷つけることを嫌がるようになっているのです。

 

この当たり前の事実を否定することで、犯罪者たちや同性愛者たちのように、楽しむという悪が存在しています。

傷つけるという自傷行為は、してはいけないと教えられているからこそ、そのルールから逸脱して、わざとルールを破ることで、脳内麻薬を分泌させて、気持ちよくなるのです。

これは、不倫やホラー映画、ジェットコースター、万引、同性愛、駆け落ちなど、多くの犯罪に共通することです。

 

してはいけないことを わざとすることで、解放感を感じてしまうのです。

 

自由になった気分になってしまうのですね。

 

ですから、このような犯罪的な感情をして生活しているひとたちは、短命だといわれます。なぜなら、脳内麻薬は最初ほど、分泌されず、次第に慣れてしまうので、刺激がなくなりますし、周りの人たちも、いつもいつも反対してくれるわけではないからです。

 

彼らは、反対されればされるほど、批難されれば、されるほど、気持ちよくなって快楽をむさぼっているからです。

 

事実を無視して、楽しむことに目を向ける悪を選ぶのか、それとも、事実を事実として認めて、それに従うのか、人間には、選択権があるのです。

 

そして、多くのひとは、事実に沿って、痛覚による痛みを嫌い、自傷行為などを否定するので、他人も傷つけたくないのです。

 

人間は、生き物のなかで唯一、自殺できる生き物です。動物は自殺などしません。どんなに過酷な状況になっても、自分から死ぬような選択はできないのです。

ほとんどの人間は、これを守り、自殺しようとしても、自殺できないようになっているのです。

 

では、警察庁が出している2万人の自殺者はなんんだ?と思うかもしれませんが、それらが自殺者だと判別しているのは、警察庁の独断と偏見だけです。その死体が、自殺なのかを本当に判別するには、検視が必要です。ですが、死体による検視には、お金がかかり、国で行える数は制限されているので、ほとんど家族がお金を出さなければいけないのです。

それを独断と偏見で、警察が、自殺でしょうということで、自殺者だと認識されているだけなのです。

 

このような変死者は、2万人などに収まりません。10万を超えて、18万人いるともいわれているほどです。

例えば、交通事故の数を減らすために、警察は、その死亡原因を心臓麻痺にしたりすることしているのです。信じられないことからもしれませんが、このように、独断と偏見で、数字を捻じ曲げて報告しているのです。

 

2万体の遺体を検死した監察医の上野正彦さんは、9割の自殺は、他殺であるという本を出されています。

 

自殺だと思っていたものは、そのほとんどは、実は他殺だったというのです。

 

大河内清輝くんという中学生が、イジメによる自殺を起こしたと報道された時期がありましたが、実はこれは他殺であったという意見が広がっているのです。なぜなら、頭から飛び降りているからです。

みなさんは、プールの飛び込みを頭からできるでしょうか。その時、慣れていなければ、少し恐怖心を覚えるはずです。それをプールではなく、高い場所から頭を向けて飛び込めるわけがありません。本当の自殺は、足から落ちるのです。

 

イジメによる自殺という問題ではなかった可能性が高いのですね。これ以外でも、自殺だとされていたものの多くが、自殺にみせかけられた他殺だったという例は腐るほど存在しているのです。

 

イジメていなかった子たちが、彼が自殺だと言われることで、社会からイジメられるという、嘘が嘘を呼び、さらなる被害者を産むという恐ろしい話が今でも続いているのです。

 

学校側も、家族側も、誰が悪かったのか感情的に追及して、糾弾していますが、事実は、第三者どころか、第四者である可能性もあるのですね。

 

 

また、人間は、自殺などできないのですが、例外があるのです。それは、薬による脳による効力で、自殺してしまうことです。

 

うつ病だと思って、精神科に通う人がいるかもしれませんが、この精神科ほど恐ろしいところはないというほど、闇の世界です。

みなさんは、渡された薬の副作用をきちんと調べているでしょうか。

精神医療でよく使われている薬のほとんどに、副作用に「精神疾患」というものがあるのです。

 

これは、簡単にいうと「うつ病」です。

 

うつ病を治したいと病院に来ている患者さんに、わざとうつ病になる薬をばらまいているのです。その患者が、薬を飲めば飲むほど、精神神官になり、苦しみだし、ありもしない幻覚さえもみるようになり、さらに病院に通院に、お金を払っていくのです。

現代医療とは、成功報酬ではなく、いかに病人を増やすのかで、利益が増していくシステムだからです。

 

表向き、憲法によって人権をうたっていても、まだまだ現代は、闇なのです。

 

麻薬常習犯などをみれば解るように、彼らは脳事態が、やられているので、普通の動きをしていません。どこか、変なところをみていたり、何かをみてしまっていたり、体が勝手に動いてしまうのです。アルコール依存症の人も手の震えが止まらないのも、脳や体がそれだけやられているからです。

 

脳が正常に作用していなければ、自殺をすることも可能になってしまうのですね。このように、基を辿れば、自殺のほとんどは、第三者による他殺である可能性が高いのです。

 

太平洋戦争で、神風特攻隊や人間魚雷で死んでいったひとたちは、国からの圧迫と精神コントロールによって、自分の脳をマヒさせて、つっこんでいきました。家族のためと思い叫んでいったのではないかと表現されたりもします。

燃料は、片道だけしか入れてもらえないという非人道的な作戦を余儀なくされていきました。

 

それほど、追い込まれなければ、自殺をすることなどできないのです。

 

事実を無視して、現実をみないように、脳をマヒさせたりしなければ、悪を行うことは、本来は難しいのですね。

 

このように、自殺は、自分勝手していいものではありません。自殺は、不自然な行為であり、世界を守るためにもしてはいけません。自分勝手に自殺したとしても、その遺体の処理は、他人がしなければいけません。それだけでも、お金もかかりますし、他人に迷惑をかける行為なのです。

そんなことでもなく、この世界の本質である神様を傷つける行為になることが、そもそも恐ろしいことです。

 

そして、軽はずみに、自殺願望をいうこともよくありません。それを目にした、悪意のある第四者が、あなたの命を狙ってくるかもしれません。そして、その周りの人たちをさらに不幸にしていきます。日本は、表向きは平和なようにみえていますが、決してそうではありません。恐ろしいほど、年間死亡者が出て、わざと国民が死ぬようなシステムが構築されているのです。その中に暮らして、それが事実だと錯覚しているひとたちは、惑わされて、事実さえもみえないようにされているので、苦しみますが、惑わされてはいけません。

 

戦争をするのも、悲劇を生むのも、多くは人間であり、人間社会です。人間は、動物よりも事実を無視できるからです。

同族を食べることなど、これほどやってきたのは、人間だけです。

動植物は、同族を食べることは、病気になることなので、例外以外は、滅多にないのに、人間はそれさえも正義として、多く実行できるのです。

人間ほど、肉を食べる生き物も存在しないのと同じです。

 

ですから、はじめの愛、神の愛や正義に立ち戻りましょう。そうすれば、複雑難解な人間社会であっても、惑わされないように、生きていける確率を高めることができるからです。

 

神様を愛するとは>>

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