思考の変化

本当に正しい宗教とは

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本当に正しい宗教とは、どの宗教なのでしょうか。

 

世界には8000にも及ぶ宗教が存在しているとも言われます。新興宗教のように新しく作られる宗教もあります。

あまりにも宗教の数が多くて、本当の宗教はどれなのか解らなくなります。

 

本当に正しい宗教とは、見つけることができるものなのでしょうか。

1、偶像崇拝

本当に正しい宗教の見分け方の1つとして、分かりやすいのは、その宗教に偶像があるのか、ないのかというものです。

 

木や石を削り取り、人間の手で作り出した像が、神様だと主張して、その像を拝む宗教があります。

 

みなさんは、神という存在は、どのようなイメージを持っているでしょうか。

ほとんどの人は、人間を超越した存在であると考えるはずです。

 

ですが、木や石で造られた像は、人間を超越しているでしょうか?

人間に作り出されたその像は、あきらかに、人間以下です。話すこともできなければ、歩くこともできません。手を自分の意思で動かすことすらできません。

 

木や石で造られたものは、明らかに神ではありませんね。

 

にも拘らず、それらの像を神だといいはり、崇拝している宗教は、その時点で、嘘を言っていることになります。その人の中では、それは神だと頑固に思い込むこともできますが、実際は、それは神ではなく、木や石、鉱物などで造られたものでしかないからです。

 

逆に、偶像を拝まない宗教は、神様は人間を超えているので、人間の手で表せないと考える宗教があります。

プロテスタント、神道、上座部仏教、イスラーム、シャーマニズム(自然崇拝)などです。

 

ですから、何か宗教を探していた李するのなら、まずはその宗教に偶像があるのかどうかをチェックしてみるのもいいことでしょう。

ですが、偶像がなくても、偽物の宗教も存在しています。偶像がない宗教だからその宗教は正しいとは言えません。1つの解りやすい目安が、偶像崇拝しているのか、していないのかということです。

 

偶像とは何なのか>>

2、歴史がある宗教なのか

なぜ、歴史があるのか、ないのかで、その宗教が正しいのかどうかが判断できるのでしょうか。

歴史があるということは、それだけで、権威を持つことができます。

 

例えば、わたしが、スイカ宗教という宗教を作ったとしましょう。

「スイカは神様で、スイカの種を自分のおかした罪の分だけ食べれば、あなたは救われます。」と言い出したとして、何の根拠や権威があるでしょうか。

 

「スイカスイカスイカ。スイカスイカスイカ。」と唱えれば、天国に行けると説いたとして、何の根拠があるでしょうか。

 

 

ですが、「親を大切にしなさい。」という教えには、逆らえないものがあります。それは、親がいなければ、自分は生まれてこれるはずもないという事実がそこにあるからです。そこには、歴史の積み重ねが存在し、認めざるおえないものです。

親を大切にしなさいという、1つの教えだけでも、歴史との関わりを持つだけで、すこし権威や根拠が生まれるように、古くから存在している宗教には、数多くの根拠と権威が、研究され続け、今でも存続しているのです。

 

そして、古くから存続している宗教を信じるということは、自分ではないという証拠です。

なぜなら、どんな人間にも、過去を変えることはできないからです。

ですから、宗教に従って、次のひとたちに伝えているだけで、決して、自分勝手に考えて教えているわけではないということです。

 

ですが、新興宗教は、これを無視して、自分勝手な解釈で、新たにルールを設けることができるので、根拠も権威も明らかに劣っているわけです。

わたしが適当にいったスイカ宗教のように、適当なことも言えるのが、新興宗教ですが、歴史がある宗教では、勝手な解釈は、先人や信仰の先輩などたちから否定されるのです。

キリスト教を語っているのに、スイカが神だと教えていれば、それは異端だと言われるように、歴史がある宗教は、自分勝手な教えはできないのです。

 

自分ではないものに、従う傾向があるため、正しい宗教の確率が上がるというわけです。

 

これに当てはまる宗教は、数多く存在します。

 

カトリック、上座部仏教、大乗仏教、神道、プロテスタント、イスラーム、ユダヤ教、ヒンズー教、シャーマニズムなどなどです。

3、神がいるのか、いないのか

宗教というと神様を信じるものだというイメージがありますが、実は、神を否定する宗教も存在します。否定するというよりも、そこまで必要とはしていないといったところでしょうか。例えば、儒教や上座部仏教です。

 

これらは、宗教というよりも、哲学であり、学問としての宗教です。人間に法律などの基準を設けて、価値観を統一し、人間社会を円滑にしようと試みた宗教です。

儒教が生まれた時代には、有神論が乱列していた時代でした。ですが、それは神という名の悪魔的な思想、カルト的なものばかりで、一部の人間の都合にあわせた、恐ろしいものでした。人を食べるカニバリズムや嘘や詐欺行為さえも肯定する考え方の宗教です。

それらを神にして、拝ませ、恐怖させることで、下の人間を支配し、コントロールしていました。ですから、神という存在はいなく、論理的に考えられるように、導いたのが、儒教だったのです。

 

論理的に考えれば、あらゆる宗教の行っていることに疑問を持つことができるようになるからです。

 

上座部仏教も似たような環境で生まれた宗教でした。バラモンという階級社会があり、明らかにバラモンとその他大勢の格差が存在していました。そのバラモンに自分たちの食料さえもささげて死んでいった人もいれば、傷ついていったひとたちが後を絶ちませんでした。

 

偽物の神を信じていたひとたちは、熱狂的になり、現実的なものさえも顧みずに、現実を無視して、悲劇が広がっていたわけです。

例えば、輪廻転生という考え方があり、現在苦労しているのは、前世で悪をしたからだと勝手に決めつけ、現世では、さらに苦労するようにと促すのです。そして、現世で苦しめば苦しむほど、来世では、バラモンとして生まれ変わることができると信じ込ませるわけです。

 

現代人が聞くと、カルトだと認識できても、その時代のひとたちは、文字の読み書きさえもできないように、情報規制されていたので、脳に情報があまりにも少なすぎて、そのカルト的な思想がおかしいとさえも感じられないのです。

 

たとえば、「小さなこどもに、落ちている石を駄菓子屋さんに持っていくとお菓子がもらえるんだよ。」と大人が真面目な顔で教えたら、こどもは、情報が少なくて、自分よりも上の存在の大人の言葉を信じ込んで、いわれるまま駄菓子屋に行ってしまうのと同じです。

 

このように、情報を規制することで、自分たちの都合のいい常識を作り出しては、利益を獲ていたのです。

 

それに疑問を持ったのは、生まれ持った貴族であった釈迦でした。彼は王族として生まれたことで、文字の読み書きができて、情報を脳に多く持つことが出来ていたのです。そのため、バラモンが主張していることの多くに疑問を持つことができたので、上座部仏教を立ち上げることができたのです。

 

仏教は、神という存在を否定することもありませんでしたが、それでも神というものに必要以上に、入り込まない教え、論理的に生きていくことを教え続けたのです。

 

ですが、これにも、問題がありました。神という存在がなくなれば、何が正しいのかの基準が崩壊することです。なぜなら、神様がいなければ、人間が一番上になり、そして、人間は人間の数だけの正義が存在してしまうからです。

 

儒教を広げた中国は、さらに悲劇的な人間社会を作り上げていってしまいました。小中華である朝鮮半島も同じでしたが、神がいないという思想のために、自分を御することができず、人のみていないところでは、平気で悪を続け、平気で嘘や詐欺を重ねたのです。

儒教は確かに、人間社会に論理をもたらして、文化的にしましたが、そこには道徳の欠如があからさに出たのです。論理的であれば、悪さえも正しいと考えるのです。

神を信じる人間は、自分の生きる選択に対して、自分と神様の両方で照らし合わせて、選択をするので、悪をしたとしたら、神様が観ているとして、恐れ、心が痛むのです。

ですが、神を信じていない人間は、心から神はいないと思い込んでいるので、注意するのは、人間だけです。人間がみていないところでは、平気で悪であっても行い、それが利益になると心から喜べるのです。

 

人を騙して、利益を獲たら、心から喜べるのです。モニタリングという番組がありますが、人を騙して喜ぶものです。このように、悪であっても、神がいない人間は、それに疑問を持つことなく、喜べるようになるのです。

 

しかも、中国では、論理的であるのです。論理的に、悪を行う人間社会とは、恐ろしい歴史を生み出し、論理的であるにも関わらず、人間の肉を食料とするカニバリズム文化もそのまま残していったのです。

 

神がいない思想の恐ろしさが分かったでしょうか。

 

人間が100人いたら、100通りの論理と正義が存在するようになり、道徳は腐敗してしまうのです。

 

ですが、有神論者には、自分や人間よりも上の存在である神を持っているだけでに、自分ではなく、神を優先にして、道徳を増すのです。例えば、カルト的思想で騙されていたとしても、騙している人間は悪魔的ですが、騙されている人は、優しいひとたちばかりの社会になるのです。

 

ですから、良い順番としては、①有神論 ②無神論(論理思想) ③カルト思想(悪魔の神)になるのです。

 

神がいる宗教が当てはまるのは

 

カトリック、大乗仏教、ヒンズー教、イスラーム、ユダヤ教、プロテスタント、神道などです。新興宗教も含まれます。

 

一番良いのは、神を信じて、さらに論理的に考えられる情報を与えてくれる宗教だということです。その神が悪魔的であると認識できるための論理的思考がなければ、騙されてしまうからですね。

4、固定された正典があるのか

歴史があるのかの理由と被りますが、正典が存在していることは、自分勝手な思想を排除できる効果が増すことです。

仏教は、釈迦によって固定された正典は、存在しませんでした。釈迦は正典を作ることをよしとはしなかったのです。

そのため、釈迦の死後、弟子たちが、釈迦の教えを歪曲させて、まったく釈迦の教えとは違うものばかりを取り入れた大乗仏教に変わっていったのです。

 

固定された正典がないだけに、どのような教えにも変えることができるような宗教になってしまったのです。

これでは、その支配層の都合のいい教えにもなってしまうので、正義など存在しなくなってしまうのです。

 

ですから、仏教は、キリスト教などと比べて、宗派の数は、圧倒的に多いのです。

 

正典があることは、支配層にとっては都合が悪いものです。なぜなら、固定された書物があることは、その文章がもし、未来で発展した学問や科学によって否定されていまえば、その宗教が偽物であったということにもなりますし、支配層の都合のいい教えなども、新たに加えることができないからです。

 

この条件に当てはまる宗教は

 

キリスト教、ユダヤ教、イスラームなどです。

 

モルモン教やエホバの証人なども当てはまっているかのように思うかもしれませんが、これは当てはまりません。これらは、固定された正典である聖書に例外をもたらして、聖書とは相反する思想を植え付け、さらなる自由を与えてしまっている宗教だからです。

 

では、イスラームのコーランもそうではないのか?と思うかもしれませんが、イスラームは逆です。

イスラームは、自由にして自分勝手な思想を植え付けるというよりも、ユダヤ教の信じていた旧約聖書の律法を新たに大切にしようとするもので、逆に不自由に立ち戻っているものだからです。

 

キリスト教は、律法からの解放という点で、旧約聖書と比べると自由度が増すものですが、それは、旧約聖書の教えをないがしろにしての解放ではありません。むしろ、旧約聖書に忠実にありながらも、さらに神様の恵を解明した教えです。

 

その解放にさらに、不自由にしたイスラームなので、正典に対する忠実さは、キリスト教以上に認識されているものです。

ですから、行いだけをみれば、イスラームはとても、素晴らしい人間社会を形成している宗教だと言えます。

5、一神教なのか、多神教なのか

これには、色々な考え方があり、どちらが正しいく、どちらが正しくないと言えるものではありません。

ですが、人間の歴史をみれば、一神教でなければ、人間社会を平和にすることは、できないことを証明されているものです。

 

日本人は、その考え方に反論したくなるかもしれませんが、それは事実です。

 

自由は確かに大切ですが、いきすぎた自由は、悪さえも入れて、悪を肯定してしまうものになります。ですから、正しいものほど、保守的な思想を大切にして、善悪を判断するのです。

そうでなければ、何度も言っていますが、答えなど出るはずもありません。

連続殺人犯などの犯罪でさえも、人間は正義にしてしまえるのですから、多神教の恐ろしさは、そこにあるのです。

 

世界の歴史では、犯罪思想であっても、正義とする宗教や考え方が乱列していました。ですから、世界中に人間を食べるカニバリズムは広がっていたのです。

現代人はそれを否定するかもしれませんが、その時代のひとりの人間として組み込まれていたら、それを否定できずに、食べていたことでしょう。

みなさんが、スーパーで動物の肉を買って食べているように、中国では、人間の肉が露店で売り買いされ、食べられていたのです。

 

嘘や裏切り、反乱さえも正義とした思想では、常に悲劇や悲しい出来事が後を絶ちませんでした。

ローマ帝国は、帝国を広げるために、宗教の自由を掲げていましたが、あまりにも価値観の違いによって、反乱が続き、疲弊していったことで、キリスト教という1つの固定された価値観を国教にすることで、帝国全土の人々に、嘘や詐欺、犯罪は、悪だという認識を植え付けることで、安定した時代を築いたのです。

 

イスラームの時代も同じで、多神教が乱列していた中東では、偶像崇拝が盛んで、あらゆる悪や犯罪が肯定されて信じられていました。そこに、一神教の思想に目覚めたことによって、犯罪は悪だという認識を固定させることに成功したのです。

 

「でも、日本は多神教でも平和にやってこれたじゃないか?」と思うかもしれませんが、日本も例外ではありません。

なぜなら、日本は、すでにほとんど1つの民族、日本人という1つの共通点があることで、平和を維持してきたからです。すでに共通認識で、犯罪は悪だと考える民族によって日本列島は支配されていたので、ある程度の平和が維持できたのです。

しかも、海という壁、国境があったことで、大陸からの犯罪が正義という思想を防ぐことができたのです。

 

日本もなんのことはなく、日本こそ、まさに一神教的思想で作り上げられた国なのですね。

 

大陸とは違うのは、大陸では、国境をつくることができず、さまざまな民族がつねに入れ替えられる過酷な環境だったので、はっきりと分かりやすく、価値観の固定ができる一神教が、安全と発展を続けることができたのです。

 

一神教が目指す理想は、まさに日本だということです。

 

キリスト教やイスラームという1つの宗教という共通点を持つことで、あらゆる犯罪を否定し、平和を勝ち取ろうとしたわけです。ですから、民族こそ違っても、神の子孫になろうと聖書の教えを続けているのです。

 

人間は食べてはいけない、嘘や詐欺はいけない、犯罪はいけないという認識をもった神の子孫で、世界を覆い平安の社会を作り上げることこそ、臨まれているのです。

 

日本は、多神教で、何でも受け入れるかのように発言するひとがいますが、日本は、受け入れない国の代表です。さまざまな文化や情報を昔から受け入れず、自分たちの民族の情報だけを受け入れてきた島国です。とても閉鎖的なのです。

これは、悪いことではありません。ならぬものは、ならぬと言えることは正しいということです。

 

ですが、否定するだけでもなく、必要な正しい情報であるのなら、受け入れることもしてきたのが、日本です。閉鎖的な傾向が強いですが、すべて受け入れないということでもないのが日本という文化や国だったと言えるでしょう。

 

そして、神道は多神教のように思っている人が多いですが、決してそうではありません。特に伊勢系の神道は、一神教思想なのです。

伊勢系の神道は、原始キリスト教だからです。

 

ですから、聖書に書かれている出来事をそのまま神事として行い、文化がそのまま残されているのです。

 

本物のユダヤ人とは、日本人>>

一神教と多神教は、どちらが正しいのか>>

 

一神教に当てはまる宗教は

 

キリスト教、伊勢系神道、イスラーム、ユダヤ教などです。

6、現実と一致しているか

様々な宗教が乱列している人間社会ですが、その宗教によって、非現実的な思想を植え付けているものもあります。ですから、それを見分けるためには、現実とどれだけ一致しているのかを論理的にみることが大切です。

 

例えば、シャーマニズムでは、自然崇拝をしていますが、これらの思想から生まれるものは、悪魔的なものが多く、存在しない生き物を作り出して、それらを拝んだりしているのです。

動物と人間を融合させた妖精やお化け、怪物などを作り上げては、人々に恐怖を与えて、コントロールするわけです。

存在しない生き物を作り上げて、あたかもそれを信じ込ませていくのです。

 

そんなものを信じるわけがないと思う無神論者がいるもしれませんが、そんな人も例外ではありません。なぜなら、進化論という宗教でありもしない猿人などの架空の生き物を信じ込んでいる場合があるからです。

 

進化論の正体>>

 

このように、人間は、わたしも含めて、すぐに騙されてしまうのです。脳はすぐに錯覚を起こしてしまうのです。

カトリックもバラモンも、あたかも学問や科学であるかのように、正しさを広げていたのです。一見、論理的にみえることも、冷静に考えれば、矛盾だらけなのです。

 

その脳の錯覚を利用する方法は、「難解、複雑な言葉を使用すること」です。

 

政治や法律、医学や学問、科学、小説など、多岐に渡って、このトリックは使われてきました。わざと複雑難解な言葉を使うことで、それを聞く人々の脳を混乱させ、自分よりも能力が高いと思わせるのです。

まさに、「裸の王様」です。

 

実際は、とても簡単に説明できることも、わざと難しい言葉にして、歪曲させて、誤魔化し、騙していくのです。

 

「暁の球体、歩むことなき。不は近隣に及ぼされ、己に降りかかる。蒼き月には、歩むべき。不率は減し、現れるぞ。」

 

という文字を読んで、何のことか、分かるでしょうか。

 

難しい言葉と言い回しで、なにやら意味ありげに思えますが、簡単にいうと

 

「赤信号は危険ですから止まりましょう。青信号は安全なので注意して渡りましょう。」ということです。

 

悪い宗教ほど、このような人間の脳を騙す手法を使うものです。そして、非現実的なものを信じ込ませるのです。科学や学問だから信じるといった単純思考ではいけません。科学や学問の中にも、悪魔的なものがあり、嘘や詐欺が大量に入り込んでいるのです。思い込みや執着を利用して、その被害にあうひとは、現代でも、後を絶ちません。

 

完璧ではないにしても、現実と一致している宗教は

 

プロテスタント(根本主義)、イスラーム、上座部仏教などです。

 

なぜ創世記の時代のひとたちは長寿なのか>>

まとめ

 

本物の正しい宗教の確率が高いものを最後にまとめてみましょう。

 

伊勢系神道、プロテスタント(根本主義)、イスラーム、上座部仏教、ユダヤ教です。

 

もちろん、もっと明確にしようと思えば、さらに限定できるのですが、正しいからといって、完璧だというわけではありません。

不完全な人間が関わっているだけに、問題も起こりますし、間違いも起こります。

悪魔宗教によってこれらの宗教は外や内から攻撃を受けているのも事実です。

 

わたしが今、明確に間違いがないものを薦められるとすれば、それは「聖書」だけです。

 

聖書を教える宗教ではなく、聖書そのものを自分ひとりで読むことでしょう。

 

さまざまな問題が、いまだに存在はしていますが、それが洗練され、最後には1つになっていくとわたしは信じています。

何が本物の宗教であったのか、時代とともに明確に明かされていくことでしょう。

 

今は悪魔宗教が世界を支配している状態なので、多くの証拠や科学や学問が歪曲され、隠されています。ですが、彼らは今、追い詰められています。

彼らの隠してきた証拠などが世の中でも出始めれば、目に見て、どれが本物の宗教なのか解って来ることでしょう。

悪魔宗教の目的>>

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