思考の変化

クリスチャンはお酒を飲んではいけないのか

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クリスチャンは、お酒を飲まないイメージがあると思いますが、実は聖書は、お酒を飲むことをすべて禁止しているわけではありません。

ノアは、神の子孫として、生き残ることがゆるされた人でした。そのノアは、発酵させてお酒を造ることのできる人で、ノアは、お酒を飲んでいたのです。

 

創世記9章20・21節

 20さてノアは農夫となり、ぶどう畑をつくり始めたが、 21彼はぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。

 

家族が神様によって生き残ることができたことに、ノアは感謝して、喜びの中で、ひとりで神様に祈りを捧げていたのですね。

 

ですが、勘違いしないでほしいのですが、お酒を薦めているわけではありません。どんなものでも、「過ぎる」ことはよくありません。

喜ぶことはよくても、喜びすぎたり、悲しみすぎたり、自信がありすぎたり、食べすぎたりと問題になるものです。

 

酔ってしまうほど、お酒を飲んではいけませんし、強いお酒もお勧めしません。

聖書は、お酒についてどのように書かれているのでしょうか。

1、教会ではお酒を飲まない

聖書のレビ記には

ぶどう酒と濃い酒を飲んではならない。これはあなたがたが代々永く守るべき定めとしなければならない。 と書かれています。これだけを読むとお酒はすべて禁止されているもののようにも思えます。ですが、きちんと読むとこう書かれているのです。

 

レビ記10章9節

 「あなたも、あなたの子たちも会見の幕屋にはいる時には、死ぬことのないように、ぶどう酒と濃い酒を飲んではならない。これはあなたがたが代々永く守るべき定めとしなければならない。 

 

ノアは、ひとりでお酒を飲み、その効力によって神様とつながることをしましたが、人が集っている中、神様の幕屋で、お酒を飲むことはよくありません。

人には、悪があり、ひとりであれば、問題を起こす可能性は低くなりますが、複数いる状態でお酒を飲むところでは、注意が必要になるからです。ましてや神様の宮で、お酒を飲むものではありません。

2、結婚式や聖別する時には、お酒を飲まない

神様に対して、清くなろうとする時、それを示す時には、お酒を飲むことはしてはいけません。

ナジル人とは、神様に対して、誓約を建てている者のことです。これをするので、祝福を与えてくださいといった契約のようなものを課せられた人です。

結婚式は、神様の前で、男女が契約を結びます。その契約の際に、お酒を飲むことは、契約をしっかりと脳にインプットすることをないがしろにすることになります。神様との契約の際には、お酒は飲むものではありません。

 

民数記6章1-3節

1主はまたモーセに言われた、 2「イスラエルの人々に言いなさい、『男または女が、特に誓いを立て、ナジルびととなる誓願をして、身を主に聖別する時は、 3ぶどう酒と濃い酒を断ち、ぶどう酒の酢となったもの、濃い酒の酢となったものを飲まず、また、ぶどうの汁を飲まず、また生でも干したものでも、ぶどうを食べてはならない。

 

結婚式とは、牧師を前にして、男女が神様と契約を結ぶことであって、その後の披露宴パーティなどのことではありません。披露宴は、披露する場所であり、人々が喜び合う場所なので、お酒を禁止しているわけではありません。

 

イエス様も実家でパーティをしていた時、水をぶどう酒に変えました。そのぶどう酒を飲んで、弟子とともに、楽しい時間を過ごしたことでしょう。

3、身ごもっている時は、お酒を飲まない

士師記13章3-5節

 3主の使がその女に現れて言った、「あなたはうまずめで、子を産んだことがありません。しかし、あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。 4それであなたは気をつけて、ぶどう酒または濃い酒を飲んではなりません。またすべて汚れたものを食べてはなりません。 5あなたは身ごもって男の子を産むでしょう。その頭にかみそりをあててはなりません。その子は生れた時から神にささげられたナジルびとです。彼はペリシテびとの手からイスラエルを救い始めるでしょう」。

 

聖書にこのように書かれているように、身ごもっている時には、お酒は体によくありません。子をまったきものとして、生まれてくるのを望むのであれば、身ごもっている時には、お酒を飲むことはしないほうがいいでしょう。

 

現代人であるのなら、嫁が飲めないのであれば、夫も飲むのも気遣いとしてあってもいいかもしれません。仕事上、飲まなければいけないのであれば、理由があるので、仕方ありませんが、近年は、飲酒運転などの規制が強いものなので、会社でも飲み会などを薦めたりするのは、少ないのではないでしょうか。

夫が飲んでいる中、女性だけ飲むことを禁止させるのは、心の歪にもなり兼ねませんからね。

4、お酒を飲んでも、お酒に飲まれてはいけません。

エペソ5章18・19節

 18酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、 19詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。

 

わたしは、お酒が嫌いではありません。人によってはお酒を飲むと、沈んでしまったり、人が変わってしまうようになりますが、わたしの場合は、明るくなり、喜びの想いが上がってきます。

とはいえ、それでも2・3度、お酒によって間違いを犯したことがあります。

例えば、友達とキャンプをしている時、お酒を飲んで、友達を驚かせようと、コテージを裏から入ろうとしたのですが、その入ったコテージが、違う人たちのコテージだった・・・というバカな話がありました。

 

入った瞬間、時間が止まりました・・・。

 

友達の結婚の日、みんなと強いお酒を飲んで楽しみました。ですが、次の日、ものすごいお酒の匂いがのこり、すごい頭痛に襲われてしまいました。このように、健康に害を及ぼすほどのお酒などは問題になります。

 

アルコールは、脳の機能を低下させて、正しい行いをすることができない状態になるので、間違いが起こりやすくなってしまうのです。

お酒によって男女の間違いはわたしにはありませんが、お酒などによって間違いをおかしてしまった人は、多いはずです。

 

このように間違いをおかしてしまうのなら、はじめからお酒を飲まないと決めて、禁止したほうがまだましです。

正しく楽しむため、利用できるお酒であればいいですが、それを超えた量のお酒はよくありません。健康にもよくありません。

5、依存症になってはいけない

依存症は、悪の習慣による恐ろしいものです。どんなものにしても、依存になってしまうとそれは、犯罪とつながってしまうからです。

恋愛依存症もまた、快楽によって脳内麻薬を分泌させることに根ざしたもので、それは愛ではありません。自分が気持ちよくなるためだけのものなのです。

 

アルコール依存症は、体にもよくありません。やめたくても、やめれないほどのお酒を飲むのは、よくないのです。

 

箴言20章1節

酒は人をあざける者とし、濃い酒は人をあばれ者とする、これに迷わされる者は無知である。 

 

イザヤ5章11-14節

 11わざわいなるかな、彼らは朝早く起きて、濃き酒をおい求め、夜のふけるまで飲みつづけて、酒にその身を焼かれている。 12彼らの酒宴には琴あり、立琴あり、鼓あり笛あり、ぶどう酒がある。しかし彼らは主のみわざを顧みず、み手のなされる事に目をとめない。 13それゆえ、わが民は無知のために、とりこにせられ、その尊き者は飢えて死に、そのもろもろの民は、かわきによって衰えはてる。 14また陰府はその欲望を大きくし、その口を限りなく開き、エルサレムの貴族、そのもろもろの民、その群集およびそのうちの喜びたのしめる者はみなその中に落ちこむ。

 

わたしの祖父は、クリスチャンではなかった時、お酒が大好きで、自分でもよくないと考えていても、やめることができない状態だったと言っていました。ですが、クリスチャンになってから、一滴も飲まなくなったのです。祖父は、そのことを奇跡のように話してくれたことを今でも覚えています。ですから、わたしは祖父がお酒を飲んでいるところを一度もみたことがありませんでした。

意思のある優しい祖父のイメージが今でもあります。

 

ですが、その祖父でも、お酒を飲むと色々な問題があったこと、喰いを持っていたことは、話の中から感じ取れました。お酒に飲まれることは、よくないことを身をもって教えてくれたとわたしは思っています。

わたしもお酒は好きですが、なくても問題はありません。やめようと思えば、いくらでもやめれますし、飲みたいのを我慢できないということもありません。

お酒をたしなむ程度です。

月に一回飲むか飲まないかぐらいのものです。

 

飲んでも、酔いすぎるほどは、もちろん、飲みません。

ですが、そんなわたしでも、依存症になってしまったら、やめることは、とても難しいことでしょう。祖父のようにやめられるとは思えません。ですから、アルコールに対しては一歩ひいて、利用しています。

 

犯罪者などは、やめたくても、それをやめることができない状態になっています。脳や体の気持ちよさを再発させてしまうからです。薬なども同じでしょう。

その入り口にもなり兼ねないお酒は、注意して、日ごろから考えるべきです。

6、感謝と喜びによってお酒をたしなむ

神の子孫としての正しさを日ごろから考え、善行をすることを望むうえで、お酒をたしなむことは悪くはありません。ですが、善悪を曖昧な状態でお酒を飲むと、やはり問題は多々起こります。そのような人には、お酒は飲むことはお勧めしません。

日ごろの問題を考えないようにするために、お酒を飲むというのも、問題です。

現代人は、そのような心もちになる人が多いとわたしは思うのですが、考えないような環境にさせられていて、そのままコントロールされてしまえば、そこから抜け出すことは難しいです。

正しいことを正しいと考える能力さえも欠如してしまい、人間社会をジワジワと崩壊させていくからです。

 

お酒は、問題を考えないようにさせてしまうところも、良くないところでしょう。

 

生活は、きちんとして、その上で、楽しむためにお酒をたしなむのは、問題ではありませんが、問題があるのに、お酒を飲むのは、よくないということですね。

 

 

伝道者の書9章7節

 あなたは行って、喜びをもってあなたのパンを食べ、楽しい心をもってあなたの酒を飲むがよい。神はすでに、あなたのわざをよみせられたからである。

 

詩篇104編14・15節

14あなたは家畜のために草をはえさせ、また人のためにその栽培する植物を与えて、地から食物を出させられる。 15すなわち人の心を喜ばすぶどう酒、その顔をつややかにする油、人の心を強くするパンなどである。

 

最初にも、書きましたが、お酒を薦めているものではありません。もし、間違いをおかしてしまうのであれば、お酒を飲まないほうがいいです。多少健康に良くても、問題を起こすよりは、飲まない方がいいからです。お酒をやめれない人にとっての逃げ道として、書いているわけでもありません。お酒が辞めれない人は、すでにそれは問題です。それは依存症になっているからです。土台がしっかりしていて、さらに楽しむためのものとして、お酒をすべて禁止しているわけではないというだけの話ですので、お願いします。

イザヤ55章1節

「さあ、かわいている者はみな水にきたれ。金のない者もきたれ。来て買い求めて食べよ。あなたがたは来て、金を出さずに、ただでぶどう酒と乳とを買い求めよ。 

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