思考の変化

神様は善だとなぜ言えるのか

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神様は善だとなぜ言えるのでしょうか。

 

聖書を信じている人は、その聖書の神様を信じているから、善だと言い張っているのでしょうか。

 

そういうことではありません。

 

①戦争がある

②悪がこの世界に存在している

③悲劇がある

④身近な人、家族が犠牲にあった

⑤ひどい体験を味わった

 

など、様々な理由で、「神はいない。」とか、「神はいても、完全な善なわけではない。」と言う人がいます。

ある人はこんなことまで言っていました。悪魔のほうが解るというのです。

 

ですが、これらの考えには決定的に間違っています。

事実を踏まえて、現実を把握すれば、これらは矛盾だからけなのです。

1、現実を認める

妊娠した人が流産する確率4%

妊娠した人の出産率96%

 

年間死亡率1%

99%は無事

 

障碍者700万 5%

95%は、健康体

 

もし、神様が悪の存在なら、ほとんどの人間は、生まれることができず、生まれたとしても身体障碍などを背負っているはずです。ですが、事実は違います。ほとんどの人間は、五体満足で高い確率で生きているのです。

 

イギリスのシンクタンク国際戦略研究所(IISS)

世界の紛争2016年の犠牲者は15万人だと発表しました。

 

70億人中、15万人です。

戦争がなくなった試しがないと言うひともいますが、明らかに戦争は少なくなっています。日本は70年以上も戦争をしていません。

一部の戦争や紛争だけをみて、すべての世界が悪だというのは、感情論でしかありません。

 

留置所や刑務所に入っているひとは、現代の日本では68000人です。0.05%です。捕まっていない人を考えて倍にしても、0.1%です。

0.1%の悪ばかりをみて、99.9%の正常をみないようにするのは、錯覚をみているだけなのです。

 

誰かが持っている才能や物をほしがったりして、自分は持っていないと考え、この世界を認めないのは、ないものねだりだけで、それで幸せを判断するのなら、誰一人幸せになんかなれません。

すべて完璧なんて人間は、ひとりもいないのです。

 

人間的に完璧に生まれたとしても、そういうひとは、「どうして全知全能ではないんだ?」と文句をいうのです。

悪があることは、現実です。誰にも否定できません。

ですが、その悪は1部でしかないというのが、この世界の現実なのです。

小説や漫画、アニメや映画などは、作者の思想が色濃く反映されて、事実とは離れたところでみている可能性が高く、造られているのです。現実は、悪をしてくる宇宙人もいなければ、怪物もいません。聖書に書かれているように、世界を支配しているのは人間なのです。

 

ほとんどが善でまわっている世界で、まるで天国のように恵まれているのにも関わらず、1部の悪をかたくなにみて、世界は悪だというのは、ただの思い込みなのですね。

ワガママと言っていい事でしょう。

 

障害を持っている人でも、すべての箇所が悪いというひとは、ほとんどいないはずです。

ほとんど悪い体なら生きていないはずです。生きている時点で奇跡的に恵まれて、守られているということです。

 

これら綺麗で平和な世界、空気があることが当たり前だと錯覚できるほどの天国のような世界は、偶然にはできません。宇宙では、空気がないほうが当たり前なのです。

 

奇跡の星、地球とよく言われます。

 

宇宙に出た毛利さんが言われいましたが、宇宙にいくと、死で満ちている。生で満ちている地球をみて、帰ることができるのは、この綺麗な地球だけなんだ。と思われたそうです。

 

悪は、少ないだけに目立ちます。え!?と思うだけに印象が強くなり、それに恐怖したり、怒りを覚えてしまうことでしょうが、惑わされていはいけません。感情論で怖がってはいけません。

 

黒い●は、近づけば近づくほど、見える世界が黒色にみえますが、少し離れてみれば、ただの点です。悪にクローズアップしてみれば、当たり前ですが、悪にフォーカスしているので、世界が悪にみえているだけなのです。錯覚であり、偶像なのです。

 

偶像とは何なのか>>

 

悪を見すぎて、感情論で恐怖してしまう人は、訓練が必要です。正常に物事をみて、生きるためには、訓練が必要なのですね。必ず悪は一部存在しているのだから、その悪に対処する訓練がいるのです。

 

試練は宝物>>

 

きちんと現実をみて、認めることをすれば、神様がいることは誰にも否定できませんし、神様が善であることは解るのです。

 

全知全能の神がいる確実な証拠>>

 

2、神様は悪ができない

神様は悪をする必要性がありません。この世界が神様だからです。

事実こそが、神様なのです。そして、その事実を無視して、反発することが悪なのです。

人間の感情論の善悪ではありません。

この地球に空気がないという嘘も悪なら、宇宙空間に空気があるという嘘も悪なのです。このような非現実的なことを人間信じれば信じるほど、世の中は、乱れていきます。人間が世界を支配してコントロールしているからです。

事実を踏まえれば、神様は悪ができず、する必要性がないのです。この世界が「ある」というそのままだからです。

 

ですから、神は愛なのです。

 

人間の感情論の愛ではありません。

本当の愛とは何なのか>>

生き物が生きていけるだけの奇跡的な法則と恵を与え続けます。一部の悪に惑わされて実行している犯罪者にも、神様は雨を降らされ、空気を与え続けているのです。

 

ほとんどの人は、自分の体を傷つけようとはしません。犯罪的な脳に汚染され、自分を傷つけることでき持ちよくなろうとする人も一部いますが、多くのひとは、痛いことは痛覚があるだけ嫌がります。痛みを喜びに変換できるのは、人間だけです。

ほとんどの人は、痛みや争いは嫌うのです。

 

そして、神様も自然を壊すことは、自分を否定するようなものになるので、自ら悪をしようとはしないのです。

 

ですが、その体を壊す存在がいます。それは人間です。

人間は、現実を無視して、悪を選ぶことができる自由意志があるからです。

この世界は、平和で綺麗ですが、それを無視して、戦争をしたり、犯罪をしたり、違う人間同士が争い競い、認め合わないように勘違いして生きることができるのが、人間なのです。

 

神様という現実を信じることができない人間は恐ろしいものです。自分勝手な自分の脳の汚染のまま、正しいと思い込んで世の中に悪を生産していくからです。

 

世界は綺麗で善ですが、人間がそのような能力、自由意志を持っているだけに、人間社会は悪に染まることもできるのです。そして、人間社会が悪になればなるほど、世界も汚れて、動物たちや植物にも影響が及ぶのです。

 

 

解りやすく言えば、あなたが、非の打ちどころもない会社を設立したとしましょう。ですが、それをいいことに、その会社を乗っ取ろうと、ひとりの犯罪的思考の社員が、悪をして組織を乱そうとしはじめます。

社長であるあなたが、悪いのでしょうか?

 

違いますね。非の打ちどころのない世界を与えた社長が悪いわけではなく、その優しさに甘え、社長をなめて、悪をする人が悪いのです。

 

会社が悪いのではなく、ダミー会社などの詐欺会社が悪いのです。良い者を利用して、悪をする人が悪いのであって、良い物が、悪いわけではないのです。

 

神様が悪のように見えるのは、人間が悪いのです。わたしも含めて、完璧に善だけの情報を脳に入れている人など、ほとんどいません。

アーミッシュのように、人間社会と切り離された生活をして生まれ育ったのなら可能かもしれませんが、普通は、そのような環境には生まれることはできまいからです。

 

天使は人間よりも知識があり、能力があります。人間以上に、事実の情報を知ることがゆるされていました。ですが、一部の天使が、世界そのものである神様の上になろうと反逆したのです。そして、その天使は、地に落とされ、悪魔となりました。

 

悪魔といっても、悪だけをする存在ではありません。善も理解した、この世界である神様に反抗する存在であり、善を利用して、悪を体現できるのなら、善さえも利用するのです。

 

「優しい顔で、宇宙には、空気があるから、宇宙服を脱いでごらん。」と言ってきたりするのです。

 

この世界を壊す能力を有しているのは、人間だから、人間を惑わして、人間の脳に悪のプログラミングをいれて、世界を壊す選択と行動を誘発するのです。悪魔からすれば、神様を傷つけることのできる唯一の方法なわけです。

 

そして、騙された人間が、神様がいないなどという非現実的な思想を信じたりして、心からそれが正義だと思って、悪を善だと思いながら、生活するのです。

 

悲劇のパーセンテージが、増えるわけですね。

 

感情論で、きれいごとをいうのは、問題ですが、感情論で、汚い事をいうのは、もっと問題なのです。

現実の世界が、善なので、きれいごとをいうだけの人は、ある意味理にかなっていますが、汚い事をいうひとは、非現実的なことを繰り返すので、自分で自分の首をしめて苦しみ、恐怖した生活になるのです。

 

自分の脳が悪で満ちているので、他人も世界も悪だと本気で思っているので、当たり前ですが、家族でさえも信用できず、懐疑心で生きていかなければいけないくなるからです。

 

ですから、楽観主義が世の中をまわしいるのです。

 

豊かさマインドで生きているのか、それとも欠乏マインドで生きているのかの違いです。

 

楽観主義は、現実的であるだけで、すべてうまくいくと言っているわけではありません。なぜなら、悪を持った人間が現実に存在しているからです。

99%善で生活できても、1%の悪に出会いぶつかってしまえば、傷つくからです。

 

ですが傷ついたからといって、あなたまで悪に染まる必要はありません。善を味わえる確率は、あきらかに高いからです。

100個の出来事のうち、1個の悪を体験してしまうといった具合です。

人間社会は、それが人間の思考次第で、半々になることも可能です。

 

ですから、悪に支配されそうになり、暗闇に入り込みそうになったら、人間をみずに、現実世界をみるようにするといいでしょう。そうすれば、また戻って来ることができます。

 

どれだけ人間が悪だと思い込んでも、地球は規則正しくまわっているからです。

 

「それでも、地球はまわっている。」ですね。

 

人間は恐ろしいものです。現実を無視できるからです。そして、神様を心から信じていないひとは、人間を中心に世界をみるので、当たり前ですが、正しさがありません。人間の脳の中にだけ、悪が広がっていくのです。

 

目をつぶって、どこまでも暗闇の穴の中に、落ちていくイメージを考えることができるように、人間の想像力は、現実を無視して、どこまでも闇に入り込むことができるようになるのです。ですが、どこまでも穴は続いていません。現実は、穴の底があるのです。

 

悪がないなんていうのも、非現実的です。ですが、すべてが悪だというのも、非現実的なのですね。

 

善しかできない神様に立ち戻り、善や愛に再度、脳をインプットしなおすことが大切なのですね。

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