思考の変化

魂と霊の違いと関係

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霊と魂は、実は細かく分けると、違うものです。

 

違うというわけではありませんが、正確には、ピックアップして表すことができるということです。

 

霊や魂というものは、目に見えないものが多いだけに、その違いについて、なかなか説明するのは、難しいものです。

聖書では、まるで霊と魂は、違うかのように書かれている箇所もあります。

 

では、霊と魂のことについてみていきましょう。

1、魂とは何なのか

魂というと日本人だと火の玉などをイメージするのではないでしょうか。

ですが、魂とは、その人間の個体として保っているもののことです。

ですから、Aさんが生きていれば、魂が宿っていると考えるわけです。

ですが、Aさんが死んでいれば、魂のぬけがらと言われるのです。

 

100人いれば、100個の魂があり、どれひとつとして、同じものがない個体としての名称。それが魂というわけです。

 

無理やり、解かりやすく言えば、「家」というものは、無数に人間社会に存在していますが、どれひとつとして、同じ「住所」は存在していません。もし、同じ住所だと手紙やお届け物が間違って送られてきてしまうからです。

家が体であれば、住所が魂といった具合です。

 

家から人がいなくなり、住所を使わなくなれば、家はもぬけの殻になります。空き家というものですね。

2、霊とは、何なのか

霊は、魂という固体を表すものだけではなく、それ以外の多くのものを表して使われています。

霊は、人間だけではなく、世界中にある被造物にも存在しています。

 

そして、その霊は、もちろん、人間にもあり、魂という固体を表す袋の中に、閉じ込められているようなものです。

 

霊は、この世のすべてであるとも言えます。

 

無理やり例えるのなら、「存在しているそのもの」といったものが霊だとも言えます。

霊は、人間だけに使われていないのがいい例ですね。神の霊という言葉があり、悪霊という言葉もあるように、人間以外にも霊は、使われているからです。

3、霊と魂の関係

魂と霊の違いは、分かりにくいですが、骨があれば、骨髄もあるという違いのようなものです。似ているようですが、細かくいうと違うといったようなものです。

へブル人の手紙4章12・13節

 12というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。 13そして、神のみまえには、あらわでない被造物はひとつもなく、すべてのものは、神の目には裸であり、あらわにされているのである。この神に対して、わたしたちは言い開きをしなくてはならない。

 

霊には、大きくわけて、神の霊と悪魔の霊があります。

 

そして、人間は、その両方存在している世界の中に生きているので、それら両方から影響を受けて、どちらの霊を自分の魂という袋に入れるのかを行ったり来たりしているわけです。

(ちなみに、エデンの園と時代では、99.99999%神の霊しかありませんでした。その中の0.000001%にすぎない蛇という悪しかゆるされていなかったのです。ですから、アダムとエバは、善しかできないロボットのような存在でした。裸であることも理解できませんでした。)

 

ですから、魂というものは、すでに悪魔の霊さえも取り込んでしまっている袋なので、漢字でも、「鬼」という文字が使われているのです。

漢字は、聖書物語から造られていることを以前書きました。

漢字に隠された聖書物語>>

 

鬼という文字には、田という漢字が使われています。この田という漢字は、エデンの土地を表しています。四角い土地であったエデンの土地には、4つの川が流れていたのです。

創世記2章11-14節

11その第一の名はピソンといい、金のあるハビラの全地をめぐるもので、 12その地の金は良く、またそこはブドラクと、しまめのうとを産した。 13第二の川の名はギホンといい、クシの全地をめぐるもの。 14第三の川の名はヒデケルといい、アッスリヤの東を流れるもの。第四の川はユフラテである。 

そこに、人がふたり造られ、住むようになりました。田という漢字の下にある「人、人」が表されているのです。その人には、神の霊が、吹き込まれたことが聖書には書かれています。

 

創世記2章7節

 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。

 

「フッ」と息を吹きかけられたものを表すものが、「ノ」という文字です。

「息」にも「ノ」が使われていますが、「生」にも「ノ」が使われています。「息子」という意味も何となく解って来ますね。

 

ですが、「鬼」という漢字には、2つ「ノ」が使われていることが解かるでしょうか。上と下に「ノノ」と使われています。「人」という漢字にも「ノ」が使われていますが、相反する霊、つまり、蛇に宿った「悪魔」を表しているのです。

 

悪魔の「魔」には、2本の木が使われていますが、エデンには、善悪の木といのちの木があったとされています。悪魔であった蛇は、その木に近づいたエバに現れたのです。

そして、その魔にも「ノ」が使われています。

 

ですから、霊は、神の霊もあれば、悪魔の霊もあり、そのどちらも自分の袋である魂にいれてしまった人間は、すでに汚れているということを表しているのが、魂という漢字の中の意味に含まれているのですね。

 

霊は、物の中や生き物の中にも、存在していますが、「言葉」の中にも入っていると聖書には書かれています。

言葉、言語は、人を形づくるものです。

日本人は、嫌でも日本語で物事を考えてしまうように、その言葉があるからこそ、多くを理解できているのです。

 

そして、アダムとエバは、「悪」という言葉を知りませんでした。神様は悪を教えられなかったのです。ですから、アダムとエバは、生きているそのものが、「善」でしかなく、善しか発想できない存在だったのです。

 

200年前の人間が「スマホ」を発送できなかったようにです。

 

人の多くは、言葉、「プログラミング」によって、動いているとさえいえるのです。

ですから、言葉を理解したということは、それをそのまま、魂という袋の中にいれた状態なのです。

神様が、アダムとエバに悪に対して、注意をうながさなかった理由が見えてきます。

 

神様が人間に悪に対して注意すれば、それ自体が、人間に悪を理解させてしまうからです。

 

「善悪」という言葉が理解できる人は、その人には確実に「悪」も存在しているということです。

 

 

 

 

 

 

4、神の霊は「生」。悪魔の霊は「死」。

神様は、この世界そのものです。事実自体が、神様です。

ですから、神様は善しかできません。存在自体が事実だからです。

 

ですが、悪魔は、その神様を超えようとした天使です。神から離れた天使、それが悪魔なのです。

天使は人間よりも能力があり、知識を多く持っていたのですが、神様を超えようとしたのです。

 

それは、世界の崩壊を表します。

事実を覆すということは、法則を壊すということです。

法則がなくなれば、生きているものたちは、死んでいきます。そのいのちを保つことが出来なくなるのです。

 

今、こうしてこの記事を読めている人は、生きています。生きているから、この記事を読めていることでしょう。

その生きているということは、当たり前ではありません。ものすごい奇跡の積み重ねによって、信じられないほどの確率で、存在しているのです。

その法則の1つでも壊せば、わたしたちは生きることなどできません。

 

空気1つ無くなっただけで、死んでしまうのです。

 

悪魔は、神に逆らい、地に落とされました。その悪魔は、能力を制限され、体もない存在にされたのです。その悪魔ができることは、神が愛する人間という知能を持った存在を「誘惑」することです。

人間には、体があるので、その人間の脳に、「悪」というプログラミングを入れることで、事実を壊す存在にして、死を与えようとしたのです。

 

それは、体だけではなく、霊にも及びました。

アダムが「悪」を取り入れてしまったことで、罪をしてしまい、罪は死を呼び起こしてしまったのです。

その時点で、アダムの霊は、罪によって死んだものに変わっていったのです。

 

神様は、アダムに言いました。善悪の木から取って食べると必ず、死んでしまう。

創世記2章16・17節

 16主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。 17しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。

 

「きっと」という意味は、「必ず」という意味です。

ですが、アダムとエバは、善悪の木の実を食べても、生きていたままでした。では、神様は嘘をいわれたのでしょうか。

違います。アダムとエバは、死んでしまったのです。

 

以前は、神様の霊ですべて、魂という袋は、生きていたのに、悪魔の霊が悪魔の言葉によって入り込んだことで、袋の中の霊の一部が、死んでしまったのです。

 

以前とは、明らかに違った存在になったのです。

 

「生きているのに、死んでいる?」と意味が解らなくなりますが、わたしたちの体も同じです。

わたしたちの目からみれば、人の体は、生きて動いているようにみえますが、その一部である細胞は、常に死んでいっているのです。

死んでは、新しい細胞で復元されているから、完全な死から逃れているだけで、1秒たりとも死んでいない人はいないのです。

わたしたち人間は、死んで蘇ることを繰り返しているわけです。

 

霊もまた、罪という部分によって、死んでしまっているのです。

 

ですから、聖書は、その人が、どちらに傾いた魂であるのかを見分けることを示唆しています。

完全に神の子孫、神のプログラミングで生きている人もいなければ、完全に悪魔の子孫、悪魔のプログラミングで生きている人もいません。

 

どちら側にも、揺れ動き、その都度、ひっぱったり、突き放したりを繰り返して、現在があるのです。

 

ですが、どれだけ努力しても、完全に悪の霊を消すことができませんでした。必ず、霊の深くに、悪をいれてしまっていたからです。

 

その悲しい嵯峨から解放してくださったのが、イエスキリストです。

イエス様は、アダムが生まれる前から存在されていました。そして、アダムに言葉という善のプログラミングを与え、人間を善なるものとして、基礎、ベースを打ち立てたのです。

ですが、人間は、0.00001%の悪を選んでしまい、霊からも神様から離れてしまったことで、イエス様からも離されたのです。

 

神様は、そのまま滅ぶだけにはされませんでした。すべての人間は、アダムからはじまった子孫ですが、そのアダムは、イエスキリストに似せて造られたので、このイエス様に立ち戻った人間の霊は、罪から解放される道を用意されたのですね。

 

それが、十字架刑によって死に、三日後に生まれ変わるという救いの道だったのです。

コロサイ人への手紙2章12・13節

 12あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたのである。 13あなたがたは、先には罪の中にあり、かつ肉の割礼がないままで死んでいた者であるが、神は、あなたがたをキリストと共に生かし、わたしたちのいっさいの罪をゆるして下さった。

5、クリスチャンが、未信者に話しても通じないわけ

クリスチャンは、聖書が正しいことを知識的にも、霊的にも理解しています。ですから、聖書の言葉が理解できます。

 

第1コリント人への手紙2章11・12節

 11いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。 12ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。 

 

ですが、未信者は、聖書の言葉を知りません。すべて死んでいるわけではありませんが、クリスチャンよりもさらに悪魔のプログラミングを多く脳に受け入れているので、死のプログラミングの割合が多いのです。

 

死体に、どれだけ話しかけても、死体は、返事をしてくれませんが、霊や魂、脳が、死に偏っている人に、どれだけ話しても、通じないのは当然なのです。

ですから、クリスチャンがするべきことは、その人の中に「生きている部分」を見つけることです。

完全に悪魔の子孫という人はいません。どこからしら、神のプログラミングも受け入れて、生きている部分が存在しているのです。ですから、生きている部分をみつけて、生きた神のプログラミングを徐々に脳にいれていく必要があるのです。

 

完璧な死体ではないので、やりようによっては、振り向かれることもできるわけです。

 

ですが、多くが死んだものの状態なので、どれだけ論理的で、科学的で、学問的に話しても、通じません。

それが当たり前だと理解しましょう。

 

赤ちゃんは、生まれた時から日本語をしゃべれるわけではありません。時間をかけて、徐々に日本語を脳にいれて、成長していくのです。

このように、まるで花に水を毎日あげるように、少しずつ少しずつ、生きる言葉、生きるプログラミングをほどこしていく必要があるのですね。

また、知識や学問だけでは理解はできません。霊によってあらわにされる体験は、強烈で、知識を超えているもので、多くのクリスチャンが体験しているものです。これを体験しない人には、なかなか話は通じないですし、少し解っても、あくまで少しです。

 

エペソ人への手紙2章1-5節

1さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、 2かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。 3また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。 4しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、 5罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし-あなたがたの救われたのは、恵みによるのである-

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