世界の法則

人間には、自由意志があるのか

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人間に、自由意志があるのは、当たり前だと考える人がいるかもしれませんが、それはあながち言い切れるものではありません。

自由意志を考えると それを自分の意思で選んでいるかのように感じていますが、実はそれを選ぶように誘導されているとも考えられるからです。

 

例えば、人は、どの家族のこどもとして生まれるのかは、選ぶことはできません。

どの国に生まれるのかも解らないのです。

その国によって言葉が違うので、どの言葉を使うのかというものを選択したというよりは、その国の大人、しゃべられる人に誘導されたとも言えるわけです。

 

みなさんは、本当に自分の意思で、物事を選んでいるのでしょうか。

 

1、知らない言葉は、選べない

人は、知らない言葉を選ぶことはできません。

昔の人は、電話が無かったので、電話を使う選択はありませんでした。

フランス語を知らない人は、フランス語を使うことができません。

 

このように、人間は、言葉によって選べる選択枠を広げているということです。

 

人間の最初の人、アダムは、イエス様に言葉を教わりました。

イエスキリストの創世記>>

 

言葉を教えられるまでは、限りなく自由意志がなかったと言えます。

言葉もないので、選ぶというよりも、神様に造られた体、また環境に導かれて、動いていたというところでしょう。

ですから、その後、イエス様によって言葉を頂き、その言葉の数を知れば知るほど、選択枠を増やしていったわけです。

 

そして、イエス様は、人間に動物の名前、新しい言葉を発明することも教えました。

アダムが罪をおかす前に、畑仕事の仕方も、神様であるイエス様は、教えていたのです。

 

その枠の中に、他の動物が入らないようにする工夫も教えられたのです。

 

ただ、教えていなかったのは、悪の存在です。

悪を発明したのは、人間ではないと聖書には書かれています。

悪を発明したのは、悪魔で、その悪魔が蛇に入り込み、人間に悪という概念を体験とともに与えたのです。

 

悪を知るまでは、人間は今のように、善悪を選択できる自由意志があったとは言えなかったということです。

 

悪を知ること自体は、悪いことではありません。

悪を選びそれを行うことが罪になるのです。神様は、善悪の木を用意されているのですから、もちろん、神様も悪を知っています。理解されているのです。

ですが、神様は悪をすることはできません。

 

神様は、この世界を創られ、この世界自体が、神様だからです。

ですから、悪ができるのは、不完全なもの、神様以外のもの、魂や霊があり、選択できる存在だけが、上を手に入れようとしたりすることで、悪を選ぶのです。

 

エバは、善悪の木の実を食べると、賢くなると蛇に誘導され、それを手に入れるために、罪をおかしました。

悪魔になった天使も、神様のようになろうとして、罪をおかしたのです。

 

不完全だからこそ、何かを望むのであって、全知全能の神様からすれば、それを壊すことなどはしないのです。

 

解りやすく言えば、小説家です。

小説家は、自分の作品という世界を作り出す、神だと言えるでしょう。

その小説の終わりが、破滅であろうと、ハッピーエンドであろうと、その小説自体が、売れるもの、意味があるものとして、書き続けるのです。

その小説が、誰にも見られず、消え去ってもいいと考えながら、小説を書く小説家はいないのです。

 

その小説を壊そうとするものは、第三者です。違う小説家はライバルとして邪魔だと考えるかもしれませんし、その小説を読んだ人は、気に入らないと無意味な位置へその小説を持っていこうとするのです。

 

その小説を書いた小説家は、無意味なものを書こうとはしないのです。

 

これは、神ではないものたちの嵯峨だと言えるのかもしれません。

2つの選択枠に、いつかは目覚めてしまうからです。

神様とともに、その世界を大切にして、意味があるものにするのか、神様に反発して、その世界を壊し、意味のないものにするかの選択です。

 

前者は、賢いですが、後者は、自殺しているようなものです。

まともに考えれば前者を選ぶのですが、欲望を選んだものたちは、後者を選ぶのです。

 

アダムとエバは、後者を一度選んでしまったのです。賢いという実がおいしそうにみえたのですね。

創世記3章5・6節

 5それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。 6女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。

 

 

 

2、言葉の量=自由

人間の歴史をみると、言葉は支配者たちによって、コントロールされてきました。

例えば、ローマカトリックは、聖書を誰にも読めるようにはせずに、限られた聖職者だけが聖書を読めるようにしていたのです。

 

また、学校というものも作りませんでした。カトリックの支配した世界では、言葉を教えたり、学問を教えるところは、教会が担っていて、知識をわざと規制して、人々をコントロールしていたのです。

 

今でも、世界では読み書きができない人がいることをみなさんは知っているでしょうか。

世界では、読み書きすらできない状態は、存在しているのです。

 

それは、支配者にとって都合がいいからです。

はじめから知らなければ、それを選択することができないので、弊害が生まれません。ですから、情報を規制して、国民の脳の中に知識を入れないようにしては、コントロールすることを簡単にしていたのです。

 

カトリックは、なぜ聖書を一般人には読ませなかったのでしょうか。

それは、聖書は、極限まで、自由意志を尊重しているものだったからです。

 

キリスト教を知らないひとたちは、キリスト教は一神教だから、規制ばかりする思想を聖書も教えていると勘違いしています。

聖書を読むと、確かに、「○○をしてはいけない。」「○○をせよ。」と断定的に書かれています。

 

ですが、よく考えてください。「○○をしてはいけない。」と教えているということは、人間は、その「○○が出来る選択を与えられている。」ということです。

 

出来ないことを規制する人などいません。

 

背中の羽で、飛んではいけません。と誰が人間にいうのでしょうか。

 

○○してはいけないと教えるということは、それが出来るという自由をすでに与えられているということなのです。

 

 

神様は、人間に悪を理解する選択を与えられました。悪を知ることで、どれだけひどい未来の出来事が起こるのか理解していてもなお、人間に選択する自由を与えたほど、寛大なのですね。

ただ、認めただけではありません。その悪を選んで罪を内にいれてしまった人間を救うという道さえも、容易して、ご計画されたのです。そして、ご自分の身を人間のために使い、十字架刑にかかられたのです。

 

善悪を知った人間であっても、それでも救いがある未来さえも用意されたのです。

 

カトリックは、逆でした。いかに、自分たちの地位を守るのか、地位や名誉を守るのかを権力によって、規制したのです。

聖書を読ませないようにして、自分たちの都合のいい教えだけを外に出して、自分たちの都合の悪いものは、一般人には教えなかったのです。

 

ですから、聖書に書かれていることとまったく違う教えが、広がっていたのです。

 

例えば、お金でお札を買えば、天国に行けるなどの詐欺行為さえも、堂々と世に広めたのです。

 

 

インドには、バラモンという宗教がありました。

バラモンという貴族が、絶対的な権力を持って情報規制していたのです。

わざと一般人には、読み書きをさせないようにして、脳に情報をいれず、自分たちの都合のいい情報だけを一般人の脳にいれるようにしたのです。

 

上でも書いたように、知らないことは選択できないのが、人間ですから、意味不明なことさえも、バラモンのいうことなら、受け入れてしまっていたのです。

それだけしか考えられないだけの情報しかなかったからです。

読むことができなければ、知識を新たに、脳に取り入れることができないからですね。

 

例えば、食べ物が残り少ない一般人からも、食べ物をバラモンに捧げるようなことをさせたのです。現代人なら、そんなことをすれば、死んでしまうことは解りますが、当時の人々は、それをすれば、逆に幸せになれると本気で信じたのです。

現世で苦しめば苦しむほど、来世では、幸せになれるという嘘をバラモンが人々の脳にインプットしていたからです。

 

情報がない人は、それが嘘なのか、見抜くことができないのです。

 

幼いこどもたちは、明らかに大人よりも、情報が少ないです。経験もないのです。

ですから、知識も経験もあり、体が大きな大人の言葉を嘘であっても、すぐに信じてしまいます。

 

このような状態にするのです。

 

江戸幕府は、海外の情報を規制しました。吉田松陰は、海外の情報をすでに知っていたから、江戸幕府がおかしいと考えることができましたが、当時の人々の多くは情報が少なくて、吉田松陰の言っていることが理解できなかったのです。江戸幕府が正しいのが当たり前だったからです。

 

このように、人間の歴史は、情報を規制することによって、多くの人々をコントロールしてきたものだとさえ言えるのです。

 

それは、現代でも変わりません。

現代人は、科学や学問を嘘や詐欺をしないと信じ込んでいますが、そんなことはありません。現代の学問や科学は、嘘ばかりです。よく考えれば、絶対にありえないことを言っているのに、それが正しいと本気で信じているひとたちが多いのです。

学校宗教団体でも、情報規制ばかりしています。

どうでもいいことばかりをこどもたちに毎日教え、教えなければいけない重要なことは、秘密にして、教えないのです。

 

そうすることで、脳をバカにして、考えられないようにされているのです。

 

進化論という宗教を心から正しいと本気で信じている人もいるほどです。わたしも、18歳までは進化論を信じていました。

 

進化論の正体>>

 

神様は、正しい道を教えられますが、ほとんど規制することをされません。なぜなら、この世界そのものがすでに事実であり、規制として成り立っているからです。あとは、人間に情報を与え、それでも、事実を選ぶのか、それとも嘘や詐欺を選ぶのかを見ておられるのです。

 

神様にとっての事実とは、善です。そして、悪とは、存在しないもの、虚構などの偶像思想なのです。

 

偶像とはどういうものなのか>>

 

ですから、神様は、色々な言葉を発明することも規制されません。ですが、それが悪いことだからダメだよという教えはされるのです。

神様の言葉に従うのか、それとも逆らうのかは、人それぞれに任されているのです。

 

そして、時代とともに、人間には、人権があると保障されるようになり、情報を大量に脳にいれることができるようになりました。

特に、インターネットの存在は大きいです。

 

マスメディアのように、限られた閉鎖された世界では、少人数で情報規制はできますが、インターネットのように広い情報発信できるものには、完全に規制することはできないので、多くの情報を手に入れて、多くの自由意志を持つ人間が良くも悪くも、育っていくのです。

 

神様の作られた自然の法則を人間は、学問などの発展によって理解して、利用できるようになり、今の文化の発展を手に入れました。

飛行機に乗るという選択もできるようになったのです。

飛行機がなかった時代には、飛行機に乗る自由はなかったのです。

 

このように、言葉の量=自由

 

カトリックやバラモン、江戸幕府、多くの支配者たちが、情報規制して、一般人を強制的にコントロールしてきたことは、決して100%悪いというわけではありません。

 

親が、こどもにインターネットを使わせないようにするのも、インターネットには、ワイセツなことや広告などが張り付けられていて、悪の情報を満ちているからです。

親なら、子にそのような情報を与えたくないと考えることが、悪いわけはありません。

素直で、純粋だった幼児のこどもが、幼稚園や保育園にいくと、悪い言葉を覚えて、反抗的になったりします。

そして、家族の基礎である親に反乱をおこして、調和を壊そうとするのです。

 

このように、規制自体が、一方的い悪いというわけではありません。ですが、ご都合主義で情報規制するのは悪いことです。

ご都合主義、私利私欲、地位や名誉、欲望などを満たすために、情報規制してきたから、滅んだのです。

 

神様は、99.9999%、善の世界をアダムとエバに与えました。悪は、蛇という存在だけだったのです。世界に比べて、悪という存在は、0.000001%のようなものです。

 

人間は、ほとんど100%の善ではなく、ほとんど0だというほどの悪を選んでしまったのです。

悪だけをクローズアップすることで、それが魅力的にみえてしまったからです。本当に世界を見渡して、そのちっぽけな誘惑をみれば、決して彼らは悪を選ぶことはなかったことでしょう。しかし、蛇の誘導によって、ほとんど0の悪を50-50ほどまで引き上げたと言えるでしょう。

 

人間の脳には、想像力、イメージする能力があるために、事実とは違うように世界をみることができてしまうからです。

 

善の環境を保つことは大切です。ですが、悪という存在は、必ず存在しているのですから、徐々にその悪を教えて、悪が誘惑してきても、善を選べるように鍛えるべきです。そうすることで、徐々に、自由意志がある存在へと向かうことができるからです。

3、人間には、自由意志はあるのか

答えは、①自由意志がある ②自由意志がない

 

この2つが混ぜ合わされた世界に、生きているのが、人間です。ですから、①+②=人間の自由意志だと言えるでしょう。

 

例えば、狼に育てられた人間は、まるで狼のように振る舞います。もちろん、人間の言葉は話すことはできません。

このような人間には、言葉が少ないだけに、自由意志の割合が少ないと言えるでしょう。

 

ですが、人間は徐々に、情報を伝え、広げることで、脳を全体的には、発展してきました。

後退しては、発展し、後退しては、発展しの繰り返しですが、実際は、発展している比率のほうが多いのです。

 

そして、情報が多い人ほど、自由意志を多く手に入れていると言えるでしょう。

ある人は、支配者のマインドコントロールされたまま、自由意志なしに生きています。

ですが、有る人は、情報を大量に手に入れ、自分の自由意志によって生きているのです。

 

つまりは、自由になりたければ、どれだけ「情報」を手に入れることができるのか。ということです。

 

あなたは、自由意志を持っていますか?

 

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