思考の変化

人間は性善説なのか、それとも性悪説なのか

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人は性善説なのか、性悪説なのかという問題は、一概に白なのか、黒なのかとハッキリと言えるものではありません。

 

なぜなら、現代人と2000年前の人間は、違うからです。

同じ人間ですが、現代にはスマホがありますが、2000年前にはスマホはりません。車もなければ、飛行機もありません。

同じ人間という枠ではくくれても、時代によって環境は変わり、国や言葉、民族によってもまた環境が違うので、人間の価値観は違ってくるのですね。

 

では、現在は、何色かといえば、白でもなく、黒ではない、灰色の時代だと言えるでしょう。

性善説と性悪説が入り混じった世界ということです。

1、聖書は、性善説、性悪説どちらなのか

聖書が教えるのは、もともと人間は、性善説でした。

世界にも、善しか存在せず、善のプログラミングが神様からされていた状態だったので、悪という存在自体、認識できない状態だったと書かれています。

 

みなさんは、勉強もしていないイタリア語を話すことができるでしょうか。

人間は習ってもいないことを実行することはできません。

 

その習うことは、親や先祖、自然で見聞きするものなどから学び、発見して行動を起こせているのです。

 

ほとんど99.9999%善だった世界に、0.0001%の悪であった蛇に入り込んだ悪魔が存在し、人間に、悪のプログラミングの基を人間の脳に入れこんだのです。

善が神様から与えられたものであれば、悪を与えた存在が悪魔なのです。

 

そのため、善でしか行動できなかったアダムとエバは、悪を入れたことで、白色からすこし濁った状態になったというわけです。

それをさらに濁らせたのは、カインという息子でした。

 

そして、そのカインの子孫から次々と悪が発明され、人々はさらに白色から黒色へと濁らせていったのです。

 

そのため、現在では、白でもなく、黒でもない灰色の世界が広がっているのですね。

 

聖書は、もともと人間は性善の状態で造られたのですが、悪のプログラミングを入れられることで、悪を理解し、悪を実行することで、黒とまでは行かないにしても、白では無くなったと教えているのですね。

2、豊かさマインドと欠乏マインド

人は、人だけでは生きてはいけません。

空気や水、食料や自然、地球や宇宙がなければ、すぐに命を無くしてしまう存在です。

この事実を知ることで、人間は不完全だとハッキリと理解することが出来ます。

ですから、人によっては、その不安から恐怖心がつきまとうのです。

 

性悪説とは、善悪の価値観で、悪を行うことが悪だというものではありません。

それは後天的なもの、悪のプログラミングをされた後の結果論です。

もともと、人間は不完全な存在なので、不安が生じる。または、完全になろうとすることで、恐怖にかられて、悪をしてしまうという先天的な観方です。

 

カインはなぜアベルを殺してしまったのでしょうか。

それは、見比べられていた相手に負けるという恐怖から逃れるための行動だったのです。

 

カインは、人間ではじめて、競争ことを体験した人でした。現代人は、生まれたらすぐに、大勢の人間がいるので、競争ことが当たりまえですが、その時代では、カインがはじめて体験したのです。

アダムは、世界にたったひとりの男であり、父親でした。

エバも、世界でたったひとりの女であり、母親でした。

 

小さいこどもをみて育てて、本気で親が子に競争しようとは思いません。ですが、前例のないカインの立場は、そのジレンマをどう表していいのか、解からず、恐怖と怒りによって、アベルに手をかけたのです。

 

カインは、殺すということの意味を知らなかったのですね。

邪魔者だけ消えればいいと思って行動したことでしょう。

 

このように、人によっては、恐怖に負けて、知らないうちに悪を行動してしまう場合があるのです。

これを欠乏マインドと言います。

 

特に、欠乏マインドの恐ろしいところは、神がいないと本気で信じている人に現れます。

与えられているという「事実」を理解できないだけに、不完全であるという「事実」が勝り、不安が増大していくのです。

 

この欠乏マインドと対局にあるものが、豊かさマインドです。

確かに、人は不完全で、弱い存在という「事実」があるのですが、それを完全に整えられている環境があるという「事実」を忘れないというものです。

 

人間は、不完全なので、空気がないと生きていけないのですが、実際には空気があるから、この記事を読めているのです。

水もあれば、食料を食べてきたから成長して今があるのです。それも「事実」です。

 

この事実は、ものすごい奇跡なのです。

 

宇宙では、空気がないことのほうが、当たり前です。

空気があって当たり前だと思えるのは地球だけです。

にも拘わらず、何千年もこの地球には、空気が存在したという「事実」があるのです。

 

そうです。人間は確かに不完全ですが、神様が創られた世界全体と一致すると、ほとんど完全なる存在になれるのですね。

 

これを共生といいます。

 

偶然では、不可能なのに、実際にはその不可能が、存在しているという「事実」が神様の存在の証明なのです。

あなたが存在しているという事実は、神様がいるという証拠なんですね。

 

偶然、あなたが存在するわけがないからです。そんな甘いものではりあせん。

 

あらゆる絶妙な法則が一致して、この世界が存在しているからこそ、わたしたちは存在しているのです。

 

詩篇139偏13・14節

あなたには、やみも光も異なることはありません。 13あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。 14わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます。

 

「くすしい」とは、奇跡的なこと、神秘的なことです。

怖ろしいほど、くすしいと聖書は書かれています。

 

わたしたち人間だけをみれば、不完全ですが、それを支える奇跡的なほどの法則や自然、あらゆる万物が、わたしたちを守ってくれているという、前の前に見える「事実」によって、神様の存在を否定できないのです。

だからこそ、わたしたちは何千年も生きていられているという「事実」がまた生まれ、それによって今わたしたちは存在しているのです。

 

わたしたちは、ほとんど無限に与えられているという「事実」によって、恐怖に打ち勝てるのですね。

そして、究極の「事実」とは神様のことです。

 

大量にある、この世界の法則が、絶妙にバランス良く存続しているのを偶然だと考えるのは、笑い話です。

 

適当に物を投げたら、テレビが出来たといっている人と同じです。

 

テレビは人間の知恵と知識によって設計図が書かれ、その設計図通りに人間が作ったので、必然的に存在しているのです。

 

この世界が偶然存在しているのなら、次の瞬間、あなたのいる場所には、空気が無くなっているはずです。宇宙では空気があることのほうがおかしいからです。

 

ですが、現実に、空気はずっと昔から存在しているのです。

 

カインは、アベルの存在を愛さず、認めず、恐怖の対象として映し出しました。欠乏マインドによって「事実」を無視して、深い闇の世界を増大させ、恐怖を必要以上に膨らませたのです。そのため、アベルに手をかけたのです。

 

もし、彼がアベルの存在に感謝し、兄弟であり、仲間であり、助け人だと考えたのなら、神様がアベルを選ばれたことも、喜べたはずです。

豊かさマインドによって、お互いを認め、助け合うことで、完全に近づけたはずだったのです。恐怖に打ち勝ち、善をすることで、自分を守れたはずなのですね。

 

人だけをみれば、その不完全さから性悪であると考えてしまいますが、人は人だけで生きているわけではないのです。

あらゆる助けの中で、共生して生きているのです。

 

欠乏マインドを抱く人の多くは、自分の世界に入り込んで、自分だけが体験しているかのように思い込みます。

ですが、実際は、不幸や悪を体験していない人なんて、ほとんどいません。

多くの人たちは、体験していたとしても、それでも強く生きようと行動しているのですね。

 

ものすごく優秀な木こりがいました。彼は、誰よりも、精確に早く木を伐採できたのです。

その彼に、「木を切るな」という人がいました。

ですが、優秀な木こりは、「おれ以上に木を上手に切れる人間はいないのだから、邪魔するな」と木をきり続けるのです。

 

優秀な木こりに叫びました。

「お前が切るべき木は、隣の森だ。その木は切ってはいけない木だ」

 

 

木をみることは確かに大切なことですが、森全体をみなければ、余計なことをするはめになるのですね。

上手に木を切ることで、多くのひとたちに賞賛されやすいかもしれませんが、間違ったことを上手に続けても、ゴールにはたどり着けないのです。

間違った場所に早くつくだけなのですね。

 

恐怖心にかられて、行動すると碌なことはありません。

外的要因による恐怖は、人の脳の機能を狂わせ、正常に物事を考えられなくします。脳が機能停止状態なので、考えれず、視野が狭くなるのです。

事実を無視して、必要以上に、世界が悪だと想像力を増大させていくのです。

どんどん、欠乏マインドに陥っていきます。人を蹴落とす必要もないところでも、人を蹴落とすのです。

 

悪をすることに理由をつけはじめたりもします。

「船が沈没して、ボートに乗れるのは、限られた人だけ、生き残るには、他人を蹴落とさなければいかない」

「肉食動物は、草食動物のいのちを取って生きている」

 

冷静に脳が機能していれば、これがただの言い訳だと理解できます。

船が毎回、沈没するでしょうか?事故は1分1秒続くでしょうか?弱肉強食ならどうして、動物の9割は草食動物なのでしょうか?

 

一部の確率の低い例外を持ち上げては、欠乏マインドを正当化させているだけで、その他多くの日常を無視しはじめるのですね。

実際は、共生しあって、この世界は存続しているのです。それが大半です。

 

危機感を持って、最悪に備えて考えることは大切です。ですが、確率が低いものだけに心を奪われては、本末転倒なのですね。

悪は、必ずこの世界に存在しています。ですが、その悪は、どれほどの割合なのかという冷静な判断力が必要になるのです。

 

今も昔も、悪は極一部です。

人間の脳の中では、世界を悪だらけだと錯覚することは出来ても、事実は変えられません。

エデンの園の時代は、極限まで、悪は存在していませんでした。

それが、人間によって、悪が増大していったのです。

 

その影響で、自然界にも、悪なるものへと変化していきました。

神様は、それを良しとされました。なぜなら、人間が悪をしても、悪が返ってこないのなら、人間は悪をやめる理由がなくなるからです。

ですから、神様は試練を人間や世界のために、与えられたのですね。

 

多くは恵ですが、一部は試練として残されたのです。

イエス様の時代では、悪がはびこっていましたが、その後、次々と平和や人権が、世界中に広がっていきました。

今では、ほとんどの国に、憲法が存在し、人権が当たり前になっているのです。

 

戦争も、信じられないほど、激減しています。

一部の戦争の存在だけをみれば、戦争はなくならないと思い込めるかもしれませんが、世界全体では、あきらかに戦争や抗争は、激減しているのです。

 

このまま行けば、もしかするとエデンのようなまるで、天国のような世界がやってくるかもしれません。

日本の70年間のように、戦争をしない世界になるかもしれません。

不可能だといわれたことを次々と克服してきたのです。

そのきっかけになったのは、イエス様でした。

 

欠乏マインドで広がり、裁きあっていた世界に、ゆるしと愛によって豊かさマインドを広めたのです。

 

今では、日本人のほとんどの人が、昔の王族貴族よりも豊かな生活を送っています。

しかも、いのちをかけなくても、手に入れているのです。

 

誰がこのような世界を想像できたでしょうか。

 

現代は、あきらかに、灰色ですが、未来では、純白に近いほどの世界になっているかもしれません。エデンの園の復活です。

人や世界は、アダムの悪の選択によって神様から試練を与えられましたが、イエス様によって祝福とゆるしを与えられて、じわじわと回復しつつあるのですね。

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