思考の変化

キリスト教の教える愛とはどのようなものなのか

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キリスト教が教える愛とは、ドラマや映画、小説などに書かれる男女の愛でもなければ、家族愛でもありません。それらは二次的な愛です。

キリスト教の教える愛とは、それらの上に存在する一次的な愛のことをキリスト教は教えています。

愛そのものを教えているのであって、感情的な愛や時と場所、状況によって変わってしまう愛のことではありません。

 

愛とは何なのかについて考えていきましょう。

1、欲望の愛

愛というものは、言葉には言い表せられないものだと勘違いしている人たちは多いことでしょう。

もし、そのように考えているのなら、その人は危険信号が出ています。

 

そういった人の愛のイメージは、ドキドキしたり、胸が熱くなったり、想いが込み上げてくるものを愛だと認識している場合が多いでしょう。

 

ですが、これらは実は、脳による錯覚であることが多いのです。そして、それらは欲の愛であり、それが行き過ぎると欲望になります。

 

人間の脳には、脳内麻薬という物質が分泌されることで、気持ちよくなれるのです。

この脳内麻薬は、さまざまな場面で、分泌されます。

 

特に、犯罪や悪的な場面で、脳内麻薬は分泌されることが多いのです。

 

それは何故かというと、ギャップの落差の幅で、脳内麻薬が分泌されるからです。

 

例えば、恋というものがあります。恋をすると、胸がドキドキしたり、頭がボーっとしてしまったり、普通ではいられなくなります。

それは、好みの異性を前にして、その人を実物よりも、脳で過大評価して、普段では存在しないギャップを脳の中で作り出しては、脳内麻薬を分泌させて、気持ちよくなろうとするのです。

すると、脳がマヒしていき、思考が低下していき、心臓の鼓動も早まるようになります。

これらは、「状態異常」と言います。

 

正常とは、心臓が一定の速度で保たれている状態であり、脳も正常に機能して、思考低下を起こしていない状態のことです。

 

ですが、恋をして、相手を目の前にすると、正常ではない状態にさせられてしまうのです。

脳が状態異常なので、この状態を愛だと勘違いしている人は、脳で考えることができない状態を愛だと考えるので、愛は言葉では言い表せないと思い込むわけです。

 

この状態異常を引き起こす出来事は、さまざまあります。

状態異常を引き起こす方法ですね。

 

アルコール

例えば、お酒です。

お酒を飲むと、アルコールによって脳が機能低下を起こします。

飲みすぎると、フラフラして、まっすぐ歩くこともできず、有る人は、食べた者をもどしてしまうひともいます。

ですが、本人は、とても気持ちがいいのです。ほどよく飲む分にはいいですが、飲みすぎると、欲望に変わり、アルコール依存症になってしまいます。

お酒を飲むことで、言葉に表せない気持ちよさを追求しはじめ、破滅していくのです。

 

マラソン

マラソンやスポーツも脳内麻薬を分泌させます。

マラソンなどは、努力家のスポーツのようにイメージされていますが、実は、マラソンは、脳内麻薬を分泌させるスポーツで、気持ちよくなれるので、この気持ちよさを求めて、マラソンがやめれなくなるという状況にも陥ります。

努力しているというギャップを味わうことで、脳内麻薬を分泌させて、本人は気持ちよくなっているのです。

これがあるからこそ、努力できているという人もいるほどです。

他人からみると努力にみえますが、実は、気持ちよくてやっているわけです。

本当に良いマラソンとは、健康や体をほどよく鍛えるものであるのですが、それ以上を目指そうとすると短命になります。

マラソン選手というプロであれば、生きるために必要というところがあるので、しょうがないですが、プロでもないのに、やりすぎてしまうのは依存症になる可能性があるので、気を付けましょう。

 

ギャンブル

ギャンブルは、普段大切だと思っているお金をわざと使うことで、脳内麻薬を分泌させて気持ちよくさせるものです。

勝っても負けても、ギャンブル依存症の人には関係ありません。負けることがあるからこそ、勝った時のギャップによって脳内麻薬が大量に分泌して、気持ちよくなるのです。ですから、ギャンブル依存症があるのです。

 

不倫

不倫は、大切な結婚相手がいて、その結婚相手を裏切るというギャップから脳内麻薬が分泌して、気持ちよくなるものです。

大切な人を裏切るという悪的な行為が、やめられないのです。逆に大切な人がいる人を奪うというギャップがやめられず、不倫でしか愛を感じれないと思い込む人もいるほどです。ここまでくると、不倫依存症です。

 

万引

万引常習犯は、欲しい物を盗みません。普通の人は、ほしいものがあるから盗むと考えますが、万引常習犯は、万引するという悪をすることで、脳内麻薬を分泌させるのです。普段は、真面目な人が多いといいます。普段真面目だからこそ、ちょっとした小物を盗んで、そのギャップから気持ちよくなるのです。

 

犯罪

連続殺人犯は、普通では考えられない行動を取ります。普通では考えないギャップを味わうことで、気持ちよくなっているのです。ですから、彼らに捕まった時に、彼らを否定する言葉は、逆効果になります。反対すればするほど、彼らはギャップを感じて、気持ちよくなっていくからです。苦しんだりもだえたりする様をみたり感じたりして楽しんでいるわけです。

 

同性愛

同性愛者や女装もまた、異常状態を楽しんでいるものであり、欲望です。

まわりから白い目でみられ、反対されればされるほど、そのギャップから気持ちよくなったり、変な大義名分によって高揚するのです。男が女装をするというところをみると、正常なひとたちは、気持ちが悪いと感じます。それを感じることで、彼らはやめることができなくなるのです。同性愛は長続きしないと言われるのは、いつまでも周りの人たちが反対してくれるわけではにからです。反対されれば脳内麻薬で気持ちよくなれますが、反対されなければ、脳内麻薬が出ずに、愛がなくなったなどと考えて、次の脳内麻薬を探しだすからです。

 

かけおち

かけおちは、まわりから反対され、やってはいけないとされているからこそ、燃え上がったりするのです。ロミオとジュリエットという話は、純愛ではなく、欲望の話なのです。偽物の愛の話なのですね。

 

DV

DVという暴力によって脳内麻薬を分泌させる人もいます。愛している人に暴力を振るうというギャップを感じて、気持ちよくなったり、こどもに暴力を振るうことで気持ちよくなり、ストレス発散している人です。もちろん、しかるべき時に、手を出すのはDVではなく、普段からDVをする常習犯のことです。

 

絶叫マシン

わざと危険なことを体験するギャップから脳内麻薬を分泌させて、脳の機能低下で、気持ちよくなるものです。バイクやスピード狂や危険なスタントなどをやめられない人、ダイビングなどをする人などは、この気持ちよさを求めているわけです。

 

麻薬

麻薬は、上から得られる脳内麻薬の何十倍、何百倍の効果を与えるものです。ですから、上に当てはまるひとたちが麻薬に手を出したら、やめることができなくなってしまいます。とても恐ろしいものです。上のものは、内的な作用から出るものなのですが、麻薬は外的なものから無理やり脳に作用するものなので、脳事態に負荷がかかり、脳が変化してしまうこともあります。シンナーなどをすえば、脳が破壊されてしまうのです。無い脳を造り出すことなど今の科学ではできないのです。

 

人間は、もともと神様の下で、自由に生きることを喜びとする存在です。ですが、人間に悪が入り込んだことで、ルールや束縛をよぎなくされたのです。そのルールは、素晴らしく平和を保つために必要なものなのですが、それらを壊すことで、解放感を感じて、幸せだと脳が勘違いを起こしてしまうのです。

 

こどもの頃、親にダメだといわれていたことを友達とやったりすると、楽しく感じたということはないでしょうか。

犯罪者などの思考、なぜ犯罪者は、犯罪をやめられないのかというと、ルールを破る快楽を脳で味わってしまっているからなのですね。

モニタリングという他人を騙して、喜ぶテレビ番組がありますが、テレビの前のひとたちは、騙す番組だと解っていて、騙されているひとはそれに気づかないというギャップに笑いを感じて、楽しい番組だと考えているのです。

 

このように、人間には、愛もなければ、正義もありません。恋を愛だと思っていたり、愛は言葉では説明できないものだと考えているひとたちは、依存症や犯罪の一歩手前にいる黄色信号だということを知ってください。

人間の中から湧き出てくるものを愛だと考えているひとは、危険信号なのです。人間の愛は、すぐに変わってしまう、移ろいやすい基準にできないものなのです。

オウムと同じような教え、中から湧き出てくるようなものを愛だと考えている人たちは、離婚の確率が高くなります。なぜなら、ドキドキしなくなれば、愛がなくなったと勘違いするからです。

 

十代の頃はよかったという発言をする人も、要注意です。なぜなら、十代は、初体験が多くなるのは当たり前です。はじめての出来事を味わうと人は、その恐れやストレスのギャップから脳内麻薬が分泌して気持ちよくなれるからです。

ドキドキしたり、気持ちを高揚させたりすることを過剰に、求める人は、注意が必要で、それを過剰に与えたり指導しようとする人は、赤を超えた黒色の危険人物なので、気を付けましょう。偽宗教やコンサルタントなどにそういう人物がいます。オウムなどはまさにそれでした。頭だけで生きてきた賢いひとたちに、体で感じる不思議な体験をさせて、騙していくのです。脳に電気信号を流したり、薬などを使って、悪の道へと誘ったのです。

 

そして、本物のキリスト教が教える愛とは、このような錯覚の愛のことではありません。

これらは、二次的な人間の作り出した愛であって、ご都合主義であり、人によってどうとでも変わる偽物の愛なのです。

 

 

2、キリスト教の教える愛

本当のキリスト教や多くのまともな宗教が教える愛は、人間を基準にしていません。

人間が、どう考え、どう思うのかは、関係ない、永遠に変わらない愛を教えて、愛のない人間に、愛に従うように導くのです。

 

つまり、キリスト教の教える愛とは、「事実」のことなのです。

 

この世界には、神様が存在していることを否定できる人はいません。

否定したいと感情論で、否定はできても、事実は変わらないからです。

 

全知全能の神様が確実にいる証拠>>

 

その神様が、絶妙なバランスで、この世界を創られているから、今現在、この記事をあなたは、読んでいられるのです。

電気があるのも、重力があるのも、子孫を残せるのも、自然の法則があり、飛行機が飛ぶにも、法則が一定だからこそ飛ぶのです。

おそろしく奇跡的な状況が、おそろしく長く続いている「現実」が神様の証拠なのです。

 

そして、これらの原理原則、法則が、神様の愛から創られているいるのです。

これらの一次的な愛がなければ、わたしたち人間は、存在することさえできません。

異性に愛を語ることができているのは、空気があり、地球があるから出来ていることで、一次的な愛がなければ、二次的な愛など生まれないのです。

 

人間がどれだけ嫌がろうと、否定しようと感情的になっても、それでも地球はまわっているのです。

 

まともな宗教ほど、原理原則を大切にします。そして、重要なのは、その原理原則さえも作り出した偉大な存在「神様の存在」です。

 

この神様の存在を肯定し、その神様に従うことを教えるものが、まともな宗教なのです。

 

人間には、愛や正義はありません。

犯罪であっても、愛だと認識できてしまうからです。

SMという好きな相手を傷つけ、好きな相手から傷つけられることで愛を感じるという犯罪的なものさえ、愛だと認識し行動してしまうからです。

 

愛のない人間に対して、人間を基準にすれば、正義もなくなれば、愛もなくなります。

民主主義など、存在しません。神の基の民主主義や神の基の経済や神の基の国作りは、存在しても、人間中心の民主主義など存在しないのです。

もし、人間中心の民主主義を掲げているのなら、犯罪者たちも認めなければいけません。なぜなら、彼らも愛だと思って行動し、正義だと思っているから犯罪といわれる行動をしているだけだからです。

犯罪者たちは、趣味趣向を実行しているだけなのです。

 

趣味趣向同士が、言い合っても答えなどでません。

 

100人いれば、100通りの愛や正義が出来てしまうのが、人間を中心にする考え方なのです。

 

ですが、日本では、天皇が神事をして、政治の基礎を固めているのです。

アメリカでは、大統領が聖書に手を置くのも、愛や正義を固定するためなのです。

 

もし、神を抜かして何かを造ろうとしているのなら、その人は、移ろいやすいもので、気分次第で生きているだけで、そのまわりのひとたちは、怯えて生きていかなければいけません。

 

人間を中心にした愛というものは、いつまでも怖いものなのです。

いつ消えるのか、解らないからです。

 

ですが、本当のキリスト教が教える愛は、永遠にかわらず、固定したものです。

人間がどう考えようが関係ありません。人間の存在を現実に維持していることこそ、愛であり、人間が自然の法則を変えてしまえば、人間自体が危機に扮してしまいます。

 

人間は、明日も太陽がみれることを望むように、人間が愛に従うのです。

人間が、愛を作り出すのではなく、人間が愛に従うのです。

 

愛は、人間の下にもなければ、人間の中にあるものでもありません。

愛は、すべてのものに宿り、人間の上に存在しているものであって、人間の手出しできるものではないのです。

 

それを感情論で、否定して、犯罪的になり、犯罪や歪曲した考え方を認めるのか、それとも、事実を認めて、自分の感情ではなく、愛に従って、愛し続けるのかの選択なのです。

 

前者の人間が多くなれば、人間社会や世界は、闇になり、やりすぎれえば、世の終わりになります。

後者の人間が多くなれば、争いや競争もなくなり、みなが助け合って、認め合い、大切にしあって、共生システムで、幸せになります。

もちろん、欲望の幸せではありません。ありふれた、ほどよい正常な脳と体で、過ごす平安の幸せです。

 

動物たちが行っている生活に近いことです。

 

愛は、寛容であり、愛は親切です。愛は人を憎まず、人の悪を想いません。愛は真理を喜び、不正を喜びません。

 

愛のない人間が愛を作るのではなく、愛そのものに人間が従い行動するのです。

 

ですから、相手が歳をとっても愛するのです。相手が悪をして悔い改めれば、ゆるし愛するのです。

人が変わっても、愛や正義は変わらないのです。

 

男女の愛も、家族の愛も、親子の愛も、神様を頂点にして、三位一体の形で、作り上げるのが望ましいのです。

 

3、感情の恐ろしさ

感情は、良いものだと考える人は多いかもしれませんが、感情は、とても恐ろしいものでもあるのです。

感情というものは、人間の基礎、ベースにするものではありません。

 

感情は、包丁や車や家などと同じ、利用するものだと考えましょう。

 

包丁は、料理に使えば、とても役に立つ、優れた道具です。ですが、人間に向ければ凶器になります。

車もそうです。

 

物は、人間の使い方次第で、便利にもなれば、危険にもなるのです。

 

感情は、そのようなものと同じです。

 

良い原則、愛・親切・誠実・寛容・柔和・自制・ゆるしなどに、乗れば、感情は、素晴らしいものになります。

 

ですが、悪の原則

怒り・不親切・憎しみ・裏切り・偽り・怠慢・姦淫などに乗れば、感情は、恐ろしい結果を生むのです。

 

ですから、感情の前に、冷静な判断と正常さが必要になるのです。

それらがあってはじめて、感情を乗せるのが大切であって、基礎がない人に感情や包丁や車を与えるのは危険なのですね。

 

また、感情の恐ろしいところは、脳を利用しているところです。

脳は、もう1つの宇宙といわれるほど、想像力で広がっていくものです。ですから、暗い穴で、どこまでも、深く深く、暗いところに、落ちていく想像も出来てしまうのです。現実には、そのような穴などなりませんが、人間の脳では、そのようにどこまでも、続く穴を想像して、そこに感情をいれこみ、入り込んでしまうひとがいるのです。

 

太宰治の人間失格という作品がありますが、まさにそれです。闇へ闇へと入り込んでいき、自分の愛した女性たちを次々と不幸へとおいやっていくのです。

どこまでも、広げていけるだけに、それを悪の方向へ向けて、さらに感情を付け足せば、精神が病んでしまい、世界が闇に見えてしまうようになるのです。

 

映画やドラマ、音楽や小説などの多くは、錯覚の愛を表します。なぜなら、それらはエンタティナーであって、お客から収益することが目的だからです。

欲望的な愛をみせることで、お客の脳に脳内麻薬を分泌させて、気持ちよくさせることで、誘導していくのです。

ジャニーズやアイドル、ミュージシャンなどは、コンサートなどでハデな演出を考えては、お客の脳を気持ちよくさせて、虜にするのです。

不安味わえないものを味あわせることで、収益につなげるのですね。

 

好きな音楽を何度も何度も聴いて、感情的になり、気持ちよくなる人がいます。わたしもそうでしたが、好きな映画などを何度もみて、楽しむのです。

すると、それが本当の愛だと錯覚しはじめるのですが、実際は違います。

何度も好きな音楽を聴いても、想い人である恋人は、あなたと同じ回数その曲を聴いていませんし、同じだけの量や質でその曲に共感しているわけもありません。なぜなら、違う脳同士だからです。

自分で自分を気持ちよくするためにしているだけで、相手への愛ではないということです。

これが行き過ぎるとストーカーになります。

 

感情は、悪いものではありません。悪がある人間にとっては危険ですが、善の割合が多い人が感情を使う分には、悪いものではないのです。

 

料理でいう素材や栄養が、原理原則なら、味が感情といったところです。

 

人間の体が、原則なら、服やアクセサリーなどが感情のようなものです。

 

素晴しいものをさらに、色をつけて、味わうことができるようになるものです。

 

ですが、ファーストフードという健康に悪いものに、味付けだけおいしくしたものを食べ続ければ、その人の体は、死に近づいていきます。

ですから、味付けである感情を正義にしたり、基礎にしようとするのは、危険なので、冷静に、正常な思考になるように、普段から心がけましょう。

 

 

感情は、あらゆる場面で、役立ちますが、あらゆる場面で、危険をともないます。

感情や脳内麻薬、気持ちよさなどには、気を付けましょう。

 

そして、愛や正義に従う人でありましょう。そういうひとは、神の子孫です。

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