思考の変化

神中心主義と人間中心主義との戦い 悪魔宗教の誘導

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神中心主義と人間中心主義という考え方があります。

 

その名の通り、神中心主義とは

神様の存在を認め、その神様の考え方に従って生きている人間の考え方、思想です。

これは決して、キリスト教だけではありません。大乗仏教であっても、神道であっても、その他の宗教であっても、神様の存在を認めて、従っている人間のことです。

 

人間中心主義とは

神などいないと信じて、人間を一番上にして、人間を中心に考える考え方、思想です。

「神という存在は、人間の心の中で作り出した幻だ」と考えたり、「神はいないだろうけれど、その教えは大切だ」と考えたりする人もこれに入ります。

結局、神はいないと信じているからです。これは、宗教に通っている人間の中にもいます。仏教や神道だけではなく、キリスト教の教会に通う人の中でも、心の奥では、神の存在をちゃんと認めておらず、いないと信じている人もいるからです。

また、原理原則を一番上に置いて、考える人もこれに入ります。神様がいるいないは別にして、原理原則が存在し、それを否定できない以上、原理原則に従うしかないと考えている人のことです。これは、神中心主義と人間中心主義の中間的な人だとも言えますが、なぜここに入るのかは、後々説明していきます。

 

そして、これらこそがサタニズム思想なのです。

サタニズムというと、悪魔を教えるようなものだと思うかもしれませんが、現代ではそうではなく、神や悪魔という存在はいないと思わせる誘導のことです。

歪曲させて、物事を本質から違うものへといつの間にか誘導するものなのです。

 

神中心主義と人間中心主義は、どちらが正しいのでしょうか。

また、人はいつから、人間中心主義で生きるようになってしまったのでしょうか。

今回は、神中心主義人間中心主義について考えていきます。

1、歪曲させた神中心主義と人間中心主義の考え方

神中心主義と人間中心主義を考えていく上で、はじめから歪曲させた題材にして、話を進めてくるひとたちがいます。

 

例えば、「キリスト教は、人間中心主義の宗教だから~~~」といった具合にです。

彼らは、なぜ突然キリスト教が、人間中心主義だと歪曲した話を持ち出しているのでしょうか。

 

聖書の創世記には、神様が人間アダムに「この世界を支配するように」命じられているところからです。

人間は、他の動物たちや自然よりも優遇されていて、人間は、好き勝手に、自然界を利用できると主張しているのです。

だから、自然界を破壊しては、科学を生み出し、現代科学の多くをキリスト教があみ出せたのも、破壊による思想からだというわけです。

 

自然界を大切にし、自然を神様だと信じてきた日本人やその他の民族たちは、自然を大切にするあまりに、科学が発展せず、精神が優れているというわけです。

 

もうすでに、種子がずれて、歪曲するように、歪曲するように、誘導して話し始めているのですね。

「はぁ???神中心主義と人間中心主義ってそういうことなの?」といきなり惑わされる人たちが出てきます。

 

全然違うので、惑わされないようにしましょう。

 

神中心主義とは、神様を中心に考える思想のことであって、1つの宗教の枠で、語るほうがおかしいのです。なぜ、キリスト教だけが、独占的に、上になっているかのような話になっているのでしょうか。「キリスト教は上だからけしからん。」みたいな話になっているわけです。

神中心主義とは、キリスト教や神道や仏教など宗教は関係なく、神様を中心にして考え生きている主義主張のことです。

 

白人社会に対して、アジア人の呪いや憎悪みたいなドロドロしたようなものさえ感じます。

 

そして、また、これらの歪曲した考え方の発祥が、白人社会から出ているのが、また厄介で、頭を混乱させてしまうのですが、説明すると、白人社会は、白人が支配していると思っているかもしれませんが、違います。裏には悪魔宗教がいて、彼らは中間種ともいえるひとたちで、白人でもなければ、アジア人でもない種族です。いわゆる現代ユダヤ人の種族であり、その中の一部の悪魔宗教家たちです。すべての白人系ユダヤ人が悪魔宗教なわけはありません。

 

そして、白人社会を支配するために、白人たちには、自虐史観を持ってもらおうとしているのです。

また、悪魔宗教は、キリスト教のカトリックやプロテスタントの中に入り込み、聖書の教えを歪曲させた思想をキリスト教徒たちにも植え込んでいきました。

ですから、白人側から自虐的な思想が討論され、それをアジア人たちは、ここぞとばかりに乗って、白人社会への恨みや呪いでやり返そうとしているわけです。

 

解かりやすくいえば、朝日新聞が、「日本人は、アジア諸国に、残虐なことをしてきた」と自虐史観の捏造の内容を発表したのをいいことに、朝鮮人や中国人が、それを日本人への恨みや呪いでやり返そうと利用しているのと同じです。

 

日本人は、GHQなどによって、白人に支配されたアジア諸国だけが、自虐史観を植え付けられていると思い込んでいますが、違います。白人たちも、自虐史観を植え付けられているのです。

 

歪曲させていない本当の神中心主義と人間中心主義の話は、聖書の内容でも、解かりやすく書かれています。

 

神様は、人間に、善のプログラミングを言葉などによって教えました。人間アダムは、善しか情報を知らないので、善しかできないロボットのような存在でした。自分たちが裸であることも理解できなかったほどです。

 

そこに、蛇に入り込んだ悪魔が現れ、人間を誘惑するのです。

「あなたは、神様のように善悪を理解して、とても賢くなれるのですよ。神様から離れて、自分の思い通りの生き方ができるようになるんですよ」と歪曲させて、誘惑してきたのです。

 

神様がいて、神様中心主義であったことが、当たり前だった人間でしたが、そこから、人間中心主義へと誘導しようと悪魔は誘惑してきたのです。

 

 

これは決して、キリスト教だけの話ではありません。神道にしても、仏教にしても、神様中心主義で生きてきた人々に対して、あたかも、科学や学問かのように、賢そうな言葉や思想で、神様はいないのが当たり前だという現代宗教に、流されていった人たちです。

 

昔は、神様中心主義で生きているのが当たり前でした。神様に従い、その神様が創られた原理原則に従って、生きていたのです。そこに疑問はありませんでした。

 

ですが、ここ50年間で、急激にそれらの神中心主義を破壊するような思想が生み出されていったのです。物やお金など、目に見える解かりやすい利益を優先するような思想が、人々を惑わしはじめたのです。

それは日本だけではありません。世界中に起こったことです。先進国といわれる国ほど早く起こっていきました。

 

このことを教えているのは、「7つの習慣」です。

世界的にも有名な経済学者であるスティーブン・R・コヴィー博士が、アメリカ建国から200年に渡って、成功本をかき集め、それらの成功本を一冊にまとめたのが、「7つの習慣」です。

この本は話題になり、経済界だけではなく、キリスト教神学校でも1つのクラスとして授業があるほど影響力がある本なのです。

驚異的な売り上げを果たした経済本として、日本人の人でも経済に少し詳しければ、知らない人はいないというほどの本です。

 

この7つの習慣に書かれているのは、200年の成功文献に書かれていた内容は、ここ50年間とその前の150年間で、まったく教えている内容が違っていたということです。

ここ50年間は、傷口をまるでバンドエイドを貼るかのような、表面的な成功を教えるのに対して、前の150年間は、原理原則を教える内面的な成長を促しているものだったというこのです。

最近でも、心理学で人を操れるかのような内容があったり、小手先のテクニックなどを誘発する本が多いですが、前の150年はまったく違っていたというわけです。

 

世界的にも、急激に、この表面的な思想が、人々のマインドを誘導しているのです。

神や悪魔などいない、それらは人間の脳が生み出した思い込みであって、科学でもなければ、学問でもないと歪曲させていきましたが、それ自体が、すでに歪曲した内容なのです。

 

今現在、科学や学問による恩恵で、ほとんどの日本人は生きていることでしょう。電気を使い、車を使い、パソコンやテレビ、飛行機を利用する人もいるでしょう。それらのほとんどが、神を信じる有神論者たちによって発見された事実を無視しているのです。

偉大な発明、発見をしたと言われているひとたちの8割・9割は、神様を信じる学者たちでした。その1割は、存在するかしないのか解らないと中間的な人でした。そして、残りの1割にも満たないひとたちが無神論学者でした。

 

地動説を提唱したコペルニクスも、ガリレオやニュートンなども、みな神様を信じる有神論者でした。

地動説と天動説の討論を科学と宗教の戦いなどと歪曲させていますが、実際は違うのです。宗教と宗教の戦いだったのです。また、科学と科学の戦いだったのです。

どちらも、神を信じる有神論者たちの論議だったのですね。

 

この世界に法則が存在しているという事実は、神様が存在しているという確固たる証拠だから、誰も否定できないと彼らは考えたのです。神様がいるのだから、必ず、この世界には法則があると信じて、考えた結果、実際に法則があることに気づいて、科学を発展させていったのです。

 

逆に、神がいないと信じていた無神論の学者たちは、神がいないのだから、この世界は、法則がないと本気で思い込んでいました。この世界は無秩序で、意味などないと信じたのです。

 

ですが、結果はどうでしょうか?

 

明らかに、この世界には、原理原則、法則は存在しているのです。

無秩序の世界とは真逆に、あまりにも美しすぎる法則で満ちているのです。

 

だからこそ、車を利用し、飛行機も利用できているのです。この法則に逆らって飛行機もロケットも飛べないのです。

 

神様がいないという学者ほど、2流3流の学者であって、事実を認めたがらないのですね。

1流の学者は、どれだけ神様が理不尽な存在だと思っても、事実は事実だから、その存在を否定することなど出来ないのです。

 

全知全能の神が確実にいる証拠>>

 

そして、その神様を中心にして考える人とその神様を無視して、人間を中心にして考える人が、神中心主義と人間中心主義なのです。

 

決して、神様が、人間を有利に造られ、人間が世界をコントロールするように言われたからと歪曲させた話題のことではないのです。

 

それらは、事実でしかないからです。

 

みなさんは、猿の惑星という映画のように、人間以外の生き物が、この地球を支配していると考えますか?

地球のどこにいっても、人間だらけで、人間以上に賢い生き物は、存在していません。外を歩いても、人間ばかりが平然と歩いているだけです。

宇宙人もいなければ、堂々とテレビで出ているのは、人間です。

それを否定するのなら、その人は、事実を無視して、自分の想いを無理やり自分勝手に押し付けようとしているだけで、犯罪者たちやストーカーなどの主張と変わりません。

相手がどうなろうと、どう考えていようと関係ない、事実がどうだろうと自分の趣味趣向、考え方を優先すると主張するのです。

 

また、キリスト教社会は、自然を科学を発展させることで破壊しているという人がいますが、これもまた嘘です。

海外にいってみると解りますが、海外は非常に自然を大切にします。自然界と人間社会を区別して、自然の場所では、ゴミひとつ落ちていません。ものすごく自然を大切にしますし、法律でも、禁じられています。

 

逆に、日本はどうでしょうか。表向きは、自然を大切にしている民族のように言いますが、実際は、どこにいっても、ゴミだらけです。高速道路の下には、ゴミが必ず落ちていますし、日本を代表する富士山には、ゴミだらけで、世界基準で、富士山は、管理が汚すぎて却下されたほどです。

経済発展とともに、公害を大量に垂れ流し、四日市喘息や水俣病、イタイイタイ病などを出し、現在の中国を悪くいえる立場ではありません。

 

口ではなんとでもいっても、実際にやっていることは、日本人も同じなのです。

 

わたしは日本人ですから、いまだに理解できないのですが、海外では、釣りを楽しんで、釣った魚をすぐに自然界に戻すのです。日本人のように食べたりしません。釣りというスポーツのようなものを楽しむだけで、自然を破壊しないように心がけたりするのですね。

わたしもキリスト教国の海外に行きましたが、自然界はゴミひとつ落ちてなく、とても綺麗でした。ものすごく管理されていたのです。それが事実です。

 

 

ですから、歪曲させた神中心主義と人中心主義に惑わされないように本質をみましょう。

 

では、この2つは、どちらが正しく、どちらが、正しくないのでしょうか。また、どちらも正しいのでしょうか。

2、神中心主義と人間中心主義

まず、私たちの生活している現代社会は、明らかに、前者の神中心主義で社会が構築されています。

 

すべての組織は、ピラミッド型になっていて、頂点に、リーダー、または、管理者が存在しています。

そして、その組織は、国になり、政治などになりますが、その主体は、どこの国にいっても、神様を中心にして動いています。

 

日本は、天皇が神事をして、神様の正義を基に、正しさを固定し、それを政治を携わる人々の上に、基準として国を管理しているのです。

アメリカも大統領が聖書に手を置いて、大統領宣言します。

神様の正義を基にして、政治に携わるということが、当たり前なのです。

イスラム教圏内の国々では、さらに厳しく神様中心主義でなのは、言うまでもありません。

 

なぜ、このように、国の体系は、神様中心主義になっているのでしょうか。

 

考えれば、当たり前のことです。

 

人間中心主義の民主主義など、存在しないからです。

 

「どういうことだ?存在しない?」と反応した人がいるかもしれませんが、普通に考えてみましょう。

 

100人いたら、100通りの正義があるのが、人間です。

映画が好きな人もいれば、アイドルが好きなひともいれば、経済やお金が好きな人もいます。仕事が好きな人、ゲームが好きな人、それぞれの正義や主義主張があるのが、人間です。

 

では、誰の正義や主義主張を選ぶのですか?

 

人間中心主義で考えたら、どの人間も、同じレベルで、どれも趣味趣向であって、選ぶこと自体が、おこがましいと思いませんか?

 

もっと言えば、犯罪者たちは、犯罪をして、興奮し、利益を獲て、略奪や暴力で楽しみます。彼らにしたら、それが趣味であり、正義なのです。

力が有り余っているパワーがあるから、殴って手に入れろという正義を 「それはいけないことだよ!!」と反対する正義も、同じレベルでしかないのです。

 

同じ人間の主張だからです。

 

このように、人間を中心にしたら、政治も成り立ちませんし、固定した平和や安定など夢のまた夢です。

だからこそ、憲法には、「人権」がうたわれているのです。

 

もし、すべての人間に、人権があるとしたら、どうして法律で、人権を主張するのでしょうか?

 

ある人たちにとって、人権はないと考える人たちもいるから、憲法で定められているのです。

 

人には、愛や正義はありません。

 

人を傷つけることが愛だと考えるSMという行為さえあり、ストーカーのように一方的な愛を愛だと考える人もいれば、同性愛という不自然なものを愛だと考える愛も存在するように、人間には、愛や正義などないのです。

 

真実の愛。本当の愛とは何なのか>>

 

人間は、悪をするから、悪をしてはいけないという法律が存在しているのです。

そして、それを悪だと判断でき、裁けるのは、人間中心主義では、答えなど出ませんし、裁けません。

 

「相棒」というドラマがありますが、その相棒の内容で、ある学者が、知人たちを集めてパーティを開くのですが、その知人たちを突然銃で、脅し、人質にしてしまいます。

その学者は、人質になった人たちに、ある宿題を出します。

「人はなぜ、人を殺してはいけないのか」という問題でした。

 

相棒では、それに明確な答えは出てきませんでしたが、それは人間中心主義で考えているからです。

 

もし、あなたが、犯罪者や連続殺人犯のしていることを人間中心主義のままで、反論し、反対しているのなら、彼ら犯罪者たちとレベルは変わりません。

なぜなら、趣味趣向、主義主張を言っているだけだからです。

みなさんが、焼き肉店で、笑顔で肉をおいしく食べて満足しているように、彼らは、その対象を人間にしているだけにすぎないからです。

どの音楽が好きかと言い合っているようなものです。

 

こどもが、「そっちが悪い」「いや!お前が悪い!」と言い合っているようなものを大人に変えただけです。

 

現に、白人が聖書の正義である人権を世界中に広げるまで、世界はカニバリズムという人間が人間を食べる文化が広がっていました。カニバリズムをしていなかったのは、聖書の教えで広がっていたヨーロッパ諸国と日本ぐらいのものでした。

白人は、どこにいっても、人間が人間を食べたり、神という名の悪魔に、心臓などを捧げたりする文化ばかりが広がっていたので、同じ人間だとは思いたくもなかったでしょうし、彼らを奴隷にして、人権を脳に植え付けていったのです。

聖書の正義を脳にいれて2000年近くたつ白人からすると、彼らのやっている文化は、犯罪にしかみえなかったのです。

 

これはほんの200年前の話です。それまでは、国という概念すら世界には存在していなかったのです。大陸は、日本のように、海という国境がなかったのからです。

 

聖書には、神様の形を模して、人間は造られたと書かれています。

人間を殺すことは、神様を手にかけるということに等しいことで、してはいけないのです。

だから、人を殺してはいけないという律法、法律があるのです。

 

人間の脳力では、手出しできない上の存在、原理原則すらも造られた存在が、人を殺してはいけないと教えたから、人は人を殺してはいけないのです。

そして、それでも人を殺す主張する人を裁き、処刑してきたのですね。

 

人を殺してはいけないと主張する人には、その法律は適応されないので、処刑されないのです。

 

このように、善悪の1つ1つにしても、人間中心主義では、答えはでません。神中心主義だからこそ、答えは定まり、それに従ってきたからこそ、今の平和が実現しているのです。

 

民主主義をうたっている日本も、貴族や王族を政治的に保護することが当然のように存在しています。

衆議院や参議院と別れていますが、これは以前は、貴族院だったのです。

 

これはなぜかというと、人間中心主義で考える民衆によって政治が行われたら、とんでもない選択をしてしまう可能性があるから、神中心主義の知識を持った貴族や全体組織を見渡せる王族によって、許可するのか、許可しないのかを再度、建議するためなのですね。

 

民主主義の代表かのようなアメリカも同じです。

アメリカは、貴族を大切にする国です。ですから、共和党が存在しているのです。

アメリカの民主党は、言わずもがな民主主義であり、民衆寄りですが、共和党は貴族寄りの政党なのです。

 

なぜ、これが当たり前かというと、フランス革命の悲惨な惨劇によるところが大きいと言われています。

フランス革命が起きると、王族貴族、カトリックは、裁判もされずに虐殺されていきました。その惨劇はすさまじいものだったと言われています。

 

カトリックは、確かに沢山の人々を手にかけてきましたが、それでも表向きは、大義名分だったので、裁判をしてから処刑しました。一方的な裁判であったとしても、裁判は開いていたのです。

しかし、フランス革命では、その裁判さえもせずに、虐殺が行われたのです。

この出来事は、周辺諸国に激震をもたらし、カトリック諸国や様々な王族貴族を団結させて、彼らの暴挙を収めようとしたのです。

それは何度もナポレオン軍によって阻止されてきたのですが、最後は、ナポレオンを幽閉することで、バランスを建て直したのです。

 

フランス革命に携わったプロテスタントたちからも、裁判をせずに虐殺したことへの抗議があり、王族や貴族という存在も必要だとして、フランスでもその後は、貴族や王族を復活させていったのです。

 

アメリカも貴族や王族の大切さを理解して、今でもその論争は、民主党と共和党で繰り広げられているのですね。

 

このように、人が1つのことを決定するには、人間中心主義の民主主義はありえないのです。

そして、それらをなぜ正義として、決定できるのかは、神中心主義が基になっているのですね。

 

人には、愛や正義がないからこそ、神様や神様の教え、原理原則に従い決定を続けているのです。

 

神がいないと信じている人が、愛や正義を語るのは、偽善ですが、神の存在を認めている人は、事実を事実として、愛や正義を語っているので、偽善ではないのです。

当たり前のことを当たり前に言っているだけなのです。

神を愛するとはどういうことなのか>>

3、人間中心主義へと歪曲させていった悪魔宗教

悪魔宗教は、カトリックによって弾圧され、封印されて、その力は、外に出ないようにされていました。

お金や私利私欲は、罪だとして、カトリックは、世界を平和を守り続けてきたのです。

ですが、その大義名分を掲げるとともに、人間ですから、その利権を守ろうとする野心家たちもいました。

平和を守るという大義名分のゆえに、正しいひとたちまで、弾圧してしまっていたのです。

 

カトリックは、カトリックの正義を守るために、一般人には、聖書を読ませませんでした。一般人は、読み書きもできない人が多かったのです。

学校や学問は、教会がすることであり、教会に情報が流され、それらの情報のどれを流すのかを決定するのは、カトリックの役目でした。

王様を選ぶ権利さえも、カトリックにあったのです。

王様や貴族たちも、カトリックの脳の教育によって自分たちの安全を確保されていたので、カトリックを支持していました。

カトリックに逆らえば、暴動を起こされ、王の立場を失わされてしまいます。

 

ですが、カトリックの神父、情報を多くもった聖職者たちは、文字の読み書きができ、聖書を読むことができました。

すると、カトリックの主張していることが、聖書的ではないことに気づきはじめるのです。

例えば、お札をお金で買えば天国にいけるという教えは、聖書のどこにも書いていないのです。

 

カトリックは、聖職者たちだけに聖書を読ませることで、聖書を自分勝手に、利用しはじめてしまったのですね。

そして、それに反対したものたちは、魔女として、裁かれていきました。

 

聖職者の中には、正義感の強いひとたちがいて、世界の原理原則や自然の法則から現実の世界の事実を聖書の解釈へと持っていったのです。

聖書の解釈を権力者たちだけが自分勝手に握るのではなく、現実の法則と一致してこそ、正しいと主張し、当時のカトリックの教えに、議論を投げかけたのです。

多くの聖職者であり、学者たちが、神を信じているからこそ、事実を論議しだしたのですね。

ですが、論理的な聖書解釈をしているひとたちをカトリックは、異端だとして、裁いていったのです。

 

論理的な主張を裁判でもしていても、裁いていくカトリックに対して、人々の目が開かれていきました。それが、抗議する者の意味であり、プロテスタントが復古してきたのです。

プロテスタントは、カトリックは、原始キリスト教を歪曲させて、利用している新興宗教であって、聖書を冒涜していると言い始めました。ですから、原始キリスト教の思想を復活させようとしはじめた運動なのです。

学問、原理原則によって聖書解釈の正しいものを導き、本当の聖書の教えを伝え始めたのです。

 

そこまでは、まだよかったのですが、その世の流れに、悪魔宗教が目を付けたのです。

プロテスタント思想に乗って、彼らを支援することで、悪魔宗教も、プロテスタントに入り込み、さらに人々を反乱させるように導いていったのです。

 

カトリックのやっていたことは、半分は正しかったことでしょう。ですが、正しい主義主張、学問などさえも否定し、弾圧したことが彼らを追い詰めていったのです。

 

そして、フランス革命が起こり、暴動が起きたのですね。

 

発端は、プロテスタントでしたが、加熱させたのは、悪魔宗教だったのです。

「自由・平等・博愛」という言葉を掲げて、暴動が起きたのです。

 

この学問的、科学的なプロテスタントの聖書解釈を悪魔宗教も真似てきていたので、カトリックとしては、簡単には、容認できなかったことも原因のひとつだったと思われます。

 

世界を支配していたカトリックから次々と解放運動が巻き起こり、その流れは、新大陸であったアメリカにまで及び、多くのプロテスタントは、逃げるように、アメリカ大陸へと移住していったのです。

 

ルターは、支援してくれるひとたちに感謝をしていましたが、彼ら支援してくれていたユダヤ人たちが、実は悪魔宗教家だったことに気づき、晩年、彼らを批判しました。このままでは、キリスト教の中に入り込んだ悪魔宗教が、世界を経済と科学という名の基で、支配してしまうと懸念を訴えたのです。

ヒトラーは、このルターの訴えに共感したのか、利用した人物だったのです。

 

プロテスタントは、悪魔宗教がキリスト教、プロテスタントの中にスパイのように入り込んいくことも懸念しながら、アメリカという国を育てていきました。

ですから、アメリカ政府は、紙幣発行権利をかたくなまでに、国に委譲することを守り続けたのです。

 

フランスのように、紙幣発行権利を悪魔宗教に明け渡してしまえば、すべて悪魔宗教に奪われてしまうからです。

 

ですが、その熱い願いは、悪魔宗教の策略によって打ち崩され、タイタニックで、紙幣発行権利を守っていた政治家たちや支援者たちを殺して、次の年には、悪魔宗教が、紙幣発行権利を手に入れて、すべての機関をコントロールしはじめたのです。

 

もちろん、学問や教育など、悪魔の味方をする人々だけにお金がまわるようにし、賄賂を流して、利益を増すようにしたのです。

 

プロテスタントの教会でも、悪魔宗教の牧師などには献金や権力が集中しますが、真実をいう牧師や熱意のある人物は、淘汰されていったのです。

 

学問も、悪魔的な思想が並び、わざと難しい言葉を使うものだけが優先し、本質的なものや真実をいう学者たちは、淘汰されていきました。

 

学校宗教団体では、神中心主義から人間中心主義の考え方ばかりが、優遇されはじめ、人々のマインドを汚染させていったのです。

進化論もまたそのひとつでした。

進化論の正体と嘘>>

 

アメリカの建国の父のひとりとも言われるベンジャミン・フランクリンもそうですが、原理原則を造り出した神様を強調するのではなく、2次的な原理原則に目を向けさせることで、神様から少し、人々の目をそらさせはじめたのです。

7つの習慣もまたその1つなのですね。

 

言っていることは論理的で、正しいことのように見えますが、神様という本質から原理原則へと目をそらさせているのです。

 

そして、人々が、神様から原理原則に目を向け、そして、原理原則という論理的な思考から、お金や利益、経済といった表面的な価値へと目を向けさせて、拝金主義者たちを産んでいったのです。お金=力だといった具合です。

人間中心主義に陥っていった人々は、まるでソドムとゴモラのように、自然界を壊し始め、アルコールや姦淫、男女関係や欲望へと走っていきました。神様の存在を心の底から信じていないのです。

これだけ奇跡的な環境で毎日、生きていても、それでも、私利私欲でしか物事がみえないで生活し、聖書の恩恵で、平和に民主主義がやっていけているのに、あたかも、自分たちが正しいから平和があるかと思って信じているのです。

こどもが、親の助けで生きているのに、こどもは、その親に感謝もせず、存在を忘れ自分勝手なことをしているわけです。

 

神様を忘れているので、何が正しいのかも解らず、大量の悪魔宗教的な情報の中で、苦しんでいるのです。

 

 

4、神中心主義の復活

悪魔宗教によって、お金システムが正義と教えられたことで、人々の中には、表面的な物差ししか、ないので、何を言っても通じません。

進化論があまりにも非科学的なものだと論理的に話しても、通じないのです。

 

現代宗教を心の底から信じ込んでいて、脳には届かないのです。

 

なぜなら、学校宗教団体も、マスメディアも、学問や科学も、悪魔的な思想は優遇されるが、事実をいう学者たちは、淘汰され、認められないで、ここ80年が続いてきたからです。

 

環境をそのまま脳に入れこみ、マインドコントロールされすぎているのです。

洗脳の真実>>

マスメィアと悪魔宗教>>

 

神を信じたひとたちによって、経済や科学や学問は発展していきました。

それは、禁欲主義を教える聖書だからです。

自分には、お金を使わず、他人にお金をあげるという行いによって、祝福を他人に与えて、経済が急激に発展していったからです。

資本主義経済と聖書>>

 

現代人の知っている情報のほとんど9割は、嘘や捏造ばかりで、恐ろしいほどです。事実ではないことを本当に心から信じているのです。

ホロコーストはなかった>>

現代医療と悪魔宗教>>

エイズという病気は存在しない>>

不妊治療の闇>>

地球外生命体は存在しているのか>>

本当のユダヤ人とは日本人>>

このように汚染されたマインドの人々に、事実をいっても、通じません。

死体に、何を語りかけても、返事や反応がないように、悪魔的な脳やプログラミング、霊によって、生きて動いているようにみえても、死んでいる割合があるので、死んでいるところに話しかけても、通じないのです。

 

ですが、生きている部分に、投げかけると少しづつですが、理解を示すようになってきます。

 

この記事の冒頭に、原理原則を支持する人は、神中心主義と人間中心主義の中間のような存在だと言いましたが、それはなぜかというと、神を心から信じていない人でも、原理原則という存在は、解かりやすいからです。

神様を本当に存在しない0だと信じ込んでいる人に、現実的な原理原則、自然の法則によって事実を把握させ、これらが偶然存在していると主張する矛盾を説けばいいのです。

偶然なわけがないのです。

原理原則の主張が、神様から人を引き離しましたが、その原理原則によって、神様から離れていたひとたちを引き戻すことも可能なのですね。

 

事実は、人間が嫌がろうと変わらないからです。

 

悪魔宗教は、ありとあらゆる、歪曲した言葉や思想で、惑わしてきますが、その策略に騙されないように、本質をみる力を養いましょう。

 

難しい言葉を言っている人間には、注意しましょう。そこには、私欲がはいっていたり、高ぶりがあったり、わざと悪魔的な策略で、人々を騙しているからです。

シンプルで話が理解できるものは、誤魔化しがききません。理解できるからです。

理解でき、誤魔化しがきかないのに、話の筋が通ているというのは、本物だという証拠なのですね。

 

難しことが格好いいとこどものように流されてしまうひともいますが、シンプルなほど実は、奥が深いのです。

釈迦もイエスキリストも、孔子もソウラテスも、とてもシンプルに考える人たちでした。

その反面、それらの時代は、大量の複雑な思想が広がっていました。それをシンプルさで、打破していったのです。

そして、情報が流れれば流れるほど、人々が論理的な思考になればなるほど、違和感を感じて、真実を追求するようになっていきます。宗教を問わずに、真実を追求していけば、神様の存在を否定できる人はいなくなっていきます。

釈迦や孔子は、西の地域で、すべての宗教を回復させる救世主が生まれることを示唆したことが言い伝えられています。

本当の宗教や真実も、時間とともに、解明されていくのは、必然でしょう。

 

 

悪魔宗教にとって、人々が、神中心主義になられては、死活問題になります。

なぜなら、神中心主義とは、神の存在を理解し、論理的な思考で歩む人々が増えてしまうからです。

神を信じていない人たちなら、恐怖を与えたり、死を与えたりして、脅しもききますが、歴史が証明しているように、神を信じた人々は、死さえも恐れず、悪に立ち向かい、真実を口に出したり、広めたりしてしまうので、人々が目覚めてしまうのです。

圧倒的に、情報規制を行っていたカトリックでさえも、例外ではなく、江戸幕府もまた同じでした。

 

人々には、真実を求める心があるのか、正しいことを喜ぶものがあるのか、それのために、いのちを失っても行動してきたからです。

そして、今は世界を支配しているのは、カトリックでもなく、王族貴族でもなく、悪魔宗教です。

彼らが悪魔宗教であって、善意やボランティアや人権や正義を口にしても、それは口先であって、優しさなどを利用しては、正当性を主張してきますが、それもそろそろ限界です。

裏で行ってきたさまざまな脅しや脅威、残虐な行いは、人々の目を覚まさせはじめています。

 

彼らは聖書やプロテスタント、神道や仏教を利用しては、生き残って来ましたが、神中心主義の人々によって正常化されていってしまいます。

その流れは、彼らでも止められません。どれほど権力や力があっても、時世には、逆らなえないのです。

 

彼らが逃げる先は、もうカトリックぐらいしかないことでしょう。

そうするとカトリックが再度、巨大な権力を握ることになりますが、今よりは人道的な流れで、いつかは、いくしかなくなります。

わたしのところにも、かなりのスパムメールなどが大量に送られてきますが、それもまた良しというところです。

 

イスラエル人がカナン人を倒し、悪魔宗教は、表では活動できなくなった時点で、すでに終わっているのです。

裏でこそこそするしかないのは、世界自体に淘汰されている証拠です。

1つ1つの出来事は、彼らが勝ったように見えるかもしれませんが、大きな目でみれば、彼らは縮小するしかありません。

人間はひとりでは生きられないからです。共生して生きなければいけない原理原則の中にあるので、どうしようもありません。

 

それを多くのひとたちが、どれだけ理解して、神様を再度発見できるのかで、いつ良い世の中になるのかは、違ってくるということでしょう。

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