聖書

聖書の学び方

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聖書は2000ページほどあって、分厚く感じて、どのように学んでいけばいいのか分からないという方がいるかもしれません。

どこから手をつけていけばいいのでしょうか。

今回は、初心者に対して聖書の学び方を考えていこうと思います。

1、聖書は、分厚く難しいものなのか

聖書は分厚い本だと思ってしまうかもしれませんが、実は短編小説のように短い書物が複数重なって、編纂されているものが、聖書なのです。

1つ1つの書簡は、決して長くはありません。

創世記は50章(50P)しかないのです。

本屋で売っている小説が、50ページ以下だというものは、なかなかないのではないでしょうか。

短い短編小説が66個集まったものが聖書だと考えましょう。

 

聖書の中で一番長い詩篇でさえ130Pほどしかありません。

 

よく、聖書をはじめから読まなければ、いけないかのように、感じてしまい何度も何度も創世記辺りをチャレンジしては断念してしまうということを繰り返してしまう人がいます。

ですが、聖書は、いくつもの書簡の集まりですから、そのどれから読んでもかまいません。

歴史でも、戦国時代が好きな人もいれば、三国志が好きな人がいたりと、好きな場所が違うように、人によって好きなところは違います。

また、聖書は、旧約聖書と新約聖書に別れていて、旧約聖書は世界の歴史を耽々と書かれているだけで、その意味、解釈が難しい場合があり、頭を悩ませてしまいやすいですが、新約聖書は、旧約聖書の答えを解説しているようなものなので、現代人でも読みやすいです。

ですから、新約聖書から読み進めることもわるくありません。

ただ、最初から読み進めないとと考える完璧主義者的な発想で、何度も創世記をいったりきたりしてしまうのは、お勧めしません。

 

なぜなら、そこで聖書の知識が止まってしまうからです。

 

人の脳や心というものは、面白いもので、嫌いなものというものは、ほとんどその「嫌いなもの」の情報が少なすぎることが原因だといわれます。

解らないもの、理解できないものを人は毛嫌いしてしまいやすいというわけです。

ですから、そのことを知りたいと思ったとしても、最初は知識がほとんど0なので、新しい情報を脳の中にいれようとすると、苦しいと感じてしまうのです。

日本人は努力家が多いので、その苦しさが大切だと思ってしまうかもしれませんが、このやり方は、現実的ではありません。

マラソンをはじめたばかりのひとが、マラソン選手と同じ距離を走ったら危険です。

山登りをはじめたばかりのひとが、エベレストに登山にいこうとしたら、止められます。

 

これと同じで、ほとんど知識がないのなら、少しずつ知識を増やしていきましょう。最初は、20個ほどの小さな知識でいいのです。

  • 聖書は短編小説が66個
  • 旧約聖書と新約聖書と分かれている
  • 創世記が書かれている

などの簡単なものを20個だけでいいです。

知識を持っていればいるほど、脳に入っている知識と聖書の知識がむずび付き、時間とともに、さらに洗練されていくのです。

 

生まれたばかりのこどもに、一週間ですべての知識をいれようとしても不可能なように、こどもは、なんでもない生活の中からゆっくりと知識を増やしていって成長するのです。そして、いつの間にか、日本語の達人になります。まったく日本語が使えなかったのに、日本語の達人に育っていくのです。

 

これはどんなものでも当てはまりますが、1000時間関わったものは、優れた能力になってしまうことが解かっています。

ピアノを弾いたことがない人も1000時間ピアノの時間を過ごせば、プロとまではいかなくても、素人からすごいと思われるほどに成長するのですね。

ですから、創世記を何度も繰り返してしまうと、そこだけの情報だけしか脳にはいって行かないので、そこで成長は止まってしまうのですね。

 

聖書を学びたいと思うのなら、完璧主義的な発想ではなく、じわじわとマラソンできる体を作るように、脳を鍛えていく必要があるということです。

ですから、お勧めは、聖書の紙芝居や教会にいって、牧師のメッセージを聞いたり、1000時間を自然な形で学べるように持っていくことがいいのですね。

 

また、聖書は難しい言葉に思えてしまう人がいます。

ですが、他の宗教と考えたら、とても解かりやすく明確に書かれていて、難しくないのです。

聖書以外の宗教は、そもそも固定された正典などがほとんどありません。あっても、現実離れした空想のような内容ばかりで、何がいいたいのか、まったく解りません。

神道やギリシャ神話、エジプト神話など、空想のようなもので、何がいいたいのか解らないのです。批判しているわけではありません。

聖書の中にも、そういった何を言っているのか解らない書簡もあります。例えば、黙示録のような預言書といわれるものなどです。当たり前ですが、預言書は、未来について書かれているものですから、それを明確に書いて、人間が未来に何が起こってしまうのか理解してしまえば、その未来とは違うようにしようとしてしまいます。ですから、黙示録などは、起こった出来事と見比べて、はじめてこのことではないのか?と一致させることができるほど、解釈に苦しんでしまうものです。

ですが、預言書以外のものは、とても論理的で、理解しようとすれば、理解できる程度に、読めるはずです。

あと、難しいと感じてしまう書簡は、レビ記や申命記などの文化的な決め事(ルール)が書かれたところです。これらは、どのように文化を広げていけばいいのかを永遠に書かれていて、苦痛を覚えるはずです。こういった書簡は、はじめは飛ばしていいです。1000時間を超えて、聖書の達人になったあと、歴史を調べたり、さらに聖書の情報を知りたいなどと考える人以外は、はじめは飛ばしていいです。

小説のように人間の歩んだ歴史、過ちや成功などが書かれている書簡が、比較的読みやすいのではないでしょうか。

哲学などが好きな人は、箴言や伝道者の書のようなものも楽しめるとは思いますが、それらは物語になっていないので、苦痛を感じてしまう人もいるかもしれません。

ですから、お勧めは、物語風に書かれている書簡を最初は、読むことです。

☆創世記・☆出エジプト記・ヨシュア記・士師記・ルツ記・☆サムエル記・列王記・歴代誌・エズラ記・ネヘミア記・エステル記・ヨブ記・ダニエル記

☆マタイ福音書・☆マルコ福音書・☆ルカ福音書・☆ヨハネ福音書・使徒

などです。☆がついているのは、その中でも、読みやすく有名な物語がよく書かれているものです。

聖書の内容を簡単に説明してみよう>>

 

まとめると

  1. 聖書は短編小説が66個
  2. 聖書はどの小説から読んでもいい
  3. 最初は簡単な20個の情報を覚えて、好き嫌いをなくす
  4. 聖書の知識を1000時間味わう
  5. 物語が書かれた書簡から読んでみる。紙芝居や教会のメッセージでもいいです。

2、神様の存在を発見すること

聖書を読む意識を圧倒的に、増加させるのは、神様の存在を理解した時です。

わたしが何を言っても伝えても、これを理解できるのは、あなた自身です。

それを理解した瞬間、世界が変わります。

 

わたしは、長い間、教会に通い続けていましたが、18歳まで、ずっと神様はいないと信じていました。

学校宗教団体で、そのように教えられ、あらゆるメディアなども、そのように語るので、それを本気で信じ込んでいたのです。

ですが、「神様がいる」という事実を理解した瞬間、世界が変わりました。

 

長らく、神様という存在は、人の心の中、頭の中で生み出した架空の存在だと信じ込んでいたのですが、それらがすべて崩壊しました。

父母は、神様がいてほしいと思い込んでいるだけだと思っていた自分だったので、ものすごくその思考に凝り固まっていたのです。

神様がいないという嘘が、本当だと信じ込んでいた時は、聖書の知識こそ、教会で学んで知っていましたが、聖書を読もうとは思いませんでした。

 

ですが、神様の存在を理解し、神様が1から世界を創ったという前提で、世界を観るようになると聖書が楽しくてしょうがなくなりました。

それまで、何百何千回と「この世界は神様が創られた」と聞かされてきたのですが、18歳になってはじめて、それを理解したのです。

 

ネバーエンディングストーリーという映画があります。

これは、ある少年が、読んではいけないという小説の書かれた本を盗んで、読み始めます。

少年は、読んではいけないと言われた小説を興味を持って読んでいくのですが、途中から異変に気が付きます。

なんとなく、自分のことが書かれているように感じるようになるのです。

 

自分とその本がリンクしている疑惑を抱くようになるのですね。

そして、最後には、自分の名前を呼ぶキャラクターたちが現れ、少年は驚愕するのです。

キャラクターたちは、自分たちの世界が消え去ってしまう理由を人間が自分たちを忘れてしまうことが原因として、自分たちの名前を叫んでほしいと、少年に本から訴えるのです。

少年は、恐怖しながら、これは本当の世界のことなんだと理解して、叫ぶのですね。

 

聖書は、カトリックによって長年、読むことは禁止されていました。支配者たちからすると、聖書の内容を盾にして、民が正当性を訴えはじめられると、都合が悪くなるからです。聖書は聖職者だけが、読む権利になっていたのです。

 

現在でも、中国では聖書は禁止されています。当時の日本も禁止されていました。

なぜ、聖書は、禁止されやすいのでしょうか。

 

それは、聖書には力があるからです。

巨大なローマカトリックという権力さえも、聖書は打ち砕きました。それまでは、民主主義という考え方は、表面上は存在しても、片隅に追いやられていたのですが、聖書は、人間に人権があることを教え、神の基で、人は平等なのだと教えたのです。

明治維新よりも前に、世界は、聖書によって革命や維新が達成されていたのです。

そして、人は、権力者を縛る憲法を手に入れることに成功したのです。

 

革命というものは、いつの時代も、場所を問わず、情報革命でした。

稲作革命も、稲作くりという情報によってもたらされ、維新も海外の情報からもたらされ、産業革命もフランス革命も、新しい情報の発見、見解によってもたらされたのです。

聖書は、人に人権を与えてしまうものです。人を基準にすれば、犯罪者もわたしたちも変わりません。正義や愛など存在しなくなります。

ですから、人権を認める前は、権力者からすれば、民は所有物だったのです。

それらはどれほどの威力をこの世界にもたらしたのか、理解できるでしょうか。

女性にも権利を与えたのは、聖書です。

 

科学の発展も飛躍的に進みました。カトリックや中国のように、一部の権力者によって作り固められた世界では、人は自由な発想をすることを禁止されてきたので、経済も、科学も発展は止まっていたのです。

ですが、聖書が一般人にも読めるようになると、人々の価値観が変化して、現代人が当たり前だとして享受している人権を手に入れ、自由になっていったのです。

このように、聖書は、圧倒的に世界に平和や平安をもたらしたのです。

聖書は、現実的な書物なのですね。

 

そして、人間ではなく、神様に正義と愛を固定してもらうことで、あらゆる人間を解放してきたのです。

神様は、存在しているのです。

そのような聖書をさらに読み進めたいと願うのなら、神様という存在がいることを発見することなのですね。

それを本当の意味で理解させられるのは、あなた自身と神様だけです。

わたしや他人には、手出しできません。理論的に説明できても、心や霊から理解することとはまったく違うのです。

 

全知全能の神様が確実にいる証拠>>

進化論の正体 嘘と真実>>

創世記の時代の人間はなぜ長寿なのか>>

3、文化と一緒に聖書を学ぶ

聖書は、現実と一致している書物です。

ですから、聖書に書かれている文化や歴史は、今でも残っているのです。

クリスチャンなどは、イスラエル(パレスチナ)などにいって、聖書の場所を探そうとしたり、文化を探そうとしますが、イスラエルには聖書の文化や痕跡は、ほとんどありません。なぜなら、聖書に書かれているイスラエル人たちは、まわりの国々から攻撃され、滅んで、世界中に逃げていってしまって、イスラエル人の建物や城などは、ことごとく滅ぼされ、その上から違う文化の建物などが町を形成していったからです。

 

ですから、聖書の文化を探そうとしたら、イスラエルにいっても、見つけることはできません。

聖書の書かれている文化を目にしたいのなら、世界に逃げていったイスラエル人たちを探し出し、その生活や文化をみることです。

 

イスラエル人は、ユダヤ人とも言われていますが、現在ユダヤ人を名乗っているひとたちは、みな白人ばかりです。

イスラエル人は、白人ではありません。黄色人種です。

キリスト教系の映画などをみても、みな白人になってしまっていますが、聖書の民は、白人ではありません。

 

エジプトの映画もみな白人になっていますが、エジプト人は滅んで、当時の黒色の肌のエジプト人は、現在ではエジプトにはほとんどいません。

これと同じように、イスラエル人も、イスラエルにはほとんどいないのです。いたとしても、ハーフあクォーターのような血が薄くなっている人たちだけです。

 

そして、あきらかな白人系の人たちが、ユダヤ人を名乗っていますが、彼らは、血統的にユダヤ人というのではなく、ユダヤ教を信じたというユダヤ人であるだけで、血統的な本物のユダヤ人は、世界に消え去ってしまっているのです。

本当のユダヤ人たちは、聖書の預言を恐れて、迫害から逃れるように、自分たちが本物のユダヤ人であることを隠しているのです。

 

では、本当のユダヤ人とは、現在では、どの民族のことであり、イスラエル人の血統的な子孫は、どの国なのでしょうか。

 

答えは、日本人です。

 

日本人が2000年前から信じ続けてきた神道は、実は、原始キリスト教であり、ユダヤ教なのです。

ですから、聖書のレビ記や申命記などに書かれている文化やルールなどをものすごく再現しているのは、神道なのです。

 

神道は、多神教でしょ?と思うかもしれませんが、そのイメージは明治時代から深くなったのであって、もともと神道は一神教の思想が根強くあるのです。

特に、伊勢系は、一神教思想です。

そして、出雲敬は、多神教なのです。

 

イスラエル人は、一神教でしょ?と思うかもしれませんが、イスラエル人は、ユダヤ教を成立させるまで、長らく多神教に傾いていたのです。

エジプト派といわれるイスラエル人たちを中心に、多神教が勢力を牛耳っていたのですが、バビロン捕囚などによって、国は滅ぼされ、ユダヤ人たちは、世界へと逃げていったのです。

ですから、イスラエル人は、多神教と一神教の思想が、入り混じっていたのです。

 

まさに、日本の文化そのものです。

多神教系の神道の教えとエジプト神話がとても似ていることは有名です。

ですが、不思議なのは、ものすごく聖書に書かれていることと日本の文化は、一致してしまっていることです。

ここまで、一致している文化は、世界的にもありません。

 

でも、白人も聖書の文化なんでしょ?と思うかもしれませんが、違います。

白人は、ローマ帝国時代で、繁栄して、世界を支配していました。このローマ帝国は、途中から白人ではないイスラエル人の宗教のキリスト教を国教にしました。ですが、キリスト教を認めないユダヤ人などとの抗争で、ユダヤ人はまた攻撃をうけて、残っていた数少ないユダヤ人たちも、世界へと逃げていったのです。

白人は、聖書こそ残りましたが、聖書の文化を知っていたはずのイスラエル人がいなくなったことで、聖書の文化を学ぶことが出来なかったのです。

ですから、多神教の文化やいままでの白人の文化のまま、聖書を利用するというカトリックが成立したのです。

白人は、聖書を信じてはいけても、聖書の文化を継続してるわけではなく、多神教の文化のまま聖書を学んでいるというわけです。

 

逆に日本人は、大化の改新で、1400年前の書物がすべて焼かれ、聖書も封印されてしまいました。

イスラエル人であった豪族(縄文人)は、朝廷から追い出され、カナン人の末裔であった貴族(弥生人)が、朝廷を支配しはじめたのです。

物部氏も蘇我氏も、追い出されたのです。

朝廷から追い出され、過酷な生活を余儀なくされ、世が犯罪で乱れた時に、イスラエル人である民を守るために生まれたのが、源氏や平家のイスラエル人たちなのです。物部氏の末裔が源氏であり、もののべ、侍になり、朝廷から政治を切り離した幕府を開いて、二大政治を繰り広げていったのです。

イスラエル人の王である天皇を人質にして、カナン人たちは、日本を裏で支配し続け、天皇を守るために、幕府はカナン人に手出しできずに、幕府を開いては、天皇を守り続けたのですね。

日本人は、聖書こそはないのですが、聖書の文化だけは、神道として残していったのです。

 

聖書があっても、聖書の文化がないキリスト教と

聖書の文化があっても、聖書がない神道が、ちぐはぐに存在しているのが、現在なのですね。

 

ですから、天皇家にクリスチャンが多いのは、そのためなのです。

 

聖書に書かれている文化や出来事を目でみたいのなら、日本の文化めぐりをすることなのですね。

日本に住んでいるのなら聖書の文化をみながら、聖書を読めるわけですから、証拠が大量にあるわけです。

本物のユダヤ人とは、日本人>>

4、聖書を学ぶと世の中の謎が解ける

聖書はとても力のある書物です。事実が書かれていて、未来さえも書かれていることで、あらゆる権力者たちが、聖書の力を借りては成功しています。

カトリックもそうでしたが、良くも悪くも聖書を利用していたのは、聖書に力があるからです。

そして、現在は、悪魔宗教が世界を支配しています。

 

カトリックが世界を支配していた時代は、悪魔宗教は弾圧されていました。権力や財産を持てないように、弾圧されていたのです。

ですが、カトリックが崩壊して、世の中にカトリックの疑念が広まることで、カトリックによる支配から抜け出しはじめたのが、プロテスタントでした。

プロテスタントは、聖書を世の中に大量に印刷しては、一般人にも聖書が読めるようにしたことで、権力者たちの決め事を精査する能力を得ていったのです。

そして、科学的な世界の法則を根拠にして、聖書の正しい解釈を訴えつづけたのです。

 

そのプロテスタントに私財を投じたのは、悪魔宗教でした。カトリックの支配から自由になるために、プロテスタント思想を利用しはじめたのです。

そして、自由・平等・博愛といった表面的な言葉によって、世界を支配し、学問なども、神はいないという思想を植え付けて、現在があるのです。

それは、日本も例外ではありません。

 

悪魔宗教は、聖書によって自由にもなったので、聖書を消したくても消せない状態になっているのです。

 

聖書を信じる人間が多くなればなるほど、人は神様の存在を理解してしまい、愛や正義を実行してしまうようになります。そうすると不正やねつ造などを命を失ってでも、暴きはじめてしまうので、支配者としては都合が悪いのですね。

神がいないと信じ込んでいる人間をどれだけ増やせるのかが、彼らの利益になるのです。

お金システムに目をくらませることで、コントロールしているのですね。

 

なぜ進化論などが存在するのか、宇宙人やお化けや幽霊などは、何なのかといったことまで、聖書を理解するとわかるようになります。

それらは、悪魔宗教のパターンそのものだからです。

宇宙人、地球外知的生命体は、存在するのか>>

 

あるものを、ないと歪曲させ、ないものをあると歪曲させる手法です。

聖書は、そのような偶像思想を否定し続けて、いつの時代も、それらの架空思想と戦い続けてきたのです。

偶像とはなんなのか>>

悪魔宗教の目的>>

世界の闇のルーツ。カナンの教え>>

 

なぜ、みなさんが苦しみや悲しみを抱いてしまっているのか、それらにも原因があり、それらと戦い続けてきたのが聖書なのですね。

 

 

 

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