思考の変化

キリスト教は、なぜ人々の心を惹きつけるのか

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キリスト教は、世界中の人々の心を何千年も惹きつけます。

日本では、クリスマスだけでしかキリスト教を味わっていないかのように思えるかもしれませんが、実は、現代人ならキリスト教の恩恵を受けていない人は、ほとんどいないことでしょう。

キリスト教に惹きつけられている人たちは、あらゆる事実を垣間見ているからなのですね。

 

ですが、人間の多くは、教えられていないと、例え、それらを見ていたり、味わいながら生活しているのに、それらに気づかずに、生きているのです。

見猿・聞か猿・言わ猿のようです。

目があっても、見えず。耳があっても聞こえず、口があっても言えないのです。まるで進化論信者のようです。

体験していても、その事実を把握していないからこそ、説明することもできませんし、脳で理解することもできず、発見できないのです。

キリスト教は、聖書を信じる宗教です。その聖書があまりにも、現実と一致していることで、人間のそのような脳の錯覚を補っているのです。

そして、聖書の内容から脳を補えているひとたちは、聖書を信じている宗教に、惹きつけられるのです。

1、聖書の恩恵を受けている現代人

キリスト教に惹きつけられる理由は、華やかな音楽だったり、海外文化が好きだったり、クリスマスの楽しさから来ていたり、教会のステンドグラスの綺麗さや雰囲気から惹きつけられている人もいるかもしれませんが、それらを理由に、キリスト教に惹きつけられているのなら、それは、アイドルの熱狂的なファンと変わらない表面的なものであって、脳の錯覚です。

そのような華やかなところから、キリスト教は、人を惹きつけているわけではありません。

キリスト教が人を何千年も惹きつけ続けているのは、聖書のおかげです。

聖書には、力があり、その力は、世界を大きく変えていきました。

 

現代人のほとんどは、この聖書の価値観によって、守られ、その守られた後の世界で生まれているので、常識だと感じていますが、聖書の価値観が世界に広がるまでは、それらは常識でもなく、当たり前ではなかったのです。

 

例えば、キリスト教が世界中に広がり、聖書の価値観によって、人に人権が伝わるまで、世界では、人間には人権はありませんでした。

人権に近いもの、人権を持っていた文明は、聖書圏内のヨーロッパや日本ぐらいのものでした。

 

中世に、ヨーロッパは、大航海時代を迎えて、世界の広さを知りました。

そして、世界がどのようになっているのかをやっと理解しはじめたのです。

すでに、1000年以上も聖書の価値観を理解して、人間に人権があることを知っていたヨーロッパ人たちは、ヨーロッパ以外の世界にも、同じように人権が広がっていると思ったのですが、そうではありませんでした。

どこにいっても、人間が人間を食べる文化、カニバズムが広がっていたのです。

人間は支配者たちにとって、家畜のようにコントロールされ、神という名の悪魔の宗教によって、人間が生贄にささげられたり、食べられたりしていたのです。

中国では、ブタや牛肉と並んで、人間の肉が露店で売られていたほどです。

 

現代人がそれらをみたら、思考は停止するでしょう。

現代人からみると、それらの出来事は、連続殺人犯だけがするようなことだと信じているからです。

ですが、人間の歴史は違います。

人間は、連続殺人犯たちがするような恐ろしいことを正義として、生活に取り入れていたほうが、多かったのです。

アフリカでも、インドでも、オーストラリアでも、アメリカ大陸でも、どこにいっても、カニバリズムは広がっていました。

 

わたしたちが、連続殺人犯を恐れるように、当時のヨーロッパ人たちも、世界中の先住民を恐れたのです。

ですから、彼らを奴隷にして、1から人権を脳に入れこんだのです。

 

現在では、人に人権があることは、当たり前ですから刑務所で、脳に人権を入れこむことは可能ですが、当時は、不可能だったのです。

 

現代人は、このように、当たり前のように平和や安全で暮らせているのは、聖書の価値観が当然のように広がっている恩恵なのです。

ヨーロッパ人たちは、原住民たちを同じ人間だとは思いたくありませんでした。

 

日本人が、オウム真理教を同じ日本人だと思えないように、人間を食べてきた民族を信じられなかったのです。

ですが、ヨーロッパ人は、自分たちの文化や価値観以上の優れた文化を持っていた日本や日本人を発見しました。するとヨーロッパ人は、日本を夢の国ジパングを発見したと喜んだのです。自分たち以上の民族がはじめて発見されたと驚いたのですね。

ですから、ヨーロッパ人は、日本にだけは、あらゆる技術や武器でさえも、与えたのです。

日本だけが、世界のトップの国々と並んでもいいと評価されたのです。

 

白人は、ただ肌の違いや目の色の違いから一方的に迫害していたのではなく、事実から彼らを恐れて、原住民たちに武器や技術を与えていなかっただけだったのですね。人権を理解している日本人には、あらゆる情報を提供したのです。

そして、その人権を理解している人間たちによって、世界は支配されていきました。日本もその中の1つの国です。

 

その後に、わたしたち現代人が生まれたので、この人権が当たり前だと思い込んでいる人もいるかもしれませんが、当たり前ではありません。

今でこそ、人間を食べる人間は、「サイコパス」などと誤魔化して、伝えていますが、サイコパスでもなんでもなく、それらが正義だった時代もあったのです。

洗脳の真実>>

 

そして、日本でも明治から聖書から作り出された憲法を持つようになり、改めて、人権を法で、日本人にも理解させていったのです。

日本は、すでにその価値観に近いものを持っていたので、日本人にそれらを理解させるのは、難しくありませんでした。

日本は、白人以上とも言える文化や人権を理解していたからです。

 

経済に至っても、支配者によって制限されていましたが、聖書によって経済や科学や学問が解放されたように、日本も解放され、著しい発展を果たしたのです。

 

そして、現代の価値観があるのですね。

これらは、当たり前だと思っているひとたちが多いですが、当たり前ではないのです。

もし、聖書がなければ、今頃、わたしたちは、中国人の食料となって飼育されていたのかもしれません。

 

これらの歴史を知っているひとたちは、聖書に感謝し、キリスト教を大切にするのです。

2、恐ろしいほど、現実と一致している聖書

聖書には、人間がこの世界を支配するようにと神様がアダムに教えています。

そして、現代人は、この世界を支配しているのは、人間だということを当たり前だと思っています。

どの国にいっても、世界を支配しているのは、人間です。

 

ですが、それを当たり前だと思えるのは、現代人だからです。

 

現代人は、テレビやネットなどで、世界中に人間が存在し、どのようになっているのかを知ることができていますが、2000年前までは、世界とはヨーロッパだけ、中華だけだと考えていたのです。

大航海時代が来るまで、世界がどれだけ広くて、どうなっているのか解っていなかったのです。

 

宇宙にまで行くことができるようになった現代人だからこそ、当たり前だと思えているかもしれませんが、何千年も前の人間からすれば、それらの事実の発言は、まるで預言なのですね。

 

2000年前から聖書は変わっていなかったことが、死海文書などで証明されています。

その聖書には、世界は人間が支配していることが書かれています。

宇宙人でもなければ、猿人でもなく、人間が世界を支配し、コントロールしているのです。

 

これを否定するひとは、さすがにいないでしょう。

 

ですが、世界に行くことができなかった人間がこの事実を知ることなどできないのです。

 

月にはうさぎがいると言われていた時代もあったように、人間の空想は広がりますが、人間がどれだけ空想しようと、事実は変わりません。

どれだけお猿さんが世界を支配していたといっても、実際は人間が支配し続けているのです。

進化論という空想思想とは違い、聖書は一貫して2000年以上も前から世界を言い表してきたのです。

 

「でも、キリスト教は、天動説を主張していたでしょ?」という人がいるかもしれませんが、その情報は、歪曲させられています。

確かに、キリスト教は、天動説を主張した学者もいましたが、その同じキリスト教徒であったコペルニクスやガリレオなどは、地動説を主張した学者だったのです。

天動説や地動説は、決してキリスト教の問題ではなく、科学同士のぶつかり合いだったのです。

当時の科学では、天動説が有力で、それが当たり前だと勘違いしていたひとたちとの争いだったのです。

 

ですから、天動説や地動説は、宗教と科学の争いではなく、宗教と宗教、科学と科学の争いだったのです。

そして、聖書には、天動説のことは書かれていません。むしろ、地動説のことが書かれているのです。

当時の人間が、聖書の解釈ができずに、当時の当たり前だと思っていた常識から聖書を歪曲して、解釈していただけだったのです。

聖書は、何もない空間に吊り下げられている地球のことが書かれていたり、地球が球であることも書かれているのです。

 

また、太陽や月などの回転する関係であることも書かれているのです。

 

恐ろしいことですが、人間よりも、聖書は、この世界のことを的確に言い当てているのです。

キリスト教は、確かに多くの様々な人間がいて、間違いますが、人間が介入しない聖書は、現実と一致してしまっているので、そのことを理解しているひとは、聖書や聖書を大切にするキリスト教に心惹かれるのですね。

 

人間の肌の色が3種類というのも、現代人だから当たり前だと思えるかもしれませんが、2000年前は、世界の広ささえも分からなかったのですから、緑人や青人や赤人というのもいるかもしれないと空想したことでしょう。

ですが、聖書は3種類の肌の種類のことが書かれているのです。

土から生まれた土色のアダム、骨から生まれた白色のエバ、神様からしるしを与えられた弟殺しのカインたちの子孫です。

 

・人間が世界を支配している

・地動説

・3種類の肌

これらのことは、現代人なら当たり前かもしれませんが、聖書が書かれた時代では、まるで未来を予想している発言であり、人間には知ることすらできない事実だったのです。

これらだけではありません。聖書には、恐竜のことも、巨人のことも、人間の歴史のことも、ありとあらゆる現実と一致した記載が、大量に書かれているのです。

もう聖書というものは、人間に書けるものではないと分かったでしょうか。

人間の脳力を超えている書物、それが聖書なのです。

そして、その聖書を教えるキリスト教に魅了されるのです。

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3、悲しみの救世主

キリスト教は、華やかだというイメージがあるかもしれませんが、実際に聖書の教えは、真逆です。

人間には、原罪という罪があり、悪があるからこそ、悲しみや苦しみがあり、その悪を制御させるために、あらゆる試練を神様が人間のために与えていることを教えています。

 

聖書とは、悪から生まれた悲劇による悲しみであり、その苦しみから解放するため、救う愛やゆるしを教えているものなのです。

実は、華やかとは別のものだとも言えるのです。

 

あらゆる映画や小説や歴史観では、ひとりの人物、優れた人物が、まるで英雄のように、華やかに、世界を変えていきますが、キリスト教の教えは逆です。

救世主であり、この世界の本当の主人公であるイエスキリストは、どんな人間よりも、さげすまれ、騙され、悪から攻撃され、人々から唾をはかれながら、罪人として、人類が生み出した最大の苦しみである十字架刑という処刑方法で、殺されたのです。

 

もし、イエスキリストが、ダビデ王やソロモン王のように、華やかな存在として、世界を統一して、平和を取っていたとしたら、これほど、人々を惹きつけることはなかったことでしょう。

なぜなら、人間は、わたしも含めて、自分の脳の視点から世界を観ているので、自分の不都合だと思うことにストレスを感じてしまうからです。

解かりやすくいえば、「我がまま」なのです。

 

嫌なことですが、他人の幸せをみると、嫉妬したり、妬んだりする心さえも湧いてくることがあります。

ですが、イエスキリストを信じているひとたちは、ひとりとして、イエス様のような人生を送りたいとは思いません。あまりにも壮絶すぎるからです。

1つも罪をおかさず、誠実に生きてきたにも関わらず、罪人扱いされ、ねつ造された上に、弟子たちからも見放され、母親の前で殺されました。

このような人生を歩みたいとは思いません。

例え他人が助かると分かっていたとしても、わたしも嫌です。

 

多くのひとは、自分が可愛いですし、それは悪いことでもありません。

キリスト教徒は、イエス様のような精神で生きることは、望んでも、イエス様のような人生を歩みたいとは思わないのです。

むしろ、自分たちの罪のため、身代わりになってイエス様が十字架刑で死んでくださったことに感謝し、申し訳ないと思い続けているのです。

 

人間は、自分が主人公だと思いがちですから、自分の考えとは違ったことが起こると、それが現実であっても、間違いだと否定したくなります。ですから、イエス様がもし、華やかな存在の救世主であったら、これほど人を惹きつけなかったことでしょう。

誰よりも誠実に生きながらも、誰よりも苦しみ、誰よりも裏切られ、神様からも見放されるという恐ろしさを味わってくださったのです。この悲しみの救世主だからこそ、世界中にひとたちが、認めるのです。

 

わたしを含めて、わがままな人間は、どれだけ祝福し、与えられていても、それらに気づかず、不平不満を抱きます。だからこそ、自分よりも苦しんだ人物が、救世主であるというのは、頭だけではなく、心や霊からも納得させられるのですね。

 

自分たちの思い通りにならない人生や世界であっても、それでも笑顔で喜び続け、感謝し続ける信念の硬さを本物のクリスチャンは持っているのです。

それは、指標とするイエス様がそうされたからです。

 

モーセやマホメットのように、打ち勝つのでもなく、愛やゆるしによって、信念をもって、愛を実行し、身代わりにまでなった精神を受け継ぐ、それが、本物のクリスチャンです。

私利私欲で世界を観ている人にとって、その生き方は、負けている生き方だと勘違いするかもしれませんが、そうではありません。その精神が、今の民主主義を生み出し、自由経済を発展させ、科学を発展させていったのです。

与え続け、ゆるし続けたからこそ、規制から緩和へと至ったのです。

 

それらのことを理解しているひとたちは、キリスト教に心惹かれ続けるのですね。

 

 

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