聖書

悪魔はなぜ存在しているのか

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天使や悪魔といった霊的な存在を現在では、証明することは難しいですが、人間社会の闇や歴史をみれば、そこに根深く悪魔側になびいてきた人間たちの選択が、悪魔は存在すると訴えているようです。

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悪魔宗教は、昔から奇想天外、人間の脳の外側のアイディアから人を惑わし、白を黒にし、黒を白としてきました。現代人は、昔のひとたちとは違い、情報量が欠如しているだけに、これらの嘘やまやかしをそのまま信じ込んでしまっています。

脳自体が汚染されていたら、真実を語っても、その真実を受け入れることができなくなってしまいます。

学校宗教団体やマスメディア、政治や国といった大きなシステムそのものが堂々と嘘や捏造を正しいことだと教えていれば、人間は愛や正義がないので、それらが正しいと思い込んでしまうのです。

「脳の錯覚」です。

人間は不完全なので、嫌でも脳が錯覚を起こしてしまうので、そこを悪魔は狡猾に攻めてくるのです。

 

例えば、神様は存在せず、この世は偶然存在しているといったトンデモ論を本当に心から信じめてしまうわけです。

相当頭が変な人でない限り、神様がいないなどとは論理的に考えれば言えないのですが、それを進化論宗教などを信じ込んでいるひとたちは、簡単に信じてしまいます。こどもでも分かる説明で進化論がおかしすぎる空想思想だということは解るのですが、それでも人間は、信じ込んでしまうのです。

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きちんと裏まで世をみれば、一部の人間たちが、悪魔に心を売り、悪魔的な発想で、この世に混乱と悲劇をもたらしてきたことは解ります。

 

霊的なものは、物質的なものではないだけに証明はできませんが、その霊的な悪魔の共通点をいつの時代も人間が行ってきたことを考えれば、悪魔という存在がいると少なくともわたしには思えます。

では、なぜ全知全能の神様は、悪魔という存在を許可されているのでしょうか。

人間に悪のプログラミングを脳に吹き込み、闇の父ともいえる存在として語られている悪魔は、なぜ存在しているのでしょうか。

1、神様は人間を愛されているから

進化論が空想的な思想をどのように歪曲させて語ろうとも、覆せないこの世の事実の1つは、人間がこの世を支配しているという現実です。

人間以外の生き物は、テレビにでたりもしなければ、歴史を語ることもありません。どの土地にいっても、どの国にいっても、世界中のどこにいっても、世の中を支配しているのは、人間です。

このことは、当たり前のことだと現代人は思うかもしれませんが、それは現代だから言えることで、世界がどこまで広いのかさえ知らなかった200年以上前の人間からすれば、どこかに人間以外がいると信じられてもしょうがないかったのです。

人間が記憶の中でも行ったこともないところは、存在するかもわかりませんし、その土地を何が支配しているのかも分からないからです。

ですが、聖書は、大昔から人間がこの世界を支配するように創られていることを語って来ました。それは、現代だからこそ、証明されたのです。

 

この世界は、あまりにも人間の好都合のいいように創られすぎているのです。

宇宙人もいなければ、地底人もいませんし、UMAのような原人も存在しません。どこにいっても人間が良くも悪くも繁栄しているのです。

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なぜ神様は、人間に都合のいいようにこの世界を創られているのでしょうか。

 

わたしたち人間の価値観、人間目線だけの頑固な考え方でみると、この世界は不公平だと思い込めますが、事実は、人間以外は不公平ですが、人間はあまりにも恵まれすぎています。面白いことに、これほど恵まれているのに、それでも不平不満をいうひとがいるだけで、それは我がままなのです。

我がままな人はどれだけ与えても、納得せず、不平不満をいうのです。そういうひとは、永遠に文句をいい続けます。

人間の感情論を一旦置いておいて、事実を把握すれば、人間は、まるで天国のような恵まれた環境で生きてきたのです。

 

人間は、それほど神様から重要視されている存在なのですね。

 

では、そんな人間を苦しめるだけのように思える悪魔といった存在をどうして、神様は許可されているのでしょうか。

 

まず、わたしたちは、神様の立場から物事を考えてみることです。

神様は、はじめから「ある」はじめから「存在し続けている存在」です。

神様ご自身の存在が、世界であり、悪は存在しません。

 

そうです。神様は、神様以外を造ろうとしなければ、悪の存在など許可するだけ、自分を傷つけるだけになるのです。

ですが、それは、とてもむなしいと思えないでしょうか。

 

神様は、悪のない世界を作り出すのは、簡単です。そんなことは人間にもできるからです。

「人間にできるのか?」と思うかもしれませんが、出来ています。

 

小説や映画の脚本など、人間の脳の中で世界を作り出し、本という世界を作り出したりもすれば、インターネット上に、架空の世界を作り出して、旅などをするオンラインゲームという世界を作り出したりもしています。

この時、まったく問題なく世界を創ろうとするのは、簡単です。自分以外は、考えないロボットのような世界にすればいいだけです。

意思を持つ存在を創るから、悪が出るのですから、自分以外は、意思のないものを創って、プログラミング通りに動くだけにしてしまえば、それらはまっすぐゴールに向かうだけです。

 

みなさんなら、そのような小説や世界を面白いと考えるでしょうか?

みなさんは、内職などをしたことがあるでしょうか。永遠にこどもでもできる単純作業を繰り返します。永遠にです。

それをみなさんは出来るでしょうか。答えがすでに自分の思い通りに存在し、単純なものが動くだけです。

 

また、それ以外することがなかったとしたらどうでしょうか。人間はあなただけしかいなく、単純作業をしていれば、永遠に問題なく、生きていけるのなら、それを選ぶでしょうか。

わたしなら、問題を起こしたりするかもしれませんが、こどもであっても他の人間がいてほしいと考えるでしょう。

自分しか人間が存在しないのなら、いくらお金があっても、何も嬉しくもないです。

大量のお金をカバンにいれて、犬に「いいだろ!」と宣言してもむなしいだけです。

 

他の人間よりも優れているとか、多く持っているなど邪な心があったとしても、他の人間がいるからこそ、比べられているだけで、いなければ、むなしいものです。

ですから、神様は、人間という自分と同じく、自分の意思で動く存在を求められたのではないでしょうか。

この世界はすべて神様ですから、神様はすべてを創造し、手に入れることはできますが、そんなものは、ただむなしいだけでしかないので、神様は、逆に自分の意思で自分を選んでくれる存在を求められたと考えられます。

わたしたちは人間ですが、植物や動物のように、単純に生きているだけ、ロボットのように意思もなく存在したほうがいいと考えるでしょうか?そうすれば、悪は絶対に存在しない世界になります。ものすごく簡単ですね。

支持通りいしか動けないようにはじめから作っていれば、それでいいのですから、そのほうが楽で簡単なのです。

 

ですが、複雑で簡単ではない道を神様は作ってくださったのです。

そのため、今わたしはこの記事を書く自由意志を持っていて、自分の意思で動くことができる存在として存在しているのです。

なんと素晴らしいことでしょうか。

 

そして、神様は、自分の意思で動く存在の人間を愛されました。その愛する人間は、自分の意思で行動し、悪を選ぶことさえ、自分の意思で選択できるほどです。神様にとって簡単ではない世界を作り上げる人間を愛されたのは、自分という存在の証明している自由意志のある人間だったと考えられるのですね。

 

ですから、神様は人間を愛されたのです。

 

ですが、何度も言いますが、自由意志が存在しているということは、悪をいつかは選択してしまう危険性もあるということなのです。

そこで必要になってくるのは、天使という存在でした。

2、天使や悪魔は人間のために存在している

神様は自由意志のある存在を人間以外にも作りました。それが天使です。

天使たちは、人間よりも能力があり、知識があり、優れた存在です。ですが、その天使たちは、人間のために創られ、霊的な存在で体はありません。天使や悪魔が地上に現れる時は、霊的な存在のままかそれとも人間や動物に入り込んだ憑依のような状態だけです。知識的には能力は高くても、身体的な能力はゆるされていなかったのです。

 

人間であろうと天使であろうと、自由意志があるということは、いつかは悪を発明していしまいます。なぜなら、人間はアダムだけではなく、数多く増えていくからです。世界を支配するものがひとひとりなら、それでしょうがありませんが、アダムはそれでは寂しさを感じました。

それをみられた神様は、人はひとりでいることはよくないとアダムの骨からエバを造られ、そのふたりからこどもたちが生まれていったのです。

アダム以外にも人間が増え始めます。

 

このように増え始めると人は、比べあい競いあうような想いにかられていきます。そこでも悪を発見することになっていくことでしょう。

 

それでは人間は、この世にはじめて悪を造り出した悪の父となってしまいます。それを阻止するために、神様は自由意志のある天使を創られたのです。

ですから、人間よりも知識がある天使の中から神様を追い抜こうと考えた天使たちがいました。彼らは天使の3分の1を引き連れて、神様に逆らったのです。

 

世界そのものである神様を超えれば、この世は自分のものになると考えた天使たちは、その能力をさらに限定されて、地上に堕とされました。

彼らこそが、この世に最初に悪、世界を破壊するものとなったのです。

 

神様は悪をすることができません。神様ご自身がこの世界であり、法則などによる事実だからです。壊す必要もなければ、悪をする必要性がありません。ですが、悪の存在はその流れを壊し、破壊することで、この世に新しい秩序を築こうとしたのです。

ですから、悪魔は、事実ではないこと、空想や架空の思想をこの世に作り出した父となっているのです。

 

そして、その悪魔がアダムとエバをそそのかしたのです。

もし、その能力を制限された悪魔がへびの中に入って、アダムたちを騙さなければ、いつか人間は悪を発明していたと考えられます。

悪の父となったのは人間だったかもしれません。ですが、最初の悪の父、暁の君は、悪魔だったのです。

 

そのため、神様は、わたしたち人間と悪魔との間に、敵意をもたれたのです。

 

わたしたち人間のために作られたかのようなこの世界は、さまざまな物や生き物が人間に利用されています。

木も動物も、地球もすべて人間のために用意されたのです。

その中には、人間よりも能力の高い生き物もいます。水中では人間よりも早く泳げる魚などもいれば、人間よりも力のあるゴリアなどもいます。このように、人間よりも一部が能力が高くても、人間のためにそれらは利用されている存在です。

天使や悪魔もそのような存在です。

一部である知識などの能力は人間よりも高いですが、天使や悪魔は、人間のため、人間に利用されるために、存在し創られているのです。

 

神様は能力が高いから人間を愛されているのではなく、その存在そのものを愛されているということです。すべては、人間のために作られたのです。

ですが、それらは人間のために用意されてはいても、それらは神様の一部ですから、人間はそれらをないがしろにしてはいけません。もし、自然や動物をないがしろにすれば、それは人間の人権を軽薄にする思想が広がることになるので、人間が苦しむことになるからです。

支配する権利はあっても、ないがしろにする権利はないのです。

 

神様が人間のために多くを優しく与えているように、人間も神様がされたように、さまざまな生き物や世界を優しく支配するように神様は教えられます。

天使や悪魔は、人間よりも賢く知能がありますが、それらも人間のために作られ、あらゆる物と同じで消費できる存在だということです。

 

神様が世界を創るということは、何かを基準に世界を創る必要がでてきます。すべてのもののためではなく、人間を対象にされたのです。

 

悪魔がアダムを騙したということは悪魔は、人間よりも先に悪を理解していることになります。でなければ、悪を教えることはできないからです。

いつかは悪を発明してしまう人間を救うために、悪魔の存在を許可されたのですね。

 

悪魔が悪をするのも、許可されているのは、人間のためです。

人間が悪魔と同じように破壊の思想に染まれば、それは世界を滅ぼすことになります。本当の悪とは事実ではないこと、事実を破壊することだからです。

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本当の善悪とは、人間的な感情論の善悪ではありません。事実を無視して、破壊することが悪なのです。そのことで世界が存在しえなくなるからです。

その矛盾だらけの悪魔の思想を人間が選ぶのか、それとも世界に従い事実を受け入れて、神の子孫になるかは、その人次第ですが、人間が、悪を選べば選ぶほど、苦しむ現状を与えることが、人間のためになるのです。

 

痛覚が無い人は、自分がケガをしているのに気づくことができません。もし、この世界が人間が悪をしても、何の試練も痛みもないように創られていたら、すでに人間は世界を滅ぼしていたことでしょう。

神様は悪魔が人間を苦しめることを長い目でみて、許可されています。悪魔は悪意から人間を苦しめているのですが、神様は、愛から人間に気づいてもらえるきっかけとして試練を与えているのです。

 

悪魔とはそのような存在なのです。

 

悪魔のようにはならないようにするための悪魔の存在であり、彼ら悪魔は忌み嫌われる存在、塵をくらうような存在として、認識されるようになったのです。

ですから、悪魔も結局は、悪を理解した人間のために用意されている物であるというわけです。

 

 

3、なぜ解りやすく神様が現れないのか

神様は圧倒的に人間に善を示し続けています。それはわたしたちが今も生きているのがその証拠です。

わたしたちが生きていられているのは奇跡でしかありません。生きているのは当たり前ではないのです。

多くの生き物が存続できる法則を壊さず、1分1秒たりとも守らない時はありません。

 

常にわたしたちは神様に守られ続けているのです。

これほど善を与え続けているのですから、それ以上の証拠を上げようとさせるのは、自由意志を与えた人間への人格無視になります。

神様は、人間の自由意志を極限まで尊重されています。

神様なら簡単に人間をコントロールできますが、そのようなことは神様はされません。イエス様も世界を救う方法は、解かりやすい行動によったものではありませんでした。人々の罪による救いであり、根本的な解決法であって、表面的なものではなかったのです。

神様が命じたから神様に従うのではなく、人間が自分たちの意思で神様を選び善を選ぶのかが問題だということです。

 

そこで、神様が解かりやすく登場して、すべて丸く収めたとしたら、それはみなさんの自由意志による選択なのでしょうか。それとも圧倒的な力にねじ伏せられたから神様を選んでいるのでしょうか。

神様は、善悪が存在する世界を人間アダムの選択によって許可されました。悪を脳で理解してしまった人間が、善悪を天秤にかけて、どっちを選ぶのか選択させているのです。もし、人間が圧倒的な力を持ち、解かりやすい神様の存在がいるから善を選ぶとするのなら、それは、人間の意思ではないということです。

 

中国では法律が厳しいです。盗みだけでも処刑になるので、人がみているところでは悪をしませんが、一旦人がみていないところや日本などに来るとやりたい放題になります。そして、残酷な犯罪をしたりするのです。

法律があるから悪をしないのか、それとも法律がなくても善を選ぶのか、そこには大きな差があるのです。

結果的には、同じ善の世界かもしれませんが、前者は、壊れやすいものです。そして、後者は壊れにくく、どのような悲劇が起こっても、善を選ぼうとする意志が人に宿るのです。

 

それこそが、神様の望むこの世の楽園です。

誰かリーダーが世界を変えるとか、能力が高い人に従って平和を保つのではなく、ひとりひとりが自分たちの意思で善を選ぶことが、本当の平和につながるのです。

ですからイエス様は、目でみえるところでは何も変えない生涯を送りました。ひとりひとりの意思で救いの道を選ぶのかを導かれ、弟子たちにゆだねたのです。

 

誰かに指示されたから選ぶのではなく、自分の意思で選ばなければ、本当の世界の平和はありえないのです。そして、天国とはそういった人たちが集うところなのですね。

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