思考の変化

悪魔は救われないのか

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よく未信者の方たちの質問をみると、なるほどと思うような質問が来たりします。

その1つが、悪魔は、救われることはないのかというものです。

その人は、悪気があって言っているのではなく、なんだか悪魔が可哀想に思えるというものでした。そんなことは言いませんが、その人の優しい想いから来ている純粋な質問です。

 

そう考えると、確かに悪魔は可哀想でもあります。

なぜなら、アダムの時代から悉くかれらの謀は、神様によって水疱に帰して、結局、彼らがやってきたことは、人間を成長させるためのある意味、生贄とも見えるからです。

彼らは、神様を超えようと反乱しました。そして、悪魔は能力を制限されて、地に堕とされたのです。

その後、悪魔という存在になり、神様を倒すことができないのであれば、神様の創られた世界を壊したり、神様が愛する人間を惑わして、神様を悲しませようと企み続けるのですが、未来さえも存在する神様にとっては、彼らのその場だけの賢い計略は、結局、良い世界への1つの障害にすぎなくなるのです。

神様が、悪魔の存在を許可されているのは、天使と同じように、自由意志を持った人間のためでした。

人間が悪そのものにならないために、天使を用意され、その天使から悪魔に転じる者が現れ、人間の脳に悪のプログラミングを植え込んだのです。

 

ですが、悪魔が救われないという考えは、本当に可哀想なことなのでしょうか。

1、優しさは正しいことだけではない

優しい心というものは、大切なものです。それだけでも、目の前に起こった出来事を違った目線でみえるようにしてくれるからです。

例えば、あまり優しさを信じない人、懐疑的な精神の持ち主などがいますが、こういった人は、現実に起こった自分にとって嫌なことが起こると、すべて悪いことだと決めつけます。心から、その出来事は、悪いことだという発想が、定着してしまうのです。

少なからず、このように嫌な出来事を嫌なことだと断定するのは、誰にでもあることですが、優しい精神を持った人は、発想を逆転させることができるようになったりするのです。

自分にとって嫌だと思った出来事は、もしかしたら自分が悪いのではないのか?と他人を攻めるのではなく、自分の失敗を想定しはじめたりもするのです。

また、その嫌な出来事には、意味があるのではないのかと考えはじめたりもするのです。

 

ですから、嫌な出来事も、受け入れる強さが、優しい精神の持ち主には、備わっているわけです。

 

ですが、これが行き過ぎると、問題になったりします。

 

上にあげられた嫌なことは、特定の人の悪意によるものではない場合がほとんどだということです。

例えば、親から子が叱られたという出来事は、子にとっては嫌なことです。懐疑的であったり、心が荒んでいると、叱った親をゆるさない子がいるのですが、優しい精神の子は、親の立場にたって、考えます。親は自分のために叱ってくれたと考えるのです。

聖書には、愚か者は、叱責を嫌う。賢い者は、叱責した者を尊敬すると書かれています。

このように、起こった嫌な出来事をそのまま感情的に受け取るのではなく、なぜその出来事が起こったのかを考えると、単純に感情論で考えない思考が生まれるのです。

ですが、これらは、嫌な出来事を違う正義の立場から生み出されただけであって、悪意から出ているものではないわけですが、世の中には、悪意から出ている嫌な出来事も当然存在しているのです。

もちろん、神様はそれらも含めて、未来では良しとなっていることから、許可をされているのですが、それは人間には解りません。

 

そして、人間の優しさが、悪を生み出してしまうことにもなるのです。

 

今回の悪魔は救われないのかといった優しさから出た質問もこれに当たります。

 

悪魔という存在は、悪魔なのです。

 

その悪魔さえも、赦そうと考えられる自分はさらに優しい精神を持っていると思い込んでしまうかもしれませんが、実は恐ろしい精神でもあるのです。

優しさは、大切なものですが、優しさは、論理的な正義の基で発揮してこそ、世のためになるのです。

 

もし、その優しさが、感情論などの正義を基に発揮されたら、悪に呑み込まれてしまうのです。

 

悪魔はとても狡猾です。

わたしたちが悪魔を想像すると、毒々しい恐ろしいお化けのような姿をイメージするかもしれませんが、悪魔はそんなにバカではありません。悪魔は、むしろ、優しい姿で現れたり、悪魔のイメージを可愛いものや優しいイメージにかえては、人間の感情から歪曲させる精神を生み出すのです。

尊敬していた祖父の姿で現れたり、愛していた家族の姿で現れ恐れさせます。悪霊です。

 

例えば、漫画で、悪魔くんというものがありました。悪魔に「くん」を付けて、可愛いいキャラをみせれば、その悪魔が主人公にさえなってしまうのです。

魔女などでも、あたかも人権を主張するような魔女が現れて、正義を語る魔女が主人公の映画やアニメなどがマスメディアには登場しますが、それをみると、なぜか、キリスト教のほうが悪いのではないかというわけのわからない思想が植え込まれていくのです。

悪魔的なことを歴史的にはしてきたからこそ、キリスト教徒たちは、悪魔宗教を弾圧してきたのです。人々の平和を維持するために、詐欺や犯罪をする行為を否定してきたのです。それらをもし、キリスト教徒たちが、許可していたとしたら、今頃わたしたちは、悪魔宗教の食料になっていたことでしょう。

カニバリズムという人が人を食べる正義が、正当化されていたのです。

このように、可哀想だからとか、可愛いから悪魔にも人権のようなものがあるかのように発想するのは、それらの悪意のある出来事を知らないから言えるのですね。

 

解かりやすく言えば、目の前で、あなたの愛する家族を連続殺人犯が笑顔で食べていたとして、あなたは、そんな連続殺人犯を笑顔で、この犯人は救われないのかな?などと言えるでしょうか。

 

それどころの話ではありませんね。そして、悪魔とは、その連続殺人犯の上をいく悪なるものなのです。

連続殺人犯でさえも、凶器を持っている相手を笑顔でゆるすなどという人がおかしなように、それ以上の悪魔をゆるすというのは、まったく見当違いなのですね。

 

どれだけ優しく接しても、悪に止まる人間もいれば、悪魔は当たり前ですが、そのような存在なのです。

悪魔は救われないのかという考え方は、自分は正しいかのように、酔ってしまうような発想ですが、酔っているだけなのですね。

 

本質からずれているのです。本質とは、悪魔は悪魔だということです。

 

わたしたちが何をしようと変わらない人がいるように、悪魔は変わることはありません。

イエス様は、悪魔に誘惑され、悪魔と対峙しましたが、その時、悪魔への救いの言葉は、ありませんでした。それは悪魔は悪魔だからです。

神様の言葉を与えても、どれだけ神様の力をみせても、悪魔は、悪魔のまま存在し続けてきたのです。

 

 

2、感情の恐ろしさ

感情的に優しそうな人ほど、実は厄介だったりする場合があります。

愛情深かったり、正義を主張したりする人は、心から自分が正しいと思い込んでいるだけに、頑固で、タチが悪かったりするわけです。

論理的に話しても通じない場合があり、屈折すると、怒りだしたりもします。

 

脳がパンクしてしまうのです。

 

感情というものは、確かに大切なものですが、それは正しい原則に沿って、感情を付け足せばいいものですが、悪の原則に沿って感情を使えば、凶器になるのです。

愛する家族を深く愛していたからこそ、その家族を殺した犯罪者にいつまでも根に持ち、次の生活に移れない人などがいるように、感情は、裏返すと狂気になたったりするのです。

愛していた者同士のはずだったのに、憎しみあって離婚する男女がいますが、可愛さ余って憎さ100倍といった具合に、感情が凶器になるのです。

こうなってしまうと何を話してもその人は聞く耳が持てません。心から自分が正しいと思い込んでいるだけにタチが悪かったりするのです。

 

そして、悪魔宗教は、このような人間の感情を利用します。

 

例えば、マスメディアなどでも、多くの映画や小説などによって、感情的になるような設定で、それらの作品を売ったりします。

とても感動的だったり、とても愛情深いような作品を世の中に広めたりするのです。

これは一見いいことのように思えますが、これもまた、諸刃の剣なのですね。

 

感動的に魔女の話を造ったとしても、それは連続殺人犯を感動的に描いているだけであって、悪を白だと歪曲させているだけなのです。ほとんどの人間は、白もなければ、黒もなく、灰色のような状態ですが、悪魔宗教や悪魔は、黒なのです。

優しさや愛などを使っては、人を騙して、闇へと引きずり込みます。

 

感動的なものというのは、普通の生活をしていたら、そこまであることではありません。ですが、小説や映画などはエンターテインメントなので、収益を獲なければいけないだけに大げさに作り上げるのです。

そうすることで集客を獲るのです。

ミュージシャンの中でも必要以上に演出して、ライブなどを行いますが、そういった人は音楽ではなく、トリックで人々を騙しているだけなのですね。

それを解っていて楽しむのなら、危険を楽しむジェットコースターにお金をかけるようなもので、別にいいのですが、解っていなくて、騙されているのなら、少し問題でしょう。

 

ですから、悪魔宗教ほど、聖書やキリスト教、イスラエル人のことをマネしては、それらを180度回転させて汚してきたのです。

悪魔宗教は、カトリックを倒すために、フランスで、ジェンヌダルクという存在しない女性を造り出して、嘘の情報から人々をコントロールしては、革命を果たしてきたのです。

そのため、現代は、悪魔宗教が世界を支配してしまっているのですね。

ですから、サタニズム思想がはびこっており、神は悪魔などいないと思い込まされているのです。

 

ハリウッドだけではありません。世界中のマスメディアは、悪魔宗教によって染まっていて、悪魔側の正当性ばかりが表にでているのです。白人は、原住民を迫害したといった内容だけ知らされ、なぜ白人は原住民と戦ったのかの理由は、隠されるのです。

日本でも、御国のためにと感情的に、強いられてきました。300万人ものひとたちが戦争で亡くなったのです。

感情は、想いは確かに大切なものですが、それは正しいレールに乗っているからこそ正しいのであって、善の原則ではなく、悪の原則に感情をいれれば、凶器になるのですね。

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