歴史

イエスキリストと釈迦の類似性

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イエスキリストと釈迦は、違いすぎるだろうと思うかもしれませんが、実はそうではありません。

なぜなら、釈迦は、イエスキリストと同じ黄色人種であり、イスラエル人の末裔だからです。

 

実は、釈迦は、イスラエル人の末裔のサカ族(釈迦族)、イザヤの子孫なのです。

 

ですから、釈迦の教えている内容は、とても聖書的な思想が繁栄していて、そっくりなのです。

空の思想も、ソロモンの空の考えですし、偶像否定、呪文否定、墓否定など、とても合理的な教えを続けた釈迦は、決して聖書的ではないとは言えないのです。

ですが、日本の仏教をみると、偶像だらけで、同じ聖書から出ている宗教とは思えませんが、なぜそのようなことになっているのでしょうか。

 

釈迦とイエスキリストの類似性について考えていきましょう。

1、釈迦は、イスラエルの末裔

聖書の民イスラエル人は、激しい弾圧から12部族のうち10部族が世界中に散らばってどこにいるのか解らない状態になっているのです。そして、その弾圧が始まる前から聖書の預言は、イスラエル人たちが、本当の神である聖書の唯一神からはなれ、多神教に流されていたことで、東へと流されていくというのです。

そして、東の果ての島々で、木や石で造られた神々を拝まされるようになると書かれているのです。

その預言通り、イスラエル人は、ものすごい弾圧をされ、東へ東へと逃げていきました。

日本からみれば、東の世界の果ては、アメリカやカナダですが、パレスチナ、イスラエルという国の土地からみれば、東の果ての島々といえば、日本列島です。

 

聖書の民、イスラエル人は、聖書の預言通りの周辺諸国の弾圧という預言を恐れて、自分たちがイスラエル人であることを隠しながら、言葉などを変えて、東へと逃げていきました。そして、ペルシャや中国の南部、楚国を建国したのですが、また、秦の始皇帝によって弾圧されて、さらに東の日本へと逃げていきました。

中国南部といえば、インドの北、釈迦族がいた場所で、釈迦は、巨大な人口を有する民族の貴族のサカ族として、釈迦族の生まれだったのです。

 

多くのイスラエル人は、楚国から離れて、さらに東へと移動し、朝鮮半島や中国の東側の斉国などから、日本列島へと渡っていったのです。

日本の歴史がなぜか2000年前からはじまっているのは、イスラエル人の文化のままカニバリズムをしないイスラエル人が、日本列島へとやってきて、新しい国作りをはじめたところから見ているからです。

そして、日本に来た時の預言者は、女預言者の卑弥呼だったと思われます。

 

2000年前は、縄文人という原始人みたいなところから弥生人へと変化していったという意味不明な突然降って湧いて、日本の歴史がはじまったのではありません。縄文人というのは、豪族であったイスラエル人であり、そして、その後、朝鮮半島からカナン人の弥生人たちがやってきて、日本を支配して、豪族を追い落とし、弥生人として、朝廷を支配し、天皇を人質にして、日本を支配し続けているのです。

ですから、女預言者だったろう卑弥呼は、卑しい巫女といった自分たちの国の代表的な人物をさげすんでいるという訳の分からない名前にされているのです。カナン人からすればイスラエル人は奴隷であり、利用する「百済(くだら)ない(百済ではない)」存在だからです。ほとんど「畜生」扱いです。

世界の闇のルーツ、カナンの教え>>

 

豪族である物部氏は、ユダヤ教徒だったのです。

そして、豪族の1つ蘇我氏とは、釈迦の子孫がのちに、日本にやってきて、サカ族から、ソガ氏へと変わった豪族なので、仏教を信じていたのです。

 

仏教と言っても、この頃の仏教は、偶像崇拝はしていません。釈迦の教えた原始仏教であり、上座部仏教の教えの蘇我氏でした。宗教というよりも、学問であり、哲学であったのが仏教だったのです。

ですが、蘇我氏は、朝鮮半島の百済から大乗仏教の偶像緒が贈られてきたことで、それを受け取るように天皇に進言しました。

物部氏は、コテコテのユダヤ教徒だったので、絶対に偶像は肯定できません。物部氏は、断固として、偶像を受け取らないように、天皇に進言するのですが、天皇は、蘇我氏の意見と同盟国であった百済の偶像を受け取ってしまったのです。

すると不思議なことに、朝廷では、疫病がはやってしまい、次々と王族が死んでいきました。

 

そこで物部氏は、服を破いて、聖書の神の怒りを説きます。物部氏は、蘇我氏の寺院を焼き払い、偶像を焼き払い、仏教の危険性を訴えたのです。

その後、蘇我氏は、百済王子である中臣鎌足(のちの藤原鎌足)と手を組んで物部氏を倒してしまいます。天皇になろうとしたという有らぬうわさで、物部氏を弾圧したのです。

 

そして、その後、さらに蘇我氏は、藤原鎌足に、天皇を狙っているとあらぬ噂を広げられ、殺されてしまいます。蘇我氏さえも、百済王子は倒して、朝廷は、百済のものになってしまったのです。カナン人が日本の朝廷を支配するようになってしまったのですね。

 

藤原家は、日本の書物を焼き払い聖書の痕跡をすべて消して、新しい歴史を捏造していったのです。

それが、豪族主体で造られた古事記と貴族主体で造られた日本書紀になるのですね。

 

古事記や日本書紀が、聖書の話と似ているのは、もともと日本人は、イスラエル人であり、またエジプト文化や宗教を知っていたので、エジプトなどの多神教にも似ているのです。

 

例え藤原家であっても、すべての歴史を消し去ることなどできません。まだ、カナン人は日本には少なかったので、圧倒的な人口を誇る豪族をそれなりに尊重しなければ、反乱を起こされてしまうからこそ、豪族主体の古事記などもゆるしたのです。表向きはまるで神道を尊重しているかのようにみえて、実際は弾圧し、上座部仏教を日本中に広げて、神仏習合していったのです。神道には偶像が置かれるところもあるようになってしまいました。

 

カナン人の末裔であり藤羅家にとって宗教は、ご都合主義です。宗教は利用するものなので、自分たちの地位を確保できるのなら、利用するし、邪魔なら排除していくだけなので、熱心な豪族の信仰心を無視することなどしなかったのですね。

ですから、神道をそれなりに認めながら、日本を自分たちの宗教、大乗仏教へと変えて、支配し続けたのです。

 

まさに、聖書の預言通りになったのです。

 

そして、釈迦は、その日本列島に来る前の蘇我氏の祖先であり、わたしたち日本人の一部の祖先なのですね。

 

カルト系の宗教の教祖が、「わたしは、イエスキリストであり、ブッタでもあって、生まれ変わりだ」と宣言していたりするのは、これらの事実の情報を利用して、人々を惑わしているからなのです。「いやいやお前、黄色人種だろ」「朝鮮人だし、日本人だし」などと多くのつっこみを入れたくなるのですが、黄色人種だからこそ主張しているのですね。日本人でありイスラエル人の一部は、日本列島に入る前は、朝鮮半島に一時いたので、その主張も可能なのです。韓国の南部に前方後円墳のような古墳があったり、日本人に似ている人が南部に多いのは、日本との交流があって、一部は日本人の血が混じっているからなのですね。

ですが、もちろん、彼らは偽預言者たちであり、偽イエスキリストですので、騙されてはいけません。

偽預言者とはどういうものなのか>>

 

 

2、聖書と仏教

釈迦が、なぜバラモンに疑問が持てたのか、それはイスラエル人の文化や価値観がこどもの頃から存在し、人権を理解していたからです。人権を否定するバラモンの教えに違和感を覚えながらも、世の流れとして、受け入れていた釈迦でしたが、途中で目覚めて、ブッタ(悟る者)となったのです。

現代人からみれば、バラモンの教えが異常だとは考えられますが、それは現代に生きる日本人の常識からみれば、そうみえてしまうだけで、その状況の世界で生まれ育てば、人は、それが当たり前だと脳が錯覚してしまうのです。

日本人が日本語をしゃべることに疑問が持てないように、生活環境が1つの人間の基準になってしまうのです。

現代人だと、進化論という偽学問が、科学や学問だと思い込めるように、お猿さんがご先祖だとおもしろいことさえも信じ込んでしまうように、インドでもバラモンが、常識を造り出して、理不尽なことも正当化されていたのですが、釈迦は、それに疑問を持てたのは、イスラエル人の価値観という2つの価値観を比べることによって、発見することができたのです。

進化論の正体>>

現代人は、お金=人生だと思い込んでいたりしますが、冷静に考えると現代のお金は紙切れです。ペーパーです。紙であって、そこには意味はなく、それは、意味をもたらすために利用する道具として、現代では使われているだけなのですが、それに気づけない人が多いように、人は生活によって脳の常識が固定されていまうのです。例え嘘でも、それらを信じ込んでしまうのです。

 

釈迦は、厳しい修行をバラモンとして行っていたのですが、それら激しい修行をしても何の意味もないと気づきました。それらはやっている気分になっているだけで、誤魔化しだと判断したのです。

そして、論理的で、実用的な教え、シンプルで誰にも否定できない教えを基準にして、それらを教えていったのです。

釈迦の時代は、偽宗教が、権力を持って民を苦しめていたので、釈迦はそれらに疑問を持ち、違った見方を人々に広めました。

 

偶像という偽物の神を否定し、墓の思想や呪文などによって人々を惑わすことも否定したのです。

偶像とは何なのか>>

 

バラモンは、人々に文字の読み書きをすることを禁止させました。文字の読み書きができないということは、情報が極端に制限されるということです。新しい知識や物事を理解するツールが制限されるのです。

情報を知らない人は、世の中の判断ができないので、トンデモ論でも信じ込むようになってしまいます。月に兎がいると言ったとしても、それを信じたりするのです。こどもと同じだということです。こどもは真面目に大人、先生などがお猿さんが人間のご先祖だというのを聞くとそのままトンデモ論でも純粋に信じてしまうのです。

そのまま大人になり、進化論宗教を心から信じ切ってしまう信徒たちは、それらは学問でもなく科学でもないと論理的に話しても、感情的になって、事実を受け止められなくなってしまうのです。人は自分のみたいものをみる人がほとんどだからです。

 

そして、バラモンは、難しい意味のない言葉を唱えはじめます。呪文です。一般の人には解らないことを知っている人は、賢いと脳が錯覚してしまうのを利用して、あらゆる意味のない偶像思想を使って、人々を惑わすのです。

数字や数式、法律や難解な言葉を使かっているひとはすごいと思い込んでしまうのです。いわゆる詐欺です。

そして、脅します。もし、バラモンのいうことを聞かないと、来世ではバラモンとして生まれ変わることができず、苦しむとか、先祖の供養のために高いお墓や改名などを買わなければと脅すのです。

あなたの余命はあと3か月ですと、現代医療の詐欺医者が、脅し文句をいうと、猛毒の抗がん剤が高値で売れていくのです。これと同じです。

現代医療と悪魔宗教>>

法律や政治、小説や学問や科学なども同じで、これらの中には当然、偽物、みせかけ、詐欺のものが混ざっているのです。

 

バラモンやカトリックなど、支配層たちは、こうやって情報を規制しては、人々のマインドをコントロールしてきたのです。

ですが、釈迦は、聖書の文化、価値観を一族から受け継ぎ知っていたので、違和感を知ることができたのです。

 

釈迦は、詐欺商法をする宗教を否定しました。宗教を否定しているのではありません。ですが、あまりにもそういった詐欺宗教が多いので、まず人々の論理的な思考、哲学的な知能を与えることに専念したのすね。

自分たちで、トリックを見破る目を養って生活できるようにしようと考えたのです。

釈迦は、自分の仏像なども作ることを禁止しました。輪廻転生なども肯定していません。

 

それは、釈迦が学者だったからです。仏教はもともと宗教というよりも学問なのです。

ですが、釈迦の死後、弟子たちは、キリスト教の異端宗教や多神教などと結びついて、釈迦が否定した仏教が次々と広げられてしまいました。それが大乗仏教なのです。キリスト教のすべての人への救いの思想などを取り入れた大乗仏教が、またバラモンなどの思想と結びつき、学問ではない宗教の仏教を作り出していったのです。

大乗仏教がキリスト教から出ているのは有名ですが、上座部仏教こそ、実は聖書的であるということを知っている人は少ないです。

なぜ、キリスト教・神道・仏教がとても似ているのか、それらはもともと聖書が教えたものであって、現在世界で大きく存続しているほとんどの宗教は、結局聖書から出ている宗教なのですね。儒教も学問的な宗教だと思うかもしれませんが、この儒教も聖書の教えから神という存在を切り離しただけで、教えは聖書なのです。

そして、これらの事実をカルト宗教などは知っているので、普通のキリスト教の教会よりも強調して教えていたりするのです。そうすると、何も知らなかった日本人たちも、世の中がおかしいことに気づき始めます。そして、それらを教えてくれたオウムなどの新興宗教を心から信じ始めてしまうのです。

真実をいくつも教えてくれるから教えてくれた人や宗教を信じてしまうのですが、実はそれがまた闇なのです。

詐欺師の常套手段で、最初は相手に利益を与えて信じさせてから一気に多くを奪うのです。

 

 

もともと、プロテスタントが、それらのトリックを見破り、カトリックなどの不正を訴え続けてきたのですが、それらの偶像思想を否定する考え方、トリックを見破る方法を次は、カルト宗教が使いはじめたのです。

多くの高学歴といわれる学生たちが騙されていきました。

今でも騙され続けているのです。

 

それは、学校宗教団体や世の中の仕組みそのものがすでに詐欺だからなのですね。

お金システム銀行システムによって、世界はコントロールされ、賄賂が流されて、だれも歯向かえないようにされているのです。

 

黙示録に、みな数字のついたものがなければ、売ることも買うこともできないようにされ、誰がそれにさからえようかと書かれているように、現代はそのようになっているのです。

 

昔の人よりも未来に生きている自分たちは、知識を持っていると思い込んでいる人もいますが、とんでもありません。昔の人のほうが知識を持っていた時代もあるのです。どうでもいい情報や詐欺の情報を沢山持っていたとしても、不幸せになるだけです。

例えば、どうして現代人は、近代歴史ほど曖昧な知識しかないのか?と疑問に思ったことはないでしょうか。どうして、日本やドイツが戦争をはじめたのか。これらも曖昧にされて、頭から悪者だったからで終わってしまっています。なぜヒトラーが戦ったのかの理由を知られたくないのです。

ホロコーストはなかった>>

 

ですから、現代人は、すでにわたしも含めて脳が汚染されているので、恵まれた環境でも、心から幸せだとは感じられないようにされているのですね。

それらの脳の汚染から脳を洗い流せるヒントを大量に与えてくれるのは、聖書です。

 

その聖書によって、現代の多くの宗教が人権を理解して、人を食べたり、人を生贄にしたりするカニバリズムなどの正義を否定するように出来ているのです。

これは決して当たり前ではないのですね。

これらの思想を犯罪とか、サイコパスだとして、刑務所にいれるというルールは、現代だからこそ当たり前だと思っているだけなのです。

サイコパスなどは、誤魔化しにしかすぎないのです。人は狼に育てられれば狼のように振る舞う生活をするのです。一部の特殊な人間がなるのではなく、サイコパスといった病気のようなことで歪曲させているのです。

洗脳の真実>>

そして、まるで洗脳やサイコパスは、お化けのようなものだとして、恐れさせることで、人々はそれらを調べようとしないように誘導しているのです。ですが、実はそれらにヒントが隠されているのですね。人間は、高性能なロボットのような存在だという事実なのです。脳にプログラミングされたことを信じて、錯覚して動いているようなものなのです。

 

 

3、イエスキリストと釈迦の類似性

イエスキリストと釈迦には共通点があります。それは聖書というのはさきほど言ったことですが、それとは違った類似性があります。

それは、シンプルだということです。

 

詐欺師やコントロールしようとする人間は、人を操ろうとするので、小難しい言葉や複雑さに持っていき、人の脳を混乱させます。

ですが、イエスキリストや釈迦は、こどもにでも解る言葉で、シンプルに人々に教えを広げました。

 

これは物凄く深い意味があるのです。

 

複雑で難解、ヘタをすると何の意味もない難しいことを言われても、それを理解できない人たちには、それが正しいのか分かりません。それが正しいと信じたいと思い込むことはできても、理解できていないで、正しいと主張するのです。

占い師が曖昧なことをさもありげに発言すると、人は「もしかして、あのことかな?いやあれかも?」とその人をフォローしょうと勝手にしてしまうのです。

「実はあなたは優しいですね。」とか、「実はあなたは怒りっぽいですね。」などといった言葉は、すべての人に当てはまるのです。優しい行動をしたことがない人もいなければ、怒ったこともない人などいないからです。

 

ですが、イエスキリストや釈迦の言葉は、こどもにも解るほどシンプルなので、みな理解できました。

みなが理解できるということは、当然、誤魔化しが出来ないのです。

 

それは理解しているからです。理解している人には、誤魔化しが効かないのです。

 

こどもにも解る言葉で、シンプルに話しているのに、世の中の現象と一致してしまっているということは、もうそれは真実なのですね。

ダークマターやビックバン、遺伝子組み換え、数式など、ありとあらゆるトンデモ論の小難しい詐欺が広がりましたが、これらは、裸の王様なのです。

 

見栄をはった大人たちは、王様の素晴らしい服が、みえないと「バカ」だと思われると怖がって、本当はみえていない王様の服も、素晴らしい服だと賛美するのですが、こどもたちは、みたままを語るのです。

「王様は裸だよ。」というのです。

このように、大人は、知らないということを隠したり、自分が正しいと思い込もうとするあまり、事実がみえなくなり、行動さえも嘘になってしまうのです。

進化論のように冷静に論理的に考えれば、トンデモ論であっても、それを信じていないひとはバカだと思っていたりするのですが、肌かなのは、実は進化論信者たちなのです。

 

本物というものは、実はシンプルなものが多いのです。

 

シンプルな仕組みが無数に積み重なって、複雑にはなってはいても、1つ1つは、シンプルなのが、この世界なのですね。

シンプルなので、理解できてしまうので、騙すこともできないのですが、そのことが現実と一致しているので、事実だと理解できるのです。

難しい多くの仕事があったとします。全体をみると途方もないことのように思えますが、それを分解して、小さい仕事に分けていくと、結局単純作業のように簡単な仕事になるのです。本物の数式なども分解していけば、足し算引き算になっていくのです。それを早く終わらせるために、掛け算や割り算があるのですね。

 

そして、イエスキリストと釈迦の類似性は、歴史や文化、受け継いできた知識や知恵を大切にしているということです。

あらゆる発明が人間社会には登場してきましたが、それらははじめて人間が発明したと思っても、実はこの世界が創られた時からすでに存在していて、はじめからあったものなのです。

あらゆるものが、1つ1つが積み重ねによって、組み合わされ、発見したと考えているだけなのです。1200に行くには、まずは、1から発見され、理解できないと無理なのです。

そして、それらの多くは、はじめから神様が創られていたものであって、0からでは絶対にないのです。

はじめから永遠に存在された神様>>

 

わたしたちが存在しているよりも前から存在しているから発見できるのです。

 

 

また、ふたりは、偶像思想を否定しました。

偶像とは何なのか>>

この世に存在しない思想、人間の脳で空想した思想、それらは非論理的なものであって、一部の人間の都合のいい情報、デマ情報は、否定したのです。

大勢のひとたちが、デマ情報を信じれば世の中が、崩壊してしまいます。

 

釈迦は、すべてのものを回復させる方が、西の場所から現れると語ったといいます。ある意味、釈迦の予言の言葉です。孔子も似たようなことを言いました。

そして、イスラエルは、彼らの土地からは西であり、イスラエルからは、彼らの方角は、東なのです。

 

東の国の博士が、イエスキリストが生まれた時、現れて、宝物をマリアとヨセフに与えたことが聖書には書かれています。

東の国の博士たちはどこの国から来たのか疑問があがりますが、それは日本だという人もいれば、中国やインドだと言う人もいるのですね。

 

世界中に広がって飛散してしまったイスラエル人の中の研究者、それが東の国の博士三人なのですね。

 

そして、聖徳太子という存在しない歴史人物も、イエスキリストなどの情報から作り上げられたのです。

 

どうして、原始キリスト教の秦氏と原始仏教の蘇我氏とユダヤ教の物部氏が、共存できたのか。それは、それぞれが同じ聖書から作り上げられ、聖書の教えに反していなかったからなのです。偶像を否定し、呪文を否定し、あらゆる論理的な思考をそれら宗教が教えてくれたのです。

また、同じ日本人、同じイスラエルの末裔だったからということもあったでしょう。考え方は違っても親戚は大切にするように、世界に飛散したイスラエルの血筋は、日本は受け入れたのです。

 

何でも受け入れるのではなく、家族だからこそ尊重し、認めあった結果だったことでしょう。で、あるのなら、釈迦とイエスキストもすべて違うと考える必要もありません。釈迦は、宗教というよりも学問を教えただけだからです。

もちろん、釈迦は1学者のひとりだけであって、ソクラテスなどと変わらない人間です。

そして、イエス様は、人間の姿をしてはいても、神様です。イエスキリストの形に似せて人間が作られたから似ているのは当然です。

イエスキリストの創世記>>

イエスキリストは神なのか、人間なのか>>

 

大乗仏教は、キリスト教にとても似ていますが、似て非なるものです。聖書の論理性を消してしまったのが大乗仏教だと言えなくもありません。ですが、その思想は、キリスト教から来ているので、人権さえ守っているのであれば、攻撃的に否定する必要もありません。

聖書の正しさは、時代とともに証明されていくので、世の中とともに、それらを信じているひとたちは、論理的な思考があるのなら、いつかは認めざるおえなくなるので、聞く耳が出来てから話すだけです。

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