歴史

蘇我氏の正体

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
Pocket

日本の歴史を多少知っているのなら、蘇我氏は解るとは思います。

蘇我氏とは、日本の豪族の1つの中心的な部族で、日本を7世紀まで守って来た一族です。

 

今でも蘇我氏の一族は、似たような名前で生き残っていて、それぞれの古墳を守っている家もあるのです。

蘇我氏は、とても平和主義者で、争いごとなどを好みませんでした。争いなどの担当、戦いなどの担当といえば、物部氏ですが、これは、政治家の蘇我氏がいたら、軍事面をまとめる将軍が、物部氏だったというような間柄で、どちらが悪いとか、良いとかいったことではありません。

日本の歴史では、蘇我氏は、天皇を倒そうとした逆賊だったり、裏切り者、朝廷を支配しようとした存在として、教えられているのですが、果たして本当にそのような存在なのでしょうか。

 

1、蘇我氏は、イスラエル人

蘇我氏は、日本に仏教を広めた中心人物としても有名です。

蘇我氏は、紀元4・5世紀に、大陸から渡来してきた民族で、日本に渡来した時には、すでに仏教を信じていました。

 

日本は、豪族によって支配されていましたが、その中に渡来人の蘇我氏が、やってきて、どうして豪族の有力な存在に成りえたのでしょうか。

それは、日本の豪族たちと同じ、イスラエル人だったからです。

蘇我氏の一族は、釈迦のサカ族の末裔です。釈迦は28歳から出家して、家族を捨てたと言われていますが、その時にはすでに、こどももいました。もちろん、嫁もいたのです。その後、釈迦の教えが広がり、その教えを末裔のサカ族が守っていたと思われます。もちろん、仏教は特権階級制度ではなかったので、多くの弟子たちがそれぞれ分派していって、あることないことを広めていきましたが、釈迦の子孫であるサカ族は、釈迦の意思をそれなりに尊重しようとして、守り抜いていたのではないでしょうか。

蘇我氏もその中の1つで、大乗仏教ではなく、上座部仏教として、偶像を拝まない哲学的な思想の一族でした。

見た目からしても、イスラエル人の末裔だということは解ったとは思いますが、イスラエル人の12部族はそれぞれ三種の神器の模型のようなものを代々持っていて、イスラエル人の文化を見せ合うことで、同じ一族だという証明になり、それぞれが豪族として、土地を収めるようになったのです。

日本で、一番最初にイスラエルの国のようなものを作ろうとしたのは、東北の黄金王だったのではないかと思われます。モンゴル経由で北側から日本列島に入って来た騎馬民族でした。

そして、次に南から入って来た楚国のイスラエル人たちが、大量に稲作の技術を保持して、日本列島に入って来ました。

両者は、それぞれ大きな地域を収めていて、日本列島にいた原住民、カニバリズムをしていた民族を駆逐して、奴隷にさえせずに、滅ぼしました。生き残った原住民は、生口といって、大陸に売ったということも少しだけ記録にあります。

イスラエル人とカニバリズムをしない民族で、日本列島を支配しはじめたのです。

 

南と北のイスラエルの勢力は、それぞれ相対しましたが、それぞれの印をみせあって、平和裏に同じイスラエル人として、日本列島を支配したのです。

 

中心になったのは、ユダ族であり、物部氏でした。

 

その後、渡来してきたのが、蘇我氏になります。

 

忌部氏は、レビ族で、聖書に書かれているように神事を担当する一族だと思われます。

 

12部族が、それぞれ渡来してきては、イスラエルの国で平和を保持しはじめたのです。

 

蘇我氏は、神道ではなく、仏教を信じていたので、ユダヤ教である物部氏は、あまりいい顔をしなかったと思われます。ですが、天皇は同じ民族であるので、彼らを受け入れました。釈迦であり、サカ族は、預言者イザヤの末裔だから、豪族の中でも、有力な存在として、重宝されたことでしょう。

そして、その頃の蘇我氏の信じた仏教は、宗教というよりは学問であり、偶像を拝みませんでした。哲学を教えて、論理的な思考を持たせ、非論理的な特権階級の支配にならないように促すような仏教の教えだったのです。

争いごとは好まず、武器を持たず、論理を広めて、平和を保持する考え方です。

 

ですから、偶像をも拝まないで、論理的で平和的な蘇我氏を物部氏も、豪族として受け入れざる負えなかったと思えます。

 

 

 

2、蘇我氏は、温和だった

クリックすると新しいウィンドウで開きます

蘇我氏は、神道を追いつぶし、物部氏を倒して、仏教を日本に定着させた存在かのように教えられたりもしますが、そういう存在だとは思えません。

 

豪族の中には、いくつもの部族の長がいました。有力だったのは、物部氏や蘇我氏、忌部氏などいくつもの長がいたのです。現代の藤原家ではなく、本当のイスラエル人の藤原家、中臣家もその1つでした。

そして、天皇と同じ部族であった物部氏が、中心になって、天皇をリーダーとして、補佐していました。

 

物部氏は、日本にイスラエルの国を作り始めた最初の部族長の中の1つで、ダビデの血筋のユダ族です。

源氏もこの物部氏の末裔で、安倍総理の母方は物部氏です。

 

鎌倉時代もそうですし、室町時代も、徳川家康も物部氏の子孫です。ちなみに、織田信長は、忌部氏の子孫です。

 

その神道の物部氏を倒した蘇我氏は、さも攻撃的な人間かのように教えられたりもしますが、そうではなかったと考えられます。

 

物部氏を倒して、豪族の首領として、頭角を現した蘇我氏でしたが、蘇我氏の遺跡の跡から、蘇我氏がとても質素な建物に住んでいたことが解りました。日本の豪族のトップなのですから、その権力を振るって、豪華な生活を送っていたのではないかと思われていましたが、実際は、質素倹約、まるで動物や植物のように、欲に流されない生き方をしていたと思われるのです。

 

日本書紀のようにまるで悪人かのような蘇我氏のイメージではなく、蘇我氏は、平和主義者だったと思われるのです。

仏教は、武器を持たない宗教でした。インド北部でも、仏教徒は武器を持たずに、権力と対峙していたのですが、絶大な武力を持つ、シャーマンに悉く、虐殺されました。それでも、武器を持たなかったというほどです。

その精神を蘇我氏も持っていたのではないでしょうか。

中世になると大乗仏教の少林寺などや日本の仏教は、武器を持って、まるでひとつの盗賊のようにのさばっていましたが、本来は、仏教は、平和主義なのです。

 

日本は、イスラエル人であり、聖書の価値観を共有した豪族によって平和が保たれていたのです。もちろん、神道であり、ユダヤ教徒の物部氏と仏教である蘇我氏は、みえないところで、距離があったとは思いますが、それでも平和に共存していました。

 

その関係を壊したのは、朝鮮半島からやってきた、日本の同盟国の百済王子。中臣鎌足でした。

 

中臣鎌足の国、百済は朝鮮戦国時代に滅びてしまいました。日本にとって、朝鮮半島は、重要な拠点で、大陸からの他民族をいれないために、朝鮮半島に目配りするのは当然だったのです。

また、カニバリズムなどをするような人が人を食べる民族が日本列島にはいってこられると、平和が壊されてしまうからです。

 

日本の国も朝鮮半島に作ったこともあったのですが、その国もすぐに滅びて、百済だけが日本と貿易をしてくれる拠点であり、大陸の情報を日本に与えてくれるお得意さん、貿易国だったのです。

百済による謀略だったのか、分かりませんが、朝鮮半島との貿易を任されていた日本海側の豪族が、反乱を起こしたこともありました。

そういったことも重なって、天皇という中心になる存在を明確にしはじめて、反乱を収めたのですが、イスラエル人といっても一枚岩ではなかったのです。

 

海という壁に守られてはいても、海があるゆえに、大陸の情報が入らず、いつ大陸から侵略されるのか解らないので、日本からすれば、朝鮮半島は、大切な場所だったのです。

そして、大陸の情報を教えてくれていたのが、百済でした。

問題は、その百済からはじまりました。大乗仏教の百済の国から偶像が届けられたのです。

その偶像を貿易国の日本が受け取らないというのも、失礼にあたると思ったことでしょう。ですが、日本は神道の国です。昔から偶像や多神教に流されたことから、悲劇を生んできました。ですから、ユダヤ教の物部氏などは、絶対に反対したのです。偶像の贈り物を受け取るべきではないと意見したのですね。

片や、上座部仏教的な蘇我氏は、同じ仏教の国からの贈り物なので、親交を深めるために受け取るべきだという意見をいいました。

天皇は、蘇我氏の意見を受け入れて、偶像を許可したのです。

 

すると、不思議なことに、王族が次々と病気が広がり、死者まで出ました。偶像を許可した天皇まで崩御してしまいました。

このことから、物部氏が動いて、天皇に許可をもらって、偶像を排除したのです。そして、その偶像を受け入れようと進言した蘇我氏の寺院を焼き払いました。日本に偶像をいれようとした組織だからです。

疫病などは、収まったのですが、平和主義の蘇我氏は、物部氏の力の圧力に疑問を持ちました。蘇我氏からみると、物部氏の行動は論理的にみえなかったのです。

物部氏は、決して非論理的な氏族ではありません。一見非論理的にみえますが、そうではありません。実際、物部氏は、偶像を許可する意見を蘇我氏が言うまで、彼らを認めて許可していたのです。寺院なども残すものは残し、悪いものは悪いと判断した結果だったのです。神を心から畏れる物部氏と学問的なだけの蘇我氏の世界の味方は違っていたのです。貿易や論理的な面からみていた蘇我氏は、物部氏を理解できなかったのでしょう。

 

 

その後、百済が滅んだので、日本は、百済の王族を日本で保護してあげました。

特に、貿易をしていた中臣家が、彼らを保護してあげていたのです。

 

ですから、百済の王子も、中臣家の恩情から中臣鎌足という名前をもらい、生活をはじめたのです。

中臣鎌足は、とても賢い人物だったと思われます。日本の文化をすぐに理解して、大陸の最先端の情報を持ち、作法なども心得ていたので、豪族からすぐに認められ始めたのです。

数多くの情報をもたらし、神道などにも精通していた中臣鎌足は、中臣家を立てる神道なのか、それとも自国の宗教の大乗仏教なのかといったどちらでもない立場で八方美人のように振る舞っていたと考えられます。百済の王族なので、日本としても丁重に扱ったことでしょう。

それをいいことに、中臣鎌足は、仏教仲間のように近づいたのは、蘇我入鹿で、蘇我氏でした。

 

蘇我氏にも近づき一緒に物部氏を倒すような話に持っていきます。豪族内での争いを生み出すのです。もちろん、蘇我氏としても寺院などを焼かれた因縁があるので、それを前向きに受け入れます。

 

そして、物部氏を倒してしまうのです。物部氏は天皇を排除して、自分が天皇になろうとしていると情報を流して、物部氏を天皇が恐れるように仕向けたのです。

その後、蘇我氏は、神道を追い込もうとすることはしませんでした。蘇我氏は豪族の権利を主張したのです。

蘇我入鹿は、確かに仏教を日本に広めた第一人者ですが、だからといって、神道を攻撃的に排除しようとはしていないのです。

 

その証拠に、現在でも、入鹿神社という蘇我入鹿の神社が存在しているのです。

蘇我入鹿は仏教派なのは有名ですが、なぜその入鹿の神社があるのでしょうか。それは、入鹿が決して神道を否定した人物ではなかった証拠なのですね。

ですが、残念ながら、その入鹿神社には、蘇我入鹿の偶像が祭られています。

この神社は、明治時代に、潰されそうになったのですが、神主さんや地元の人々の努力によって政府からの圧力に負けずに、今でも残っているのです。

 

蘇我氏は、悪人だという考え方は改めなければいけないのです。もちろん、物部氏もです。

 

3、蘇我入鹿の衰退

クリックすると新しいウィンドウで開きます

蘇我入鹿は、物部氏を追い落とし、豪族の中でも上のポジションになりました。

そのことを中臣鎌足は、天皇に懸念を植え込みます。

蘇我入鹿が、物部氏を倒した後、次は第二の物部氏になって、蘇我氏が天皇になろうとしていると風潮したのです。

天皇は、そのまま信じてしまいます。中臣鎌足は、天皇の前で、蘇我入鹿を剣で刺し殺します。

 

天皇の前で、逆賊として、蘇我入鹿は、貶められ、蘇我入鹿は、天皇に、なぜなのかと問いながら死んだと言われています。

 

蘇我入鹿は、豪族や天皇を追い落とすようなことをする人間ではありませんでした。ですが、物部氏と同じように蘇我氏は貶められて、もっとタチの悪い中臣鎌足、藤原家に日本の朝廷は乗っ取られたのです。

その後、天皇は、中臣鎌足を恐れて、中臣鎌足に名前を授けます。藤原鎌足になります。

 

このことを豪族の中臣家は、喜び、自分たちも藤原家を名乗ろうとするのですが、鎌足はそれをゆるしません。次々と権力を掌握して、天皇を追い落とそうとしはじめます。

天皇を追い落とそうとしたのは、物部氏でもなければ、蘇我氏でもなく、藤原家だったのですね。

 

争いのないところに、わざとあらぬ噂を流して、いい人間を悪者にして、追い落とし、自分が上に上がるのです。

 

これこそカナン人のやり方です。

 

悪魔宗教の目的>>

世界の闇のルーツ、カナンの教え>>

 

藤原家は、日本人がイスラエル人である証拠の書物を次々と焼き払いました。日本の歴史を消し去り、自分が前からいた豪族のように仕向けて行ったのです。

その後、藤原家は、恩をもらったはずの中臣家さえも逆賊にして、追いつぶします。

豪族をことごとく朝廷から追い出して、藤原家だけの権力を保持していきました。

 

原始キリスト教の秦氏は、豪族として残されたのですが、それでも藤原家に手を出そうとはしませんでした。神道を守り、伊勢系の神道を争いなく広げて文化を残していったのです。

日本の歴史が消えた1400年前から藤原家は、日本の裏の支配者として、コントロールしてきました。歴史の戦争は、すべて藤原家のせいだとさえ言えるほど、日本に厄災をもたらしましたが、神様がなぜ彼らを残す許可をされたのか、それは海外の悪魔宗教に日本が支配されないためだったのではないでしょうか。

今はフジテレビやマスメディアは、藤原家を中心とした権力が支配しているのです。

 

海外の悪魔宗教よりも国内の悪魔宗教のほうが、まだましだということです。

なぜなら、日本に住んで生活しているので、それなりに日本のことを考えて支配するのと、離れたところからどうでもいい土地のことを支配している悪魔宗教は、さらに残酷な判断をするからです。

どちらもどちらですが、もし、彼らがいなければ、海外の悪魔宗教の狡猾さに太刀打ちできずに今よりも、もっとひどいことになっていたのではないでしょうか。

現代医療という悪魔宗教によって年間40万人程度の犠牲で済んでいるのは、毒は毒によって制しているからかもしれません。

 

このカナン人を日本の支配者にしてしまった蘇我氏は、平和主義すぎて、彼らに勝つことができなかったのです。それも聖書の預言通りでしたが、日本は、木や石で造られた神々を拝まされ、それらから奴隷扱いされる歴史になります。

蘇我氏は、釈迦の子孫であり、またイスラエル人の末裔です。

ですから、ユダヤ教である神道なども、否定することはありませんでした。ですが、優しすぎたりする精神が、狡猾なカナン人に利用されたのです。

 

豪族は、秦氏などによってかろうじて、生き残り、その後、物部氏の末裔は、侍となっていきます。そして、朝廷と幕府の二大政治が行われ、藤原家と幕府の戦いは、今なお続いているのです。

 

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す

*

CAPTCHA