思考の変化

黒人は素晴らしい

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アジア諸国のひとたちは、黒人種のイメージは悪くないのではないでしょうか。

白人種から奴隷にされても、頑張って権利を得たような果敢なイメージは、好印象さえあるかもしれません。

 

日本は、他国から奴隷として、あからさまに扱われたことがありませんが、日本が他のアジア諸国のように奴隷国にされないために、必死に考え続けてきました。大陸からの侵略は、日本人の祖先であるイスラエル人が成功させたように、また日本列島に大陸からの侵略が行われないように2000年以上も前から日本は、朝鮮半島を重要な拠点としてやりとりしてきたのです。

中国東部から入り込んだケースと朝鮮半島から入り込んだケースがあるといいますが、普通に考えれば、朝鮮半島から入ったと考えるでしょう。

 

大陸の脅威を常に持っていた日本は、アジア諸国を次々と支配下におさめていった白人に対して、驚異を持つことは当たり前で、その恐怖からあらぬ噂も広がりました。天皇家でさえも、白人は鬼人だといった内容を世に広めたほど、白人を恐れたのです。

 

黒人は、日本のように渡来していたわけでも、歴史のつながりによって情報を享受していたわけでもなかったので、尚更、歯向かうことは出来なかったはずです。

半分裸で、槍や弓で戦うのに対して、相手は銃を持っているのですから、圧倒的だったことでしょう。

 

なすすべなく、奴隷とされた黒人種の多くは、アメリカ大陸に連れて行かされ、奴隷とされていきました。

ですが、今はそんな黒人種のハーフから大統領が生まれるほど、その権利を勝ち取っているのです。

 

そういった歴史を知っているからこそ、日本人の黒人種に対する無言の尊敬のようなものは、白人種とは裏腹なイメージになっているのでしょう。

 

 

 

1、黒人と言ってはいけないのか

黒人への迫害がひどかった場所で有名なのは、南アフリカです。アメリカも確かにひどい差別などがありましたが、南アフリカの差別はつい最近です。

白人用のトイレや歩道、バスなどがほんの数十年前まで存在し、白人種と黒人種をあからさまに区別しいていました。

黒人は、白人専用のものは利用できなかったのです。

その風潮は、アメリカにもありました。オバマ大統領がアメリカ人たちに歓迎され、彼は平和のシンボルとして、大統領に選ばれました。トランプ大統領とは違って、ものすごい数の国民が、大統領就任式に参加したのは有名です。

裏で何が起こっていたのかは、置いておいて、アメリカ国民からしても、希望を与えてくれた大統領に映ったことでしょう。

ここまで、アメリカ国民が騒いだということは、それは未だに黒人と白人との間には、差別的なものが存在しているという証拠です。

 

もし、まったく差別や偏見がないのなら、オバマ大統領の時に大勢の人々が集まるはずもないからです。

 

そんな風潮の中、今でも黒人という単語をあまり口にする人はいません。

 

ですが、黒人は、肌の色が黒系です。それは誰も否定しない現実なのですから、それを素直に黒色だといえないほうが、本当は悲しいことです。

黒色の肌が、その人の人格を左右するものではないからです。

 

神様が、カインに与えた「しるし」は、黒い肌だったと思われます。弟アベルを殺害し、はじめての殺人をしたカインは、神様からしるしを与えられたのです。

世界中の悪魔的な思想やマイナーな思想は、黒色がなぜか、悪いイメージを持っていたりします。それは、昼の明るさに対して、夜の暗さには、危険がつきまとうというイメージからなのか、それともカインから来ているイメージなのかは、分かりませんが、魔女や葬式、恐ろしいものは、黒がメインにされてしまっています。

世界中に、黒猫が不吉だといったイメージさえあります。

ですが、聖書をよく読んでみたり、世界の文化をみると、黒は悪いイメージだけではありません。

 

聖書をよく読めば、神様がカインに与えたしるしは、カインを守るため、カインを愛していて、カインを守るために与えたしるしです。

カインとアベル>>

カインとはどういう人物だったのか>>

カインの子孫の一部が、悪を作り出していったことも聖書には書かれていますが、カイン本人は、悔い改めて、自分のしてしまったことに対する罪悪感をきちんと持ち合わせていたのです。

カイン子孫。カイン族>>

また、黒猫にしても、イギリスでは幸運だという考え方なのです。黒の似合わない人はいないとよく言われますが、賢くみせるのは、黒は適しているのですね。

また、夜の闇を造られたのも、神様です。

それは悪いことではなく、暗いということは、良い事なのです。

 

たまに、夜明かりをつけていないと眠れないという人がいますが、本当は、明かりがあることは、人間の体のリズムを崩してしまうことになるのです。ですから、夜は、あまり明るくするのではなく、ほんのり光が灯す程度にするのがいいことなのです。

日本は白色の蛍光灯などを使うので、ものすごく部屋を明るくしてしまいますが、海外では、夜はオレンジ色のような豆電球を少し明るくしたような色の光を使います。そうすることで、夜が来て、体をリラックスさせ休ませるというリズムを作り出しているのです。

日本の都会のネオンと海外の都会のネオンは、まったく違います。

海外のネオンはとても落ち着いたもので、日本とは違うギラギラした光ではなく、雰囲気のある景色を造り出すのです。

 

このように、黒色というものは、決してその色自体が悪いのではなく、使いようによっては人々を助け、バランスをもたらしている良い色なのです。

 

茶色の肌なのに、黄色人種と言われるアジア諸国は、どうかと思いますが、黒人は、肌が明らかに素晴らしい黒色なのですから、それを黒色ということを阻むほうが、本来は悲しいことなのです。

 

それは、未だに人間社会は、悪が支配し、多くの無くてもいい悲劇や悲しみ、悪が満ちていて、人々の中にも悪が増大しているからこそ、黒人という言い方をしない現実逃避するような言い回しがされているのですね。

未来では、悪が極限に小さくなり、人々が他人を尊重する素晴らしい世界になった時には、黒や白、茶色の肌だということが、悪いというイメージさえも消え去っていくことでしょう。

聖書が、カインには、黒い肌と書かずに、「しるし」としたのもそのためかもしれません。

 

今は確かに黒人と言い方を黒人相手に使う人も少なければ、黒は悪いイメージが広がっていますが、それが永遠に未来でも同じだとは言えません。

そして、黒は決して悪いことではなく、また聖書でもカインを愛しているからこそ、神様が彼を守るために与えたしるしだったのです。

 

神様は本当に不思議なことをされる方で、一度は1つだった人間を別々の形にして創られました。

男と女もそうです。

ですが、悪を増大した人間の選択によって、神様は1つだった人間社会をバラバラにされ、言葉もバラバラにしたのです。

 

それだけではありません。地球環境を変えて、人間の染色体が傷つきやすくなるようにされたのです。このことで、人間は、近親ほど遺伝子の傷ついた箇所が同じになるので、近親同士の子は、奇形が生まれるようになったのです。

アブラハムまでの時代は、まだ大丈夫だったので、近親でも子を残していたりするのですが、それ以降からは、近親はご法度になっているのです。

創世記の時代の人たちはなぜ長寿なのか>>

そして、綺麗な遺伝子を残すには、自分たちの遺伝子とはかけはなれている相手ほど、遺伝子が正常に戻されるという不思議にもなっているのです。

ハーフの人は、ほとんどが綺麗な顔立ちだったりします。親と顔つきが似ていないというケースも多いのは、遺伝子が綺麗になっているからかもしれません。

 

メスチソでも、そういったケースが多いのは有名です。

 

神様は、人間をバラバラにされたはずなのに、未来では、一緒になるための自然現象を残されているという不思議です。

 

未来では、本当に種族や民族を超えて、差別もない1つとなるような世界が待っているのかもしれません。

 

まだまだ、その世界になるまで、時間がかかるとは思いますが、肌が黒色だとかいうことを口に出せないような悲しい世界が続いてほしくないものです。

 

当たり前ですが、黄色人種も、白人種も、人殺しはいます。日本人にだって、麻原彰晃という人間がいたように、その肌の色で善悪を語れるものではないのですね。聖書にカインのことが書かれていたとしても、聖書はイスラエル人の悪事も書かれていて、神様はカインは守られたのに、イスラエル人は守らなかった時もあったと書かれているのです。

 

神様にとって、カイン族の血筋も、カナン人の血筋も、イスラエル人の血筋も、ヤペテの血筋も、関係なく、すべての人間は、助けたい対象なのですね。

2、差別問題

1960年代、黒人たちは、自分たちのおかれていた迫害を迫害だとは認識していませんでした。白人たちも黒人を差別している認識は無かったのです。黒人の使う公共施設と白人の使う公共施設が分けられているだけという認識でした。白人と黒人は違うということが当たり前となっていた時代なので、それが生まれた時からの認識であって疑問さえ持つことがなかったのです。これはいわゆる、あからさまな暴力的な迫害がなかったことの証拠にもなります。

あからさまな暴力が激化したのは、黒人運動が起こったあとで、どこから降って湧いたのか解らないKKKなどのような意味不明な犯罪的な白人や黒人の行動だったのです。その多くは、お金で雇われたような、もので、白人は小さな迫害の意識こそ根強くあっても、多くの白人は、正義を信じていたのです。

キング牧師によって、黒人たちは、知識を獲ました。自分たちが白人よりも下の生活を強いられている現状にキング牧師のメッセージなどで気づかされたのです。

 

黒人は、仕事なども白人と比べて少なく、貧困は今でも続いているのですが、その時代も貧困だったゆえに、黒人はバスを利用していました。

バス利用者の70%は黒人だったといわれているのですが、そのバスの中でも、白人専用のイスがあり、満員になったら、黒人は白人の席を譲らなければいけないという暗黙の了解があったのです。

それを守らなかった黒人女性が警察に捕まったことで、黒人は、バスのボイコットを決めて何か月もかけて、黒人たちは歩いたのです。

 

歩けば歩くほど、黒人たちの意思は強くなり、正義の心を芽生えさせ、強い意思を持つようになったのです。

バス会社は、平等の席にするように訂正しました。

 

黒人たちの運動は、全米に広がり、あらゆるデモなどが行われ、そのデモを邪魔だと考えるようなものたちによって激しい弾圧が突然はじまりました。

 

KKKなどもその時代に登場しはじめます。黒人のいのちが奪われ、木に吊るされるという事件もあり、警察もデモを止めるということで、あらゆる激しい圧力をかけてきたのです。警察犬にわざと襲わせることさえしたのです。

弾圧の対象は黒人だけではありませんでした。まともな多くの白人たちは、黒人たちの正義の行動に感化され、多くの白人たちが、キング牧師などをサポートして、ともに戦ったのです。

ですが、そんな白人も対象になり、拉致されたり殺害されたこともあるのです。

白人たちは、世の中がそうだから、それを当然だと思って差別とは考えずに、生活していましたが、黒人からの訴えを聞いて、それはおかしいと考える白人たちが、多くいたのです。

キング牧師が、リンカーン像の前で、演説をした時も、25万人集まりましたが、驚くべきことは、白人の数が多かったことです。

白人と黒人が、手を握り合ったり、抱き合って喜び、正義をともに訴えたのです。

 

迫害しようとする人間は、ごく一部であって、白人も黒人も正義を基に暮らしたいと考えるのは、当然なのですね。

 

差別問題で勘違いしやすいのは、昔から暴力的な黒人への差別があったかのように思い込まされることです。

差別問題を取り上げる報道などは、差別しているその瞬間の映像などをピックアップして映し出すわけですから、その差別が当然かのように勘違いしますが、そうではないのです。

 

みなさんの人生でも、記憶に残るほどの重要な場面は限られているでしょう。本当の生活とは何でもない平凡な生活が大半で、命のやりとりのような事件みたいなことは、それほど多くはないのです。

 

例えば、あなたは、普段から道徳的な生活をして、平凡に暮らしていたとしましょう。ですが、ある日、あなたは道に500円玉が落ちていたので、それを拾い財布にいれました。その瞬間を映像に取られて、あなたは500円を警察に届けず、ねこばばして、あなたの人格のすべてが悪だとニュースで流されたらどうでしょうか。

 

確かに500円を財布にいれたけれど、その1つの行為の映像が流されたことですべてを悪などと言われたら、たまったものではありません。

あなたのことを知っている知人は、あなたのことを知っているので、判断できますが、あなたのことを知らないひとがそのニュースをみたら、あたかも、悪人かのように思い込まされるのです。

 

弱肉強食などの自然界の映像などもそうです。動物や虫など、四六時中、残酷な食事をしているわけではありません。ほとんど寝ていたり、日向ぼっこしているような平和な時間のほうが圧倒的に多いのです。瞬間、残酷にみえる映像を取ってそれを流すと、あたかも世界は残酷だと思わされますが、実際は違います。

 

世の中への疑問を大勢が集まってデモなどをはじめたので、それを世の中の支配層が、邪魔だと考えKKKなどという集団などを作り、警察なども利用して、わざと映像の前で、殴る蹴る、犬に噛ませる、拉致したり、吊るしたりしはじめたのです。

はじめからそのような、あからさまな迫害がされていたわけではありません。

とはいえ、白人と黒人との間には、区別がありました。これを打ち砕き、共に正義を掲げて動けたことが、今日の黒人への人権の確保につながったことでしょう。

映画などでも多くの黒人俳優たちの活躍があり、わたしも好きな黒人俳優などもいますが、彼らの活躍もここを乗り越えたからこそあったのですね。

多くの日本人は、在日のひとたちを差別したいとは思わないように、それは白人も同じで、日本にいる右翼などの集団のような特殊で意味不明な行動をして、わざと問題を起こさて、仲違いさせるのです。

黒人と白人をわざと憎しみあうように、仕向けて団結させないようにさせるので、それをまともに信じてはいけないのですね。

 

3、黒人の素晴らしさ

黒人を支配していた昔の族長クラスの人間は別として、多くの黒人は、純粋でした。生まれ育った文化が、すでに汚染されていたので、黒人やアジア人などの文化のほとんどは、カニバリズムをしていました。

カニバリズムとは、人間が人間を食料として食べる行為であり、文化です。

現代人のわたしたちからすれば、とんでもなくて、信じられないことかもしれませんが、当時の彼らからすれば、それが当然だったのです。

 

孔子や劉備玄徳は、こどもの肉が好物だったと書かれています。

人間の肉を贈られた劉備玄徳は、感謝をいったことも書かれているように、当時の彼らからすれば、それは悪いことだという認識がないのです。

 

日本人は、そのような文化をする民族と戦い続けてきたので、カニバリズムの文化がありませんが、カニバリズムの文化で生まれ育てば、悪いと考えず、純粋にそれらのことを正しいと思って行ってしまうのです。

 

日本人も、明治時代まで、家畜の肉は食べませんでした。牛やブタなどは、家族として扱っていたので、食べる対象ではなかったのです。ですが、明治維新から海外の文化が入り込んで、肉を食べるという文化も入り込み、今では平気で、家族であったとされる牛やブタの肉を笑顔で食べているのです。

 

当時の日本人は、野蛮な行為として、焼き肉店をみていたといいます。ですが、今は平気で友達同士で集まって笑顔で食べているのです。

 

黒人やインディアンなど、インドや先住民の多くは、このカニバリズムをしていました。

 

ですが、彼らはそれが悪いという認識がなく、純粋に食べていたのです。

 

愛する家族ほど、食べるという考え方さえありました。愛する家族を食べて体の一部にして、一体となるという正義があったのです。

 

白人は、2000年前から聖書を基準にしていて、「殺してはならない」という人間には人権があるという教えが常識になっていました。ですから、カニバリズムをする人間を悪魔のように見えてしまったことでしょう。

同じ人間だとは思いたくなかったはずです。

 

ですから、彼らを奴隷にして、なるべく能力が育たないように、情報規制をしてきたのです。

えんぴつ1本作られる技術さえも、規制して、彼らを恐れたのです。

 

カニバリズムをせず、きちんと人権のある文化があった日本人には、銃などの技術を大量に与えた白人でしたが、カニバリズムをしていた民族には、絶対に技術的なことは与えないように徹底していたので、白人種と黒人種などの区別は、激しいものだったのですね。

 

ですが、白人種は、黒人種を奴隷にして、脳の中身、価値観を聖書的にするために、キリスト教を教え、聖書を教えました。すると、黒人たちは、純粋に聖書の価値観を取り入れていったのです。多くの黒人たちは、カニバリズムは悪いことなのだと理解すると、すぐにそれらの文化をやめたのです。

カニバリズムが悪いことだという価値観がなかったから、彼らは純粋に行っていただけで、それらが悪だという認識を教えられれば、彼らはカニバリズムを好んでしないのです。

 

そのことを黒人種と暮らし始めた白人種たちは、理解しはじめ、仲良くなっていったのです。

 

白人とかわらない純粋さをきちんと持っていた黒人種を仲間だと考える白人たちも多く生まれていったのです。

 

 

聖書は、奴隷制度を容認しています。頭の中、脳のプログラミングを悪の文化で育てば、人間は、それが正しいことだと本気で思い込んで、信じ込んでしまうのです。現代人が進化論宗教を心から信じ込んでしまっているのがその証拠です。お猿さんが自分たちの祖先だという面白い話を心から信じ込んでしまうのです。

進化論の正体>>

トンデモ論ばかりのお世辞にも学問とは言えないあの思想でさえも、正しいと現代でも信じ込んでしまうのですから、悪の文化で育てば、人間の脳は、汚染され、悪さえも善だと思い込めてしまうのです。

洗脳の真実>>

ですから、そういった人たちは、殺さずに、奴隷にして、脳を聖書の価値観で洗い流すために使われたのが奴隷制度なのです。

今でいうところの刑務所です。犯罪が正しい、楽しいと脳にプログラミングされているひとたちを刑務所にいれて、規則正しい生活をさせることで、正しい価値観を脳の中にいれこんで、社会復帰させるように、聖書の教える奴隷制度はそういったものなのですね。

 

ですから、脳が聖書の価値観で洗い流せたら、解放して、同じ権利を与えられることも書かれているのです。

黒人種などは、聖書を白人種から学ぶことで、なぜ白人が自分たちを嫌っているのか、理解したのです。

 

黒人種たちが信じてきた文化と白人種が2000年前から取り入れた聖書の価値観が、あまりにも違ったことで、黒人種は、素直に、聖書を信じはじめたのです。

 

そして、カニバリズムをすることは、忌み嫌うことだという文化へと急激に変わっていったのですね。

 

それから、多くの黒人種の中に、クリスチャンたちが生まれました。インディアンもまた同じです。自分たちのしてきた文化の恐ろしさを理解し、聖書を選んで、今では多くのインディアンの子孫や黒人種たちは、聖書の価値観を受け入れ、毎週のように教会に通っているのです。

 

そして、聖書の基準をもって、生活を続け、平和を続けていることで、白人種からも認められ始めたのです。

 

キング牧師などの黒人種による素晴らしい人物なども排出するようになり、多くの白人種たちもその教会に通うほどになったのです。

 

黒人種を奴隷にする大義名分は、聖書によってもたらされたと言えますが、逆に黒人種を解放した大義名分も、聖書から生まれたのです。

それは、聖書に、聖書の価値観が備わったひとたちは、解放されることも書かれていたからです。

 

 

多くの白人種たちも、黒人種たちも、インディアンも、聖書の価値観を共有したひとたちは、手をたずさえて、南北戦争で戦ったのです。

そして、奴隷解放が現実に起こされたのです。

 

はじめから、正しいプログラミングをされて育つ人は、祝福されています。ですが、世の中、はじめから恵まれた環境に近いひとは、少ないのです。

黒人の歴史をみると、人間は変わるものだということを現実的に、証明していると思わせてくれます。

 

圧倒的に迫害されていたからこそ、彼らは、か細い糸のような正義を胸に、聖書を学び、聖書の正義を白人種たちにみせて、白人種からも認められていったのです。

武力や暴力で、相手をねじ伏せた権利ではなく、日々の自分たちの行いによって、認められた彼らの権利は、ものすごく深い意味合いがあるとわたしは思います。

 

聖書には、放蕩息子という話があります。はじめから誠実で真面目だった兄と少しわんぱくな弟がいて、弟は世の中の情報に乱れていきます。お父さんからもらった財産を使い果たし、ブタの餌を食べるようになって、弟は、心改めて、お父さんのところに帰って来たのです。

 

すると、お父さんは、弟が返って来たことに心から喜んで、パーティを開いたのです。それを兄がみると、なぜ愚か者の弟にそれほど喜ぶのかというのですが、お父さんは、間違っていた子が返って来た、自分の意思で帰ってきて、真面目に生活することを選び始めたことを喜ばないはずはないと語るのです。

 

日本人も、白人も、中間種も、100%悪い民族もいなければ、100%善という民族もありません。

 

はじめから犯罪が正しいと脳に植え付けられて純粋に信じていた人が、それが犯罪だと理解して、犯罪をしないという決断をしたのなら、尚素晴らしいことであり、人間に希望を与える真実の歴史なのですね。

 

世の中、人間は変わらないとか、悪は無くならないとか、悲観的な思想が流されることがありますが、人間は決してそれだけではないのですね。

悪をやめることは、可能だということを黒人種は、証明し、今では大統領に選ばれるほど、黒人種は、道徳も備えたのです。

 

迫害や嫌われてきたからこそ、人の痛みも解るのです。ですから、白人以上の聖書的な価値観を今は備えているとさえ言えるのではないでしょうか。

 

今では、人が死んだところをみて、発狂する黒人の女性もいれば、カニバリズムという行為をみて、嗚咽する黒人種もいるほど、黒人種の価値観は聖書的になっているのです。

 

それはインディアンも同じです。

 

日本人は、日本の正義を表すために、黒人種やインディアンの話を持ち出す人がいますが、その黒人種やインディアンが、自分たちの意思で聖書を選び、毎週教会にいって賛美をしているのに、その揚げ足を取るかのように、その問題を日本のために利用するのは、どうなのでしょうか。

 

白人種との平和を望み、それこそ血を流すほどの努力と悔しさを味わってきた黒人種たちの想いをないがしろにすることになります。

本当の歴史は、白人が一方的に悪いということでもなく、黒人が悪いということでもないのです。

 

その種族であっても、生まれ育った環境によって脳がプログラミングされるだけであり、その環境に育てば、それが例え悪であっても正義だと思い込んでしまうのが、人間なのです。

そして、多くの人たちは、痛覚があるので、痛みを嫌います。痛いのは嫌で、悪をすることを嫌うのです。

 

どの種族も、みな平和や安心を望んでいるのです。

 

ですが、その中でも悪魔を崇拝する危険な人間が、ほんの一部存在し、彼らが世の中に争いや悲劇をわざと生み出しているのですね。戦争を起こしているのは、その一部の悪魔のプログラミングされている人間たちによる策略なのです。

悪魔宗教の目的>>

世界の闇のルーツ。カナンの教え>>

これを打ち砕くのは、黒人種が実践してきた、愛とゆるし、そして、正しさを日々、実践して、認められることなのです。

 

アメリカ人の中では、未だに日本人を恨んでいるひとがいます。親族を戦争で殺されたと考えるひとたちなどもいるからです。

それに対して、日本人は、口答えするのではなく、正しい態度で、受け止め、その正しい態度を見せ続けるしかないでしょう。

 

悔しいですが、そうしなければ、人は争いの連鎖から悪意を消すことができないからです。

なぜキリスト教は、人々の心を惹きつけるのか>>

イエス様は、愛とゆるしを強く人々に教えました。正しい人ほど、口を閉ざして、悪をされても、それさえも受け入れたのです。カトリックとプロテスタントとの争いも同じでした。多くの正しい人たちが魔女だとして火やぶりにされましたが、それを受け入れたクリスチャンたちの生きざまに、心打たれ、認められ始めたのです。

大人は、こどもの喧嘩をみても、こどものように必死になって争えません。経験などによって冷静にみえてしまうので、感情的になれないのです。

 

感情的に攻撃していくる人、バカにしてくる未信者などの攻撃がクリスチャンにも及びますが、このひとたちは、世の中のことを知らないのです。知っていると思っていることは、学校宗教団体で教わった嘘や捏造、どうでもいい情報だけなので、精神や知識が、こどもなのです。

 

物事の優先順位が、どうでもいい偶像のお金や目先の利益になっているこどもなのです。

 

そういった人たちにたいして、こちらも一緒になって感情的になれば、通じるところさえも、通じなくなってしまいます。

黒人種たちがやってきたように、弱い立場でありながらも、権利を得たように、弱い立場のまま、強い意思を持って、口を閉ざして、忍耐するのです。

好きな人に、善行をするのは、誰にでもできます。ですが、嫌いな人にも愛やゆるしを行えるひとは、本物なのです。

 

イエス様はまさに、その人間の不の連鎖を断ち切ったのです。

イエス様は、なぜ「わたしをお見捨てになったのですか。」といわれたのか>>

誰よりも残酷な人生、誰よりも誠実な人生を歩み、悲劇を味わい、神様からも見放されるという恐ろしさを持って、十字架刑に無言で受けれたのです。

 

まさに黒人種の悔しさや悲しみを言い表しているかのようです。愛や忍耐ではなく、犯罪的になる一部の黒人種もいますが、それは極一部で、多くの黒人種は、争いごとを嫌います。優しさを持って、平和を望んでいるからこそ、アメリカという国が成り立っているのです。

 

お互いに理解しあうこと、そして、忍耐を持って歩むことを黒人種から学んでいきたいですね。

お互いに罪があるもの同士、ゆるしあい支えあうことで、不の連鎖から、正の連鎖に持っていき、未来では、ほとんど悪のない世の中にしていきたいものです。

 

 

日本人の黒人に対する好印象は、黒人がそれだけ苦労してきたからでしょう。ひねくれたわたしのような者だと、はじめから恵まれて、正しいことしかしてこなかった人よりも、苦労を重ねて切磋琢磨して正しさを噛みしめている人に共感を持ちます。

 

最後に、アームストロングのWhat a wonderful worldを貼っておきます。

この世界の素晴らしさを悲し気に歌うからこそ、わたしの好きな曲です。

悲しみや苦しみがあっても、尚、この世界は素晴らしすぎるのです。

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