思考の変化

動物は天国にいけるのか

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イエスキリストが自分たちの罪のために十字架刑に架かって死んで、わたしたちは罪から解放されたことを心から信じた人は、救われます。

聖書は、どうすれば救われると説いているのか>>

 

では、そのことを理解できない動物は、救われないのでしょうか。動物は天国に行けることができないのでしょうか。

正直、動物や植物、万物が天国に行けるのかどうかは、聖書には書かれていません。聖書は言葉を理解することができる人間に与えられているものだからです。

ですが、聖書を読むと動物は、天国にも存在している可能性のほうが高いのではないかと思わされます。

 

動物は天国には行けないと断言する牧師などもいるのですが、どちらが正しいのかは、天国に行ったことがないわたしには、解りません。聖書でも明確に動物が救われるとは書かれていないからです。

それでも動物が天国にいる可能性が高いのはなぜなのか、観ていきましょう。

1、この世界は天国

わたしたちが生きているこの世界は天国だというと、多くの人は頭をかしげます。

悪もあり、犯罪者もいて、戦争をしていたり、賄賂をしている人もいるこの世界が、なぜ天国なんだろうと思うわけですが、多くの悪は、人間によって生み出されているだけであって、人間の意思を除外してしまえば、天国でしかありません。

 

多くの人間は、人間をみすぎて、人間社会をみて、この世は悪で、天国はこの世界とはまったく違うかのように思い込みますが、それは思い込みです。

 

生き物が日々を生きていくという環境は、なまはなかな奇跡では、作り出せません。

生きていくために必要なのは、ほとんど水と食料だけという信じられない環境は、人間の感情論を除けば、事実、天国なのです。

 

みなさんは、空気をお金で買わなければ生きていけないでしょうか。重力をお金で買ったことがあるでしょうか。

 

この世界が偶然存在するといった、大嘘は、信じてはいけません。あなたが、今存在していることが、この世界が天国である証拠なのです。

狼に襲われ恐怖することができるのは、生きているからです。

死んだ人間は、狼に襲われても恐怖しません。

多くの映画や小説で、絶体絶命に追い込まれ、あらゆる苦難を味わうと、すぐに神様を冒涜するような言葉が行き交いますが、その冒涜する言葉が言えているのは、生きている証拠です。

 

そもそも、生きているという環境自体が、偶然では説明できないのに、何が起こったからといって、なぜ神様に文句が言えるのでしょうか。

 

子が死んだとしても、配偶者が死んだとしても、死んだということは、生きていた証拠です。生きていなかった人が死んでも誰も悲しむことはできません。

流産で死んだ子も、また同じです。

 

死ぬことができるということは、生きて存在したという事実なのです。

 

もし、この世界が悪であり、ものすごい途方もない偶然が重なって、存在していたとしたら、どうして、人間はほとんど100%奇形で生まれてこないのでしょうか。

ほとんど100%、人間は、五体満足で生まれてくるのです。

 

学校の1学年には、120人ほどの子たちがいますが、ほとんどのひとたちが、ダウン症やあらゆる奇形として生まれているというのなら、分かります。外を散歩すれば、見る人見る人、みな奇形だったのなら、解るでしょう。

 

頭がおかしい人じゃなければ、普通は奇形の人のほうが珍しいと考えるはずです。

 

人間の感情論を抜かせば、現実は、この世界が天国であるということを否定することなどできないのです。

 

そして、その人間も、最初は悪を知りませんでした。フランス語を習っていない人がフランス語が話せないように、人は言葉によって多くを理解しています。悪という言葉を知らなかった(理解していなかった)アダムとエバは、悪をするという発明をすることが出来なかったのです。

そして、その人間が生まれる前に、神様は、この世界は、「良い」と認識されました。

 

創世記1章31節

神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。

「はなはだ良かった」「非常によかった」と書かれているのです。

全知全能の神様が、非常によかったとして、造られたエデンの園の世界は、悪が存在しない素晴らしい第一の天国だったのです。

天国は1つだと思いがちですが、聖書は天国は3つ、ないしは、それ以上あることを示唆しているのです。

天国とはどういうところなのか>>

 

アダムとエバが、エデンを追放された時の落胆は、計り知れなかったことでしょう。第一の天国から追放され、人間の形のベースとなられた足のある神様、イエス様とも離されてしまったことは、彼らにとってはストレスだったことでしょう。

イエスキリストの創世記>>

ですが、神様は、人間やこの世界のために、悪をしたら試練が待ち構えているという法則をはじめから与えられたのです。悪をしても祝福しか返ってこないのなら、この世界は悪で満ちてしまうからです。誰も反省などしません。むしろ、悪が正義にさえなってしまうからです。

試練がある理由>>

試練や苦難は宝物>>

神様は、人間に試練を与えるために、人間が悪をしたことで、あらゆる万物の一部が、汚染されるようにもされました。

創世記3章17・18節

更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。 18地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。

生き物は、肉を食べなかったというと、また首を傾げられそうですが、神様がお造りになった「はなはだ良かった」世界は、人間だけではなく、動物でさえも、肉食はいなかったのです。みな、草食で、生きていたのですね。

なぜ、肉食動物が存在しているのか>>

毒キノコがあるのも、残酷な動物の生態が現在ではあるのも、人間の中に入り込んでいる悪魔宗教の人間、悪魔の子孫たちがいるということへの警告かもしれないのです。

悪がなく、善だと信じて生きているひとは、人を信じやすいので、すぐに騙されます。長野県は、日本で詐欺師が多い県と言われています。それは、県民がとても素直で誠実なひとたちが多く、すぐに騙されるからだというのです。

日本人の多くは、嘘をつくと心を痛めるほど、優しい人が多いので、この国は、ものすごく詐欺師が多いのです。

 

詐欺商品でさえも、大量に売れてしまうのが、日本人という民族なのです。

そんな人たちに、神様は、悪に根ざした者たちがいること、危険が間近にあることを一部の万物で警告されているわけです。

 

ですが、何度もいいますが、この世界は、まるで天国のような世界です。残酷な動物などの一部の現実があったとしても、それは5%にも満たないもので、ほとんど危険なものなどないのが、現実です。

ナマケモノという超スローライフで生きている生き物さえもいるほど、この世界は天国なのです。

 

カタツムリや亀も生きて、子孫を残せるほどの天国ぶりです。

 

現実は、草食動物は95%以上であり、肉食動物は、5%もいないのです。

それが現実なのですね。

 

人間が悪を選ぶことがなければ、この世界は、争いもなく、危険もなく、存続し、天国のまま長寿で幸せに生きれたのですが、それを壊したのは、人間なのです。

その悪の選択が可能であった人間には、イエス様の救いが必要でした。人間には、原罪という罪があり、祖先から代々伝わった罪が、すべての人に臨んでしまっているのです。

そして、その原罪を、人間のベースであったイエス様が身代わりになることで、罪からの解放を可能にしたのです。

 

ひとりの人アダムによってすべての人に罪が広がったのなら、そのアダムの雛形であるイエス様ひとりによってすべての人の罪がゆるされるように、神様は何千年も前から十字架刑に向けて、人間を導いていたのです。

人間は、エデンの園を悪を選んだことで、追放され、あらゆる試練、万物の一部が呪われてしまったのですが、その人間がまたイエス様の十字架刑によって、罪から解放されたことによって、「愛とゆるし」が与えられたのです。

人間は、罪から解放され、次々と、あらゆる試練が世を去っていきました。

1つは、動物による生贄の儀式は、消え去りました。

1つは、女性が解放され、権利を獲ました。

1つは、人権も保障されました。

 

次々とイエス様の福音が世界に広まるとともに、あらゆる悪からの解放が目に見えるように広まっていき、今はその過渡期です。解放されつつある時代のまっただ中であるというわけです。

人間が、悪を選ばず、イエス様に感謝して、善を行えば行うほど、人間は解放され、この世界も天国のようになるのです。

天国は、霊だけのものではありません。霊である天国は、第三の天国であり、第二の天国のこの地、未来のこの世界に訪れるかもしれないのです。

 

新たなエデンの復活です。

 

もちろん、その第二の天国には、動物たちや植物たちが多く存在し、人間と争うことなく存在しているのです。

イザヤ書65章17-26節

見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。さきの事はおぼえられることなく、心に思い起すことはない。 18しかし、あなたがたはわたしの創造するものにより、とこしえに楽しみ、喜びを得よ。見よ、わたしはエルサレムを造って喜びとし、その民を楽しみとする。 19わたしはエルサレムを喜び、わが民を楽しむ。泣く声と叫ぶ声は再びその中に聞えることはない。 20わずか数日で死ぬみどりごと、おのが命の日を満たさない老人とは、もはやその中にいない。百歳で死ぬ者も、なお若い者とせられ、百歳で死ぬ者は、のろわれた罪びととされる。 21彼らは家を建てて、それに住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。 22彼らが建てる所に、ほかの人は住まず、彼らが植えるものは、ほかの人が食べない。わが民の命は、木の命のようになり、わが選んだ者は、その手のわざをながく楽しむからである。 23彼らの勤労はむだでなく、その生むところの子らは災にかからない。彼らは主に祝福された者のすえであって、その子らも彼らと共におるからである。 24彼らが呼ばないさきに、わたしは答え、彼らがなお語っているときに、わたしは聞く。 25おおかみと小羊とは共に食らい、ししは牛のようにわらを食らい、へびはちりを食物とする。彼らはわが聖なる山のどこでもそこなうことなく、やぶることはない」と主は言われる。

地は新しく創造され、100歳で死ぬ人は、のろわれた者とされるほど、長寿になり、病気もなく、獅子は、草食動物のようになり、狼と羊はともに生活をするような世界が第二の天国なのです。死ぬところをみると、この天国は、霊的な天国ではなく、体のある世界で、イエス様を心から信じたひとたちは、アダムように、土からまた再度復活し、霊がデーターベースとなって、蘇り若さを長く保ったまま100歳以上、悪のない世界で生活することができるようになるのです。

 

イエス様は、マタイの福音書でも、天国が近づく方法を教えられました。その中に、主の祈りも入っています。

マタイの福音書6章9ー34節

だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。 10御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。 11わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。 12わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。 13わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。 14もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。 15もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。 16また断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。 17あなたがたは断食をする時には、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。 18それは断食をしていることが人に知れないで、隠れた所においでになるあなたの父に知られるためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いて下さるであろう。 19あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。 20むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。 21あなたの宝のある所には、心もあるからである。 22目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。 23しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。 24だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。 25それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。 26空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。 27あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。 28また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。 29しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 30きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。 31だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。 32これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。 33まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 34だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

 

御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」と祈られたのです。

この地に天国、御国がきますようにです。

そのためには、人間が悪を選ばず、「神の子孫」となる選択ができるのかということが、大切になるのです。

キリスト教が、オウムなどのカルトと違うのは、この世界を否定しないことです。この世界さえも天国にするために善を行い続け、復讐をするのではなく、愛とゆるしで悪を倒すのです。

キング牧師やガンジーのように、非暴力による勝利です。

 

この世界は、「存在していない」といったような脳を汚染させていくオウムなどのカルト宗教は、霊的な天国だけを説きます。そして、現在の世界はどうでもいいと大嘘をつくわけです。

聖書の神様は、この世界を天国のように造られたのです。その万物が、どうでもいいわけがありません。あなたは、実際に存在しているのです。針でさせば、痛いですし、悲しい出来事があれば、泣きもするのです。

この世界が「無」なわけがないのです。

 

そして、人間のために、のろわれてしまった動物たちも、第二の天国では神様のお造りになった時代のように、優しくなり、一緒に暮らすことができるのです。

神様が、「はなはだ良かった」と言われた生き物たちが、霊的な第三の天国でもいないというのも、おかしなことです。

 

彼らは選択する余地などなく、その存在自体が、神様によって造られた素晴らしいものだからです。

2、動物は、ともだちとして与えられた

神様は、ひとはひとりでいるのは、よくないとあらゆる動物たちをアダムが気に入るのかご覧になられていました。アダムに助け手として、与えられたのは、動物たちだったのです。

創世記2章18・19節

また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。 19そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。

動物は、人間が神様の教え通り、仲良く大切にするために、人間に与えられたものなのです。

ですから、その動物たちをないがしろにすることは、心を病んでいくことになります。動物虐待する人間は、次々と大きなものを手にかけはじめてしまうように、神様が創られた万物をないがしろにする人間の精神や霊は、世を無視して、非現実的な世界へと入り込み、悪を増大させていってしまうのです。

大切なのは、現実の世界、神様の創られた万物を大切にすることなのです。

キリスト教は、人間以外をないがしろにする教えなのか>>

そして、解かりやすいのは、動物なのですね。

 

進化論を考え出したダーウィンは、チンパンジーをペットにしていたといいます。彼は日ごろから、動物と接することがあり、その動物に心のようなものを感じ取ったことで、彼らに愛着を持ったのかもしれません。

また、ダーウィンの家族には、フリーメイソンが多く、悪魔宗教のシャーマニズムを教えられていました。どういうものかというと、生き物は、変化するものだという教えがされていて、魚に人間の手が生えていたような絵やさまざまな化け物、存在しない空想上のモンスターなどが描かれ、教えられていたのです。

動物から人間へと至ったという教えは、進化論ではなく、もともと悪魔宗教が大昔から伝えていた思想だったのです。進化論は、キリスト教の教えと反しているから悪魔宗教だと言っているのではなく、悪魔宗教の思想だから悪魔宗教だと言っているのですね。

進化論の正体>>

彼らは自然や動物とかかわり、神格化さえするようになりました。必要以上に、牛などを神として、崇めたりしはじめたのです。バール信仰です。

 

中国でいえば、牛魔王です。出エジプト記のイスラエル人たちが拝み始め、モーセがものすごく怒ったものでした。

 

天上天下唯我独尊という大乗仏教のトンデモ話があり、釈迦は生まれた時からその足で立ち上がり、片手を天に、もう片方の手を地にかざして、「我こそは、唯我独尊」としゃべったというわけですが、この格好は、大昔から悪魔宗教がしてきた神への冒涜であり、神を超えた存在とした思想を植え付けるものなのです。

神様の創られた動物たちは、素晴らしいことに、人間とコミュニケーションを多少することができるので、それらをおおげさに、現実へと組み込んで、架空の思想を生み出していったのです。それが、現代では、偽学問や偽科学である進化論へと変わり、現代人は、それらが悪魔宗教から出ていることを知らずに、お猿さんが自分たちの祖先だと信じ込んでいるわけです。

 

このような非現実、現実以上の空想の思想を偶像崇拝というのです。

偶像とは何なのか>>

このように、偶像思想は、世を狂わし、人をあり得ないことなのに、信じ込ませて、世を破壊していきます。

 

ですが、動物が素晴らしいということは、事実です。

彼らもその種類に従った形をして、ほとんど100%正常な形で生まれ育ち、とても美しい存在だということは、事実なのです。

そんな動物には、魂がないという人もいますが、聖書には、ロバが人間に話しかけ、皮肉をいうことが書かれています。神様が本来はしゃべることができないロバに話すことができる舌を与えたのです。

 

民数記22章28-34節

すると、主が、ろばの口を開かれたので、ろばはバラムにむかって言った、「わたしがあなたに何をしたというのですか。あなたは三度もわたしを打ったのです」。 29バラムは、ろばに言った、「お前がわたしを侮ったからだ。わたしの手につるぎがあれば、いま、お前を殺してしまうのだが」。 30ろばはまたバラムに言った、「わたしはあなたが、きょうまで長いあいだ乗られたろばではありませんか。わたしはいつでも、あなたにこのようにしたでしょうか」。バラムは言った、「いや、しなかった」。 31このとき主がバラムの目を開かれたので、彼は主の使が手に抜き身のつるぎをもって、道に立ちふさがっているのを見て、頭を垂れてひれ伏した。 32主の使は彼に言った、「なぜあなたは三度もろばを打ったのか。あなたが誤って道を行くので、わたしはあなたを妨げようとして出てきたのだ。 33ろばはわたしを見て三度も身を巡らしてわたしを避けた。もし、ろばが身を巡らしてわたしを避けなかったなら、わたしはきっと今あなたを殺して、ろばを生かしておいたであろう」。 34バラムは主の使に言った、「わたしは罪を犯しました。あなたがわたしをとどめようとして、道に立ちふさがっておられるのを、わたしは知りませんでした。それで今、もし、お気に召さないのであれば、わたしは帰りましょう」。

動物をないがしろにする人は、神様から叱責されるのです。そして、動物は、人間が思う以上に、感じていて、言葉にできるようになると、人間に皮肉さえ言えるほどなのかもしれません。

動物と接したことがあると解ると思いますが、彼らはとても愛着が持てる存在です。無言ですが、心和ませてくれます。何か通じるものを感じたこともあるひともいるのではないでしょうか。

動物は、人間よりも能力を制限されてはいますが、それでも、神様が創られた大切な万物の1つなのですね。そして、魂がないというのも、どうかという存在なのが、動物なのです。魂があるからこそ、人間の罪のために生贄として選ばれていたとも言えるのですね。

動物が天国にいないと考えることも、そもそも神様が創られた素晴らしい存在なのですから、天国にいないほうがおかしいとさえ言えるのではないでしょうか。

人間の恨みつらみ、偏見がこの世界を必要以上に、悪だと考え、天国の形をこの世界とはまったく違うものだと思わせてしまっているのかもしれないのです。

ダビデ王も詩篇にこのように歌に残しています。

詩篇36篇5-7節

5主よ、あなたのいつくしみは天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶ。 6あなたの義は神の山のごとく、あなたのさばきは大きな淵のようだ。主よ、あなたは人と獣とを救われる。 7神よ、あなたのいつくしみはいかに尊いことでしょう。

主イエスキリストは、人と獣(動物)とを救われるのです。イザヤの預言にもライオンである獅子と人間がともに仲良く生きて、草を食べるという預言もされているのです。

もちろん、呪われた存在が、天国にいるのかは、解りません。悪魔宗教を選択している偽預言者など、呪われた悪魔の子孫が、天国にいけるというのも、疑わしいものだからです。そこまではわたしには、解りませんが、確率が低いのは確かだろうということは、分かります。

 

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