思考の変化

景気の循環 真実

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経済の発展は、一見シンプルで、誰も文句を言わずに、多くを生み出していけばいいじゃないかと思いがちですが、実は裏を知ると、そこそこ複雑なのです。

なぜかというと、経済の発展は、人の心、精神が深く関わっているからです。

 

どうして、経済が、人の心と関係があるんだと思うかもしれませんが、ミクロを見るのか、マクロを見るのかで、また違ってくるからです。経済だけ発展させれば、人はやっていけるのかといえば、そう単純ではないのです。

経済とは、物質を豊にしようとする試みであって、物質に心を傾けると、人は、物質だけ手に入れれば、それが正義だと思い込み、悪を大量に行うようになってしまうのです。経済発展=悪の増加 となってしまっているのが、人間の歴史の1つなのです。

悪が増加すれば、どうなるでしょうか。

当たり前ですが、心は荒み、危険や問題が大量発生し、社会は、崩壊していってしまうのです。社会が崩壊すれば、経済の発展など、関係ありません。

神様はとても面白い方で、人間社会であっても、物質だけではうまくいかないように、はじめから人間を設計されているのですね。

 

現代人は、経済のことにしても、あらゆる情報の重要な点をわざと教えられず、学校宗教団体で嘘やどうでもいい情報だけを教えられ続けているだけなので、世の中のキーパーソンたちがやっていることが理解できず、意味不明に見えてしまうのですね。

1万円札をもらったら嬉しいと日本人なら感じますが、お金のない生活をしている森深くに生活している民族に1万円札をもらって喜んでいる日本人をみても、意味が分からないと思えてしまうように、情報が欠如していると、やっている意味がわからないのです。

さらに深く読めば、自然体で余分な情報を知らない民族と先進国と呼ばれている1万円札を喜ぶ日本人は、どちらが正しいのか?というと、長い目でみれば、前者であって、後者は、紙切れのお金に価値があると思い込まされて、喜んでいるだけにもみえるのです。

このように、経済は単純なようであって、人が関わっていることで、かなり繊細なもので、単純に、これが悪い、これが正しいと言えるものではないのです。

 

今回の内容をはじめて聞く人は、世の中の悪だと思えるようなことも、実は正しいかったのかと思える部分が出てきます。ですが、やっぱり悪だと考える人もいるでしょう。結果、あなたの決めた善悪とわたしの決めた善悪は、違う判断をするかもしれませんが、それでいいのです。

むしろ、色々な視点でみれていることが、正常に働くことになるのです。

1、昭和時代の賄賂の意義

政治家は、国全体、街全体を大きく指標を示す提案ができる国の代表者です。政治をコントロールできる政治家ほど、起業家たちは重宝し、近づこうとします。

様々な企業が政治家に近づくわけですが、解かりやすいのは、建築業界です。

例えば、1つのダム事業を政治家から依頼されれば、その会社は数年ないにしは、10年以上も安定的な高額なお金が国からもらえる仕事を手に入れることができるのです。

ダムだけではなく、巨大施設や公民館やあらゆる公共施設の仕事によって、建築業は潤うわけです。

公務員は、国から給料をもらっているものだから、安定していると公務員を目指す人がいますが、そのひとたちと似た発想で、政治家たちに近づくわけですね。

ですから、政治家に、自分たちの企業を売り込まなければいけないわけです。建築業は数多くあるので、ライバルたちに差をつけるあらゆる方法で政治家に近づくわけです。

その方法の1つが、賄賂です。

 

こういう話を聞くと、政治家や世の中は、汚いと思うかもしれません。もし、あなたが、そう思えたのなら正常な精神、心が宿っています。

ですが、これは一概に、悪だとは言えないのです。

経済発展、好景気になることが、正義だという考え方に根付けば、賄賂などの行為は、決して悪だとは言えないのです。

 

現代は、紙切れで造られた紙幣が、硬貨よりも価値があると認識されている時代です。

紙切れは、木から生産されるので、木があれば、いくらでも大量に刷ることができます。

大量に、刷ることができるのなら、多くの国民に、この紙切れを配ればいいわけです。

その方法は、何でもいいのです。政治家が、パーティを開いて、そのパーティに来てくれたひとりひとりに、5万円を封筒で渡せば、5万円をもらったひとたちは、そのお小遣いで、何かを買います。

自分のこどものオモチャを買ったとしたら、そのオモチャ会社は、利益を獲ます。

おもちゃ会社は、利益が増えたので、社員の給料を少しだけ上げます。1000円あがったとしましょう。

そうすると、社員は、少しお小遣いが、増えたので、400円だった昼食を600円まで引き上げます。

すると、弁当屋の収益が増えていき、弁当屋の給料が上がります。

 

パーティで、政治家が紙切れを配ったことで、あらゆる方面にお金がまわって、経済が活性化したのです。お金というものは、沢山のひとたちに、回せば回すほど、その効果を発揮します。ですが、ひとりのひとだけにお金がまわっていると、ひとりの人が使えるお金の量は限りがあるので、お金は誰にも目に触れないところに眠ったままになり、経済は、まわらなくなるのです。

 

それが、財閥となるわけです。財閥がのさばっている社会は、財閥はいくらでもお金が入って来る一方、他のひとたちはどれだけ努力しても、貧しいままになるという今の韓国のような状況になり、お金がまわらないので、その財閥さえも、苦しむことになるという悪循環が生まれるのです。

 

「与えなさい。そうすれば、与えられる」という聖書の言葉ではありませんが、経済は、他人に与えれば与えるほど、その効果は増幅するのです。

 

そして、多くの人々が給料が上がるようになれば、税金が増えます。給料があがったひとたちは、そのお金で物を余分に買うようになるので、余分に買ったものにも、税金がついているので、そこから税収がアップして、国のためになるのです。

ですから、政治家は、どのような方法であっても、世の中にお金をバラ蒔く計画をたてることを考える正義があるのです。

それが、賄賂であっても、ダム事業であっても、必要もない施設であっても、宗男ランドであっても、かまわいないのです。

 

それが正義となっていたのが昭和時代で、あらゆる政治家たちが、賄賂を大量に配って、経済を発展させていったのです。与えればもらい、与えればもらいの連鎖が続いていたのです。そうすると、日本全体、特に東京都にお金がまわって、次から次へと物を作っては、売って売れるということが続いたのです。

 

ヨーロッパでは、国民に毎月、10万円のお金を配るという考え方もあるのです。これをベーシックインカムBIといいます。

 

政治家のパーティに行かなくても、毎月すべての国民に、紙切れの10万円を渡せば、国民は年間120万円の収入が増えるので、お金を使うようになり、嫌でも好景気になってしまうのです。

 

民主党が、国民すべてに2万円を1回だけまわした時がありました。覚えているでしょうか。それはこのベーシックインカムの小さい規模で行ったようなものなのです。

 

紙切れといっても、そんなむやみやたらに、お金を刷るなんて、できないでしょ。と思うかもしれませんが、今はそれが出来てしまうのです。

1970年まで、紙幣発行は、所有するゴールド、金の10倍程度と決められていました。それ以上のお金を刷ることは、禁止されていたのです。

ですが、その法律をアメリカが崩壊させたのです。それをニクソンショックといいます。

 

金本位制ではなく、その国が持っている資源、石油などでも、担保として、国が紙幣を発酵できるようにしたのです。

舛添要一元東京都知事が、商店街の筆屋で、2・3万円する習字の筆を買ったことが悪いことのように報道されていましたが、経済を好景気にしようとすることが、正義だと考えている人にとっては、そういうお金をばらまくことは、善なのですね。

 

与え続けるという法則で、ほとんど、無限に紙幣が発行できるようにさえ出来るのですが、もちろん、そんな甘くはありません。

2、無限にお金は刷っても意味がない

お金を大量に刷った時のデメリットとしては、ハイパーインフレという恐ろしいことが起こってしまうのです。

りんごは1つ100円だったのに、国民に国がお金を毎月渡すことで、大量に、お金が世の中に流れはじめ、大量のりんごを買うようになると、りんごが、不足してしまいます。お金はっても、物が不足すると、品不足になり、1つの商品の価値があがってしまうのです。

1つ100円で買えたものが、1つ500円となり、さらに毎月20万円配るようになれば、1つ1000円になったりと、際限がなくなってしまい、数百万円出さなければ1つのりんごが変えないというハイパーインフレに陥ってしまうのです。

これらは本当に起こった国があるのです。その国の紙幣は、1兆札という紙幣まで発行したほどです。

 

日本でいうと1兆円札が刷られ始めたようなものです。

 

〇がいくつあるんだ?と毎回、〇を数えるのが、面倒になるお札ばかりになってしまうわけです。

 

ですから、一番おいしい時期は、どこかといえば、物価が今と変わらない状況なのに、お金がばら撒かれている数年の時期、ベーシックインカムが、もてはやされることになります。

みなさんは、お金を大量にもらいながら、りんご1つを買うのに、カバン一杯にお金を持ち歩く世界がいいでしょうか。それとも、〇を数える負担を減らして、物価もそれほど高騰しない今の状態がいいでしょうか。

 

インフレ、デフレ、好景気、不景気とテレビでは、人々の心を煽るように情報が、過剰にでまわりますが、結局、インフレもデフレも関係ないのです。

 

世の中が不景気になれば、物は売れません。ということは、物が余ることになるのです。

物が余れば、1つの商品の価値は、売りさばきたい、在庫を補完する費用をかさばらせたくないので、値段を安くします。

 

みなさんの給料が不景気で減ったとしても、物価が下がれば、結局同じなのです。手に入れることができる物は、同じなのですね。違いは、紙切れをかさばって、財布に持ち歩くのか、それとも軽くして、持ち歩くかの違いだけなのです。

 

体力を余分に使いたいのなら、好景気にすればいいといった具合でしょうか。

 

もちろん、インフレにしても、デフレにしても、変化しはじめた時期は、影響が大きいです。

物価が安いのに、お金がもらえているインフレの数年は、みんな喜びます。

 

ですが、数年遅れた後は、物価が上がるので、結局また、戻るのです。

 

デフレがはじまった数年は、物価が高いのに、お金がないという状況が数年続くので、みんなが、苦しみはじめます。

ですが、それは数年経てば、物価が嫌でも落ちるので、結局また、戻るのです。

 

じゃー、どちらにしても、同じなら、インフレのほうがいいと思うかもしれませんが、実はそうでもないのです。実はデフレのほうがいいという考え方もあるのです。

3、インフレ、デフレのもたらす精神的な影響

安定して、みんなが少しだけ喜ぶ、インフレを微妙に続ければいいじゃないかと思いますが、人間は、愚かなもので、そこそこ上手くいって物質が豊になると、物質がすべてだと勘違いしてしまうひとたちがいるのです。

わたしもそうですが、良い事が続いたり、上手くいっている時期は、表面的には上手くいっていて、豊になっている一見みえるので、安心してしまい、油断して、傲慢になってしまうのです。

精神を鍛えている宗教を信じるひとたちや神を信じる人たちなら、まだ豊になることは、別に害が少なくて済むのですが、神を信じないひとたちが、豊になると、恐ろしいことが起こるのです。

 

例えば、道徳心を成長させることに特化しているのは、神を信じているという事実です。神を心から信じているひとたちは、どんな宗教であろうと、道徳に反すること、悪をすると、心が痛むのです。体が痛むから人がみていないところでも、悪をする確率が圧倒的に少なくなります。豊になってもその思考は、付きまとうのです。

 

そういう人は、質素倹約をすることが美徳に感じて、欲望を悪だと考え、落ち着いて判断ができるのです。ですが、反面、物質を生み出すことに貢献していないようにも見えるのです。

実はかなり貢献しているのですが、物質にこだわらないだけに、物質だけを見ている人からみると、貢献していないように錯覚されてしまうのです。

 

神を信じない人は、物質に必要以上にこだわります。それら偶像が心の指標になるからです。それらを正義だと思って、大量に物質を生み出そうとして、利益をすぐに手に入れようと暴走していきます。見た目、経済に貢献しているようにみえますが、物質だけをみる人間を大量に生み出して、それらの人間が増えれば、暴走しはじめるので、結局、信じていたのは、何だったんだ?というバブル時代の人々たちのようになるのです。

お金が儲かれば何をしてもいいと、四日市喘息や水俣病、イタイイタイ病などの奇病を大量に生み出し、食品偽装や耐震偽装、あらゆる詐欺をしてでも、利益を生み出そうと、道徳を無視して、走り続けます。

日本人は、神道精神が広がり、道徳心があるので、まだいいですが、そんな日本人であっても、これらの惨劇は、防ぐことはできませんでした。

これがどれほど恐ろしいことなのか、解かるでしょうか。

 

インフレで、物質を豊にすることは、中身のない人間には、酷なことになり兼ねないということです。

 

聖書は、豊になることを否定する教えではありません。アブラハムも多くの豊かさを与えられました。ですが、それらの偶像は、単なる利用するものであって、大切な神様を中心に考えるという基礎が、アブラハムには備わっていたので、豊さは、毒にならなかったのです。

信仰心の強い神の子孫なら、豊かさは、豊かさで終わるのですが、その母体がないひとたちは、その豊かさこそ、生きる意味だと錯覚しはじめることが、恐ろしいのです。

宗教を信じていても、中途半端だったりするひとは、未信者と変わらず、惑わされてしまうこともあるのです。

 

世界中の悪魔宗教は、お金の力、お金という偶像の力を理解していました。自分たち、悪魔宗教を弾圧し続ける政府やカトリックをなんとか、腐敗させて、転落させる計画を立てるのです。

カトリックも、江戸幕府も、中国であっても、支配者は、お金=悪だということを教え続けました。

江戸幕府は、朱子学を大切にして、賄賂などを否定し、質素倹約でやってきたことで、長く政権を保つことが出来ていたのです。そして、お金、小判を中心に考える世の中ではなく、食や生活に根付いたお米を中心にした、現実的な思想を人々の正義として、脳に植え込んでいたのです。

世の中がお金に目をくらんでも、頑なに江戸幕府は、米制度にこだわり、デフレ経済のまま、人々の精神を落ち着かせるように、働きかけていたのです。

 

その時の江戸幕府は、現代の日本の政治家や官僚と同じで、6割を超えようかというほどの税金を取っては、人々の精神を悪へと向かわないようにしていたのです。

 

田沼意次をみなさんは、知っているでしょうか。彼は財政難にあった江戸幕府をいっきに黒字へと変えた人物でした。彼は米制度ではなく、お金のシステムに目を向けて、あらゆる金融の政策に取り掛かりました。小判や銀などの保有量を調節するなどをして、経済のバランスをインフレに持っていこうとしたのです。

今まで、江戸幕府は、デフレを続けて精神を正常にさせる政策をしてきたことで、一気にインフレを助長するやり方に田沼意次がしたことで、当然のように経済は、良くなったのです。

あらゆる賄賂やあらゆる悪が、はびこり、人々の手に、お金が入っては、喜び、踊り狂いました。まさに昭和のバブルと同じ状態でした。お酒などを飲んでは、男女関係に走り、世は乱れていったのです。

 

世が乱れると不思議と神様が怒りを表すように、富士山が噴火をはじめたり、あらゆる災害が巻き起こり、人々を苦しめました。

 

日本は、まだ助けようがあったので、維新で終わりましたが、世界では、富士山の影響で、あらゆる場所が飢饉になり、天国から地獄へと変わったことで、王族貴族に不信感がつのり、フランス革命へと繋がっていくことになるのです。

 

悪魔宗教は、ここぞとばかりに、カトリックを弾圧し、裁判をすることもなく、その場で皆殺しにしていき、マリーアントワネットという田舎のお姫様も悪者のまま処刑され、フランスには、王族はすべて処刑されたのです。

 

その国を崩壊させようとするのなら、インフレの状態にして、人々の精神を狂わせればいいことを悪魔宗教は理解していたのです。

ですから、悪魔宗教は、ルネサンスなどの偶像思想を広げたり、物質こそが正義といった正義をあらゆる教会に広げていったのです。

ミケランジェロのダビデ像は、なぜ白人なのか>>

 

日本は、天皇を人質にしている朝廷側の藤原家、カナン人の末裔と天皇を外から守ろうとするイスラエル人の末裔の豪族の幕府の勢力に別れていました。

藤原家は、何とかして、幕府を衰退させようと鎌倉幕府の時代から、争い続けてきたのですが、江戸幕府では、大奥を作るなどをして、江戸幕府の財産をわざと使わせるようにしたり、精神を欲望に持っていくように、策略するのですが、幕府はそれを知っているだけに、将軍などは、大奥を毛嫌いしていたのですね。

 

目の上のたんこぶの1つだったわけです。

 

その大奥が入り込まないように、政治への話をすることはご法度にもされていました。

 

このように、悪魔宗教との戦いは、人間の歴史は、繰り返し繰り返し行われて、悪魔宗教ほど、お金を正義とする拝金主義をうたい、平和を妨害し続けてきたのです。

 

今はその悪魔宗教が、世界を支配しているので、なるべくインフレの状態にせずに、落ち着かせようとしているわけです。

 

ですから、悪魔宗教なのに、キリスト教を使ったりして、道徳心を世の中に広めるようなものにも手助けするという、わけのわからないこともあるのです。

 

裏では、奴隷人口をなるべく少なくするために、わざと少子高齢化になるように、大量の虐殺などを行っていながらも、表向きは、平和主義者で、道徳を大切にしているようにしているという複雑怪奇な状態になっているのですね。

 

秦の始皇帝にしても、劉邦や曹操にしても、彼らと戦い続けてきたのです。6つに分かれた国の王族たちが、世界を支配していたのではなく、彼らは操り人形でしかありませんでした。中国を支配していたのは、経済を支配していた軍事産業を行っていた勢力だったのです。

どの国も、これら商人連合が糸を引いていて、儒教などを操り、学問などを操りながら、あらゆる機関に入り込み、それぞれ分かれて6つの国をわざと残していたのです。1つにしてしまえば、戦争を起こして武器を売ることができないので、儲からなくなるので、わざと常に戦争が起こる状態にしておいて、王族たちには、お金を貸して借金だらけにして、いうことを聞かせていたのです。

その商人連合を裏切ったのが、呂不韋で、その呂不韋は、王族と証人の勢力との戦いを続けていた国の秦と手を組んで、中国を1つにして、戦争を終わらせ、人々が遊びのように殺し合いをさせられることを止めようとしたのですね。

そして、言葉を1つにして、厳しい法律で、人々の価値観を1つにして、秩序を作り安定した平和を持とうとしたのですが、商人連合の財力によって、また反秦勢力が、作り上げられ、項羽や劉邦に忍び込み、秦を崩壊させたのです。

 

王族、貴族は悪というイメージがあるかもしれませんが、表に出ている以上、むやみやたらに悪ができるわけがないのです。

ですから、フランスも、一度は王族を滅ぼしたのですが、その後は、どうしても王族が必要になり、復活を遂げるのです。アメリカでも王族、貴族の考え方の共和党があるように、王族、貴族は、わたしたちには、欠かせない存在なのです。

 

悪魔宗教は、そんな王族貴族を残して、手を組み、生かしておいて、自分たちはなるべく表に出ずに世界を支配することで、自分たちに目を向けさせないようにしているのが、現在の力関係になっているのです。

 

政治家や王族貴族などは、彼らの人質のようなもので、彼らに逆らうことができないようにされているのです。

もし、政治家や王族が、国民のために立ち上がって、悪魔宗教に弾圧をするようになれば、彼らは国民の1つとして、憲法違反だ!とさけんで、王族貴族、反逆した政治家を糾弾するのです。

国民から攻撃されれば、法律違反だ!として、糾弾するのです。

 

彼らは、インフレ、デフレ、善悪、王族貴族、憲法、法律など関係ありません。右だろうと左だろうと、平和主義だろうと、関係ないのです。共産党であろうと、社会主義だろうと、その時に役立つのなら、利用するだけで、その時に邪魔なら、あらゆる手を伸ばしている組織に頼んで糾弾するだけなのです。

 

 

4、日本の景気の考え方

日本には、遷宮という儀式があることをご存知でしょうか。

伊勢神宮や出雲大社など、大きな神社は、神殿造りを大きく変える時期があるのです。20年サイクルで、神様の神殿である家を新しく隣に造り変えることで、永遠を表すのです。

世界には、神様の永遠を表すために、岩などを使うのですが、イスラエル人や日本人は、聖書に書かれているように、循環させる思想のまま、木で神殿を作り、永遠を表すのですね。

これと経済が何の関係があるのかと思うかもしれませんが、多いに関係しているのです。

 

政治家たちがダムづくりで景気回復させようとしてきたように、日本の歴史にも、神殿を作り変えることで、多額のお金を投じて、あらゆる人々に恩恵を流して、景気回復を続けてきたのです。

 

それが20年サイクルという絶妙なタイミングで昔からされてきたのです。

 

政治家たちのやりすぎたニューディール政策とは違い、緩やかに、景気を安定させるこの遷宮の思想は、見事としかいえません。

 

物を買っても、その物は、数年すれば、すたれ使えなくなります。電化製品なら10年といわれているように、それぞれの製品には寿命があり、その寿命が終えれば、人々は新しい製品を買うので、景気がよくなるのです。

それは建物も同じで、50年サイクルなどで、人々の家が入れ替わることで、景気が回復するのです。

 

それを20年サイクルなどで、遷宮はしているのですね。その神社によってサイクルの期間は、違います。

 

景気は、良くなればいいというわけでも、悪くなればいいというものでもなく、人々の生活が安定的に、それほど変わることなく、平和に続けていくことに意味があるので、大きな変化をすることは、バカなことなのです。

静かに徐々に上に向いていくような、自然な流れが、人の精神や世界を良い方向へと持っていくためには大切なのですね。

 

小説や映画のように、誰か有名で特殊な有能な人物、リーダーによって突然世の中が変わるといったイメージを抱きやすいですが、世の中の平和を本当に作り出すのは、ひとりひとりの精神の向上とそこそこの物質が不可欠なのですね。

 

イエス様は、「人は、パンだけで生きるのではない」とおっしゃられました。

これは、逆に言えば、パンでも生きると言っているのです。

 

パンを無視した教えであった、バラモンをオウムのようなカルト宗教と違うのは、本物の宗教は、現実を否定しないことです。

ですが、大量の物質というのではなく、そこそこ生きていけるだけのもの、生きていくための食料さえあれば、満たされるべきだというものであって、それらを否定するのではないのです。

景気が良くなることも否定するわけでもありません。科学や学問の発展も否定するものではなく、むしろ、科学や学問と一致して、進んで行くものなのです。

 

ただ、現在は、偽学問や偽科学が大量にプロパガンダで広げているから、意見が分かれるだけで、本当の科学や学問と聖書の教えは、一致するのです。

 

経済とは、人間の思い込みでしかありません。本当に大切なのは、実経済であって、金融や株式、架空のものの偶像ではないのです。

偶像とはなんなのか>>

 

イエス様は、まるで動物や植物のように、とても静かに旅を続け、あらゆる人々に当たり前のことを伝え続けました。釈迦も同じです。

わたしのように暑苦しく情熱的に話そうとしたとは、思えません。

人は不完全なので、完全に正しいようには動くことができません。イエス様は出来ても、なかなかそのようにしたくても、出来ず、自分の思い込みや頑なな考えが、それを邪魔してしまうのです。

ですから、ひとりでやろうとすれば、失敗するのです。

わたしとは真逆の人や考え方の人がいてこそ、バランスよくなるのであって、子を叱る親も正しければ、子に笑顔をみせる親も正しいのです。

 

景気不景気も、波こそあれど、結局、もとに戻るのであれば、その落差は、それぞれ良い物なのです。

 

悪魔宗教のマインドをしている人間は、悪意を持ってそれらをしているつもりかもしれませんが、大きな神様の法則には逆らえず、結局、悪をしたことが、未来では、善になってしまうのですね。

イエス様を十字架刑で殺したことは、彼らにとって成功だったにもかかわらず、彼らにとって最大の誤算になり、世界中に福音が広められ、憲法さえも制定され、人々に人権を与え、自由にしてしまったのです。悪は、徐々に追い詰められていくしかないのです。

 

いつ悪から善へと彼らが変わるのかというだけで、どれだけあがいても、大きな流れには逆らえないのです。

ソロモンは、彼らに知識を与え、彼らの力を増大にしましたが、それはソロモンの策略だったかもしれません。結局、神様には何をしても勝てないのを分かっていたからこそ、多くの情報を開示して、文化レベルを世界規模で、あげて、世界が平和になる速度を増したのかもしれないのです。

一見悪のようにみえますが、それを神様が許可されたように、何千年というスパンスで、長くとらえれば、善になってしまうのです。

 

むしろ怖いのは、悪魔宗教などの組織に頼るものよりも、組織に属さない、ひとりだけの学者や科学者のほうが、危険かもしれません。神様の法則にさえも手をだして、世界をたったひとりの選択だけで滅びしてしまえるようなものを発明してしまったとしたら、そんな時にまだ多神教があれば、どれほど恐ろしいことでしょうか。自分の都合に合わせた神や正義を導き出して、ボタンを押すだけです。

 

ちなみに、アベノミクスですが、これは、金融という仮想にかかわる人たちには、お金がまわる政策で、お金を流し込みますが、わたしたち国民には、お金はまわってきません。景気もわざと不景気になるようにしています。

不景気なのに、物価だけあがるという、恐ろしいことをして、人々を苦しめているのですが、苦しむということは、人々の精神を物質ではないところに向上させていくので、安倍総理のいうところの、「美しい日本」という発想と一致しているのかもしれませんね。

人間が何をしようと結局、同じなのですが、良くも悪くもない、悪魔宗教を倒すでもない、政権が、安倍政権というわけです。

 

規格外の金融政策といって、大量に紙切れを刷って、景気を良くしようとした日銀総裁でしたが、アベノミクスのマイナス要因のおかげで、プラスマイナス0といった状況かもしれません。

ショック療法は、副作用が強くなるので、今のような良くも悪くもない政治のやり方は、時間を経過させたいいものかもしれませんね。

時間さえ、しのげれば、人々は、インターネットによって情報を獲ていくことになるので、それは加速していきます。

人々が、物事の本質を理解するようになれば、悪魔宗教たちのやっていること、マジックの種を見分けることができるようになるので、正常な社会へと転換していくことになります。

大きな反乱や変化ではなく、じわじわと、ひとりひとりの小さな力によって平和的に、変わっていけるほうが、安全ですし、被害も少ないでしょう。

 

悪魔宗教側の人間も早くこっちがわに来ないと、追い込まれていくだけです。良いことを選択することに専念して、賢く、上の邪悪な人間にやり取りしていく能力が必要になるでしょう。悪魔宗教の上の人間もバカではありませんから、論理的な利益を踏まえて、善をすることの意義を説けば、いいのです。

そうは言ってられない状況や立ち位置であっても、少しずつ、改善させていくことは可能です。大きく改善できる位置の人もいれば、悪を大量にしなければ、やっていけない位置の人もいるでしょうが、それぞれが善へと反転できるように、少しずつ改善していくしかありません。

 

現在の医療組織は、恐ろしいほど人々を虐殺していますが、だからといって、騙されている医者や看護師などが気づいてやめてしまったら、誰が組織を改善できるでしょうか。警察組織でも、正義感のある人々、教育機関でも正義感ある教師たちが、少しずつ、出来ることを試しながら、やっていくしかありません。急激に変われるひともいれば、徐々にバランスよく変われる器用な人もいて、それぞれが支えあい、助け合えばいいのですね。

完璧な人などいないのです。また、それぞれの人生には、意味があります。同じ人間などいないのですから、それぞれのペースで、それぞれの出来ることを1ミリでも善になるようにしていくことが、大切なのです。善悪をいったり来たりしながら、それでも善を少しでも前へと推し進めていきましょう。

いつかは、みんなで辿りつけます。憲法が手に入ることなど、誰が予想できたでしょうか。夢のまた夢だと思っていた人権が現実に存在しているように、この地にも、御国は来るのです。

世界を天国にする方法>>

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