思考の変化

こどもの教育 方法

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近年、わたしたちは、神を忘れ始めました。そのために、道徳が腐敗していっています。

神を信じていない人には愛や正義の正当性はありません。

 

それはなぜでしょうか。

 

それは、人間には、必ず悪があるからです。悪なんてないと感情論で否定したくなるかもしれませんが、それではなぜ、刑務所などあるのでしょうか。犯罪者と呼ばれる人たちはいないというのでしょうか。

 

現実に犯罪者もいれば、悪人もいるのです。そして、そういった人たちは、わたしたちが憲法を基準に人権を理解していることを無視した、犯罪行為を愛や正義だと認識して、実行しているのです。

 

このように、人間は、多くの人は善になりたいと願っていますが、それでも、必ず悪もあり、その悪を選ぶこともできるのです。

 

悪も選ぶこともできる人間に、善悪を決定できる権利などありません。だからこそ、人間の上に存在している神様を基準にして、その下の平等である本当の民主主義を目指すべきなのですね。

 

ですが、近年は神を本当に心からいないと信じ込んでいるひとたちが多くいて、自分たちの多種多様な正義や愛を信じているのです。

 

これでは、何が正しく何が正しくないのか、理解できず、自分がどこにいるのかさえも分からず、心を病んでいきます。

 

心を病んだひとたちが、こどもを育てれば、当たり前ですが、心が病んでしまうこどもたちを大量生産してしまいます。そのこどもたちも、自分勝手に愛や正義を見つけて、思い込みで生きていくことになってしまうのです。

 

このようなこどもに育てないために、知っておきたいこどもの教育方法を今回のテーマとします。

1、こどもには、詰込み教育

こどもの教育の方法を議論すると、たまにこどもは、自然に育てれば育つので、何も教える必要はないといった発言をするひとがいます。

ほっておけば、勝手にいい人間になるというのです。これは本当のことでしょうか。

 

ですが、実際は、こんなことを言っている人も、実は詰込み教育でこどもたちを育てているのです。

 

どういうことかというと、生まれたばかりのA君がいたとしましょう。誰もこのA君に日本語で話かけません。そのまま育てば、A君は、自然に日本語を話すことができるでしょうか?

 

断言していいますが、A君は日本語を話すことはできません。

 

英語を学んでいないこどもが、英語を話せないように、教えられていないものは、考えることさえもできない、それが人間なのです。

 

聖書の神様は、アダムに言葉を教えました。そして、その言葉で、動物たちの名前を発明していくことを命じるのです。また、アダムは、その言葉でエバに神様からの教えを教えて、そのエバは、こどもたちに教えていったのです。

 

わたしたちは、言葉によって多くを理解しているのです。テレビなどでおバカタレントと言われるひとたちが登場してきますが、そんなおバカタレントであっても、もの凄い知識量を実は持っているから生活できているのです。

 

まず、日本語ができるのです。

 

この日本語は、世界でもっとも難しい言葉だと言われています。表音文字のひらがな、カタカナと表意文字の漢字を複雑に組み合わせた難解な言葉、それが日本語です。

 

たまにオヤジギャグというのを口にするおじさんなどがいますが、これは複雑な日本語だからこそ、大量に作り出せるのです。

 

このように、こどもは、勝手に育っているのではないのです。あらゆる情報を人からも、自然からも得て、成長していくのです。詰込み教育で育っているのですね。

 

そして、情報が多ければ多いほど、その子は、選択枠を沢山考えることが可能になります。ですが、脳に入っている情報が少なければ、その脳の中にしかない情報だけを信じ込んで、あらゆる柔軟な考え方ができなくなっていってしまうのです。

 

日本の学校宗教団体がまさにそれです。

 

どうでもいいことや嘘などを大量に脳にいれるだけで、大切なことをなるべく教えないということを繰り返し、真実でもないことをテストという紙切れで、点数をつけて、その嘘が正しいと思い込ませていくのです。

 

こどもは、何も知りませんから、素直にそれを信じていくのです。

 

そうすると、この世界は、偶然、進化してお猿さんから人間になったんだよという空想の大嘘を心から信じ込んでしまうのです。神などいないと心の底から信じるので、自分にも価値がないと信じる生き方をしていくようになるのです。

全知全能の神が確実に存在するという証拠>>

近年の教育の間違いはそこです。

 

詰込み教育は、間違っていません。間違っているのは、嘘を大量に詰め込む教育なのです。

 

愛を教え、正義を教え、沢山の自然を味あわせて、存在そのもので、多くの情報を詰め込んで教育していかなければ、いけないのです。

 

 

そして、何よりも大切なことは、神がいて、その神を愛するということを教えることです。

これがこの世界のすべてを説明できてしまうことだからです。

 

正しい真実の勉強は、とても楽しいものです。目の前の現実と一致しているので、次から次へと世界の仕組みが理解出来ていくからです。

明治時代のひとたちは、とても勉強家が多かったのは、事実に基づいた情報を自分たちで精査して、進むことができたからです。

 

生きていくということは、嘘や詐欺などは、発展を妨げるだけで、本来、真実や現実と一致して、役に立つことを生み出していくことなのです。

 

そのような大人に育てるために、あらゆる方法から脳に情報をいれることを教えていく必要があります。

 

机の上で、嘘の情報を大量に詰め込む生活をしていくと、それらの能力が失われていきます。そうすると、悪さえも、正義だと心から信じてしまうのです。

例えば、進化論という大嘘の宗教を信じ込むわけです。

進化論の正体 真実と嘘>>

無神論の問題点>>

外にでれば、お猿さんから人間が生まれる現実などどこにもないことを知ることができます。わたしが今まで見てきた多くの知人たちの親は、全員人間でした。

ひとりとして、猿を指さして、これがわたしの親ですという人はいません。

 

この世界が、弱肉強食だということも大嘘です。ならなぜ、ナマケモノという物凄いスローライフの生き物が今も絶滅せずにのどかに生きているからです。

 

それよりも優れていたとされる原始人?がなぜいなくなるのでしょう。

 

原始人などもともと存在しません。人間は人間なのです。猿とはまったく違います。いないものをいると机の上で信じ込ませて、現実をみえないようにしているだけです。

 

ですから、こどもたちには、神を大切にすることを学ばせる必要があるのです。神道でも仏教でもそれはいいのです。

神という存在がいるという考え方は、あらゆる自然を見ていく基礎になるのです。その自然から大量の情報が詰め込まれ、自然の法則に根ざした愛や正義が培われます。

 

嘘や詐欺の情報などをあとから目にしたり、耳にしたりしても、正しい情報を脳に詰め込まれている子たちは、違和感を感じることができるようになります。

 

違和感とは、自然の法則に反した、本質的な悪のことです。

神様は善だと何故言えるのか>>

神の愛とは>>

真実の愛とは、なんなのか>>

悪に対して違和感を感じることができる人間が増えれば、自然と人間社会は、平和になります。逆に自然の法則を無視した悪の情報を大量に埋め込まれたひとたちが、増えれば、人間社会は、理不尽なことが大量に発生します。

 

愛・寛容・親切・善意・柔和・自制など、多くの善の原則を脳に詰め込む必要が人にはあるのです。そして、それらが正しいと裏付けられるのは、神様の存在でしかありません。

 

人間には、善悪を判断する権利などないからです。

2、教育する親が、自分を疑うこと

わたしも含めて、現代人は、多くの嘘を学校宗教団体で脳に埋め込まれてきました。ですから、すでに脳が汚染されて、何が正しく何が正しくないのか、判断できないのに、学校教育を信じて、それを疑うこともしない人がいると、こどもたちが被害にあうようになります。

 

世界の知恵者として有名なソロモンは、知らないということを知るという考え方を世に広めました。

 

聖書のヨブ記には、そのことが何度も何度も書かれています。

 

人は、自分が知っていると思うと、理解しようとする忍耐が欠如していきます。

 

ですが、自分は知らないと認識しているひとは、常に情報に敏感になり、理解しようと多くの情報を脳に取り入れていくのです。

 

その後、ソクラテスも、釈迦も、知らないということを知る教えを続けていきました。

 

聖書に書かれた空の思想も、インドで広まりました。

 

何度もいいますが、正しい人間などひとりも存在しません。人は能力の限界があるので、100%正しく行動することなど不可能なのです。

人間には、うしろに目がないので、後ろは死角になるのです。

 

体は1つしかないので、離れたところで何が起こっているのか把握できないのです。

 

政治家が何を法案で可決させても、調べなければ、気づくこともできません。

 

みなさんは、アメリカという国のことを知っていますが、アメリカに実際にいってもいないのに、なぜアメリカが本当に存在していると確信できるのでしょうか?本当は、アメリカという国はないのかもしれません。あなたの生活している県内で生活して、それらがあると信じ込まされているだけで、本当はあらゆる国はないかもしれません。

 

ですが、実際に自分の体であらゆる国にいったひとたちは、その国があることを証明していけます。

 

大人が存在もしないものを信じていたら、そんな大人から育てられた子たちは、どうなるでしょうか。

 

親が子供のためにと思って、詰め込んだことが、逆にこどもを苦しませてしまう結果にも成りうるのです。

 

何が正しいのか、何が間違いなのか解らなくなったら、シンプルに、誰も否定できないことに立ち戻ることです。

 

誰も否定できないことは、沢山ありますが、その1つが、人間は完璧な人など存在しないという事実です。

 

大人も、こどもと一緒にあらゆることを学んで成長し続けることが必要なのです。

 

伝道者の書1章2-8節

伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。 3日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。 4世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。 5日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。 6風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。 7川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。 8すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことができない。目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない。

3、ほめるな、与えるな、実感させろ

現代の親などは、こどもが勉強するために、お小遣いをあげたり、何か物でつろうとしたりします。

ですが、これをすると、こどもは勉強をしなくなります。

 

表面的な勉強だけをして、目的のお金や物に目がいってしまい、本当の勉強の喜びを味わうことが出来なくなるのです。

 

 

こどもにとって、知識を獲ることは、ご褒美です。

あなたが、こどもが出来たらわかると思いますが、こどもは、言葉が使えるようになると、あらゆることを質問してきます。

「パパ。あれはなに?これはなに?どうして、こうなの?」と純粋に知りたくなるのです。

 

そして、それに答えると、こどもは、知ることができたことで、納得していきます。それが喜びなのです。

 

そこに、あなたが、お金をやるから、色々勉強しなさいと言い始めると、こどもは、お金のために、勉強を始めて、知識をいれる喜びを失ってしまうのです。

 

褒めることもまた注意が必要です。

 

こどもは、お父さんお母さんが好きです。守ってくれる人で、近くにいてくれるひとたちだからです。

 

そんな好きな人が、褒めてくれると喜びます。もっと褒めてもらいたいと願ってしまうようになります。

 

すると、こどもは、自分ではなく、好きな相手に依存して、どうすれば、褒められるのだろうかと、褒められることだけに注意を払うようになってしまうのです。

 

これはとても危険です。

 

自分の中で、あらゆる情報を獲ることの喜びを知っている子は、親に怒られてもそれをします。知識を獲ることこそが、喜びであるということを教えることが重要なのです。

 

そこにお金や物、褒めるといったことが、とても邪魔になり、外からこどもをコントロールしようとする大人のやましい策略が、こどもの心を荒ませていくのです。

 

その子が知りたいと思うこと、興味を示すものに対して、それをサポートするだけで、褒める必要はありません。それ自体が、その子のご褒美だからです。その他のものは、他人がその子をコントロールしようとする邪魔なものなのです。

 

このことを理解している親は、こどもの才能を引き出すことができます。親は、あらゆる情報を提供して、その子が何に興味を示すのかを発見する必要があるということですね。

 

虫なのか、動物なのか、ピアノなのか、サッカーなのか、それともまだ世に出ていないものなのか、パソコンなのか、それは解りません。映画かもしれませんし、漫画やアニメかもしれません。絵を描くことなのか、政治なのか、科学なのか、何に興味を持つのか、その動向を見極めて、そのことを与えること自体をご褒美にすることです。

 

ですから、悪いことをしたら、その勉強をすることを禁止させることもいいでしょう。

 

大人はすぐに、アウトサイドイン、外からちょっかいを出して、こどもを邪魔します。ですが、教育は、インサイドアウト、その子の中にどのような変化がもたらされるのか、湧いてくるのかを育てることです。

外から内へではなく、内から外へを目覚めさせることです。そして、それは自然界で学ぶのか一番なのです。

 

こどもは天才です。なんでも純粋なので、あらゆる情報を脳にいれていきます。大人の固定概念は、危険で、あらゆる悪を吐き出すのに対して、こどもは、先入観が少なく、思い込みもないので、意外と大人よりも正しい判断をしたりもします。

 

例えば、近年のこどもたちは、野菜を食べたがりません。これを先入観のある大人は、悪いことだと認識して、無理やり野菜を食べさせようとするのです。

ですが、実はこれは、こどものほうが正しいのです。

 

現代の日本の食卓にならぶ多くの野菜は、栄養がなくスカスカで、見た目こそ綺麗ですが、中身がありません。それどころか、あらゆる薬によって毒のようにされているのです。

 

昔の野菜はそうではありませんでした。人間の肥溜めから畑に循環して、栄養のリサイクルができていたので、とても野菜が甘くておいしく栄養があったので、こどもたちは、生でも野菜を食べたのです。甘くておいしいからです。

 

ですが、今は栄養どころか毒物なので、正常なこどもほど、「うえっ」となってしまうのです。嫌な顔をするのです。

 

大人はそれが野菜だと根性で毒物を口にするのですが、こどもは、根性という感情論など関係なく、事実、変なものは変だとして、拒否するのです。

 

親の先入観、こどもをコントロールしようとする疾しい心が、こどもたちを苦しめ、才能を停止させてしまうのです。

 

これも、自分たちが正しい大人だから、また正しいことを知っているという思い込みが、忍耐の欠如を招いて弊害となるのです。

 

多くの脳が汚染されているわたしたち大人は、こどもたちを尊敬する必要があります。

 

多くの偉大な科学者たちは、多くの説明できない自然の現象に敬意を払いました。普通の人は、固定概念があって、観たいものしかみないところ、どうでもいいと思えるようなものに目を向けて、神様の創られた世界の法則や物を解明していったのです。

 

解っているものだけを理解しようとするのは、傲慢のひとつだということです。大人の常識、自分の信じている宗教、お金、物、地位や名誉、あらゆるものに疑問を持ちましょう。

 

お小遣いなどもらっても、こどもの本質からすれば、いい迷惑なのですね。愛や正義よりもお金でしょ?という悪意ある常識を純粋な子たちの脳に埋め込んでいく、恐ろしいものなのですね。

 

まさに、これが偶像思想です。

 

偶像とは何なのか>>

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