思考の変化

聖書が教える世の終わり

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いつの時代も世の終わりが語られてきました。

ノアの大洪水という事実が起こってから、世界中に神様を恐れる教えがされてきて、今はそれを繰り返さないように、悪人でさえも、気に留めています。

 

現代は悪魔宗教によって世界はほとんど統一され支配されていますが、その悪魔宗教でさえも、聖書を無視はできないので手出しできないのです。

彼らを自由にしたのは、その聖書でもあったからです。

悪魔宗教の目的>>

世界の闇のルーツ。カナンの教え>>

 

神様は偉大です。人が考える単純な物差しで物事をみておられません。なぜなら、神様は過去・現在・未来に同時に存在されている方だからです。

神様からみれば、今とは、過去のことであり、現在のことであり、未来のことなのです。

 

人間は、現在と数秒後の未来ほどしか予測はつきません。ですから、例え、善行をしたとしても、それが未来では悪になっているかもしれません。逆に悪人が、悪行をしたとしても、それは未来になると善になってしまうこともあるのです。

 

だからこそ、現代では、憲法で人権が制定され、それが常識になるというとんでもない世界にまで続いているのです。

憲法がなかった時代には、人権はありませんでした。人々は、貴族や領主、王や権力者の所有物だったからです。

 

その絶大な権力者を縛るような法律が世界の常識になってしまっているこの不思議を一体当時のだれが、信じられたでしょうか。

そんな時代は来ないとあきらめ、ののしり、罵声をいったひとたちもいました。

 

ですが、その時代からすれば未来のわたしたちの時代では、それが当たり前すぎて、誰も不思議だとさえ思わなくなっているほどです。

平和ボケできるほど、平和なのです。

 

神様がいないという発想を持っていても、世界が平和になれると思い込む人までいても、かりそめの平和によって平和ボケできるほどにまでなったのです。

無神論の問題点>>

世の終わりもまた、あざけり、信じず、神を冒涜するひとたちがいます。聖書を無理やり自分たちの価値観にする解釈で捻じ曲げて、人々を惑わすのです。

 

今回は、世の終わりについて、考えていきましょう。

1、世の終わりは突然やってくる

第二ペテロの手紙3章3-10節

3まず次のことを知るべきである。終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、 4「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」と言うであろう。 5すなわち、彼らはこのことを認めようとはしない。古い昔に天が存在し、地は神の言によって、水がもとになり、また、水によって成ったのであるが、 6その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった。 7しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。 8愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。 9ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。 10しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。

 

現代人は、学校宗教団体に小さい頃から通わされ、その宗教を心から信じ込んでしまいます。

 

人は、小さな嘘より、大きな嘘を信じる

 

といった言葉があるように、集団で動いていると、みなが騙されていることにも気づかずに、信じ切ってしまいやすいのです。

 

嘘やまやかしという偶像を多く脳にいれている人は、あざけり、欲望を正当化し、お金という紙切れ、偶像を拝金主義的思想で、心から信じてしまうので、事実をいっても通じません。

ノアの時代もそうでした。ノアの家族は、世界が大洪水になる。雨が降って、地から水があふれだすと何度も何度も言ったはずです。ですが、彼らは水が天から降って来ることや地から湧き出てくることを信じませんでした。

 

そして、欲望のままに生きて、大洪水に呑み込まれていったのです。

 

それまでは、何も変わらない世界で、現代に比べれば、環境も豊でした。食に対する悩みもなかったはずです。彼らは神様から与えられ続けている現実を無視して、軽んじ、それを悪に利用までしてきたので、滅ぼされたのです。

彼らからすれば、それが正義になってしまい、自分たちが悪だとは気づかなったのです。

それは、現代人とそっくりな現象でしょう。

 

自分たちは、犯罪をしていないから善人だと心から信じ、神はいないという大嘘を心から信じ込んで、聖書さえも軽んじているのです。

終わりの日は、盗人のように突然やって来るのです。

マタイによる福音書24章43-51節

このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。 44だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。 45主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。 46主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。 47よく言っておくが、主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう。 48もしそれが悪い僕であって、自分の主人は帰りがおそいと心の中で思い、 49その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、 50その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、 51彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目にあわせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。

 

彼らは、多くの嘘や偶像を信じこまさせられているので、事実をいっても聞く耳も持たず、かたくなに否定して、自分たちを正当化します。彼らにとっては、突然やってくるのですが、神を信じているひとたちは、常に神様を畏(おそ)れます。

聖書などを読み解き、あらゆる知識を脳にいれて、汚染された情報、偶像思想と正常化された情報とにわけて、見分ける確率をあげます。

偶像とは何なのか>>

ダニエル書12章1-4節

その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります。また国が始まってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし、その時あなたの民は救われます。すなわちあの書に名をしるされた者は皆救われます。 2また地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう。 3賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう。 4ダニエルよ、あなたは終りの時までこの言葉を秘し、この書を封じておきなさい。多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう」。

 

 

2、終わりの日は、誰にも分からない

マタイによる福音書24章35-41節

天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。 36その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。 37人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。 38すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。 39そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。 40そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。 41ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されるであろう。 42だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。 

 

神様がなされることは、偉大で、未来をみることのできないわたしたちには、なかなか理解が困難になってしまいやすいです。

ですが、神様は聖書でとても明確に人々に、預言を与えられ、それを現実のものにしてきました。

 

なのに、人はそれを読み解けなかったのです。

 

イエス様の預言は、ことごとく当たっていました。

イエスキリストの預言>>

 

あきらかに、旧約聖書にイエス様が存在していたのですが、弟子たちですら、それに気づきませんでした。もし、パウロが弟子としてイエス様と会っていたら、旧約聖書の学者でしたから、気づけた可能性もありますが、誰も気づけなかったのです。

 

その時代の常識、信じられていたことで人々は、比べていたので、気づけなかったのです。

 

救世主とは、ダビデ王のように勇敢で、戦いに強く、世界を支配して、イスラエル人の国を成就してくれる力強い存在だと信じていたのです。上から力強く下に正義を表してくれるものだと思ったのです。

 

現代でも、多くの小説や映画、思想や政治家、あらゆる特殊な才能をもったリーダーのような存在だけが、世界を正しい道へと導いてくれるのだろうと、思いがちです。いわゆる他人まかせです。

 

ですが、神様のされることは偉大で、一部の人間によってもたらされた平和ではなく、ひとりひとりが神の教会であり、ひとりひとりが、自分たちの自由意志によって、神の子孫になり、だからこそ、世界が平和に維持されるということを望まれたのです。

 

力によった押さえつけではなく、愛やゆるしによって、人々を解放していったのです。

 

その犠牲として、神様ご自身が、十字架刑にかかり、その血を流され、すべての人のために、生贄となられたのです。

 

その時代の人々は、預言通りにイエスキリストを十字架刑にかけて、弟子たちも逃げていきました。弟子のひとりは裏切り、イエス様を売った人さえもいたのです。

イスカリオテのユダは、なぜ裏切ったのか>>

 

聖書には、明確に書かれていても、人間の発想、その時代の常識が邪魔をして、気づけなかったのです。

イエス様がそうだったように、神様のされることは、人間の発想を超えています。まさか、愛やゆるしによって、悪を滅ぼされる礎を作られるとは誰にも想定できなかったのです。

 

現在、世界中に憲法があるのは、イエス様の十字架刑が行われたからです。これがなければ、今でもわたしたちは、権力者の所有物として扱われ続けていたでしょう。今でも本質はそうですが、表向きにしろ、人権が公約されているだけでも、すごいことなのです。

 

悪は徐々に衰退していくしか道はありません。悪魔宗教を信じているひとたちも、悔い改める、ひとたちが出てくるでしょう。

それは神様を恐れはじめるからです。

 

 

3、偽預言者の台頭

世の終わりの日には、偽預言者、偽イエスキリスト、偽牧師や偽神学者などが、大量に出始めます。

 

このような存在は、昔から存在していました。イエスキリストが、生きて日本に来ていたという話があったり、竹内文書のような偽書が出回ったり、世界中でそのような惑わす者たちや策略が行われています。

 

麻原彰晃やサイババ、その他の多くのイエスキリストや釈迦を名乗るようなトンデモ話をしてくるひとたちもいます。

 

釈迦や孔子など、イスラエル人の血が入っていることを利用して、あらゆる惑わしの言葉を吐くのです。朝鮮人や日本人なのに、イエスキリストの生まれ変わりというひとも、それはイスラエル人の子孫であることを利用した詐欺なのです。その多くはカナン人の末裔です。弥生人のような顔をしています。

 

第一ヨハネによる手紙2章18-19節

子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る。 19彼らはわたしたちから出て行った。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまっていたであろう。しかし、出て行ったのは、元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためである。

 

彼らは、聖書に属しているわけでもなく、善に属しているのでもないのです。

 

そう言う人たちは、戦争で世界が滅びるとか、世の終わりを必要以上に煽り立てて、恐怖心によってコントロールしようとしてきますが、それらにも騙されてはいけません。ヤクザが相手をコントロールする方法として、脅すというものがあります。脅されると人の脳は混乱してしまい、恐怖心によって動かされてしまいます。現代医療という悪魔宗教も、あなたはガンですと脅してきます。そして、猛毒の抗がん剤を使うように提案してきたり、寿命が縮まる手術を提案してくるのです。自分が死ぬと宣告されると、人は冷静ではいられなくなるのを知って、人々を騙すのです。

現代医療と悪魔宗教>>

エイズの真実>>

不妊治療の闇>>

 

ルカによる福音書21章7-9節

「あなたがたはこれらのものをながめているが、その石一つでもくずされずに、他の石の上に残ることもなくなる日が、来るであろう」。 7そこで彼らはたずねた、「先生、では、いつそんなことが起るのでしょうか。またそんなことが起るような場合には、どんな前兆がありますか」。 8イエスが言われた、「あなたがたは、惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がそれだとか、時が近づいたとか、言うであろう。彼らについて行くな。 9戦争と騒乱とのうわさを聞くときにも、おじ恐れるな。こうしたことはまず起らねばならないが、終りはすぐにはこない」。

自分がイエスキリストの生まれ変わりだといった分かり易い嘘だけをいう人だけではなく、偽物の牧師や偽神学者も、大勢の人たちを惑わし続けます。

彼らは聖書を歪曲した解釈を無理やりこじつけて、現代歴史や進化論と混ぜ合わせては、聖書の正当性を否定するのです。

なぜ牧師や神学者がキリスト教を冒涜しているのか>>

 

 

4、火で焼かれる

神様は一度、世界を滅ぼされました。その証拠は大量にあります。原油や天然ガス、石炭などが大量に地に埋まっているのもその証拠の1つです。

これらは、世界が滅びる前の生き物たちの死骸です。

 

石炭は、何千何万年かけなければつくられないと大嘘を付き通してきましたが、それらが嘘なのは、解っています。なぜなら、今の技術なら、木を圧縮させることでたったの2時間で石炭が造れてしまうからです。

 

人間はおならをしますが、それに火を近づけると燃えます。お腹の中で天然ガスを作り出しているのです。

 

これらの多くの証拠があるように、世界は大洪水で1度滅ぼされました。その後、ノアの家族に、神様は、もう水では人を滅ぼさないと約束されました。その約束のあかしが、虹だとかかれています。しかし、次の滅びは、火によるものだとも聖書には書かれています。

 

第二ペテロの手紙3章10-12節

その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。 11このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、 12極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。

 

これを読むと、まるで太陽フレアに地球が呑み込まれるかのようでもあり、核爆弾による滅びのようにも思えてきます。天体規模の異変だということがわかります。火なのか、原子力なのか燃やされることになります。

 

 

5、新しい地の創造

第二ペテロの手紙3章13-17節

しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。 14愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。 15また、わたしたちの主の寛容は救のためであると思いなさい。このことは、わたしたちの愛する兄弟パウロが、彼に与えられた知恵によって、あなたがたに書きおくったとおりである。 16彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、無理な解釈をほどこして、自分の滅亡を招いている。 17愛する者たちよ。それだから、あなたがたはかねてから心がけているように、非道の者の惑わしに誘い込まれて、あなたがた自身の確信を失うことのないように心がけなさい。 

 

神の子孫たちは、天にあげられる、もしくは蘇らせられ、新しい地で、平和に過ごせるようになると思われます。

その場所は、大洪水前のように長寿の権利があり、100歳で死ぬと呪われたと言われるほどで、病気もなく、ライオンなどの動物たちとも一緒に生活し、ライオンも草を食べる体に戻されているのです。

肉食動物はなぜ存在しているのか>>

 

もしかすると、神を信じないものもその新しい地では存在するのかもしれませんが、永遠のいのちを手に入れる人は、神を信じる神の子孫です。

天国とは1つではないのです。

天国とはどういうところなのか>>

 

セレブなどの言葉が広がったり、お金持ちが幸せかのような情報が広まっていますが、本当にそうなのか、疑う必要があります。

そこそこの金持ちなら幸せかもしれませんが、多くの富を持った金持ちは、恐れています。自分たちがどのようにして、それを獲てきたのか解っているからです。

 

人が利用できるお金は決まっています。それ以上のお金を持ったとしても、使いきれないわけです。なのにそれを追い求めるのは、非合理的ですが、やめられないのです。もっと、さらに、大きく、多く、と欲望は膨れ上がります。

幸せはそんな強迫観念の中には存在していません。

 

なんでもない生活に、愛する人たちとの時間や出来事の中に存在しているのです。多くを求めれば、多くのひとたちが不幸になります。ですが、ひとりひとりが、誰にでも手に入れることのできる当たり前の幸せを望めば、すべてのひとが幸せになれるのです。

競争する必要などありません。

 

神様が創られたこの世界は、努力など必要ありません。努力は、人間の偶像思想を手に入れるために、思い込みで存在しているだけで、人は生きて、物を食べ、排出して、それがまた、ぐるぐると連鎖を繰り返し、栄養になって、多くの生物と一緒に生きていけるのです。

 

ただ生きているだけで、それで事足りて、多くを助け、多くから助けられているのです。それ以上を望むのは、人間がそれ以上のものがあると思い込んで、作り出し、それを手に入れようと躍起になっているだけです。

 

必死とは、必ず死ぬと書きますが、まわりが観えなくなり、事実をみえなくなってしまうのです。このような泥沼に入り込めば、なかなか抜け出すことはできません。

努力だと考えて行動している人は無理がありますが、努力ではなく、したいからしている人には無理がありません。まわりからは努力のようにみえても、本人はそうではないということです。高ぶる必要も傲慢になる必要もありません。

人はそれぞれ賜物が神様から与えられているので、それを使えば、努力している認識なく、成果を出せるはずなのです。

 

一人の人の100%よりも、100人の1%のほうが、圧倒的に持続し、効果を発揮するのです。毎日死ぬ直前まで死ぬほど働かされて、死んでどうするのでしょうか。組織が崩壊します。毎日コンスタントに、無理のない仕事をするのなら、持続できますが、限界ぎりぎりを毎日やっていたら、ギャンブルと変わりません。ハイリターン、ハイリスクです。

 

生きて、物を食べて排出している時点で、地球を助けていて、神様のシステムをグルグルまわしているのです。それ以外は、ちょっとしたおまけのようなものです。

 

愛するものと飲み食いしている以上の幸せはないと聖書に書かれている通りです。お金などの偶像がなくても、とても幸せに生きているひとは大勢いるのですね。

 

多くの偶像思想、お金などに惑わされなければ、人は悪をする必要性など本来ないのです。広大な宇宙があって、人間がどれだけ増えようとも、使いきれないほどのエネルギーがあるのです。欠乏マインドではなく、豊かさマインドで恐怖にかられるのではなく、論理的に生きていくのが大切です。

 

食糧不足といいながら、大量に捨てて、エネルギーが枯渇するといいながら、突然あと40年大丈夫だったと言い出したり、情報操作によって価値をあげて維持しているだけにすぎないのです。

 

人間がいれば戦争するとか言いながら、誰も殴り合いをしていないのに、おおげさに表して、脳を混乱させるのです。

ですから、騙されないようにしないといけないのですね。

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