思考の変化

発展は悪いことなのか

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発展することは、もちろん、良い事ですが、一概にすべて良い事だとは言えないのも確かです。

 

日本は明治に入って、近代化を図り、発展を遂げましたが、それと同時に、大切なものまで失われ、物はあふれても、不幸せだと感じる人々が大量に存在してしまっています。このことからも分かるように、人は物では幸せにはなれないのです。

 

手に入ったその瞬間は、いいかもしれませんが、心の底から満たされるといったことではないと多くの人は気づいているはずです。

発展することに意味があるのではなく、「その状態にしたい」という願いの積み重ねが発展になっているはずです。

この世界の法則が知りたい。発見したいといったこともあるでしょう。今は不便だからこうすれば、便利になるなど、願いの積み重ねが発展ではないでしょうか。

ですが、「願い」ならいいのですが、「願望」になると問題になってきます。

 

聖書には、

ヤコブ1章15節

欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。

と書かれています。発展の中にも、良いものもあれば、悪いものもあるということです。

今回は、発展は悪いことなのかについて、考えていきます。

1、欲は悪いものなのか

聖書は、発展やそれに至る欲をすべて悪いものだとは語っていません。

イエス様は、悪魔の誘惑に打ち勝つ時に、このように言われました。

 

マタイによる福音書4章4節

イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。

 

人はパンだけで生きるのではないという言葉は、一見、欲を否定しているかのような言葉ですが、この言葉を言い換えれば、「人はパンでも生きる」とも書けるのです。

このように、聖書は、現実を無視しているものではなく、人はパンなどの食べ物を食べて生きるものだということを否定はしないのです。

ですが、それだけで生きているわけではないですよと教えているのです。

 

欲はすべて悪いのではありません。以前、本当の愛とは何なのか>>

でも、書いたように、人は、脳内麻薬を分泌させて、あらゆる出来事を現実以上に大きくしたり、楽しめてしまうことを証明しました。

恋や同性愛、不倫やSM、犯罪などあらゆる欲望は、この脳内麻薬の効果がほしいがために、行われているといった内容です。

 

そのために、現実の愛や正義は、ないがしろになり、本質を見失ってしまうのです。

とは、いえ、これらの効果は、神様が人間に与えたもので、脳内麻薬も神様が人間に与えたものなのです。いわゆる感情といわれるものに、この脳内麻薬は、深く関連しているのです。

脳内麻薬が悪いわけではないのです。程よい脳内麻薬、ほどよい感情や欲は、生きているものをさらに豊にしてくれるものなのです。

本来の現実的な、愛や正義をこどもや愛する人、仲間や色々な人に示す時、心が温かくなることを感じます。

それゆえに、人は、愛や正義を太古の昔から、大切なことなのだと信じようとしてきたのです。

 

言葉では言い表せないが、愛や正義は大切にしたいと感情論でそれらを守ろうとしている人も多いことでしょう。

こういった想いが派生するのも、この脳内麻薬のおかげなのです。

 

良いものをさらに豊にするものとして、存在しているのですね。

性的な欲も、子孫を残す上では、大切なことです。これらを否定する宗教は少ないです。ですが、これが姦淫になると否定する宗教が多くなるのです。

欲は否定しませんが、欲望は否定するのが、普通のまともな宗教なのです。

 

欲望まで至らせようとするオウムのような宗教。悪魔宗教もそうですが、それらが神様が与えたものを悪用して、悪へと誘導しているだけで、本来、欲も大切なもので、マインドコントロールなども、ごく当たり前の効果にしか過ぎないのです。

 

車は、移動することに使えば良いものですが、駅前の人々に突っ込むように使えば、恐ろしい凶器になり、実際にそのような事件を起こした犯罪者もいます。

このように、良いものも、悪が使えば、悪いものになってしまうのです。

 

イスラムのテロという偽イスラム教徒が、イスラムの名前を使って、悪さをしたり、キリスト教の名前を使って悪さをしたりしますが、イスラムやキリスト教が悪いからそうなっているのではなく、犯罪者が、キリスト教や聖書、イスラムなどを利用するから悪い結果になっているのです。

 

宗教は、悪いものではないのですが、悪魔宗教が悪いのです。

 

そして、悪いものが行うそのようなものは、毎回、非現実的な思想なのです。現実を無視した偶像思想です。

偶像とは何なのか>>

2、ほどよい発展が望ましい

発展することは悪いことではありません。ですが、現実を無視したような発展は、いつか崩壊をまねきます。

発展といえば、中国を連想される方も多いのではないでしょうか。

 

中国の発展は、なぜ止まることなく、進むことが出来ているのでしょうか。

 

中国は崩壊するという言葉は、長い間言われ続けてきましたが、いまだに崩壊せずに、発展は続いています。

 

それは、通貨発行権利を中国共産党は、保持して、発行し続けているからです。

本来、小さな国で、あれだけの発行をすれば、お金は紙くずのようになってしまうのですが、中国は大きな国で、また人の人数が10億人にものぼるほど存在しているので、あれだけ発行しても、まだ紙幣を持っていない人も大量に出ていることで、バランスが保たれているのですね。

一部の人間だけが大量に持っているという状況は、アメリカと変わらないのです。

 

アメリカはさらに発行していますが、アメリカドルは、世界発行通貨ですから、世界が国とも言えるのです。

なので、ドルは、あれだけ発行していながら、紙くずにはなっていないのです。

 

巨大な土地と人が、その虚構を保たせているのです。

 

ですが、永遠にこれが続けられるわけではありません。虚構は虚構でしかないからです。

日本の場合は、土地が限られていたということもあり、早めに崩壊することができました。そのため、ギリギリのところで持ちこたえて、今は良くも悪くもない状況でバランスよく世の中がまわっているとも言えるでしょう。

アベノミクスという経済を悪くする方法のおかげで、発展を押さえつけ、ほどよい発展を促していると思われます。

 

経済発展は、2%ずつ発展していくのが、望ましいと言われています。中国などは、15%など、急激な発展を売りにしていますが、それがすべていいということではありません。急激な発展は嘘や詐欺、実経済とは関係ないことが多いからです。

 

ですが、2%ほどの発展は、ごく自然とも言えるでしょう。

 

少し前まではスマホが無かったように、新しいものは、時代とともに現れてきます。より便利にしようとしたり、新しい神様の法則を人間が見つけ出したりすることで、出来ることが増えていくのです。

 

自然と増えていくこれらの発展は、すべてではありませんが、良いものが多いとわたしは思います。

 

他っておいても、人は創意工夫をしてしまうということですね。ですが、無理やり追い詰められて発展させようとしたり、改良しようとしたりすると、大きな損益をこうむる場合があります。人の健康を妨げるものだったり、悪いものだったりしても、利益優先でそれらを世に流してしまう場合もあるからです。倒産する会社は、次の発展に乗り出そうとした時だとよく言われます。もちろん、それでうまくいった例もありますが、多くは失敗に終わっているのが現状です。

追い込まれるとあせって、失敗という名のゴールに早くついてしまうだけになるわけです。

 

 

3、欲望は発展につながりやすい

聖書にも書かれていますが、始めの科学者や学者に当たるような発明などを多数利用しはじめたのは、カイン族です。

カインの子孫。カイン族>>

 

ですが、このカイン族は、多くの悪も発明していきます。神様から与えられた言葉を自分たちの都合のいい言葉にかえていった最初の人間だと言えるのです。

偽牧師や偽神学者など、多くの偽物の科学者や学者などが存在しているように、それのはしりとも言えるものです。

 

その多くの悪を大量に生み出したことで、世界ごと彼らは滅ぼされました。水によって清められた土地は、ノアの家族によって再度、新しい広がりをみせていくことになります。それ以来、人は過度な発展をすることに、恐れを抱くようになりました。

世界中の宗教は、世の終わりを伝えているように、人の悪が増大すれば、また世界は滅んでしまうことを代々伝え続けてきたのです。

 

ですが、現代人は、それらのことをただの神話と思い込み、進化論という偽物の学問にまどわされて、現実を無視した教えが広がっているので、発展すればいいという単純な考え方の人が多いわけです。

昔の人は、質素倹約で、小さなことに喜びを持って、愛する家族と日々暮らすことを喜びとしていました。しかし、今はそれ以上のことを望み、その大切な家族形態が、破壊され続けています。

神様は、天使にも、自由意思を与えられています。

天使は、人間よりも知識があり、能力がある霊的な存在です。神様の近くにいて、その存在もわかっていながら、その天使の中から悪魔が生まれました。

その悪魔は音楽に長けた存在だったと言います。

この世界に、悪を生み出したのは、人間ではなく、最初の悪は、悪魔であり、天使だったのです。

 

その天使が、能力を奪われて、地球に落とされたのです。

 

そして、蛇に乗り移り、エバをそそのかしました。

 

天使がなぜ悪になりえたのか、それは発展。上に登ろうとしつづけた欲望によるものだったのです。

欲はいいことですが、欲望になると知識のある天使であっても、間違いをおかしてしまったのです。

 

悪魔は救われないのか>>

 

神様は、発展や発明することを否定はされていません。なぜなら、神様は、アダムに言葉を教えて、その言葉を使って、アダムに動物の名前を発明させていったからです。アダムに発明することを教えられているのです。

このように、人が発展すること自体は、神様は否定されていません。カイン族が発明をしたことも邪魔することはありませんでした。

今でも多くの科学者や学者が、発明をしたり、発見を繰り返していますが、それらはその時点では、悪いわけではないのですね。

 

ただ、それを悪意を持って利用しようとすることが、悪いのです。

 

原爆が、長崎と広島に落とされたことをしったアルバートアインシュタインは、とても悲しんだと言います。アインシュタインは、日本を何度も訪れるほど、愛していたからです。日本人をみて、ユダヤ人だと発言したという話もあります。

新しいエネルギーのために発明したものが、武器に使われたりすると、科学者たちは、失望してしまうことでしょう。

ですが、それらは神様の許可なしには、起こりえないのです。

わたしたち人間は、未来をみることが出来ないので、今と過去の情報から、悪を悪だとみてしまいますが、実はそれは未来では、善になることもあるのです。

人間がこのまま悪を増大させ、聖書の神様に立ち戻らなければ、鉢が、空から飛んで来て、まるで太陽のように人々を焼いてしまうかもしれません。まるで原爆のようです。神様は、次に世界を滅ぼす時は、水では滅ぼさず、火によって滅ぼすと言われました。

 

わたしたち人間は、眼の前の棒を持つことはできますが、その棒の先に何がついているのかは、選択できません。ですから、それにおそれを抱きながら、神様を畏れることが大切です。

 

欲望は確かに、発展につながりやすいですが、その多くの棒の先は、破滅へと向かっているものです。

わたしたちの時代では、それは良いことで終わるかもしれませんが、のちの子孫からすれば、破滅になっているのなら、いい迷惑としか言えません。

 

4、祈りによる発展

発展とは、まるで祈りです。

祈りにもいろいろあります。自分勝手な祈りもあれば、世のための祈りもあります。

神様は、アダムに発明することも教えられましたが、畑の管理の仕方も教えられました。

まだ、人が善悪を知る前から、人には、仕事というやりがいを与えられていたのです。

 

まるで、小さなエデンの園のように、四角く囲んだ場所に畑を耕すことを教えられ、他の動物がそれに手を付けないような工夫まで、教えられたのです。

これは、同時に、祈りを表していました。人は、そこで、神様を拝むという行為、神様に希望を持つという意味合いを与えられたのです。

自然は、人間というよりも、神様が管理されている自然の法則に基づいて存在しているので、その神様に祈ることで、豊作を願うようになるのです。

 

マタイによる福音書7章7-11節

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 8すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。 9あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。 10魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。 11このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。

 

人は多くを求めてきました。そして、その求めるとともに、見出してきたのです。悪の種を蒔けば、悪の実を刈り取ります。悪魔的なひとたちは、多くの私利私欲を肥やして手に入れ続けていますが、決して幸せとは言えません。

悪をすることで、自分で自分の首を絞めて、いつも怯えて生きていかなければいけません。死も本当に恐ろしいと思うことでしょう。

悪人にも雨を降らされる神様は、悪から出た発展であっても、それらを許可されてきました。それは、未来では、良いものへとなることをご存知だからです。

イエスキリストは、十字架刑で無実の罪で処刑されたという誰がみても、悲惨な人生ですが、2000年絶った今では、十億人も超える人々がそのイエス様を崇めているのです。当時のだれがそんなことを想像できたでしょうか。

 

わたしたちであっても、悪をすると「大丈夫かな?」と考えたりします。悪人はそれの比ではないということです。すべてのことを懐疑的にみて、善意さえも悪意だと認識するほど恐れるのです。

物があれば、それを失うことを恐れます。多くの悪は、そこから生み出されているとも言えるでしょう。家族のために悪をする。国のために悪をする。心が囚われている物のために、悪を行っていくのです。

 

ですが、それらもその人が以前、望んだことだったから手に入れていることがほとんどでしょう。

それに伴う責任ももちろん、そのあとにも生じることになるのですが、多くが望んだから手に入れているものがあるはずです。

建物の中に入りたいからノックをする。お腹がすいたから食べ物を買う。

 

その中でも、祈りによるものは、また意味をなします。それはなぜかと言えば、多くの人は、神様を意識して、祈るからです。

神様概念が低ければ、身勝手な祈りにもするかもしれませんが、神様概念がしっかりしているひとは、神様を畏れているので、身勝手な祈りは避けようとします。悪魔に祈るような悪意ある祈りもしないでしょう。

発展は、だれしも、反面的な危険性があるだけに、祈りを持って、決定することも1つの方法だと思われます。

 

何をもってしても、はじめに神様があることを理解しなければ、人間のやることはすべて無意味です。空でしかないからです。

どれだけ、世界が発展しようとそこに、神様を置かなければ、すべて無意味になるのです。人間が、意味があると思い込めても現実は無意味になるのですね。

ですから、祈りによって発展していくこと、そうありたいものですね。

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