思考の変化

宗教は、戦争や犯罪を増やしたのか

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現代の学校宗教団体で教わる進化論的歴史観を心から信じている人たちの中には、宗教が、戦争を起こし、悲劇を沢山作って来たと本気で思っている発言をしたりしますが、事実はまったくそうではありません。

むしろ、神がいないと考えた民族や集団ほど、恐ろしいことをして世の中に大量の犯罪的行為をし続けてきたのです。

ですから、神がいないと考える思想のことを「サタニズム」というのです。

 

サタンである悪魔の思想という意味合いに思えるかもしれませんが、サタニズムという思想は、神や悪魔などはいないという考え方のことなのです。

 

宗教を信じない人ほど、恐ろしいものはありません。その人は、それが当たり前なので、何が問題なんだ?と思うかもしれませんが、深く考えて行けば、宗教を信じず、神を信じないことは、「この世には、正しさなどない」というものにたどり着いてしまい。そこから抜け出せなくなっていくのです。

 

まさに、犯罪者思考であり、自分が神で、その自分の利益が優先なので、善悪は、その時の気分次第、状況次第で、悪さえも行って、自分に被害が起こらないのを基準にして生きるのです。

 

それでも、平和にやてちるだろう?と思うかもしれませんが、その平和は実は宗教によって正しさを固定してそれを宗教ではないと思い込んでいるだけのことなのです。

宗教が、戦争や犯罪を大量に生み出したのではない。その根拠を今回はみていきましょう。

1、宗教を信じない恐ろしさ

人には、正義や愛は、存在していません。

 

ですから、人は、悪を選んで行動できるのです。もし、人間に愛や正義があるのなら、悪を選ぶことなど出来ないのです。

 

現代人の多くの人は、「人を殺す」ということは、悪だと認識していることでしょう。ですが、時代や民族が違えば、決してそれは悪だとは認識されてこなかったのです。

人は、脳に入り込んだ情報によってそれらを認識して、善悪を認識しているだけにすぎないのです。

心や感情といったものも、脳の情報によって、善悪が変わってきます。

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高校野球というものが、日本にはありますが、広島県民は、広島県の学校を応援し、沖縄県民は、沖縄の学校を応援します。同じ日本人なのに、自分と関わりが近いもの、情報が多いものに、人は愛着があると判断してしまうのです。

広島県の学校が負けると広島県民は、落ち込んだ気持ちになりますが、沖縄県民は、落ち込みません。このように、心や感情というものは、人の脳に入り込んだ情報によって、それを増幅させるようなものなのですね。

 

オリンピックでも、日本人選手を応援したくなり、負けると「あー」という声を出してしまうのも、共通点があるという認識、脳の情報から判断しているのです。

 

少し前に、日本の神社を調べていた帰りに、中国人なのか、朝鮮人なのか分からない若い5人組が、コンビニで笑いながら万引きしているところをみました。彼らは、アルバイトの店員がレジにいながら、大きな声で何語なのか分からないように、とても楽しみながら悪さをしているのをみて、ゾっとしました。

彼らは隣にいるわたしも、言葉が通じていないから気づいていないと思っていたのでしょう。わたしは、言葉が分からなかったのですが、雰囲気で変な連中だと思い横目で、観察していたのですが、おかしな行動ばかりをしているわけです。

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日本人であったら信じられない行動ですが、国によっては、盗みや犯罪、人を騙まして、物を手に入れることは、正義になるのです。

 

現代人は、なぜ「人を殺すこと」を悪だと認識しているのでしょうか。

それは、日本の文化や憲法に「人権」が固定されて、それらを信じ込んでいるからです。

 

ですが、何度も言いますが、人は、愛や正義などありません。だから、犯罪が存在しているのです。人は悪であっても、正義だと勘違いできる恐ろしい存在なのですね。

時代が変われば、「人を殺すこと」を正義として、純粋に文化だと脳に情報をいれこみ、人を食べていた民族や集団が存在しました。

 

わたしたち現代人は、聖書の教える「殺してはならない」という教え、「人権」を憲法で学び、それを脳に入れているので、「人を殺すこと」は、悪だと認識できているのです。

中世から人は、聖書の教えの「人権」を手に入れましたが、それまでは、領主や王族・貴族などの支配層の土地に住む人々は、支配者たちの所有物として、取り扱われてきたのです。日本であっても、辻斬りなど、地位が高いとされていたものに斬り殺されるという正義がまかりとおっていました。「人を殺す」ということが、正義にされていたのです。

 

聖書の人権という思想が、世界中に広まったことで、人を殺す正義は、悪だと認識され、人を食べる文化はいまでは、ほとんど消え去ったのです。

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このように、人は、無宗教だと思い込みながらも、宗教の土台の上に安全に生活ができているのです。

 

もし、宗教がなければ、わたしたちは、家族を食べるという生活を今でも送っていたかもしれないのです。

 

サイコパスなどは、病気のように言われていますが、そうではありません。ロボットは、プログラムに「人を殺せ」と打ち込まれれば、善悪関係なく、それを実行していくように、人も脳の情報をそのように入れられたら、それが正義になってしまうのです。

 

ですから、神を信じないとか、宗教を否定する人は、どれほど愚かなのかということです。

 

自分で、平和の安定を破壊する行為であり、自殺しているようなものなのですね。

 

神がいないなどという思い込み、錯覚さえも、心から信じ込み、自分たちは、無価値であるかのように持っていくのは、犯罪者思考と同じなのです。

 

ですが、宗教を信じていたり、神を信じている人たちには、脳に「人を殺してはいけない」という基準、憲法でいう人権を常に入れ込むので、それら犯罪者思考を否定することが出来るのです。

 

人が、どう考える、どう思うなどとは関係なく、この世の現実、事実に基づけば、神がいないわけがないのです。

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人は、事実を無視して、神がいないとか、宗教は悪だという情報を脳に入れ込まれると、それを心から信じ込んでしまうのです。

彼らにとっては、基準がないので、自分が神になり、善悪も、時と場合によって使い分け、犯罪者となんら変わらない位置で生きていることになるのです。

 

日本人は、知らないうちに、聖書の善の認識を脳に入れ込まれているから平和にやれているだけで、それらを否定し、神がいないと信じこめば信じ込むほど、犯罪的な発想で行動していくようになるのです。

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ですから、宗教を信じている人たちは、そういったまやかしに負けないように、事実を踏まえて、力強く、全身全霊で、悪を否定し、善を行っていく強い意思で戦い続けなければ、犯罪者思考の彼らと一緒に、被害を被ることになってしまうのですね。

 

無神論という思想が、サタニズムといわれるのは、そのためなのです。

2、カトリックによって大幅に犯罪は激減した

聖書の正義は、イスラエル人、日本人の祖先がカナンの地(パレスチナ)で、信じていただけでしたが、イエスキリストの十字架刑の贖いが完成されると、ヨーロッパ地域の白人社会にも、聖書の正義は広がって行きました。

それまで、ローマ帝国は、多神教で、多くの正義や文化を認め、宗教の自由を与えていたのですが、人間には、愛や正義がないので、犯罪や反乱なども正義だと認識しているわけですから、犯罪や反乱が多発して、ローマ帝国は、それを鎮圧するために、疲弊していったのです。

 

ローマ帝国は、さまざまな政治手法を行ってきたのですが、いつまでもそれは続いて、まったく平和な世の中にはならなかったのです。

 

そんな時代に、ローマ市民が、キリスト教を信じるようになると、善悪の基準がしっかりとして、人権を認識するようになったのです。

ですから、ローマ帝国は、多神教ではなく、反発が必至の一神教にして、善悪の基準を固定したのです。

 

日本は、日本人でありイスラエル人以外は、すべて聖絶して、原住民を奴隷にさえしなかったので、ほとんど1つの民族で、日本列島は統治されました。なので、聖書の基準、善を善として認識する文化を同じ民族という共通点で、乗り越えてきたのです。

 

ですが、世界の大陸は違います。日本のように、海という国境はなく、あらゆる種類の人々が多種多様に暮らしていたので、言葉も違えば、価値観も違っていたとんでもない世界だったのです。

そこにキリスト教という1つの価値観を打ち込むことによって、犯罪は、悪だという認識が、脳に入り込み、劇的に犯罪や反乱が無くなったのです。

 

 

その効果に驚いて、領主や王族、貴族などが、次々とカトリック信者になっていき、その恩恵にあずかって平和を維持させていったのです。

反乱や裏切り、犯罪を根底から消し去るキリスト教やイスラム教などの一神教は、大陸では多種多様で、過酷な世界だったからこそ、広がり、今では、聖書の人権と同じような宗教以外は、ほとんど存在しなくなっているのですね。

 

現代人は、聖書の恩恵、神を信じる人々たちが作り上げた、「人を殺してはいけない」という価値観、脳のプログラミングを当然のように脳に埋め込まれているので、無宗教や無神論が正義だと錯覚できているだけで、深いところで考えて行けば、それらはまったく通用しないことが分かるのです。

多神教は、その中間に入るものなのです。

 

日本の神道は、多神教的ではありません。実は神道は、一神教的なもので、明治前までは、一神教の考え方で、偶像なども否定した考え方なのです。

ですから、ならぬものは、ならぬと否定する素晴らしい宗教なのです。

 

善を自然な生活の中ではぐくみ、祭りなどをして、神様に目を向け、人の心に基準を持たせていくものなのです。

 

ですが、世界の多神教は恐ろしく、人を食べる正義も教えていました。インドのカーリーもそうですが、多神教は、人間の下に宗教があり、神は下にして、ご都合主義を作り出していくものなのです。そこには、愛や正義は、無く崩壊していくだけなのです。

 

多種多様な考え方があり、過酷な大陸だからこそ、一神教で正義や愛を固定していなければ、今のような平和など手に入らなかったのが現実なのです。

 

これほど素晴らしい貢献をしてきた宗教が、悪であるという錯覚をする人たちがいますが、なぜそうなるのでしょうか。

3、悪魔宗教の存在

会社というものが、悪いのではありません。詐欺のダミー会社が悪いのです。

平和に暮らしている日本人が悪いのではなく、犯罪をする日本人が悪いのです。

 

宗教が悪いのではなく、宗教を利用して、悪をする者が悪いのです。

 

政治と宗教は、切り離せるわけがありません。この世界そのものである神の存在なくして、1つとして、正義など存在しないからです。

神を抜かせば、犯罪者と変わらないレベルに落ちるだけなのです。

なぜなら、人には、愛や正義がないからです。

 

この世界を創り、この世界の法則、事実に基づいているから、神様は善であり、人間の善悪の2次的なものではなく、この世界そのもの、人間の考えは関係のない事実が、1次的な善悪なのです。

 

そこに人間の考えは関係ありません。人間が、どれだけ愛を語ろうと、1次的な生きているという事実、愛があるから、人間の2次的な愛を語れるのです。

 

死人は、愛する人に愛を語ることなどできないのです。

 

狼の襲われようと、犯罪者に襲われようと、家族が殺されようと、生きているから死ぬことが出来るのであって、死んだ者を殺すことなど出来ないのです。

 

生きているという1次的な愛があるから、人は、犯罪者や無神論、悪魔宗教を否定できるのです。

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そして、その1次的な愛や正義を無視して、破壊や虚像を信じ込ませる悪魔宗教が悪を行ってきたのです。

オウムなどの悪魔宗教が、悪いのであって宗教が悪いのではないのです。

 

進化論という宗教や無神論という思想などを悪魔宗教は、植え付けていくと、人は、その情報を脳にインプットされ汚染されると、事実を無視しはじめて、悪の思想さえも、正義だとして口からのろわれた言葉を吐けるようになるのです。

 

進化論の正体。真実と嘘>>

 

悪魔宗教は、大昔から人の脳の錯覚を利用したトリックや詐欺を行い続けてきました。すると、それを脳に植え付けられた人たちは、それを信じ込んで行ったのです。

それを聖書は、大昔から否定し、それらを「偶像」として、存在しないものを信じてはいけないという教えを今でも続けて教えているのです。

偶像とは何なのか>>

 

わたしたちの敵は、神様が創り出したこの世界の事実を無視して、破壊を続ける悪魔宗教なのです。

そして、宗教などを知らないひとたちは、その悪魔宗教が宗教だと思い込むので、宗教が戦争や犯罪を広げているとまた、歪曲された情報で脳を汚染させていくのです。

 

テロリストが、本当にイスラム教徒なら、自分たちがイスラム教徒だと言うわけがありません。なぜわざわざイスラム教を汚すようなことを言うのでしょうか。

人は、大切なものを守ろうとするときは、その大切なものをわざと離しておくものです。自分から出た問題で、大切なものを汚されたくないと考えるからです。

 

ですから、悪をすることに宗教を持ち出す人間は、偽物だということです。本当の宗教家ではなく、悪魔宗教なのです。

 

日本の神道も、国家神道という明治から生まれた思想で、汚されました。神道を利用して、戦争を肯定させようとしたのです。

 

アメリカは、911で、悪の枢軸といって、中東アジアに虐殺を行いました。何も知らないアメリカの兵隊もターゲットで多くのアメリカ人もわざと殺される作戦を建てられ命を失っていきました。

 

現代の世界の支配者は、悪魔宗教です。

 

悪魔宗教は、お金システムを利用して、世界の紙幣発行権利をすべて牛耳るために、アメリカに戦争を起こさせ、発行権利を奪いとり、お金システムでその国のすべてをコントロールしていくのです。

 

教育も、政治も、メディアも、ボランティアも、宗教も、歴史も、医療も、芸術も、警察も法律もすべてです。

 

悪魔は、イエス様に、この世界のすべてをやろうと誘惑してきました。まさにそれと同じ誘惑を続けて、お金が入る安定的なシステムを提供しては、コントロールしていき、脳を汚染させて、進化論というわけのわからない非論理的な宗教まで、信じ込ませていくのです。

 

彼ら悪魔宗教にとっては、善悪など関係ありません。善を使って利益になるのなら、使うだけであって、感動や愛さえも利益のために利用できるのなら利用しているだけなのです。

 

そこには、善悪などありませんし、愛もありません。そして、その教育をそのまま信じて学校宗教団体でこどものころから脳に植え込まれていけば、クリスチャンだって、脳を汚染させていくのです。牧師たちも脳を汚染されたまま牧師になって、説明もできずに、ただのありきたりなメッセージしか出来ない状態にされているわけです。

 

なぜ神学者などが、キリスト教を冒とくするのか>>

 

日本には、自民党や共産党、公明党など色々な政治団体がありますが、これらはすべて1つの勢力が裏にいるのです。国民は、どれを選んでも悪魔宗教を選ぶことになるのです。ただ、選んだような気分にされているだけです。

 

このように、リベラルも、ナショナリズムも善も悪も関係なく、どの団体にも接触を試みて、仲間にしていくのです。

そういった思想の中で、何も知らずに暮らすと、訳の分からない思想になり、キリスト教を個人的に冒とくするような人も出てくるわけですが、彼らの脳は汚染だらけで、突き詰めれば犯罪者と同じ、悪魔宗教の思想なので、多神教的なのです。

 

宗教が、戦争や犯罪を多発しているのではなく、悪魔宗教が戦争や犯罪を宗教を利用して、多発させているのです。

 

カトリックの中にも、悪魔宗教は、スパイのように入り込み、内部を破壊していきました。正しい部分も多かったカトリックでしたが、あまりにもご都合主義すぎる思想になり、意味不明な価値観を広げ始めると、カトリックは崩壊していくことになったのです。

 

もともと、政治的なカトリックは、政治のために宗教を利用していたので、偶像が教会にも置かれて、脳を錯覚させていくのです。

 

悪魔宗教が裏で人間の生活を乱し、破壊を続けてきたのです。それは大昔からのことで、今にはじまったことではありません。

 

なので、孔子や釈迦、江戸幕府なども、人々に論理的な思考を植え付けるために、教えを広げていき、政教分離の思想を人々に教えていったのです。

 

これは、宗教を政治と切り離そうとしたのではなく、論理的な思考を育てて、悪魔宗教の錯覚、トリックを見破るために造られたものなのですね。

 

まさに偶像否定の思想なのです。

 

ですから、宗教が悪いのではなく、悪魔宗教、詐欺師や犯罪者、悪をして、私利私欲で物事を考える人間が悪いのです。

 

 

 

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