思考の変化

宗教は必要ないのか

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日本の現代人は、特殊で宗教を信じていないという人が多いです。

 

ですが、日本人は、世界でも、道徳が発展していて、日本人のその道徳観念は、海外では驚かれたりします。

 

例えば、災害時などの時、海外では、当たり前のように、デパートなどに人が殺到して、略奪していきます。命がかかった救急時には、道徳は無視して、略奪は正しいと考えるからです。

 

ですが、日本人は、3・11原発事故でも、他の大震災が起こった時にも、まったくと言っていいほど、略奪をせずに、支援を待ち続けました。

海外では、この民族性は、驚かれるものだったのです。

 

政治でも、宗教が入り込んでいて、問題を起こしたり、オウム真理教のような宗教が問題を起こしたりして、宗教を信じて思い込みを激しくすれば、問題が増えていくと感じて、宗教などないほうがいいのではないのか?と思えてくるようです。

 

宗教を信じていなくても、世の中まわっているんだからそれでいいだろうと言うわけです。

 

ですが、これらの意見は、実は誤りがあるのです。

 

よーく考えれば、宗教なしで、本当に世の中まわっていくのだろうか?と真理を見つけ出してしまうのです。

 

今回は、宗教は必要ないのかについて、考えていきましょう。

1、宗教を信じていない人は、存在するのか

宗教を信じていない人という人は、存在しています。ですが、それはどういう人かというと、人を殺すことが生きがいだと感じたり、ルールを破ることが大好きだったり、不倫やギャンブルなど、あらゆる悪を道徳を完全に無視して、できるような人です。

 

わたしは、今まで生きてきて、このような人物には、出会ったことがありません。わたしが今まで生きてきて出会った人たちは、この予備軍という人は、確かに沢山いますが、それでも、どこからしら、その人の正義があり、正しいと思って生きている人がいるので、一所懸命働いたり、一所懸命努力したり、悪をいくつかしたとしても、すべて道徳を無視して、生きているなんて人には、出会た事がありません。

 

それは、現代だからそうなのですが、昔は、聖書の価値観「人権」というものが世界の常識になっていなかったので、それらを無視するという一部の人間も存在したのです。今でも存在している可能性はあるかもしれませんが、ほとんど皆無というものでしょう。

 

何かしらの道徳を持って、正しい生き方をしようとしている人は、無宗教ではないのです。日本の神道や仏教など、先代の先祖たち、祖父母たちが、わたしたちの脳の中に、道徳心をマインドコントロールして、いれてくれているおかげで、それを宗教からの教えだと知らずに、暮らしているだけなのです。

 

政治団体も、ミュージシャンにしても、哲学にしても、暴走族やヤクザにしても、これらはすべて宗教なのです。

日本人であること自体が、宗教であるとも言えるのです。

 

デパートで、お金を払わず、カバンの中にいれて家に持ち帰ることは、悪だと認識しているのも、それらを悪だと教えられているからで、小さなこどもが、おもちゃ屋さんで、気に入ったオモチャの車をポケットに平気な顔でいれて、家に持ち帰っても、それが悪いことだと認識できない子もいるのです。

 

わたしは、5歳ぐらいだったと思いますが、親の知り合いの家に招かれて、わたしは親についていきました。その他人の家の冷蔵庫を勝手に開けて、何か飲み物でも探そうとしていたのか、そういう行動に出た時、その家の人から注意されました。勝手に人の家の冷蔵庫を開けてはいけないと教えられたのです。

 

そこで、はじめて、他人の家の冷蔵庫をあけることは、悪だという良いマインドコントロールで脳にいれることが出来たわけです。

 

このように、まわりの人たちや先人から、それは悪だと教えられて、自然と育っているので、それらは悪だと認識できているのです。

 

人を殺すのが趣味だという人は、本当に心から正しいと思っている人もいるというわけです。

 

では、それらの犯罪者たちの正義と無宗教だと宣言している人たちの正義は、どちらが正しいのでしょうか。

 

同じ人間の趣味趣向の言い合いがはじまえるわけですね。

 

人間を基準にしたら、他人の冷蔵庫を開けることも、関係なくなり、犯罪者の正義も正義となってしまうのです。

 

では、それはいけないとなぜ否定するのでしょうか。その人は、宗教を信じているから否定できるのです。無宗教だと宣言しながら、犯罪者を否定しているのは、その人の中に宗教の教えがマインドコントロールされているからなのです。

 

人は、高性能なロボットのようなもので、狼に育てられれば、狼のように振舞って生きるようになるのです。

 

それは正しくないと教えてきたのは、宗教なのです。そして、犯罪を正しいと教えてきたのも、悪魔宗教という宗教なのです。

 

「善」と「悪」という言葉が存在しているように、善をしなさいと正しい宗教が教えるのに対して、悪は正しいと教えてきたのは、悪魔宗教だったのです。

 

そして、現代の日本人は、この両方のハイブリットのような脳のマインドコントロールされている状態なのですね。

 

どちらにしても、宗教を信じていて、善悪の基準をすでに文化や環境などから多くをいれこんでいるのです。

 

宗教は、必要ないと言う人は、無法地帯をあらゆる言葉や感情論で、結局、正当化してしまっているということですね。

これでも、宗教は、無くてもやっていけると思うでしょうか。

 

犯罪者の正義と無宗教家の正義は、同じ人間の趣味趣向でしかないのに、基準などどこに存在しえるのでしょうか。

 

人間を超える神様の正義によって道徳は洗練されてきて、犯罪者が行っているものは、悪側だという認識や文化が広がっているから、今の平和があるのに、それが無くても社会が回っていくなどというのは、不可能なことなのです。

2、宗教は、悪いものなのか

悪い宗教は、確かに存在しています。悪魔宗教などは、まさにそれで、オウム真理教のようなカルト宗教のように、悪い宗教は、あるのです。

 

では、それを理由に、「宗教はないほうがいい」というのは、論理的なのでしょうか。

 

世の中には、「会社」というものがあります。その会社の中には、悪い会社があり、詐欺師たちが作った会社などがあるのですね。ダミー会社などです。

確かにそれらの悪い会社はあるので、「では、会社はないほうがいい」と言ったら、どうでしょうか。

 

言っている意味わかりますね。一部の悪をみたからといって、すべてが悪な訳がありません。宗教は確かに悪いものがありますが、正しい宗教も存在しているのです。それさえも無くしたら、どうなるのかとゾッとします。

 

人間の正しさ、善を正義としようとする概念を宗教が作り出しているのなら、政治に宗教が消えてしまったら、どうなるでしょうか。

 

政治から宗教を切り離すことなどできません。

 

運動したら、心臓が苦しくなるから、心臓なんていらないといって、取り外しができるでしょうか。

 

生きること、正しさの基準を設けている宗教を無くしたら、とんでもないことになります。もちろん、聖書から出てきた憲法もなくなります。人権もなくなります。あなたの上司や社長が、あなたのやったことを気に入らないといって、刀を持ち出して、あなたを斬っても文句はいえません。

 

人権はなく、それがその社長や上司の正義だからです。

 

このような世界がお好きなら、宗教を無くすという意見は、その人の好みであり、趣味趣向であるわけですから、何を言ってもムダです。

 

ですが、斬られるのは嫌だと言う人は、人の上に存在している教えや神を基準にして、悪を否定して、平和を築くしかありません。

人は、なぜ殺してはいけないのか>>

 

完璧な人という人間をみなさんは、見た事があるでしょうか。

残念ながら、わたしは、完璧な人間だという人は見た事がありません。必ず人は、間違い失敗するものだからです。

 

その人間たちの集まりである組織もまた、完璧な組織など存在しません。

 

宗教を信じている人たちは、教えは正しくても、その教えに100%従うことができない不完全な人間の集まりですから、やはり完璧な宗教団体など存在しないのです。

 

その不完全なところをみて、気に入らないのなら、どこに行っても、すべての人間は、不完全ですから、その人は生涯、気に入らない人生を送るしかありません。

 

悪魔宗教であっても、完璧な悪など教えません。善を巧妙に使いこなし、悪を正義だと思わせるように誘導して、信者を増やしていくのです。

 

 

宗教を必要ないと思っている人は、その人の頭の中がそのような思考でお込みこんでいるから、非現実的な発言をしてしまっているだけなのですね。

 

暑いから太陽なんてない方がいいと言っても、太陽なしではわたしたちは生きていけないので、その意見は非現実的な発言なのです。

 

人間自体が、善悪を持っているのですから、どんなに素晴らしく良い物だというものも、悪に変えてしまえるのです。

宗教が悪いのではなく、宗教を利用した悪い人間が悪いのです。

 

音楽が悪いのではなく、音楽を悪いことに利用した悪い人間が悪いのです。

 

 

そして、その善悪の価値観を根底から支えているのが、宗教ですから、これらを無くすことなど不可能でしょう。もし、無くしたら、一度滅んだ、ノアの大洪水の前の時代のようになってしまいます。

 

現代で、それが可能になるかは、わたしには分かりませんが、世界中の憲法に人権が書かれているので、それは難しいのではないでしょうか。

 

 

織田信長などが、政教分離と考えたのも、カルト宗教と政治を分けようとしただけで、宗教を政治から切り離せるわけがないのです。切り離せば切り離すほど、酷い政治が行われていきます。人間の基準で決定していくしか無くなるからですね。

 

 

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