思考の変化

何かに守られていると感じる

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キリスト教や宗教のことは分からないけれど、生きていると何かに守られていると感じる人がいるようです。

 

それが天使なのか、守護霊なのか、分からないけれど、守られているという感覚があるわけです。

 

何か分からないけれど、何かを感じるというものは、実はとても大切なことです。

 

何かに守られていると感じるそれは、一体何なのでしょうか

1、気のせい、思い込みなどで終わらすのはもったいない

何だか分からないけれど、感じるというものを気のせいだとほっとく人が多いと思いますが、それはもったいないことだとわたしは思います。

 

何か違和感を感じる。何かおかしい。何か分かる気がするという瞬間が誰しもが体験しているはずです。

 

それを気の迷いだと思ってすぐに忘れる人もいれば、気のせいだとも考えず、通り過ぎてしまう人もいるでしょう。

 

ですが、その何か分からないものを何だろうと考えることが出来る人もいます。わたしはその何か分からないものは、何だろうと考え続け、答えを見出してほしいと願います。

 

科学の発展や学問の前進を進めるのも、それらの何だろう?という疑問から生まれます。

 

これは、悪い例ですが、わたしは、小学生頃に風邪などを引くと何だか体全体が、マッチ棒のように細く感じて、変な感覚に襲われることがよくありました。そういう場合は、早く治そうと寝ているので、また集中力が増していて、よく感じるわけです。

 

そういう状況に陥った時、部屋の横隅、天井の角あたりに、悪霊のようなものを何度か感じたことがありました。あれは良い物とは言えない、恐ろしいものですね。

 

熱を出して、マッチ棒みたいに体を感じている状態なので、ずっと気のせいだと思っていたのですが、本当に気のせいだったのかと今では思います。

 

わたしの祖母は、仏教とで毎日のように仏壇を拝んで、わたしも大好きだった祖母と一緒に仏壇の前で座って、お経を聞いていたのですが、こどもながらに、その部屋は、あまり好きではありませんでした。

 

偶像という思想さえも知らない4・5歳ぐらいですが、漂う空気がその部屋だけは違っていたのを今でも思い出します。

 

神道系の神社にまわったりするのですが、あまりそういったものは感じませんが、仏教系のお寺などには、そういったものをよく感じます。仏教といっても、日本は大乗仏教が多いですから、上座部仏教のお寺ならあまり感じないかもしれません。

 

何だか違和感を感じるわけですね。こどもの時は、思考して生きていないので、感覚で生きているだけに、みている視点がまったく違います。

 

今は、そういったマッチ棒のようになることは、まったくありません。中学生ぐらいになってからは、無くなった気がします。不思議な感覚で感じることもなくなり、目に見えるものだけを信じるようになっていきました。

 

神も心からいないと信じ込んでいました。

 

今のは悪霊とか、霊系の話でしたが、違和感を感じることには、注意を注ぐのは、昔から変わりません。

 

探求心みたいなものを常に心の中にはあって、「これはどうして、こうなのだろう?」とか、普段からよく考えています。

 

昔は、ほとんど何も考えていませんでしたが、今は考えずにはいられないほど、普段から常に考え続けています。

 

ですから、色々な書物や話の情報を多く集め脳に入れていきました。ほとんどが、どうでもいい情報ばかりでしたが、どうでもいい情報も、真理につながって発生していることにも気づき始めました。

 

例えば、人は嘘をつきますが、心から嘘をつこうとした時は、その嘘には意味があります。冗談でいう嘘は、どうでもいい嘘だとは思いますが、本当の嘘には、その裏に意味が隠されているのです。

 

嘘をつかざる負えない背景があるというわけです。その嘘の言葉は信じないかもしれませんが、その裏の背景は、信じられるものでしょう。

 

善悪関係なくという意味です。

 

その人の思考が、悪魔側、悪に根付いたものであれば、嘘の背景も変わりますが、悪魔側だということは、信じられるわけです。

 

逆に、その嘘をついた人の思考が、神側、善に根付いたものであれば、嘘の背景も変わり、それは信じられるというわけです。

 

そして、悪魔側であれば、それを信じるわけですから、相手をするだけ危険ですから、なるべく距離を置くわけです。

 

わたしの場合は、平気で無神論と公言する人は、恐怖を覚えます。何かしら心で正しさを信じようとしている人は、心にストッパーを持って生活しているので少しは安心できますが、無神論というものは、自分中心の考え方、犯罪者と同じ思考で右にも左にも自由自在に変わるわけですから、こういう人には、いくら笑顔でも、恐怖を感じます。

 

このように、連想ゲームのように、探求していくと、風が吹けば桶屋が儲かるではありませんが、結果に対して、原因を見出すことができていくわけです。

 

そして、何気ない、色々な方の何か感じる、何かに守られているという感覚は、すごい発見かもしれないのです。

 

今は科学や学問が発達している時代で、ほとんどが解明されているかのように思い込んでしまいますが、実はそうではありません。

世の中のことは、ほとんど解明されてはいないのです。

 

この世界の物は、絶妙なバランスで成り立っています。何気なく手に取ったものには、実は言葉が隠されていて、神様のプログラムに沿って、存在しているのです。

 

石などの鉱物も、植物などの生き物も、すべて恐ろしく精密に作られていて、その精密さに、人は追いつけていません。ノーベル賞を受賞した本庶佑教授は、サイエンスやネーチャーなどの9割は、嘘だとハッキリと公言して、すぐに信じないことをもっとうとしているといいます。

 

学校の先生やテレビなどが、簡単にしゃべっていることも、簡単に信じてはいけません。多くは、憶測の域を出ていないものをあたかも、分かっているかのように話しているだけで、そのしゃべっている本人もそれに気づかずに、その宗教、信じているものを心から信じて、口に出していることがほとんどだからです。

 

本当のこと、真実の物というものが、本当に発見されているのなら、それはすでに世に広まっているはずです。

 

例えば、スマホやパソコンなどのプログラミングはまるで呪文のように機械語が並べられていますが、ほとんどの人は、その機械語を理解せずに、パソコンなどを使っているわけです。

 

そのプログラミングの中に嘘が入り込んでいたとしても、気づけないわけですね。

 

例えば、プログラミングの中に、5年経過すると、パソコンのプログラミングが、破壊されていくというプログラミングをされて売られていたとしたら、どうでしょうか。人々は、5年ごとに、パソコンを買い替えなければいけなくなります。

 

そうすれば、パソコンを売る会社は、儲かるわけですね。

 

このように、何をすでにプログラミングされているかは、分からないのです。数年立つと、わざとパソコンが重くなるように作られているかもしれません。

 

現代の人間の寿命は、最長120歳ほどですが、わざと15歳ぐらいまでしか生きれないパソコンにしている可能性もあります。

 

ですが、すべてのプログラミングが嘘などという会社は、やっていけませんね。世の中で確かに多く人が利用されているものは、それは存在しうるものなのです。

 

遺伝子は、すべて解明されたなどという人がたまにいますが、その遺伝子の商品は、普通に並べられているでしょうか。そして、その遺伝子を利用して、わたしたちは、何かを簡単に生み出せているでしょうか。

 

まったくそんな気配はありません。まるでお化けを見たという人や宇宙人を見たという人の数と変わらない、どこかの研究所で、遺伝子組み換えした動物などと広まりますが、ただのうさぎを蛍光色で染めただけかもしれないのです。

 

みなさんの髪形を「今日は、何色にしようかなー」といって、簡単に遺伝子を組み替えて使えているわけもなく、そもそも、遺伝子組み換えなどではなく、2000年も前から行われてきた、品種改良でしかないのです。

 

動物や植物の中にも、奇形で生まれて来るものがいます。わざと奇形同士の遺伝子で子孫を産むようにさせれば、必ず奇形が生まれるように品種改良で調整できてしまうわけです。

 

遺伝子が読めたからといって、それを簡単に切り貼りできるわけがありません。切るためのはさみのようなものも必要ですし、貼り付けるためのノリのようなものも必要になり、切って貼ったものが、安定的に維持できるわけもありません。

 

世の中に出回っているものは、他人が中間で関わっているので、それをすぐに信じてはいけないのですね。

 

もちろん、このエンジェルマップもそうです。

 

ですが、「何か感じる・何か守られているように感じる」といったものは、間に誰かをはさんでいるわけではありませんね。

 

すでにあなたの脳の中に、色々な世の中の情報が入り込んでいるのは、間違いありませんが、それでも、何かを感じるそのものは、あなたと世界とのつながりであり、他人は入り込んでいない、この世界の「気づき」なのです。

 

それをほっとくのは、もったいないと思いませんか。

 

この世界のことは、ほとんど解明されていない誰もまだ滑っていない新雪の状態なわけです。そこにあなたが最初にスキーの板で跡をつけていくように、誰も気づいていないものかもしれないのです。

 

神様は、まだまだ人間に気づかせていない法則を持って、世界を動かしているはずです。

 

それを気のせいや思い込みだけで、終わらすのは、もったいないです。

 

本当にそれが気のせいであり、今まで生きてきた中で、外部情報が脳にいれられて、勘違いしていることが分かったとしたら、それが気のせいだということが、分かった正解なのです。

 

 

2、現実をみれば、守られていることは疑いようのない事実

みなさんの家が、何工法で建てられているのかは分かりませんが、雨風を防ぐプライベートな土地を持っているのは、その土地が存在しているからです。

 

意味わかるでしょうか。

 

その土地がはじめからなければ、その土地には住めないのです。

 

木やコンクリートで建てられた家も、木や鉱物がこの世になければ、建てられないのです。

 

人間が、家を建てる以前に、すでに存在しているからこそ、人間は、それを利用できるのです。

 

衝撃映像!みたいな番組がありますが、あと一歩でも、前にいたら、死んでいたという衝撃映像などがあります。それを体験した人は、恐怖ですし、あと一歩どころか、そのまま死んでしまうひとも現実にはいるわけです。

 

そのまま死んでしまった人は、不幸で、その不幸をなげいて泣きますが、なぜ泣くのでしょうか。

 

何か不幸が起こったら、人は、心が重くなり、落ち込んだりしますが、なぜ落ち込むのでしょうか。

 

それは、その人が生きているからです。

 

死んでいる人の体は、動きませんし、腐敗していくだけです。悲しむことも泣くこともできません。恐怖をしたり、不幸を体験できるということは、生きている証拠なのですね。

 

守られ続けているから、危険を味わうことができているのです。

 

生まれていない人は、恐怖すら感じることはできないのです。

 

この地球があって、はじめてわたしたちは、喜びも悲しみも、愛も恋も味わうことが出来ているのです。

 

結局、人間のやっていることは、二次的なことだということです。一時的な事実。それらが、わたしたちを守り続けてくれて、二次的なものを作り出しているというわけです。

 

神の愛とは>>

 

世界は、もの凄く美しくまるで天国のような環境でわたしたは生き続けています。その環境に生きていても呪われた言葉で世を呪う人もいますが、そのような感情論は横に置けば、世界は素晴らしいことは事実であり、誰にも否定できません。

 

スズメは、なぜスズメの形をしているのでしょうか。みかけたら、それがスズメだとすぐに見分けることができるのは、なぜでしょうか。

 

それは種類に従って、この世界は作られている証拠です。

 

スズメなのか、カラスなのか、ダチョウなのか分からないものが、ほとんどで種類で分けられないように、世の中が出来ていたら、この世界は、「偶然」と言えるかもしれません。しかし、この世界のものは、種類に従ってその種類に似て、子孫を残していっているのです。

 

これほど、確実に世界をまわしてしまっている存在、それが、「全知全能の神」といわれる存在なのです。

 

神様がいないなどという人がいますが、現実をみれば、本当はそんなこと恥ずかしくて言えません。眼があっても見えていない。耳があっても聴こえていない。口があっても言えないようになってしまっているのです。

 

全知全能の神様が確実にいる証拠>>

 

この素晴らしい世界が存在していることを否定するという変な人には、通じませんが、この世界は実際に存在しています。この世界が実際に存在しているのなら、神様がいることも確実なことなのです。

 

では、神様がいるのですから、みなさんを守っているものは、地球という環境だけではないかもしれません。聖書には書かれてはいませんが、天使がひとりひとりについて守っているという人もいます。

 

まだ、人間が発見していない、不思議だと感じる法則があるかもしれません。

トライアングルパワー>>

 

何か分からないけれど、それを探求したいというものは、是非考え続けてください。その中には、世の中の生活を劇的に向上させたものもあるからです。

電気という存在を理解して、それを利用できるようにしたように、未来では当たり前のように使われ、劇的に変えてしまう発見になるかもしれません。

 

ですが、注意したいのは、神様がいるということは、悪魔もいるかもしれないということも、理解しましょう。

 

わたしの意見は、どうでもいいのですが、わたしはいると思っています。

 

あなたの発見を悪側が利用してしまうのは、それはしょうがありません。ですが、あなた自身が、悪側に心を持っていかれてはいけません。

酒は飲んでも呑まれるなというように、悪は利用できても、呑まれてはいけません。

 

発見されたものや発明されたものを悪用する犯罪者は、当然います。どれだけ良いものでも、悪人は、それを悪に利用するからです。

愛を使って結婚詐欺をする人もいれば、笑顔を使って人を騙す人もいるのです。

 

アインシュタインは、原爆が日本に落とされたことにショックを受けたといいますが、悪い意味でショックを受けないようになったらお終いです。

 

 

わたしたちは、どんな悪をみても、どんな不幸が来ても、守られ続けていることは、誰にも否定できないということを理解しましょう。

そして、その何かを探求して、分かったら分かち合っていってほしいですね。

 

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