世界の法則

キリスト教と他の宗教の違い

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キリスト教を知らない方は、他の宗教とキリスト教は何が違うのだろうと思うでしょう。

よく言われるのは、キリスト教は宗教ではないという言葉です。

 

多くの宗教は、人間の意思によって作り出されていくのですが、それが通用していない不思議な宗教は一神教なのです。

一神教の中でも聖書の神は、その存在を証明されたことで、人が認めて広がっていったのです。

 

それまでは、宗教や神という存在は、人が利用したり、作り出すというものがほとんどだっただけに、文化や経済、他国との貿易や文化を認め合うために、多神教になりがちでした。しかし、事実は変えることができないのです。

 

圧倒的に他の宗教とは違うのが、キリスト教なのです。

1、預言の力

聖書が他の宗教とまったく異なっているところは、預言というものが存在していることです。

聖書という固定された書物なのに、未来を言い当ててしまうという事実が、人々を変えていきました。

当たり前ですが、人は未来を知ることはできません。解ったとしても1秒や数秒ほどの未来しか予想はできません。

 

それを聖書は、数百年や数千年単位の未来を的確に言い当ててきたのです。

 

これこそ本当の神様で、人には出来ないことです。

 

聖書は大きく分けて2つにわかれています。1つは旧約聖書。そして、もう1つは新約聖書です。

 

そのどちらにも預言は存在し、書かれているのですが、その旧約聖書には、イスラエル人の未来がすでに書かれていたのです。

 

それがバビロン捕囚という歴史でも有名なイスラエル人の苦役です。

この出来事を的確に旧約聖書には、書かれていたことを発見したイスラエル人は、多神教へと流れていた文化からまたモーセやアブラハムの一神教へと引き戻し、他の宗教では考えられないほどの熱心な信仰心のある宗教ユダヤ教を成立させていくのです。モーセなどの一神教の復古運動が、ユダヤ教なのですね。

 

なぜ、ユダヤ教はこれほど熱心な宗教なのでしょうか。

 

それは、固定されてしまっている書物に自分たちの未来が書かれていたことへの驚きだったからです。

モーセの時代から何百年もたってしまうと同じイスラエル人であっても先人たちが体験していた文化さえも変えてしまうのです。まわりの国の文化や貿易を行おうとすると多神教はとても使いやすいのです。

 

人が神を都合よく利用して、宗教を人の下に置くことをしてきたのですが、そのために苦役にあったことを理解したイスラエル人は、人の上に聖書。人の上に神。人の上に宗教を置くという一神教を復古させていくのです。

 

 

2、イエスキリスト

ユダヤ教を信じるユダヤ人たちの信仰心はとても熱心で強いものでした。その信仰心はいきすぎるほどだったので、そのユダヤ教を教える司祭ラビのいうことと違うことを言い出した人間は、大きな石をぶつけられ殺されてしまうということさえもありました。

 

そんな時代に現れたのが、イエスキリストです。

 

みなさんは、この世界に救世主伝説があることを知っていたでしょうか。

 

それは一神教だけの話ではありません。仏教でも、神道でも、ギリシャ神話やエジプト神話、マヤや儒教に至っても、あらゆる宗教が救世主伝説があり、あらゆる宗教は、実は共通点が多いのです。

 

処女が救世主を生み世界を平和にするという伝説は世界中にあるのです。

そして、それを証明してしまったのが、唯一の人物イエスキリストなのです。

 

このイエスキリストを表す神といわれているものは、世界中にあります。神道で言えば天照大神です。仏教では、大日如来や毘沙門天、ギリシャではアテナなどです。あらゆる女神と一致して、表されているのです。仏教の大乗仏教は、キリスト教の影響がとても大きいものなのですね。

 

イエスキリストはどのように救世主だったのかを証明したのでしょうか。

 

それは、熱心すぎるほどのユダヤ教が大切にしていた旧約聖書によって証明したのです。

 

旧約聖書には、300カ所を超える救世主の預言が書かれていました。それらの預言を読んで当時のユダヤ人たちは、ダビデ王のように力強い王様を待ち望んでいました。ローマ帝国を倒し、世界の王様になって、ユダヤ人の世界にして、世界を平和にしてくれるといった預言の解釈があったのです。

 

しかし、イエスキリストはその真逆でした。争いをまったく好まず、自分が十字架刑に追い込まれても無言でその十字架刑を受けられたのです。

 

しかし、これこそが、旧約聖書の預言通りの救いだったのです。

 

人はいつの時代も悪や罪との戦いをしてきました。悔い改めの心を持つのは、普通の人にはあるように、自分の間違いや罪を悔やむのです。

ですが、その罪は何をしても消えることはありません。修行などをして、なんとか新しい罪をしないように訓練したとしても、100%罪をせずに間違いもせずに生きられる人はいませんし、過去におかしてしまった罪は消すことはできません。

 

それらの罪を動物たちの血を身代わりにしてきたのが、ユダヤ教や世界中の宗教でした。

悪魔的な宗教は、人間やこどもたちを身代わりにしていた宗教もありました。

 

このように人の罪という概念は、世界中にあり、この罪との戦いをしてきたということです。

 

そして、イエスキリストは固定された旧約聖書の預言通りの人生を送り、ダビデの家系に生まれ、預言通り、わざと十字架刑にかかられたのです。

 

動物ではなく、イエスキリスト本人が、すべての人間の身代わりとなって罪を背負い死なれたのです。

 

そのために、人は罪からゆるされるようになり、ゆるしと愛によって、前に進むことが出来るようになったのです。

 

世界はキリスト教の救いの教え「福音」が延べ伝えられ続けることで、平和を勝ち取っていきました。

 

固定された善悪がなかった時代は、人が人を食べるという恐ろしい文化が世界中に存在していたのですが、それらの文化は悪であるという価値観が固定されると、現代人が当たり前のように認識している「人権」を手に入れるに至るのです。

 

この人権がない時代までは、人には人権はありませんでした。他の動物とおなじように、支配者たちの都合のいい解釈で善悪が決定されていたのです。

 

多くの宗教は、これら支配者の都合のいい解釈ができる多神教で、人々をコントロールしてきたのですが、キリスト教は、固定された「聖書」というものを基準にしているだけに、支配者さえも聖書の教えから反すると裁かれるようになりました。

 

これにより一般の民にも人権が与えられ、「憲法」が存在するようになったのです。

 

現在、犯罪者たちは、サイコパスといった病気のように言われていますが、実際は人は、そのように育てられれば、そのようにふるまうようになる恐ろしい存在なのです。ですから、本当の神様が預言によって証明した聖書を基準にすることで、人の上に聖書を置き、人の上に神様を置いて、神様を基準に考えた善悪を獲得し、平和が固定できるようになったのです。

日本人で、現代人ならほとんどの人が、キリスト教の固定された基準によって今の平和な生活ができているということは、誰にも否定できないのです。

 

キリスト教が素晴らしいのは、あらゆる科学や発見をもたらしたことです。今現代が科学によって発展しているのは、神を信じる科学者たちによる恩恵でした。その科学者たちも、はじめから存在している神様が造られた世界の法則を発見しただけです。

神を信じる人たちは、神を信じているゆえに、この世界には法則があると信じました。ですが、神を信じない科学者たちは、この世界には法則などないと信じ込みました。ですが、結果は明らかです。

 

法則によって飛行機は空を飛び、法則によってパソコンは作られ、法則によって地球はまわっているのです。

 

これほど素晴らしい世界、ありえないほどバランスが取れているこの世界を作ったのは、全知全能という神様がいる証明なのです。

 

人が宗教や神を下にして、信じ込むのではなく、事実を認めて人が神や宗教の下にいることを認識する。それがキリスト教であり、一神教なのです。

 

そして、すべての世界の答えであり、預言を証明したイエスキリストを信じる宗教。それがキリスト教なのです。

 

では、すべてのキリスト教が正しいのかといえば、そうではありません。キリスト教のフリをして、実は中身がキリスト教ではない宗教が大量に存在してしまっているのです。

 

聖書を人の上に置くはずの宗教なのに、その聖書を人の下において、利用する詐欺の宗教をしている偽物ももちろんあるので、一般人は、混乱するわけです。

 

トランプ大統領が、聖書に手を置いて大統領に任命され、彼が神様の名をあげて、正義を語りましたが、それを聞いていたアメリカ人たちは、まったく反応していませんでした。それは、アメリカの政治家たちは、聖書に従うのではなく、聖書を利用するものたちばかりだと知っているからです。

 

このように、人によって私利私欲に走って、聖書を利用するものもいれば、禁欲主義で誠実に聖書に従う者もいるわけですね。

 

前者ばかりになれば、イスラエル人たちが味わった苦役と同じ結果になります。アメリカのほとんどの国民が苦しんでいるのも、本来のキリスト教から離れてしまっているからなのですね。

 

すべての宗教を回復させ、最初の教えに戻すという復古させるべきも、それがキリスト教なのですね。

すべての人は、アダムとエバ、イザナギイザナミの子孫であり、1つなので、わざわざ違う神々を作って自分勝手に別の空想小説のような物語を作ることが、世の中を混乱させてしまうのです。もともと人間は1つであり、みな家族なのだから、争う必要はない。別にする必要はないというものが、キリスト教なのです。

 

ですから黒人であってもインディアンにしても、キリスト教を信じているのです。

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