聖書

聖書に出てくる蛇の姿 レビヤタンとは

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わたしたちは、現代の当たり前を基準にして聖書を読んでしまうので、聖書に書かれていることが不思議に思えてしまいますが、実際に、巨大な恐竜という生き物がいたことを否定する人はそれほどいないでしょう。

現代では存在していない恐竜ですが、過去にはいたことは、認める人は多いです。

あれだけ巨大な生き物たちが沢山いた世界が、現代と同じ環境だと考えるほうがおかしいわけです。

 

聖書には、エデンの園でアダムとエバをそそのかした蛇のことが書かれています。

 

この蛇の人格といいますか、性質は悪であることは分かりますが、その蛇はどのような姿をしていたのでしょうか。

この問題も今では謎だらけで、憶測の域をでないのですが、みていきましょう。

1、エデンの蛇の姿

日本人に蛇という言葉のイメージをすると、1mぐらいの蛇をイメージするのではないでしょうか。

ですが、世界には、大蛇という大きな蛇、それこそ7mとか、8mといった蛇まで未だに存在しています。

 

恐竜がいた時代は、現代とはまったく違う環境だっただけに、それらの大蛇は、どれほど大きな存在だったでしょうか。

創世記の時代の人たちは、どうして長寿なのか>>

アダムたちが3・4mほどだったとしたら、その時代の大蛇は、20m級もしくはそれ以上だったかもしれません。長さだけではなく太さも2・3倍だったとしたら、化け物にしかみえなかったかもしれません。

 

ですが、聖書では、現代の蛇の形、細長くて手足が無いような形になったのは、人を惑わした後からだと解釈もできます。

それ以前の蛇は、どのような姿をしていたのでしょうか。

 

よく勘違いされやすいのは、蛇は悪魔的なものだと考えることです。ですが、蛇自体は、決して悪いものではなく、神様が造られたもので、その蛇に入り込んだ悪魔が悪い存在だったのです。

その悪魔と人間の選んだ悪、そして罪が世界に驚異をもたらすようになってしまい、神様は試練として、素晴らしい世界だったものを呪われるものも許可されるようになりました。悪をすれば悪が帰って来るようにしなければ、人は悪を続けてしまうからです。

 

いいかえれば、人の罪によって動物や植物、生き物なども呪われるものへと変わってしまったというわけです。

 

では、それ以前の蛇の姿は、どのようなものだったのか、色々なイメージを持ってしまいます。

 

わたしは、この蛇は、恐竜の中の1つの生き物だったのではないかと思うのです。

 

恐竜がいることは分かっています。現代人が恐竜をみたらあきらかに化け物にしかみえないでしょう。大きすぎる生き物だからです。

わたしは生きているバッファローを自然界でみたことがありますが、バッファローを見たとき、化け物のようにみえました。首がない生き物のようにみえるほど、大きく強そうにみえました。バッファローでさえそれなら恐竜をみたらどう感じるのだろうと思えます。

 

その恐竜の中でも、長細い生き物が、蛇だったのではないでしょうか。

 

蛇には、手足はないのですが、足のような手のようなものがあるという人もいます。

 

これはその時のなごりなのでしょうか。これもまた憶測の域をでません。

 

聖書には、ヨブ記やイザヤ書で、レビヤタンという生き物のことが書かれています。これをエデンの園の蛇だと解釈する人もいます。

レビヤタンは、ヘブライ語ですが、ラテン語でレビヤタンは、リヴァイアサンといいます。リヴァイアサンと聞くとイメージしやすい人もいるかもしれません。

このレビヤタンが、蛇であり、今の蛇のような長いものになる前の蛇の姿だったのかもしれません。

 

これを違う言い方では、ドラゴンと表す人もいるわけです。この世に悪の情報プログラミングを持ち込んだ存在、悪魔であり、サタンとも呼ばれ、ドラゴンといわれて、黙示録でも恐ろしい悪側の存在として書かれています。

 

レビヤタンは、ワニとも訳されていますが、正確には、ワニのようなものと解釈もできます。新改訳では、レビヤタンと訳されています。

そのレビヤタンは、聖書には、こう書かれています。

ヨブ記41章

1あなたはつり針で/わにをつり出すことができるか。糸でその舌を押えることができるか。 2あなたは葦のなわをその鼻に通すことができるか。つり針でそのあごを突き通すことができるか。 3これはしきりに、あなたに願い求めるであろうか。柔らかな言葉をあなたに語るであろうか。 4これはあなたと契約を結ぶであろうか。あなたはこれを取って、ながくあなたのしもべと/することができるであろうか。 5あなたは鳥と戯れるようにこれと戯れ、/またあなたのおとめたちのために、/これをつないでおくことができるであろうか。 6商人の仲間はこれを商品として、/小売商人の間に分けるであろうか。 7あなたは、もりでその皮を満たし、/やすでその頭を突き通すことができるか。 8あなたの手をこれの上に置け、/あなたは戦いを思い出して、/再びこれをしないであろう。 9見よ、その望みはむなしくなり、/これを見てすら倒れる。 10あえてこれを激する勇気のある者はひとりもない。それで、だれがわたしの前に立つことができるか。 11だれが先にわたしに与えたので、/わたしはこれに報いるのか。天が下にあるものは、ことごとくわたしのものだ。 12わたしはこれが全身と、その著しい力と、/その美しい構造について/黙っていることはできない。 13だれがその上着をはぐことができるか。だれがその二重のよろいの間に/はいることができるか。 14だれがその顔の戸を開くことができるか。そのまわりの歯は恐ろしい。 15その背は盾の列でできていて、/その堅く閉じたさまは密封したように、 16相互に密接して、/風もその間に、はいることができず、 17互に相連なり、/固く着いて離すことができない。 18これが、くしゃみすれば光を発し、/その目はあけぼののまぶたに似ている。 19その口からは、たいまつが燃えいで、/火花をいだす。 20その鼻の穴からは煙が出てきて、/さながら煮え立つなべの水煙のごとく、/燃える葦の煙のようだ。 21その息は炭火をおこし、/その口からは炎が出る。 22その首には力が宿っていて、/恐ろしさが、その前に踊っている。 23その肉片は密接に相連なり、/固く身に着いて動かすことができない。 24その心臓は石のように堅く、/うすの下石のように堅い。 25その身を起すときは勇士も恐れ、/その衝撃によってあわて惑う。 26つるぎがこれを撃っても、きかない、/やりも、矢も、もりも用をなさない。 27これは鉄を見ること、わらのように、/青銅を見ること朽ち木のようである。 28弓矢もこれを逃がすことができない。石投げの石もこれには、わらくずとなる。 29こん棒もわらくずのようにみなされ、/投げやりの響きを、これはあざ笑う。 30その下腹は鋭いかわらのかけらのようで、/麦こき板のようにその身を泥の上に伸ばす。 31これは淵をかなえのように沸きかえらせ、/海を香油のなべのようにする。 32これは自分のあとに光る道を残し、/淵をしらがのように思わせる。 33地の上にはこれと並ぶものなく、/これは恐れのない者に造られた。 34これはすべての高き者をさげすみ、/すべての誇り高ぶる者の王である」。

すべての誇り高ぶる者の王であり、口から火をはくような恐ろしい存在、まるでドラゴンですね。

リヴァイアサンというと色々なイメージがありますが、ヨーロッパでは、蛇のように長い海に出てくる生き物として描かれています。

 

映画などでは、ドラゴンという生き物がよく登場してきますが、そのドラゴンは、恐竜に羽が生えたようなイメージのキャラクターが出てきます。

 

レビヤタンであり、エデンの園に出てきた最初の蛇の姿は、どちらなのでしょうか。

 

聖書の書かれている情報だけを取り出せば、

顔は、ワニ

体は硬いウロコ

心臓は石のよう

形は、長いもの

 

などといったものになります。これに一番近いのは、神道などの神社におかれている。龍ではないでしょうか。神社のドラゴンです。

日本昔話に出てくる、こどもが乗っている龍の姿。あれが聖書に書かれているレビヤタンの姿に近いのかもしれません。

顔はワニのようで、長細く、手のようなものがあり、体はウロコのようです。

 

恐竜の種類の中に、レビヤタンという神社にある龍のようなものがいて、その龍に、悪魔が入り込み、言葉をしゃべって、アダムとエバをそそのかした。

 

その後、神様が、人間のために試練や苦難を用意されて、龍はのろわれた姿のようにされてしまったというわけです。

 

長細くて、風変りな生き物、蛇ですね。

もともと、恐竜も蛇も、悪いものではありません。モーセが持っていたアーロンの杖も蛇にかわりました。悪意を持って蛇を使うのは、悪魔宗教ですが、良い意味で蛇を使うのは、悪いことではありません。蛇自体は、悪いものではないということですね。その蛇を利用した悪魔が悪いのです。

白い蛇は、脱皮をして新しいものへと変わるというイエスキリストの復活を表していると考え方もあり、白い蛇は、神社などでも神といった伝承がされてもいるのです。

ここがややこしいところで、悪魔宗教があらゆる神様が造られた世界のものを悪いことに使うので、頭が混乱してしまいますが、すべてのものは、神様が造られた素晴らしいものなのです。悪魔も今は自由にされていますが、それは一時のことでしかありません。悪魔は、人間への試練や苦難のために、一時ゆるされているだけで、かれらが最後にいくところは、ハデスという苦しいだけの世界です。

神様からもらった自由意思で、作り主を否定したのなら、その人の意思で、ハデスに行くことになるのです。

 

この世の中のほとんどは、素晴らしいということを踏まえていなければ、悪魔側に持っていかれるので気を付けたいですね。

日本人の中にも、犯罪者がいますが、犯罪者は、100人いたら、1%もいないぐらいの存在です。ほとんどの人は、自分は正しい者だと信じたいと思って生きていて、悪をしたいと考える人は、それほど多くはないという事実を持っておくことです。

すべて悪だという人などわたしはひとりも見た事がありませんからね。苦手な人、嫌いなタイプという人はいても、すべて嫌いという人は出会ったことはありません。肉食動物が捕食しているところばかりをテレビでは流しますが、肉食動物などは1週間に1回だけしか捕食しないのが現実なのです。その他の時価は、猫や犬と同じように、平和に生きようとしているのですね。

 

エデンに出てきた蛇を現代の蛇のイメージでみると、なぜエバは誘導されたのかと思ってしまいますが、巨大な龍が善悪の木の実の前で、話しかけてきたと思うと、その龍の言葉に耳を傾けてしまったのも、少しは分かる気がしますね。インパクトありすぎます。

 

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