思考の変化

ウィルスや細菌は、なぜ存在しているのか

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ウィルスや細菌は、病気を引き起こしたり、食中毒などを発生させたりします。

このようなウィルスや細菌などをどうして、神様は作られたのでしょうか。

 

ウィルスや細菌は、なぜ存在しているのでしょうか。

 

正直いってその答えは分かりません。なぜなら、ウィルスや細菌などはまだまだ解明されていないものなので、憶測としてしか言えないのです。

ですが、これらのウィルスや細菌などは、聖書は大昔から人々に教え注意を促してきました。

 

聖書の驚くべき現実の世界との一致の1つだとも言われています。

ウィルスや細菌は、どうして存在しているのでしょうか。

1、聖書の教える微生物への処理方法

まず、科学と宗教を相反するものだと考える人が多い現代人ですから伝えなければいけないのは、現代の科学を発展させたのは、宗教です。

神を信じる人たちは、この世には法則があると信じました。神を信じない人たちは、この世には法則がないと信じました。

結果は、ご覧の通り、この世界は、あまりにも秩序だって規則正しく法則が作り上げられているので、飛行機も空を飛び、車は走っているのです。

法則がないと信じた人たちが間違っていたのですね。

 

偉大な発明をした9割は、神を信じる科学者たちでした。

 

人は、何を言い合っても、自分がみたいものだけをみようとして、話しを歪曲させていってしまいますから、神がいる、神がいないと言い合っても答えはでません。ですから、人が関係ない現実のもの、現実にそうなっているものをみれば、神の存在がいないというおかしな考え方にはなりえません。

 

微生物もまた神の存在を証明する1つです。微生物は、とても小さなミクロの生き物ですが、その性能は、素晴らしく高いもので、小さいにもかかわらず、あらゆる動きをして、無機物のような単純な作りではないことが、おかしな発想でなければ、誰にでもわかることです。

 

どうして、このような小さなものにまで、高性能な機能が存在してしまっているのでしょうか。研究者たちは、現実をまのあたりにすると、神の存在を無視することは出来なくなってしまうのです。

 

どれだけ頭の中で、神を否定しようと信じ込んでも、現実にみえている小さなものは、それ個体で微生物として動き存在しているからです。

 

このような複雑な情報をミクロ単位の世界でさえも維持している現実が、「偶然」などと考える人は、どうかしていますね。

全知全能の神様が確実に存在している証拠>>

「テレビは自然に、偶然できた」と豪語している人がいたら、みなさんはどう思うでしょうか。

 

テレビは、人間が設計図通りに大量生産して、作り出されているのに、人間の手を使わずに、偶然できたといっている人がいたら、おかしな人だと思うでしょう。

 

ですが、そのテレビなどとは比較にならないほど、微生物は高性能なのです。なぜなら、人はテレビは作れても、微生物は作れないからです。

 

テレビよりも複雑難解なものが、偶然育ったということを信じ込む人がいるわけですが、わたしにはそんなお伽話は、信じ込めません。

 

この世界は、ありとあらゆるもの、生き物が、秩序だって存在し、絶妙なバランスで保たれているのです。1羽の鳥でさえも、神様は生きられるように、常に守られ続けているのですね。

 

そして、聖書は、この微生物であっても、大昔から適切な対処方法を教えている驚異的な書物なのです。

 

聖書には、微生物のようなものは、2種類あると教えています。

 

「のろわれたもの」「汚れたもの」として表現されています。

 

例えば、遺体の処理にしても、聖書は遺体を燃やすだけではなく、その後、遺体を運んだものの衣服なども燃やし、手を洗うようにして、塩で清めたりもする教えがされていて、現代でも完璧な教えがすでに書かれているのです。

 

3000年以上前からこのような適切な処理を教えている聖書は、驚異的な書物です。

 

ヨシュア記7章25節

そしてヨシュアは言った、「なぜあなたはわれわれを悩ましたのか。主は、きょう、あなたを悩まされるであろう」。やがてすべてのイスラエルびとは石で彼を撃ち殺し、また彼の家族をも石で撃ち殺し、火をもって焼いた

 

レビ記13章55ー57節

そしてそのかびを洗った後、祭司はそれを見て、もしかびの色が変らなければ、かびが広がらなくても、それは汚れた物である。それが表にあっても裏にあっても腐れであるから、それを火で焼かなければならない。しかし、祭司がこれを見て、それを洗った後に、かびの色が薄らいだならば、その衣服、あるいは皮、あるいは縦糸、あるいは横糸から、それを切り取らなければならない。しかし、なおその衣服、あるいは縦糸、あるいは横糸、あるいはすべて皮で作った物にそれが現れれば、それは再発したのである。そのかびのある物を火で焼かなければならない。

 

レビ記13章には、このような微生物などの処理、ウィルスや細菌といったものの処理が事細かく教えられています。

 

その他、ブタを食べてはいけないことやのろわれた動物を食べてはいけないことなどもかかれていのですが、これらにも意味があることが現代では分かっているのです。

例えば、ブタは、綺麗好きだと言われていますが、そのブタは、あらゆる細菌やウィルスを体に宿していても生き延びることができる生き物なのです。ブタには、多くの細菌を体に蓄えることができる作りになっているのですね。

 

ですから、ブタ肉は、しっかりと焼かなければ、いけないと現代人なら知っていることも、聖書は教えていたのです。

釈迦は、豚肉を食べて死んでしまいましたが、インドでも、ブタを食べてはいけないという教えがされていたのです。

 

それらの理由を昔の人は理解できなかったのですが、病気などになる確率が高いことでも分かっていたことでしょう。釈迦は学者だったので、試してしまったのか、それとも聖書を証明しようとしたのか、定かではありませんが、聖書は、細菌のことなども的確に書かれているというわけです。

 

2、ウィルスや細菌は悪いものなのか

ウィルスや細菌は、悪いものだというイメージがあるかもしれませんが、すべてのものが悪いというわけではありません。

 

例えば、生き物の腸の中には、微生物が大量に住んでいます。わたしたち人間も同じで、食べ物を食べる時に、必要なのはこの腸の細菌たちなのです。これら良い細菌たちが、腸の中で、食べ物を分解して、それを栄養にしてくれているのです。

 

そうでなければ、わたしたちは、野菜を食べても野菜の栄養を体の中に入れることが出来ず生きていけないのですね。その他の食べ物も、この細菌のおかげで、人間のエネルギーとなり、人は生きていけているのです。

 

よく食中毒が出たとニュースなどで取りただされたりしますが、そのような食中毒なるようなお店は、どのようなところなのかみなさんには、知っているでしょうか。

 

それは、お店をとても綺麗にして、微生物1つ残さないようにするようなお店なのです。

 

あらゆる洗剤や石鹸などで、綺麗にしすぎている場所ほど、食中毒になりやすいのです。

 

逆に、こぎたないお店ほど、食中毒は発生しないのです。

 

なぜこのようなことが起こるのでしょうか。それは、洗剤などは微生物を処理しすぎるからです。

 

悪い細菌も倒すかもしれませんが、良い細菌までも倒してしまうと、悪い細菌が特化して、広がりやすくなってしまうようです。

 

アトピーになってしまったこどもを治そうとするのなら、薬などを使ってはいけません。薬を使えば使うほど、悪い微生物は、強くなっていき、さらにアトピーがひどくなります。こういったこどもには、逆にペットなどを飼って、微生物を体にいれてあげることがアトピーなどを治す方法なのですね。

 

綺麗好きな人ほど病気しがちで、大雑把な人ほど病気になりにくいのは、もともと鍛えられているからだということです。

 

野生の動物は病気をしません。ですが、綺麗に生活しはじめた人間は、病気をすぐにしてしまいます。もし、強い体を作りたい、こどもの体を強くしたいと思うのなら、自然界で遊ばせ、服も汚れるほど遊ぶことです。

 

体を洗うのも、石鹸やシャンプーなどは必要ありません。水だけで十分綺麗になります。歯磨き粉なども不必要です。歯磨き粉を使えば使うほど、虫歯になります。

 

もちろん、普通の生活が出来る体を持った人はということです。神様からもらった設計図が欠落してしまっている人は、これに当てはまらない場合があるので、注意が必要ですが、そういう人は、稀なので、稀なケースは、稀な対処法が必要になるはずです。

 

今の人間は、最初に神様が与えた完璧な設計図どおりの体をしていません。100人いれば100通りのどこかの欠落があります。その欠落が顕著に見えてしまう人が稀だというだけです。

 

このように、微生物が悪いものではなく、そのほとんどは良いものなのですが、悪い微生物、のこわれたものが、存在しているので、注意が必要なのですね。

 

ですが、この悪いものも、すべて悪いというわけではありません。この微生物やウィルスの悪いものは、なぜ存在しているのでしょうか。

3、死なないものが、普通であるという考え方

わたしたちは、なぜ死んでしまうのでしょうか。怪我をして、肉の一部が削られてしまっても、人の体は不思議とそこは、かさぶたになって回復してしまいます。これを当たり前だと思うかもしれませんが、これは当たり前ではありません。

 

石を削ったら、その石は、また同じ形に戻るでしょうか。

戻りませんね。

 

むしろ、そちらのほうが自然だと言えます。ですが生き物は、凄い能力を持っていて、無くした一部分の体をまた再生してしまうという恐ろしい現実があるのです。

 

コップを割ってしまったら、捨てると思いますが、もし、そのコップが自己修復する機能があれば、捨てる必要もなくなります。

 

生き物は、まさにそうなっている高性能な機能を持っているのです。

 

ものを食べてエネルギーにすれば、細胞はまた復活し、増えていくのです。

 

おさむ君という赤ちゃんが、大人になったとします。そのおさむ君は、赤ちゃんの時の体積と大人になった時の体積が、あきらかに違います。

 

たったの数十年でなぜこれほどまでに、形を変えて、体積を増やすことが可能なのでしょうか。

 

これはよくよく考えてみると、不思議なことなのです。

 

わたしたちは、無いものが、有るようになるという現象を目の当たりにしているのです。

 

どこから、おさむ君の体は来たのでしょうか。

 

食べることで、無かったものを補充して、体積を増やしているわけですね。

 

ですが、なぜ食べれば、形を変えられるように、ほとんど100%の人間がそのようになっているのでしょうか。

 

こどもが生まれたら、いつかは大人になるという法則があるのです。

 

そのメカニズムは複雑でまったく解明されていません。もし、これが解明できたとしたら、人は死なない体を手に入れることができるようになるかもしれません。エネルギーだけ保持できれば、実は生き物は、死なないことのほうが当たり前なのかもしれないのです。

 

創世記には、人が悪を手に入れたことで、罪が生まれ、その罪のために死が生まれたと書かれています。

 

神様はもともと人を死なないように創られていたと思われますが、人は自分たちの選択によって死ぬ存在となってしまったのです。

 

死なない体の状態の場合は、良い微生物、エネルギーになるような果物などがあれば、細胞は失われてもまた再生したのですが、悪を手に入れてしまった人間は、死ななければいけなくなりました。

 

いつまでも悪をするものが生きているのは、破滅となってしまうからです。そこで、神様は、あらゆる恵まれた世界だったところに、のろわれたものを許可されるようになりました。人の細胞も、制限され、無限に再生できず、悪をするにつれて、神様の設計図が壊れながら、死へと向かうようになってしまったわけです。

 

死なない細胞が、死ぬ細胞となったのなら、鍛える必要が出てくる。呪われた悪い微生物やウィルスなどで、細胞や体を鍛えて、すぐに死なないように、悪に対処できるように神様はされているのかもしれません。

 

創世記3章17節

更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、/地はあなたのためにのろわれ、/あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。

 

地は、悪を手に入れた人間のために呪われたと書かれています。

この瞬間、世界のありかたは、劇的に変化したと思われます。

 

大洪水でも劇的な変化をもたらしましたが、エデン追放の時は、それと同じぐらいの世界の環境の変化、生き物の在り方自体が、変わってしまったのかもしれないのですね。

 

そして、死ぬように変わってしまった生き物は、悪と戦いながら、生きていくようになるので、のろわれたもの、毒なども存在し、のろわれたような生き物も、強く生きていくために必要となったと思われます。

 

ウィルスや細菌なども、病気などを呼び込みますが、普段からそれらに触れていれば、人の体は鍛えられ、強くなるわけですね。

 

だからといって、ワクチンなどの注射を勧めているわけでは決してありません。わたしが進めているのは、あくまで自然なウィルスや細菌の取り込みです。

人の肌を貫通させて、無理やりウィルスを入れる危険な行為はするべきではありません。そのワクチンが毒物でないことをどうやって見分けるのでしょうか。

 

普段から、部屋の掃除は水でして、あまり綺麗にしすぎないことなどを心がけることがいいでしょう。

 

そして、塩を使うことがいいことです。塩は悪い細菌を倒しますが、良い細菌は残します。味噌やしょうゆなど、あらゆる良い微生物などを増やすことはいいことだからです。もちろん、使いすぎはいけません。

 

なんでも、過ぎるのはよくないからです。

 

最初にも書きましたが、ウィルスや細菌がなぜ存在しているのかは、今の時点では、分かりません。憶測でしかありません。ですが聖書は、常に時代の先をいき、わたしたち人間が、間違いを修正してきました。未来では、これらのことも、科学の発展とともに、解かる時代が来るかもしれませんね。

 

解った時代であれば、死なない人、もしくは、長寿のような世界になっているかもしれません。それも聖書のイザヤ書などの預言とも一致します。

 

人の悪が極限まで小さくなれば、呪われた世界にしておく必要もなくなるかもしれません。今は大詐偽時代ですから、悪が大量にありますが、未来ではどうなっているのでしょうか。1000年後には、そういった明るい時代が来るかもしれませんね。

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