歴史

世の中が多様化している理由

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現在、世界の流れは、ゆっくりと多様化していっています。

 

聖書の教える人権は、世界でも一致した価値観になっています。犯罪などの正義や愛を否定するのは、無神論者でも同じではないでしょうか。

その人権が当たり前ではなかった時代までは、世界は、統一した価値観を作り出すことが主流でした。

 

なぜなら人権がなかったので、現代でいう犯罪者などの正義や愛さえも、当たり前のように存在していたからです。

これらの悪に打ち勝つには、集団のコミュニティを形成して、秩序を作り出さなければいけないわけです。

 

ひとりで犯罪者集団と戦うのは、難しいからです。

 

源氏や平家などの武士も、世の中が乱れて犯罪者集団が村などを襲うので、ボディーガードのように発生したものでした。

 

世界には、日本人では想像もできないような様々な正義や愛があり、悪でさえも善だと信じ込むものさえも当然いたのです。

ですから、仲間とともにルールの中で生活する民族が増えていったわけです。

 

個人から集団になり、集団が村や民族になり、村などが集まって街になり、街が集まって国になっていきました。

 

多様化した世界から統一した価値観を作り出すかのように、国を形成し、その国を王族や貴族、領主などが治めて、その領土内にいるものたちに悪をさせないように、自由を制限していきました。

 

国が認めるものしか、行えないようにされていったのです。

 

江戸時代では海外の本を読むことさえも禁止されていました。わたしは正しかったと思っているのですが、カルトだったイエスズ会というキリシタンを日本は認めませんでした。

 

このように平和や安全を維持し、反乱などを起こさせないようにするために、権力者たちは、下の者たちの情報を規制していきました。文字の読み書きを禁止するのもそのためです。

 

これは日本だけではなく、世界でみられる傾向でした。

 

ですが、現在は、その国よりも権力を持っているのは、企業です。国から企業へと権力は移り、多様化しています。さらには、インターネットなどの情報網なども現れ、さらに多様な価値観になり、企業に頼らないという個人さえも出てきています。

 

今回は、この多様化についてみていきましょう。

1、世界は1つだった

色々な国の歴史や言い伝え、物語や小説、映画、芸術や技術など、あらゆる分野が現代には存在しています。

これらを見ていくと、なぜか共通点があるのに気付きます。

 

国も違えば、言葉も違うのに、なぜか共通点がやたらと多いのです。

 

「これは新しい」と言われたものでさえも、実は前に存在し、脳の中に入り込んだ情報を応用しているだけにすぎないのです。

 

そして、世界のあらゆる宗教には、面白いことに、共通点がありすぎるのです。

 

言葉も場所も民族も違うのに、なぜ共通点があるのでしょうか。

 

どの国にいっても、神概念があるのは、なぜでしょうか。

 

あらゆる伝承に巨人伝説などがあるのは、なぜでしょうか。

 

処女が救世主を生むという共通点があるのは、なぜなのでしょう。

 

なぜ、生贄という共通した文化が世界中に広がっているのでしょう。

 

ピラミッドはなぜ世界中に存在し、日本にも4000を超えるピラミッドがあるのは、どうしてなのでしょうか。

 

言葉が違うのに、共通した情報が入っているのを説明しているのは、聖書だけです。

 

聖書は、ノアの家族から世界が広がったと教えています。ノアの家族から増え広がったので、言葉は同じで、もちろん、ノアの教えが、その家族の脳の中にインプットされていったのです。

 

ですが、なぜ言葉がまったく違うようになっているのでしょう。

 

聖書は、同じ言葉を使っていた人間たちが、神を超えようと高い塔を建てようとしたことが書かれています。バベルの塔です。

その時、神様は、人々の言葉をバラバラにして、会話ができないようにされたと書かれています。

 

脳に持っている情報は同じなのに、言葉だけがバラバラにされたのです。

この時、あらゆる土地に人々は移動させられたと考える人もいます。

 

大陸移動説という面白い考え方を学校で習ったことがあるかもしれませんが、これは大陸の形をみると、それぞれの大陸の形は、まるでパズルのピースのようにつなぎ合わせることができると考えて、ゆっくりと大陸は移動して、今のようにバラバラになったという説ですが、これはありえませんね。

 

地球の表面面積は決まっているのですから、土地が移動するのなら、どこかに穴が開いていたりしなければ、移動はできません。陸に入り込んではもどっていたりしても、大幅に何千キロも移動するわけがありません。

 

自然の法則ではありえません。ですが、大陸の形は、まるで別れたようになっているので、これは神様が土地をも移動させたという説をいう人もいますが、定かではありません。

 

想像すれば色々と面白いと思わされますが、言葉と共通点だけは、現代の現状と聖書は一致してしまっているのですね。

 

世界中にピラミッドがあるのも、ピラミッドは、その時代の共通認識の1つだったかもしれないからです。

 

現在、250万個の2tの大きな石でピラミッドは覆われていますが、実はその表面の石の中には、信じられないほど巨大な岩があることを知っているでしょうか。2tどころではなく、高い位置に、250tを超えるような巨大な長方形の岩などもごろごろしているのです。

2tでも、どうやって置いたのかと疑問が絶えないのに、その100倍以上の重量がある岩が表面の岩の中には、存在してしまっているのです。

 

2000年前までの世界の人口は、約1億人程度だったと言われています。この2000年で70倍に増えていると考えられます。では、ピラミッドが作られた時代は、さらに3000年以上も前の時代ですから、人数も限られていることが分かります。

 

人数が限られているのなら、共通した認識があったり、ともに巨大な何かを建設しようとしていた可能性もあります。ピラミッドほどの巨大な建物は、その当時の全員を集めなければ、作れないほどなのではないでしょうか。

 

現代でも作ることが難しいのに、どうやってピラミッドは作られたのか未だに謎になっています。

 

謎ですが、実際に世界中の共通点として、ピラミッドがあることは変わりません。

 

恐竜という巨大な化石は謎ですが、巨大な化石があることは変わらないのです。

 

人間の人口も逆ピラミッドのように広がっています。これは過去は、人間の数は少なかったことを表しています。

 

結局、ノアの家族、アダムとエバからわたしたちは、増えていったと連想できてしまうのですね。

 

 

2、1つから多様化へ

1つの神様、本当の神様という価値観だったものが、複数の神々という偶像思想を生み出していくことで、多様化が広がっていきました。

 

ノアの人権のある善を善だと考える思想から、悪が善だと考える思想、悪魔宗教が生まれ、さらに世の中を混乱させていきます。悪魔宗教はあらゆるアイディアを生み出しては、世の中に悪を善だと思わせる思想を広げていきます。

 

その両極端の中心に存在したのが、バビロンの思想でした。

 

善と悪を両方混ぜ合わせて、どちらのニーズにも応えてしまうような思想です。バランス型です。

それらを作り出したのは、ニムロデというハムの孫でした。

 

1つだったものが、多様化された思想が広がり、ニムロデは、自分が神の化身かのように、あらゆる偶像を作り出していきます。

3つで1つの神であったものを、自分と妻と息子を言い表す伝承だとして、息子は救世主のようにして、妻はそれを生んだ女性として、女神崇拝へとかわっていきます。

 

聖書がにくむべき、アスタロトと書いているとおり、世界中に広がっていたイエスキリストの予言を彼らは利用して、世界を統一したのです。

 

善悪を両方取り入れたこのニムロデの思想は、あらゆる国やあらゆる帝国がマネをしていき、今でも天皇やフセインなど、あらゆる人たちが、このニムロデをモデルとしたような思想を持っているわけです。

 

そして、世界中の富を手に入れていきました。

 

彼らのその善と悪のハイブリットのような思想は、決してすべてが悪だというわけではありませんでした。悪魔宗教とよく対立し、倒したのも、これらの思想だからです。

 

イスラエル人が悪魔宗教に流れていった時も、裁いたのは、これらの思想の勢力でした。

 

 

今でも、ローマ帝国から出たカトリックなどが、この思想に似たような権力を維持しています。

 

善も悪も利用できるのなら、利用するという発想のために、財産なども増えていき、神様も完全な悪ではないこれらの存在を一時は、許しては、崩壊させていきます。

 

悪に流れれば流れるほど、その体制は、傾き、人々からの支持を失い崩壊していくのは、歴史の常です。

 

表向きだけにしろ、善をかかげて政治などを行うのは、組織を崩壊させないための賢い選択なのですね。

 

 

ですが、それでも、世界には、あらゆる多様化した考え方があり、さまざまな善や愛が存在し、それを文化にして広がっていました。

 

悪の思想が増えれば増えるほど、組織は混乱し、平和ではなくなるので、規制していくようになります。

 

下のものには、情報を規制し、コントロールしやすい環境に置いて、奴隷のようにして生かしておくわけですね。

ですが、最低限の安全や平和を提供するためでもあります。

 

悪魔宗教が増え広がらないための措置とでもいえるわけですね。

 

キリスト教になる前からローマ帝国は、悪魔宗教を弾圧していました。それは悪魔宗教の思想が危険であることは、支配者としては当然理解していたからなのです。

 

問題は、悪魔宗教ではない人間の自由や発想なども弾圧してしまうことでした。

 

そのため、カトリックは崩壊し、多様化した思想が、増え広がっていきます。

 

国の上に、企業が存在するようになり、現代では、企業が、国のようになり、経済連などが、政治家や国を動かしているわけです。

3、人権を理解しているのなら多様化すればいい

どこを境に、良い悪いを決めればいいのかは、悩みどころです。そんなものに答えなんてなく、その時々あった対応をしていくしかないというのが、本当のところでしょう。

 

ですが、それでも大きく境を分けるのなら、人権を理解しているのか、していないのかです。

 

人権を理解していないものは、連続殺人犯や犯罪をする人たちです。

 

これらの悪の行為を善だと信じている非人権主義者は、自由にしたら被害者が当然でてきてしまいます。ですから、刑務所などで閉じ込め、脳に人権の情報をマインドコントロールしていくしかありません。

 

ですが、現代人のほとんどは、人権を多くが認めているのではないでしょうか。

 

この人権を認めているのなら、ある程度の価値観の一致が持てます。悪を悪だと認識しているのなら、自由に行動させていけばいいわけです。

 

生き物には、痛覚という痛みがあり、痛いことは嫌だと思えるように、悪をすると嫌だと思える正常な人がほとんどです。

 

本当ならすべての人が聖書を学んで、与えなさい。そうすれば与えられる。愛とゆるしなどを理解していれば、一番いいのですが、今はまだ理解できない人たちが多すぎるので、無理だとして、おのおのが正しいと信じるものを追及させていけば、おのずと気づくことです。

 

例えそれが後で、悪だったと分かったとしても、その悪を悔やみ、心を痛める気持ちさえあり、誠実に生きたいと願うのであれば、自由に行動させてあげれば、結局、本当の神様の意思に辿りついていきます。

 

その人の代では無理でも、その人の孫の代では繋がっていくことでしょう。

 

信じるかどうかは、分かりませんが、親の行ったものは、子へと受け継がれていきます。親が悪を正義として考えれば、それは2代、3代へと悪が繋がってしまい。悪のサイクルが止まらなくなるのです。

 

ですが、これは善にも言えることで、親が善であれば、その子孫も、善へと良いものを伝えていくのです。

 

そして、世界の情勢は、間違いを繰り返しながら、少しずつ善へと前進しているので、今では憲法に人権があるという現実を手に入れているのです。

 

人権が無かった時代の人に、人権をいらくいっても、きれいごとにしか聞こえなかったでしょう。

 

ですが、その綺麗ごとは、今では当たり前となっているのです。

 

この世界は、善であるからしょうがないのです。

 

もちろん、一部の悪は、存在しています。ですが、それは一部であって、その悪だけをみるからすべてが悪のように勘違いするだけで、離れて広くみれば、善だらけなのが、現実なのですね。

 

そうであれば、善を願うものなら、自由に行動させていけば、いつかは今の問題を解決していくはずです。

 

紙幣発行権利も悪魔宗教から自分たちの手に戻すことも未来では、出来ていることでしょう。

 

 

戦争が1つもないという時代も未来では当然で、戦争なんてものをしていた今の時代を旧石器時代かのように伝えられる明るい未来があるかもしれません。

 

国から企業になり、企業からまた個人へと自由度が増え広がっているこの流れは、悪い面ももちろんありますが、良い面でもあるのですね。

 

ある程度、力を持つ企業の支配者たちは、悪魔宗教などに目をつけられ監視されています。自由があるようで自由がないのです。

 

人数が限られているリーダーを見張るのは、難しいことではありません。

 

ですが、リーダーではない個人を見張るのは、簡単ではありません。権力が分散すればするほど、悪魔宗教は、それを見張ることは難しいというわけです。

 

インターネットは、その個人を見張るためにも、考えられたとも言われていますが、そのインターネットには、今まで弾圧されてきた学者や著名人たち、あらゆる分野の正義感のある人たちが、情報を暴露し、公開できる場として利用されているのです。

 

テレビ業界はもちろん、悪魔宗教の監視下に置かれているので、自由な報道はゆるされていません。ですから、何とか人々が、情報が流れているインターネットに流れるように向かわせようとしているのです。

 

わざとテレビではつまらない番組などをすることで、インターネットへと誘導して、情報を拡散させようとしているわけですね。

 

国民、ひとりひとりの言動を規制するのは、難しいからです。

 

ネットは、もちろん、悪魔宗教側に雇われた工作員なども利用して、歪曲した情報を大量に流していますが、お金などをもらっていない一般人たちは、嘘や捏造の情報を好んで流す人はいません。例え、間違いだったとしても、その時には正しいと信じてサイトを造ったり、情報を流しているからです。

 

会社や家族のために、嘘や悪をする会社員がいたとしても、その会社などが存在しなければ、正しい行動が規制されずに自由に出来るわけです。

 

わざわざ嘘や悪をしようとする人など、ほとんどいないということですね。

 

例え、それが悪であっても、心では誠実に善だと思って行動しているのなら、真実をみつけようとしているだけに、道は開けて、目も開かれるのです。

 

聖書の神様を信じることが、もっとも早道ですが、それが解らない人は、突き動かされる誠実さや正義で、人権を基準として、動けば、孫の時代は、明るくなるのではないでしょうか。歴史がそれを証明しているからです。

 

当たり前だと思っていたことも、当たり前ではなくなりはじめた最近では、情報を受け取るばかりですが、情報を脳に入れるだけでも、全然違うのです。

まずは、想いの種を蒔かなければ、行動の花は咲かないのです。

 

こどもが、日本語を脳に入れて、色々な行動ができるようになるように、大人もあらゆる情報を脳にいれて、柔軟に考えれるようになれば、おのずと子孫の明るい未来につながっているのですね。

 

最後に、神様の価値観は、広くて大きく、人それぞれの自由をも受け入れるほどなのです。1つにすることは、狭くなることだと思うかもしれませんが、それは、特定の人間のアイディアで1つにしようとしたら、狭くなるのであって、本当の神様で統一すれば、それは逆に人に自由と権利を与えることになるのです。

 

聖書は、人々を奴隷にもしましたが、聖書は、その奴隷からも解放したのです。人権を理解した人たちは、解放するそれが聖書の教えなのです。

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