歴史

日本語が日本の国を守っている

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日本語は、世界でも難しい言葉だということは、以前にも書きました。

ヘブライ語とひらがな・カタカナの共通点>>

日本語とヘブライ語の共通点>>

 

なぜ難しいかというと、日本語は、文字を理解するための2つの手法をまるでパズルのように、組み合わせているからです。

 

英語は、表音文字といって、音から言葉を話すことができるように考えられたもので、これらはひらがな・カタカナと同じで、文字を読むとどのように音を表現して、その音から意味を理解しようとするものなのです。

 

ですから、英語圏の人たちは、誤字脱字がとても多いのです。これは耳で聞いて右脳でイメージし、左脳で覚えようとする割合が低いためです。

 

この表音文字と違う表す文字を表意文字といいます。

 

その文字の形で意味を表してしまうような文字のことで、日本語でいうと漢字です。

 

「馬」という漢字を見ただけで馬がイメージできるような文字ですね。ですが、この「馬」という漢字だけでは、どのような発音なのかは分かりません。

 

普通の国は、この2つのどちらかを利用して、一般の生活を分かりやすく暮らす工夫がされているのですが、なぜか日本だけは、まるでパズルのように、ひらがな・カタカナ・漢字がランダムのように並んで使われているのです。

 

こんなに難しい文字をなぜ日本は、わざわざ使うのでしょうか。

 

今でこそ、日本は、江戸の言葉を標準語として統一されていますが、戦国時代には、使っている言葉が多数ありました。現代人がそのまま戦国時代にいっても言葉はなかなか通じません。ですが、日本は、不思議と文字を組み合わせて、育んできた文化なのです。ですが、それらの文字もバラバラにみえて、実は共通点があり、特に都心ほど、意味を持ってわざと難しい言葉を使うようにしてきたのです。

 

それらは、この日本という国を守るためにも使われてきたのですね。

1、簡単な言葉では、入り込まれる

今、日本の学校で、日本語から英語に変えようとする試みが行われています。歴史さえも英語で教えるようにして、英語力を付けようというわけですが、これは良い事でしょうか。

 

実は、この試みは、良くありません。

 

すべてが悪いわけではもちろん、ありませんが、良くないというよりも、あまり意味がないことをしているのです。

 

フィリピンなどは、英語を母国語にしてしまっています。発音こそ、少しクセがありますが、フィリピン人は英語がとても上手なのですね。

フィリピンは英語ができるから世界との貿易が出来るというわけですが、実際は、どうでしょうか。

 

フィリピンから世界に通用する貿易は、あまりありません。

 

逆に英語が苦手な日本人のほうが、世界で通用してしまっている貿易を沢山行ってしまっているのが、現実です。

 

なぜこのようなことが起こっているのでしょうか。

 

それは、フィリピンから→世界にという前に、世界のほうがフィリピンよりも力があるわけですから、フィリピンが、英語で生活できるようになってしまえば、世界は、フィリピンの多くの機関を奪い支配してしまうからです。

 

前向きな考え方なら、母国語を英語にすれば、世界に出ていけるということになりますが、後ろ向きといいますか、守りの視点から言えば、母国語を英語にすれば、侵略も簡単にされてしまい、知識があり力がある勢力に国を支配されれば、その固定されたシステムを抜け出すのは用意ではなくなるということです。

 

ですが、それでもフィリピンにとっては、母国語を英語にすることは必要だったのです。

 

逆に、日本は、母国語を英語にする必要はありませんでした。

 

なぜ、フィリピンには必要で、日本では必要ではなかったのでしょう。

 

それは、フィリピンの使っていた言葉、タガログ語には、言葉が少なすぎたからです。

 

そして、日本という文字は、あらゆる言葉が存在していたのです。

 

どういうことかというと、タガログ語の中には、英語で利用されている文化や情報などを言い表す言葉が少なすぎて、結局、英語で覚えるしか無かったのです。

 

フィリピンという発展途上国の国は、世界のアイディアや情報を取り入れて、世界と渡り合おうと情報を入れたくても、言葉がないので無理だったので、英語で取り入れて脳に情報を理解させていき、発展を遂げたのです。

 

日本は、あらゆる概念、あらゆる情報の1つ1つに、日本語で言葉を造ることが、得意で、昔から言葉をパズルゲームのように作って来た日本には、世界中の情報を日本語で言い表すことができたので、特別、英語が必要ではなかったのですね。

 

英語で、侍は、サムライですし、忍者は、ニンジャです。このように概念がなかったり、近いようで違うものに関しては、その国の言葉や発音をそのまま組み入れて理解して、自分たちの脳で理解しようとするのです。

 

英語を日本語に翻訳してくれれば、日本人は、日本語でそれを理解できてしまうほど、日本語という文字が優れていたというわけです。

 

 

よく、難しいことを頭がいいだろうと見せつけるように、自慢する人がいますが、そんなものは、ほとんど意味がありません。その事柄や情報、概念を理解できれば、英語だろうとフランス語だろうと、漢字だろうと、ひらがな・カタカナでも構わないのです。

 

そのことが理解できれば、本質的に、問題はないのに、わざわざ難しいことをして、脳内麻薬を脳の中で分泌させて、自分に酔っているだけなのです。

 

本質を理解している人は、細かいことは、気にしません。

 

2×2=4と考えてもいいですし、2+2=4と考えてもいい。1+1+2=4でもいいのです。

 

結局、4という答えにつながれば、どの方法でも正しくその4を理解したという結果が「実」であり、本質になるのです。

 

 

そして、日本語という言葉は、素晴らしくあらゆる方向からその4といった答えなどを脳に入れることができる手法が作り出せるものなので、これを単純な英語にしてしまうことは、むしろ能力を削り、侵略の糸口を与えるだけのことになるのですね。

 

日本人は、英語が苦手です。日本人は、英語の文字をまるでローマ字読みのように、英語の単語を覚えようとしてしまいがちです。

 

このような覚え方はしないほうがいいと言われています。

 

もし、英語を覚えて、しゃべれるようになりたいのなら、ひらがな・カタカナで英語を覚えることがいいのです。同じ表音文字だからです。

 

音から文字として言い表せる、ひらがな・カタカナで、英語を話す外国人の方達の言葉を聞いた通に書くことがいいのです。

 

THE という言葉を日本人は、「ザ」といったりしますが、英語で話す人たちの言葉を聞けば、「ザ」などとは言っていませんね。

 

むじろ「タッ」とか、「サッ」と言っているように聞こえます。

 

日本人にはない発音の仕方を使っているので、ひらがな・カタカナで作っていく必要があるのです。

 

 

このようなことにも対応できる優れた日本語をわざわざ、表音だけで使っている英語に格下げして、母国語などにしてしまえば、表音的な不利な日本の国は、フィリピンのように侵略され、さらに組織が外の国の人たちに支配されてしまうようになるのです。

 

 

いまでも、外の権力者からシステムによって支配されているのですが、その支配しているのは、日本語ができる日本人や日本が好きで日本語を上手に使えるようになった人たちが、仲介者として、管理しているから、ギリギリのところで、平和が続いているのです。

 

同じ日本人や同じアジア人という枠組み、同じ土地に住み、同じ難しい言葉で暮らしているということが、日本の生活を守っているのです。

 

これを単純な英語に変えてしまえば、日本人から程遠い感覚の文化や考え方の人間が、世界中から日本に入り込んでくるようになり、しかも、そのような人たちが日本の組織をコントロールするようになったとしたら、どうなるでしょうか。

 

人は、何か共通点がある人に親しみを感じてしまいます。

 

高校野球なら地元の野球部を応援したくなるように、同じ日本人でも、共通点がある人たちを応援したくなります。

 

 

では、日本人ではない白人や黒人などの人たちが、日本人と同じように暮らし始め、しかも英語で組織をしきっていったとしたら、彼らは同じように、日本人と白人や黒人をみて平等に決断を下すでしょうか。

 

下から努力や能力であがってきた人ならそれも可能ですが、英語圏になってしまった日本に攻撃をしかけてくるのは、そのような人たちではありません。すでに世界の裏、悪魔宗教が背後に支援したような人たちですから、日本人をどのように扱うのか分かったものではありません。

 

日本人のきめ細かい配慮、思いやりの心は、世界でも効果を発揮しました。アメリカのラスベガスで、日本のヤクザ関係が、大成功を収めました。もちろん、すべて法律的なことで、規律あるやり方で成功したのですが、アメリカ側は、無理やり法律をかきかえ、日本の企業に弾圧を加えただけではなく、すべてを奪い自分たちの利権にしてしまったのです。

 

彼らからすれば、法もやりたい放題で、ルールは彼らが決め、白も黒になり、黒も白にもしてしまうやり方をするのです。

 

そのようなことができるのも、英語圏の国だからです。

 

ですが、日本語のように難しい言葉の中では、そんなに簡単なことではありません。「天は二物を与えず」という言葉がありますが、策略ができる人間がいても、それが言葉が通じないところではさらなる時間と労力が必要になり、またそれが日本語なら猶更、難しくなるのです。

 

日本人の中にも、彼らと同じ考え方で、悪側の人間が多数いますが、それでも、彼らは日本語を使って、日本で生活しているので、自分たちの家族は、日本にいて、それほどむちゃなことなど出来ないし、行うためのブレーキがかかってしまいます。

 

それが、母国語を英語にしてしまえば、海外から日本をコントロールするわけですから、まるでゲームをしているかのように、日本人を苦しめるのは、明白です。

 

日本がどれだけ荒れようと、自分たちの家族は、アメリカ大陸やヨーロッパなどにいるわけですから、利益になれば関係ありません。

 

楽しめればいいというトンデモない人間もいることでしょう。

 

こういったものを昔から阻止し、日本を守って来たのは、「日本語」なのですね。

 

複雑怪奇だからこそ、日本を守り続けているのです。そう考えれば、大阪弁などもとても大切で、方言なども残すことで、日本を知らないうちに守っていることになるのですね。

 

日本語ができない外国人からすれば、どうして、同じ国に大阪弁という違う発音のある言葉があるのか理解に苦しんでしまうのです。

 

英語は、IはIしかありません。しかし、日本語の中には、Iは、「わたし、僕、俺、わし、自分、わたくし、あたい、我」など、複雑に存在し、その1つ1つに、微妙に意味合いがかわってしまうのが、また難しいのです。

2、日本語を使うと頭が賢くなる

日本人は、実はとても賢い民族なのです。その秘密の1つは、日本語にあると言われています。

 

例えば、日本人は、「九九」を誰しもが覚えていると思います。覚えていない人のほうが少ないと思いますが、海外では、「九九」を忘れてしまっている音な大量に存在します。言えないのです。

 

本当か?と思うかもしれませんが、本当です。

 

日本の小学生がする分数の足し算引き算さえも、できない大学生など、ザラにいるのです。

 

日本人は、実はとても頭がいいのです。基礎があるといいますか、しっかりした基準が、脳の中に入り込んでいるのですね。

 

 

海外は、その基礎になる部分は低いかもしれませんが、逆に特化した能力を開花しやすいのです。

 

日本人は、バランス的な能力が高く、アメリカ人は、出来ないものは信じられないほどできず、出来るものは、信じられれないほどできるということが多いのです。

 

不思議な民族、日本人の面白いところで、良くも悪くも、基本的な能力、基礎が高く、ロボットのようにみえるので、海外から非難されやすいのです。

 

日本人は、多神教で認める、受け入れるという器が大きいかのように発言する人がいますが、世界の器から考えれば、日本は、受け入れることがでけいない民族です。

 

世界は、違うことが当たり前の中、それでも認めるという発想ですが、日本は、ある基準が固定されていて、それからはみ出すものは、結局、認めないのです。

 

これは、良いとも悪いとも言えません。

 

どっちもどっちですが、お世辞にも、日本人は、受け入れるという言葉は、違うことは分かります。

 

 

海外から入って来た情報や概念を日本人は、日本人のその基準に書き換えて、さらに良いものにしてしまいます。

 

それは中国とは真逆のものです。中国は、良いものを悪いものへと変えてきた文化ですが、日本は、悪いものさえも良いものへと変えてしまう面白い民族です。

 

魂レベルからなのか、文化レベルからなのか、日本人の本質、体の奥深くにある聖書を基準にした「正義」が、固定されていて、悪い思想も、いつの間にか、良いものへと変えていこうとします。

 

これは犯罪者の世界でもそうです。日本人の犯罪者は、最低限の土台のようなものがあります。しかし、中国の犯罪者は、その土台さえも打ち抜き、悪を行います。

 

在日系の空き巣は、家に人がいるとその人間まで命を取ろうとします。これが日本の空き巣なら、いのちまで取れる人などなかなかいないでしょう。

 

ヤクザの世界でも、日本ヤクザと在日系ヤクザには、差があるのです。

 

あらゆる宗教なども、悪魔的なものが、善なるものへと変えようとする動きをみせるのが、日本民族なのです。

 

ひらがな・カタカナは、ヘブライ語です。

 

そして、漢字は、聖書物語を表意文字にしたものです。

漢字に隠された聖書物語>>

日本人は、魂レベルなどで、知らないうちに、聖書の基準があり、人権を理解するように育てられ、遺伝で引き継がれているのですね。

 

ヘブライ語も、とても難しい言葉です。

 

1つの言葉に複数の意味合いがある言葉なので、解釈が微妙にかわってくるものです。

 

日本語と似ていますね。

 

推理小説などで、暗号文などが使われたりしますが、それらも文字遊びのように、暗号を隠します。日本語は、昔からそのようなことをしていた言葉で、あらゆる言い方や書き方、発音の仕方の中に組み合わせて、本当に言いたいことを隠し、残すのです。

 

「よろしく」という言葉を暴走族が、「夜露死苦」みたいに言い表して、まったく違う意味を暗号か意味合いを作り出そうとするような、親父ギャグみたいなものを日本は、昔からしてきました。

 

本当に意味が無いものが大量に確かにありますが、極一部は、意味があってわざと暗号として隠して残し、知らないうちに、日本人の脳に情報を入れ込むのですね。

 

「君が代」や「かごめかごめ」などが良い例です。

 

このような言葉遊びをすることで、日本人は、難しいことも簡単に覚えたり、脳を賢くするように生きれるようになっているのです。

 

「九九」も、日本語だから短縮しているからこそ、覚えて使えているのです。

 

女子高生なども言葉を新しく作ったりしていますが、これは日本人の昔からの本質であり、言葉遊びなのですね。親父ギャグです。

 

漫才なども言葉遊びや考え方の概念のオンパレードです。

 

日本語を使っていると実は、あらゆるパズルを日々解いているようなもので、皆さんの知能を上げてくれているのですね。

 

 

日本は資源がなくても、世界の実経済をけん引してきました。細かいニュアンスのやり取り、経済に必要な信頼を積み重ねる道徳観などが、時代を超えて固定されているのも、日本語が1つの要素なのですね。

 

ですから、その日本語という母国語を破壊するようにすることは、日本人の本質を崩してしまうことにもなってしまうのです。

 

言葉以外にも、祭りや太鼓、神社などのあらゆる文化も日本を守り続けているのです。そして、その文化を次にも引き継がしていく、日本語という言葉は、謎多き、大切なものなのですね。

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